旅路 3
「こっち頼めるか!坊や」
「いいよ」
「それが終わったらこっちな」
「うん」
甲板を元気な声が飛ぶ。私はスタニスがいれた茶を飲みながら、それをぼんやりと眺めていた。
港を出てから三日。船は順調に航路を進んでいる。
長い河川を下るだけだから、迷いようもないし。
楽しい船旅ではあるけど。
「お気が晴れませんか?お嬢様」
「うん、ちょっと心配事が」
王都に帰った途端、陛下に縛り首にされたらどうしようかという心配ごとがね……。
胃薬あったかな、と思っていると楽しそうに甲板掃除をしているシンとイザークが視界に入った。
シンが船に乗り込んできた日。
「ドミニクの言うとおり、ドラゴンは帰したから文句ないだろ」
にこっと笑った竜公子に私たち(ドミニク・私・ヴィンセント)は、「んなわけあるか」と心の中で盛大なつっこみをいれた(と思う)。
しかしながら、既にドラゴンは帰途へついた。
船を港に戻して、ヴィンセントとドミニクが王都に戻る事にしようとしたのだが、とうのシンが「そんな事したら、もう王宮には戻んないって手紙にも書いたから」と嘯いたので、腹をくくって旅程を進めることにした、のである。
兄弟のうち、青くなったのは兄のドミニクだけで、そもそも、この旅の原因であるキルヒナー家の弟イザークは、仕方ないさ、と気楽に構えていた。
「シンがドラゴンに並々ならぬ愛情を抱いてるのは陛下だって、ご存じだしさ。そこまで大事にならないって」
「でも、往復二ヶ月もシン様が不在なんて…」
「大丈夫。北部に着いたら、北部にいるドラゴンで王都までいけばいいし。シンの腕なら五日もあれば王都に帰れる」
「陛下、私たちに激怒するのでは」
「激怒するなら、俺達に対してじゃなくシンにだろ?あと王女。シンがあれだけ自信満々に抜け出してきてるってことは、王女も多分、共犯だぜ」
イザークは平気、平気と気軽に言う。神経太いな、本当に。
確かに、私は巻き込まれた「だけ」だけどさ。陛下に嫌われている旧王家の娘なので、これ幸いと、どんな言いがかりをつけられるか分からない。
怒りを買う事案は出来るだけ避けたいんだけどな……。
神経の太いイザークとシンは、すぐに船員達と馴染んで、今も甲板を元気に掃除している。
ドミニクが、勝手をしたシンに罰として「おまえは勝手に乗り込んできたから客じゃない船員だ!」と宣言し、こき使っているんだけど。
「甲板ふき終わったけど、これでいい?」
「どれ、……こらこら坊や、水浸しじゃないか、雑巾はもっと硬く絞んな」
「はーい」
シンは思いの外楽しそうで、罰になっていない模様。
船員の皆様もこの珍客の正体などとっくに知っているだろうに、キルヒナー商会の方々は物怖じしない人が多いのか、北部民がおおらかなのか。
まるで平民の子に対するように接している。
陛下の溺愛する甥かつ、竜族の子ということで、おっかなびっくりシンに接している王宮の人たちとは大違い。
確かに、シンはこっちにいるほうが楽しいだろうね。
「私も何かお手伝いしたほうが、いいのかしら」
ドミニクに聞くと、「レミリア様はお客様です。お気遣いだけで」と返された。この世界ではお掃除イコール使用人のお仕事だもんね。客にそんなことさせたと知れたらキルヒナーの名前に傷が付くだろう。
しかし、問題は
「暇だ……」
そう、暇なのだ。
風景が物珍しかったのは最初の二日くらい。
あとはもう、ひたすら、水、水、水、遠くに町並み――の連続でなんだか飽きてしまった。
ハナの餌やりは私の仕事にして貰ったけど、それでも朝夕二回の短時間で終わってしまう。ずっと側にいたいけど、あんまり興奮させて羽根の傷に障ったらいけないと言われてはそんなに長居もできない。
旅程を差配するドミニクは忙しそうだし、シンとイザークは甲板掃除だし。それなら癪ではあるけれど、ヴィンセントあたりに私の退屈を慰めるために宿題の教師でもして貰おうかと思っていたところ――。
「船酔い?」
「ええ、酷いみたいですよ」
ヴィンセントの居場所を聞くと、スタニスが船室を教えてくれた。
王都の女の子達の憧れの君の一人、ヴィンセント・ユンカー様は船酔い体質らしく、無様に船室に転がっているらしかった。
船酔いの薬を貰って飲んだものの、ほぼ動けないらしい。
ほんとか?この俺様が使用人の仕事など!つって、甲板掃除を拒否してるだけなんじゃないのー?なんて意地の悪い事を考える。ヘンリクじゃあるまいし、そんなこと言いそうにないけどね。
しかし、へばったヴィンセントは見たいな。ふふ、様子見にいってやろっと。
「ユンカー様、生きてらっしゃいますぅ?」
わざとらしく笑顔を作ってユンカーの船室に行くと、この世の終わりのような顔で船室の壁にもたれたヴィンセントが目に入った。
(……うわ、死んだ魚の目をしている)
生ける屍と化したヴィンセントは、のろのろと顔を上げて、私を見る。
「なにか、よう……」
死にそうな声で聞かれ、私は流石に反省した。
これは、辛そう。は~い、船酔い男~元気ぃ~?とか聞いてひやかせるノリではとても、無かった。
疑ってごめんなさい。
「え、ええと…そろそろ、新しい洗面器とか、要りますか?」
「……いい……もう、胃が空……」
ヴィンセントは声を絞り出した。
言葉通り、ヴィンセントの横に置かれた洗面器は空だった。
もう、吐きすぎて胃液も出ないのかもしれない。大丈夫じゃないなあ。若干涙目だし。
この人、上陸するまで生きていられるかな?
「では、水とか、食事とかもって参りましょうか?あ、それとも、私、気晴らしに歌いましょうか?」
私の気遣いに、ヴィンセントの緑の瞳がすうと細められ、出口を指さした。
げっと・あうぇい、と視線が語っている。
ですよね。ごめん、体調悪いときにお邪魔しました。
どうか、お大事に。
私はすごすごと船室を後にした。
シンとイザークとの仲は好転している気がするんだけど、ヴィンセントからの悪意は減っていない気がする。
そもそも、私、ヴィンセントルートだけ未プレイだから、ヴァザ家の旧領地出身の彼が、無能領主だった旧王家を嫌ってる、ってのは知っているんだけど、具体的に何があったのはわかんないんだよね…。
フランチェスカ王女がヴィンセントを選んで、私の破滅ルートが進むことがありませんように。イザークが相手なら、心から祝福してあげよう。
仕方なく船室に戻り、ミス・アゼルから託された宿題を紐解く。
課せられたのは詩の暗記と朗読。
さらに作成。「船旅で、良い刺激をうけてくださいませね」と笑顔で送り出されてしまった。
アゼルは折角の初めての旅だから、あまり宿題ばかりせずに見聞を広げてください、とやけに寛大な措置をとってくれたけど、刺激をうけるどころか退屈で死にそうです、ミス・アゼル。
(ポエムねー。前世ではよくポエミーな台詞をキャラクターに言わせる薄い本を描いてたけど)
詩じゃないしな。
日本の流行曲を詩のように変換してみるという手も思いついたけど、まさか、この面子で旅をした後に、恋の詩をしたためるわけにも行くまい。
レミリア嬢は旅先であっという間に恋に落ちた、恋しい人に会いたくて震えていらっしゃいます、などと、ミス・アゼルに王都中に広められてしまってはたまらない。
うーみーはー?とか?
……駄目だ。ファンシー過ぎるし、ここは、海じゃなくて川だった。
そうこう考えている間に、夜になった。
今夜は月夜で星が綺麗。甲板に出てキラキラの星達を眺めていると、目が回りそう。
暗い川面は、ひきこまれてしまいそうな怖さと魅力がある。
風鳴りに耳をすませていると、船尾の方が俄に騒がしくなってきた。ざわめきが聞こえる。
「なにかしら?」
「お嬢様」
行ってはいけませんよ、とスタニスが止めたけど私は構わずに歩き出した。だって、暇なんだもん。
なんのかんの、私に甘いところのある侍従は、やれやれと私に付き従う。
ざわざわと船員達が集りはじめたその先、そこには四つの大小の影があった。私は思わず目を剥いた。
ドラゴン!しかも二頭も!
月夜でもそれとわかる白いドラゴンと、深緑をした小さめのドラゴンが船尾に腰を下ろして我が物顔でくつろいでいる。
翼を閉じた彼らの横には、二人の人物。
二人と相対している船長が手にしたランプで、二人が男性だと分かる。そこには、背の高い戦士風の男性と、黒づくめの細身の男性が立っていた。
(ま、まさか王宮の追っ手?)
シンを追ってきた陛下の部下だったらどうしよう!あわあわと私が今更逃げ出そうとしていると、背の高い男が口を開いた。頭にターバンのようなものを巻き付けている。西国の服装のようだ。
「この船はキルヒナーの船か?」
「は、はい。その通りです」
「それなら丁度いい、夜が明けるまででいいから、ここでこいつらを休ませてやってくれないか、礼はする。朝には飛び立つ」
「は、いや、しかし」
「キルヒナー男爵とは知り合いなんだ、俺の名前を言えばあいつも断りはしない」
威厳あふれる船長が、怯えて縮こまっている。服装からするとカルディナの人では無いみたいだ。ちょっと、ほっとした。
船長さんはなんであんなに困っているんだろう、と思っていると、二人がそろってこちらを見た。な、何?
「……おまえ」
戦士のような人は呟いた。
男の肌は黒く、髪は雪のように白かった。そしてその双眸は人ではあり得ない色をしている月の光を鈍く弾く――黄金――、り、竜族!?
なんでここに竜族が?と衝撃を声に出す間もなく、私とスタニスの横をシンが通り過ぎた。まろぶように駆けて、船員達をかきわける。
「テーセウス!」
シンは男の名を呼ぶと、戦士ではなく、黒づくめの男に勢いよく抱きついた。細身の男がよろめく。
彼は、困ったように、少年を見た。
その人の瞳は黒。
ーーそれから左目はシンと同じ黄金だった。
左右色違いの、瞳。
黄金の左目。それが意味するところは、今のカルディナ人なら、誰でも知っているだろう。
あの人は、半竜族か。
「シンリック」
男がシンの名を呼ぶ。シンじゃなくて、本名のほう。
何事かと甲板に出てきたキルヒナー兄弟が三人を認めて、あっと息を呑んだ。
「テーセウス、それに……イェン?」
戦士風の男はおや、と眉をあげた。
「ひょっとしてドミニクと、イザークか!……久しぶりだな。なんだ、おまえ等の船なら丁度いい。ちょっと借りるぞ」
「どうしたんです、こんな夜に」
言ってから、ドミニクは船員達を見渡した。
「悪いけど皆、持ち場に戻ってくれるか。それから、この人達の事は他言しないように」
苦笑したドミニクに頼むよ、と言われては仕方がない。
船員達はおのおの持ち場に戻っていく。ドミニク様、本当にこの人達と知り合いなんだ?
「少し調子よく飛ばせすぎてな。ばててる。ドラゴンの休めるところを探していたんだが」
「岸があるでしょうに」
冷たい事を言うなよ、と戦士は肩を竦めた。
「腹も減ってたんだよ。でかい船に同族の気配がするから、降りてきてみれば。まさか、おまえ達と――あの坊やがいるとは思わなかった」
ちらり、と視線をやれば
シンは、テーセウスと呼ばれた男に抱きついている。
「テーセウス!」
「シンリ…、シン、離しなさい。ほら、大きな男の子がおかしいだろう」
「やだ、離さない」
テーセウスと呼ばれた男が引きはがそうとするが、シンは力の限り、ぎゅっと抱き着いて離れようとしない。
どうやら、こちらも知り合いのようだった。
シンリックの元ネタはアーサー王の悪役でお馴染みのキュンリッチの英語よみから。「王の親族」って意味の名前。
ちょっとベタだったなー、と思ってます




