134.金糸雀は歌う 15
しばし言葉が失われた室内で、衣擦れの音とともに父上がゆるりと振り返った。
「……それで?宰相。誰の行いがよい、と?」
「それは勿論。私でございます、閣下」
ブリザード・カタジーナが去ってほっとしていると、父上は氷のような美貌で宰相のユンカーを見据えた。大抵の人は怯む眼差しに宰相はまったく動じず目を合わせる。
……そっかー、仲悪いんだったなー、この二人。スタニス曰く「因縁が色々ありますからね」との事なので、多分つっつかないほうがいいんだろうな。
私は目をそらして窓を見つめた。カナンは快晴だ。
「レミリア」
「ふぉ!……は、はいっ!」
物思いに沈んでいたところに話かけられて、思わず変な声が出る。私が慌てて背筋を伸ばすと、父上がいささか呆れた視線で私を見た。
「……あまり、気を抜かないように」
「……気をつけます、お父様……」
父上は椅子に戻ると、宰相とアレクサンデルにも着席を促した。私達は向かい合う形になる。
「アレクサンデル神官は引き続き護衛を。宰相と私はつつがなくカナンとの和平交渉が終わるように努めよう。レミリアは……」
「はい、お父様」
「……ファティマ殿下と楽しく過ごすように……」
私が疑念だらけの表情をしたからから、父上は言葉を重ねた。
「ジグムントの体調が良くない。彼が夜会に出られるかは不明だ。伯爵の不在をカナンへの抗議だと思われてはまずい。君はこの和平が楽しいのだと心からそう思っていると、ファティマに伝えてくれ。笑えるか?」
父上の指示に私は頷いた。
「出来ます。カナンの和平はカミンスキー家の悲願でしたもの。嬉しくて、仕方ありません……胃が痛くなりそうですが」
私が胃のあたりを押さえて溜息をつくと斜め向かいのユンカー宰相が片眉を器用にあげた。
「胃薬なら良いものを持っております。いつでもお渡しいたしますが?」
「え、本当ですか?ありがとうございます!」
ユンカー宰相の胃薬なら効果がありそうだなー、と思っていると北部人の特徴の色濃い宰相はちょっと口を曲げた。
「冗談ですよ、公女殿下……」
私はちょっと気まずく咳払いをした。アルフレート・ユンカー宰相の冗談は真顔で言うので判断しかねる……。
「ジグムントの事は全てが終わったあとで、ゆるりと」
「畏まりました。公爵閣下」
「だが、………如何な理由があったにせよ、一族の者の生存を貴方と陛下が隠匿していた事は、私は不快だ。それはベアトリスに伝えてくれ」
「畏まりました」
父上の語気は常よりも強かった。
「貴方が私か、せめてカミンスキに伝えていれば」
「伝えていかがなりましたか?息子を日陰の身として育てるより、子爵家の嫡子として迎えてやりたかっただけです」
「……ジグムントは、長年苦しまずにすんだろう」
「私が息子を引き取った際にはご息女は勘当の身でした。念のためと伝えた手紙も握りつぶされていた。――そもそも、失って嘆くくらいならば、伯爵はご息女の手を放すべきではありませんでした。意地などはらねばよかったのだ」
「それは貴公の理屈だろう」
ユンカー宰相と父上の応酬が徐徐に剣呑なるのを息を潜めていると、くつくつと低い笑い声がした。
コンコンとノックされた扉をみると、美貌の竜族がそこに立っていた。長い白髪を背中に無造作に流している。
「仲間割れか。他国との和平を論じるより先に身内の親交を深めてはいかがですかな?」
「い、いつからそこに!いつの間に!?」
「最初から。アルには断っておいたろ?」
「許可した覚えはありませんよ、イェン……」
私の叫び声にしれっと答えたイェンは我が物顔で私達の側に腰掛けた。長い足を組むと右手のひらを父上と宰相に向けて水平に動かした。指揮者が客席に向けて拍手を促すように。
「私の事は気になさらず、どうぞ会談を続けるとよろしい」
「……続けられるわけがないでしょう、イェン……!そろそろお帰りになっては?」
「どこに?ハヤルのところか?今夜あったことを酒の肴に話していいか?――あいつも醜聞が好きだからな。俺から根掘り葉掘り聞いた事を――ジグムントに耳打ちするかもな」
「相変わらず悪趣味だ」
「まあそう言うな。竜族様がお前らに力を貸してやろうと思ってるんだから邪険にするなよ」
ユンカー宰相は苦虫を噛み潰し、父上は無表情で沈黙している。
イェンを間接的につれてきてしまった私はちょっぴり肩身が狭い。
「そのぅ……イェン様、お力添えとは?」
私が恐る恐る尋ねると、イェンはにこやかに微笑む。
「――遺体の検分をしたいんだろ?詳しいやつに心当たりがあるぜ。紹介してやる……それとも先程のあれは、はったりか?」
父上と宰相は視線を交わした。
宰相は頭を下げた。
「それに関しては……お力を貸していただきたい。名も知らぬ子が不幸にみまわれたのならば、死因をみつけてやりたい」
「いいだろう」
「勿論、無償ではないでしょう?何が望みなのです、イェン」
「ま、大したことじゃない。……あの女神官を捕らえたら少し話をさせて欲しいだけだ」
ユンカー宰相はじっとイェンを見た。
「彼女の罪がなんであれ、彼女は正しく法のもとで裁かれる必要があります。貴方が彼女を勝手に殺さないと約束してくださるなら、時間を作りましょう」
私はぎょっとしたし、アレクサンデルも弾かれたかのようにイェンを見た。イェンは薄く笑っている。
「物騒なことを言うな、宰相閣下は」
「気まぐれを起こしていただきたくないだけですよ。竜族は人の世の理の外におられるが……貴方が、私達の庭で遊ぶ以上、越えられては困る一線がある」
「わかったよ……約束しよう。別にあの女に恨みがあるわけではない。……見た目に依らず長生きみたいだからな、当時の国教会に詳しそうな奴の話を聞きたいだけだ」
いいでしょう、と宰相は言った。イェンはやれやれと肩を竦める。何故か私を見てにこにこと微笑む。思わず見惚れてしまっていかんいかんと心の中で呪文を唱える。
イェンは悪いやつ、イェンは悪いやつ……。
「それで?セリムが貧困地区を出ちまったし、俺には宿がないんだが……お嬢様、私めを居城に置いてくださいませんか?」
「ええっ、と……」
寝起きのイェン様とか心を動かされる案件だとうっすら思っていると、父上が言った。
「それは断る。……キルヒナーが貴方の宿を用意した。そちらへどうぞ」
「冷たいことだな、公爵閣下」
父上はちょっと視線を動かした。
「貴方は若い娘には毒だ。何かあっては困る」
うっ、と私は胸を押さえた。反論できない。それに、と父上は鼻に皺をよせた。
「貴方が側にいると、スタニスが荒れる……あいつがいつもに輪をかけて面倒くさくなるのは御免だ。ドミニクと、友好を深めておいて頂こう」
イェンは面白そうに口を歪め、アレクサンデルが意外そうな面持ちで父上にちらりと視線を動かした。
「ただの使用人を随分とお気遣いになる」
「使用人ではない。あれは、我らの身内だ。貴方の、ではなく」
言って、話は終わりとばかりに父上が立ち上がったので私は慌てて従う。イェンは口元だけ歪めて父上を観察し……全く別のことを口にした。
「公爵閣下、もうひとつ聞こうか」
「何か?」
「……逃げた神官はどこに居るとお考えで?」
父上は歩みを止めて、振り向いた。
「彼女の傷は、異能では塞がらない、らしい。医者を頼るしかない。カルディナよりも西国の方が医療技術は進んでいる。私がリディアならば、知り合いの西国人が連れてきた医者が居れば、それを頼るだろう……」
「医者はリディアを助けると?」
「有力者からの紹介状があれば。……恩を着せる絶好の機会だとおもうだろうな」
――リディアがどこにいるのか。
カナンに滞在する西国人の一行、を思い浮かべて私は暗澹たる気持になった。
活動報告に書籍版ネタバレのあとがきめいたものを投下してます。本を購入いただいた方は、お時間のあるときに読んでいただけるとうれしいです。書籍の2巻もどうぞよろしくお願いします!