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140.砂塵舞う 3

若干ホラー風味な場面も。

 小さな棺がふたつ。


 その一つをテーセウスが掘り当てた。スタニスとアレクサンデルがテーセウスから離れ、二人はマスク代わりに口元を覆っていた木綿と手袋を外した。


 あまり深くないところに埋められたのはカナンが乾燥地帯だからだろう。

 湿地帯ならば腐敗を恐れて、もう少し下に埋葬されるはずだ。


 棺が開くのを見ていいのか、悪いのか戸惑っていると、私のそばに戻ってきたスタニスが私の視線から棺を隠すように立ち位置を変える。私はスタニスの袖をつかんで「必要ないよ」とヴィンセントとユンカー宰相に聞こえないよう、小声で言った。


「ちゃんと見届ける」

「……わかりました」


 いつの間にか私を挟んで反対側にいたイェンがボソリと「過保護」と皮肉る。


 私は恥じいって俯き、スタニスは無言で鼻に皺を寄せた。私がそばにいなかったら、口論してるな。ポーカーフェイスが得意な我が家のスタニスは、師匠(・・)相手には感情が表に出る。

 私は父上の「イェンがそばにいるとスタニスが荒れる」という言葉を思い出した。

 しかし、過保護かぁ。

 己が気弱(ヘタレ)かつ、過保護にされている……自覚は、あるな。でも……、スタニスが私に過保護なのはイェンがスタニスを甘やかさな過ぎた反動なんじゃないのかな、とか、思ったりもするわけですが。反面教師的な意味で。



 私がじっとテーセウスをみていると、手慣れた調子で棺が開かれる。アレクサンデルが祈るので、私達もそれに合わせて頭を垂れた。



 そこにあるのは、白い小さな石のような、骨、だった。



 白骨化した子供から手早く衣服をはぎ、テーセウスは遺体を検分した。

 セリム神官は言った。

 リディアが少年の喉を押さえたと。

 力を込めたのなら首の骨が折れるだろうか?女の細腕でも?


 テーセウスはしばらく黙っていたが、顔をあげて私達を見た。


「残念だが死因はわからないな」

「そうか」


 応えたのはイェンだった。微かに落胆の空気が流れる。


「もしも窒息死だったとしたら骨に異常はないからな」

「お前じゃわからず、か。ヴィンセントの代わりかどうか、は証明出来ないか……」


 イェンの独白に、いや、とテーセウスは首を振った。沈黙していたユンカー宰相が、二人の会話に口を挟む。


「いや、とは?どういうことかな、テーセウス」

「この遺体はジグムントの孫息子ではないのは断言できる」

「なぜ?」

「骨の形でわかるが」


 テーセウスはため息を吐き出した。


「これは少年(・・)ではないな。少女だ」


 私たちは顔を見合わせ、テーセウスは丁寧に男女の骨の形の違いについて、説明してくれた。ユンカー宰相なおも質問を口にした。


「それは確かか、テーセウス」

「アル、君は私が腑分けを熱心にしていた時期を知っているだろう?あの時代に遺族に頼み込んで墓暴きもよくした。まあ、変質者に間違われて何度か半殺しにされたが」


 そ、そうなんだ。


「なんならこれからじっくり君に講義をしててもいいが?」

「……遠慮しておく」


 テーセウスは肩を竦めた。


「それに嘘をつく理由もない」


 私は黙って小さな白骨をみた。

 ……名前は何といったのだろう、この少女は。カナンの救貧院で病を得て、一人で死んで……他人の代わりに埋葬された。


「可哀想ね。せめて、名前がわかれば」


 ぽつり、と私が言った横を、ヒュ、っと何かが走る。

 風だ、と私は思った。

 同時に光だ、とも。

 なんだろうと振り返った私の手をスタニスが引いて庇う。


「……な、」


 に?と言う前に、『彼女』は言った。






(――シャンティよ!)



 光の中で、小さな少女は高らかに宣言した。

 質素な白いシャツに、黒いズボン。男の子の格好をして、髪を切りそろえてはいたけれどあどけない顔は少女のものに間違いはなかった。

 年の頃は十になるか、ならないか。

 暑いはずのカナンの気候が嘘のように冷たい空気が流れる。


 無邪気な彼女の声と裏腹、――氷のように静かな、死の匂いが満ちて私は身震いした。


 少女は無邪気な声で繰り返した。

 私たちは目を逸らすことが出来ずに、ひたすら少女をみていた。彼女は音もなく動いて、墓に近づいたシンの側に寄った。


(――私はシャンティ!私はシャンティよ!)

「そう、君はシャンティ。どうしてここにいるの?」


 半透明になった彼女は首を傾げた。表情はどこか虚ろだ。


(わからないわ。熱が出たの。きつくて痛くて、苦しかった……)

「痛かった、のか」

(痛かった、熱かった、とても痛かった、イダガッダ、ァァァァァァアアア嗚呼)


 少女の声は高く、低く、多方向から、多重に聞こえて来た。

 生者のものではない、とても恐ろしい声だ。咆哮のように叫んだ少女はピタリ、と動きを止めた。

 それから、ゆっくりとまた重みのない動きで、私達の周囲をぐるぐると周り……動きを、アレクサンデルの前で止めた。


(……お兄ちゃん、綺麗な紅い髪だね)

「…………見覚えが、あるか」


 アレクサンデルは声を圧し殺しながら聞いた。


(綺麗な赤い髪!紅い髪!アカイカミ‼アノオンナノヒトトオオオオ、イッショダアアア!)

「……そうか」


 喜びにも似た叫びに、アレクサンデルは呟いた。覚悟を決めたように言う。シンが庇おうと、動く。


「それは、きっと――」

「違う。それは、違う」


 アレクサンデルの側に駆け寄ったのはヴィンセントだった。女の子の正面に立って、それからゆっくりと視線が合うように片膝をついて視線をあげた。


「シャンティ」

(そうだよ!私はシャンティ!)


 少女は高らかに、誇らしげに言った。ヴィンセントは優しい表情で、言った。


「彼はたまたま紅い髪なだけで、その女の人とは別の人だ、違う」

(違うの?)

「……ヴィンス、危ないから」


 シンが近づこうとするのをヴィンセントは手で制した。


「……僕は、ヴィンセントだよ。シャンティ」

(ゔぃん…セーントォ)


 声が太く、細く、高低を行き来する。ヴィンセントは頷いた。


「君が恨むべきは彼じゃない。僕だ。……僕のせいで、君は……痛い思いをしたんだ……」

(……ソウナノ……?)


 シャンティは首を傾げた、おどろおどろしい表情は消えて、また人の姿に戻っている。

 ヴィンセントは半透明の彼女の頬にそっと触れた。


「……すまない。僕のせいだ。……痛い思いをさせて、ごめんね。ずっと暗いところに知らない人といて、辛かったね……ごめんね」


 少女はじっとヴィンセントを見つめていた。黒い瞳がじっと泣き顔の青年を見上げて……やわやわと緩んでいく。


(……私はシャンティだよ。あすらんじゃ、ないんだよ)

「それは、僕のことだ、シャンティ」


 ヴィンセントは言っていた。

 西国風の名前も持っていたと、それはアスランと言うのだと。シャンティはそれを聞くとにっこりと笑った。


(おじいちゃんがいつも来るのよ。私のことをあすらんと呼ぶの。すまない、あすらん、すまないって、私はシャンティなのに!)

「……そう、か」


 シャンティはまた表情を消してその場でゆらゆらと揺れだした。


(……私はシャンティだよ!シャンティ!……アスランじゃないの!)


 彼女の主張を、シンが引き取った。


「シャンティ……綺麗な名前だ」

(お母さんがつけてくれたの!とってもいい名前でしょう。私は、シャンティだよ)

「シャンティ。そろそろ、時間だ。明けの国へ行かなくては」


 そっとシンが指で示した方向を彼女は、見た。西の方角に、私には見えない何かがあるのだろうか。


 シャンティは微笑んでまた音もなく移動する。ヴィンセントに小さく、手を振る。


(おじいちゃんに伝えてね、アスラン。私にじゃなかったけど、……お花をいつも、ありがとうって。お花、きれいだったなぁ!)


 手を振りながら、光の中に彼女は消えて、あたりはまた熱を取り戻した。


「俺は別に、人の魂をどうこうできるわけじゃない。あれが死者かどうかはわからない。俺が見えるのは、聞こえるのは死者の遺した、強い思念だけだ」


 シンがポツリと言う。

 それからイェンとテーセウス、スタニスを見た。


「ついでにいうと、いつもはこんなにハッキリとは見えないよ。同族が多いと、異能(ちから)が増幅される気がするんだけど」

「相変わらず反則な奴だ」


 イェンはシンに呆れ、アレクサンデルはじっと目を閉じて激情に耐えている。

 あれが遺された思念だったにしろ。彼女がリディアに怨みを抱いていたのは……疑いようもない。シンは煩いな、とイェンに毒づいてからヴィンセントに声をかけた。


「彼女が悲しかったのは、痛い思いもそうだろうけど、本当の名前が忘れられたままだった事、なんだと思う」

「そうか」


 私はしんみりと彼女を思った。その横でイェンが上着を脱いだので何事かと思っていると、彼は上着で白骨を覆い私達の視線から彼女を隠した。


「こちらの都合で見ず知らずの他人の視線に晒して、すまなかったな、お嬢さん……。シャンティ」


 いたわる口調で言いながら、それから、意外にもカルディナの作法に適った祈りの印を結ぶ。


「安らかに」


 ……イェンが祈るのにあわせて、私も祈った。ヴィンセントが無言でじっと胸に手を当てている。

 私が声をかけようか迷っていた時、若い女性の声がそれを遮った。



(……ずっと後悔していたわ)



 黒い髪、すこし癖のある長い髪は緩やかに波打って艷やかだ。浅黒い肌はカナンの、と言うよりも西国の人々のものだ。

 そして、不釣り合いな程に薄い灰色と水色の中間色な瞳。


 まだ二十歳になる前の少女の姿だったけれども……。

 私は彼女を知っていた。ヴィンセントは顔をあげて、切なく――自身の母親を見つめていた。



「……カヤ」



 セリム神官が呻き、私たちはジグムントの娘にしてヴィンセントの母であるカヤを見つめていた。


「伯爵!お待ちください、伯爵!旦那様っ!」

「カヤッ……!」


 突如として割り込んできた声に、私達は慌てて振り返った。

 蒼白になったカナン伯爵ジグムント・レームとその付き人たる青年が、来ていた。


「……ジグムント」


 やんわりと静止しようとしたスタニスを押しのけて、ジグムントがカヤに手を伸ばす。

 ヴィンセントはうつむいてそっと二人に背を向けてユンカー宰相の傍へ戻り、彼の義父は息子の肩に手を、置いた。


「……カヤっ!そうか、生きていたのか。生きていたんだな?カヤ!」


 そんな、わけはなかった。


 悲嘆にくれるジグムント・レームだって本当はわかっているはずだ。

 だって、カヤ様の姿は半透明のままだ。

 ジグムントは彼女にかけより、娘に伸ばした手が何もつかめずに虚しく空を切るのを認めて、その場に座り込み、肩を震わせる。


(そう、ずっと後悔していたの。エドと駆け落ちしたこと)


 ヴィンセントが傷ついたみたいに若い姿の母を見た。エドとはヴィンセントの父君のエディアルドの事だろう。

 カヤは続けた。


(だって、そうじゃない?駆け落ちなんかしなくたって、お父様はきっと、結局私達を認めたわ……)


 カヤは、生意気な口調をした可愛らしい少女は、愛されている自信に溢れて言った。


(だってね!私がこっそり屋敷に帰ったら、知らないふりしてずっと坊やをあやしていたのよ。馬鹿みたいよね、素直じゃないんだから)


 カヤは誰に話しかけているのだろう。

 ジグムントと一緒に来た青年の母親だろうか。青年の母親はカヤの乳母だったという。あるいは私達には見えない友人相手なのか。

 それとも、先に逝った夫君だろうか。


(大丈夫よ、時間が解決するわ)


 カヤはそっぽを向いた。ツン、反らせた横顔は……やはりヴァザの血縁だなと変なことを思う。

 水色の瞳に幸福をたたえて少女は言った。


(エドは才能のある、志高い医者だもの。きっと成功するわ!そうしたら、お父様もしぶしぶのフリをして、認めてくれるわ……だって)



 少女は微笑んだ。


 彼女の周りをふわふわとちいさな光が飛ぶ。

 それから、少しだけ彼女は年齢を重ねたようだった。

 少女は髪を結い上げ、化粧を変え、すっかり淑女の姿になって、柔らかな表情で虚空に囁く。



(大丈夫、私達は家族だもの。きっと分かり合えるわ、今は時間が必要なだけ……わかってるわ、私とお父様はよく似ているの。意地っ張りで頑固!自分からは謝ったりできないのよ)


 カヤの姿が段々と薄くなっていく。

 ジグムントは歯を食いしばりながら娘の姿を見つめていた。


「かあさん」


 ヴィンセントが思わず、と言った風に声をかけると彼女はこのうえなく優しく……口元をほころばせた。笑い出す前の形に唇が動く。


(ヴィンセント、テオドール、覚えていてね。いつか私達が離れてしまっても、私達は家族だから……!愛しているわ、皆。皆、みんな……とっても大切で大好きよ!)



 優しい風が、吹いたと思った。

 その風がランタンの火を消す。私が慌てて再度、それを灯した時には、もはや、カヤの姿はどこにも、無かった。


 時間が解決するはずだった。

 しかし、親子の確執は娘を襲った突然の不幸によって、永遠に和解の機を失った。

 声もなく肩を震わせた老人の背中が寂しい。私はランタンをスタニスにあずけて、ジグムントの側に一緒に座り込んだ。声もなく、かける言葉はもっと見当たらない。


 重い沈黙の中、シンは気遣うようにヴィンセントを見て、それからジグムントに言った。


「彼女は……彼女の思念はここからは無くなりました。多分、ヴィンセントにも伯爵にも伝えたかったのは、無念の言葉じゃなくて、恨みでもなくて、最後の言葉だったんだと思う……」



(みんな、大好きよ!)



 鮮やかな声が脳裏に蘇る。

 ヴィンセントは静かに、ジグムントは声を殺して……同じ女性の死を悼んでいた。

 私達がしんみりと沈黙していると、皮肉な声でイェンは言った。



「よかったなあ、自分が死に追いやった娘に恨まれてなくて!もっとも、殺したお嬢さんには恨まれてたみたいだが」


 ジグムントに向かって言っているのならあんまりな口調だと思ったけれど、後半のセリフで違うのだと、私は……私達は、悟った。


 イェンは同族(・・)の気配に敏感だ。


 竜族や、竜族混じりの気配がすぐにわかるのだと言う。

 そして、強い異能を持つ神官の多くが竜族混じりだ。




 ゆっくりと歩いてくる姿は、決して怯えているようには見えない。怪我の具合はいいのか、足どりも確かだ。




「リディア」


 牙を向きそうな低い声で囁いたのはアレクサンデルで。

 彼と同じ血の色をした緋の髪をなびかせ、リディアは私達を見つめていた……。

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