133.金糸雀は歌う 14
「ジグムントの娘を殺害ですって?リディア神官が?……馬鹿げている」
「姉上はジグムントの娘の存在をご存知でしたか?私は名前を何度か聞いたことがある程度だが」
父上の質問に、カタジーナは考え込んだが、吐息のように言葉を漏らした。
「ええ。私とジグムントは懇意でしたから。知っていましたよ。あの娘は……」
カタジーナは言葉を選んだ。
「あの娘は嫡子ではありませんでしたし、亡くなった時は……ジグムントから勘当されていましたから、公式には記録されていないかもしれません」
それから、と溜息をつく。無言の父上をちらりとみた。
「確かに、私は彼女に限らずヴァザ一族の庶子達に、あまりいい感情を抱いてはいませんが、ジグムントの娘に敵意はありませんでしたよ。美しい気立てのいい娘で……私と彼女は交流もありました。僅かですがね」
意外に思って思わずカタジーナを見ると、ばっちりと目が合ったので慌てて逸らす。カタジーナはわずかに鼻に皺を寄せた。
すいません、意外過ぎて腹芸が、出来なかった……。
「年の近い娘同士でしたし、何度か会った時も彼女は常に礼儀正しく、私を尊重してくれましたし、淑女でした。季節の変わり目には手紙のやりとりもしましたよ。彼女の母親は裕福な商家の出身でしたからそちらで生計もたっていましたし、ヴァザ家の世話になるつもりはないと言っていました。親しいわけではなかったけれど……好感の持てる娘でした」
カタジーナの思わぬ高評価に私が目を白黒させていると、父上が至極平坦な声で聞く。
「彼女が貴女を尊重して、しかも金銭的にもヴァザ家を害しそうになかったから……敵ではなかったと?」
「有体に言えば、そうです」
カタジーナはあっさりと認めた。
「婚姻してからは母方の実家とも縁を切っていたようですが、伴侶の生活基盤は確かなようでしたからね。彼女は別にヴァザにもジグムントにも仇なすものではありませんでしたよ?ですから、リディアが彼女を害したとは、考えにくい事です。……リディアが、ジグムントの娘を?彼女は流行り病で息子たちと共に亡くなったのでは?」
カタジーナは不快気に眉を寄せた。カタジーナの反応は意外だが演技なのかがわかりづらい。アレクサンデルが僭越ながら、と口にした。
「証言者がおりました」
アレクサンデルがセリム神官のことを説明する。ヴィンセントが生きていることは隠して。
私は黙った事の成り行きを見守っている。カタジーナはセリムの証言を聞いて一口茶を口に含むと……鼻で笑った。
「その証言だけでリディアを処罰しようとしたのならば、アレクサンデル、貴方は愚かです」
「とおっしゃいますと?」
「セリム神官が事実を語っているのは貴方との『誓い』で間違いないでしょう。けれど、それが真実だとは限らない。彼がそう思い込んでいる可能性だってあります。セリム神官も流行り病の対応で疲弊していたのでしょう。彼のみた悪夢が幻覚でないとは言いきれないと思いますよ」
カタジーナは理路整然と、諭すように言った。
「真実、リディアはジグムントの娘の為に治療師を派遣したのかもしれない。治療師が力不足で母子が快癒に至らなかったとしたら残念ですがそれは彼女の咎ではない。そして、もし彼女が意図的に治療師でない人間を派遣したのだとしたら」
「そうしたら?」
「大した罪には問われないでしょう。彼女は治療師を派遣しなかっただけ。道義的には如何かと思いますが、母子は流行り病で亡くなったことには違いない。ジグムントの心境を思えば許しがたいですが裁く術はない。証拠がない、ということですね。……証言だけで人を裁くのは危険ですし、アレクサンデル。貴方とセリム神官の告発を真に受けてサウレがリディアに手傷を負わせたのならば……それを国教会は問題視するかもしれませんね」
カタジーナは至極まっとうな指摘をした。父上が重々しくうなずく。
「確かに」
弟からの肯定に気をよくしたのかカタジーナは身震いしてみせた。
「道義的には……アレクサンデル神官のいうことが真実なら恐ろしい事だと思いますよ。リディアは常に礼儀正しい、素晴らしい人です。そんなことを考えるとは思いたくないもの」
「それでは、姉上はリディアが過去にしたことは知らないと、おっしゃる?」
「あたりまえでしょう!」
「リディアの罪が真実なら私は処罰を求めますが異論は?」
「異論はありませんが、私は彼女を擁護しますよ。ただ一度の過失は誰しもあるものです……」
「結構」
父上は立ち上がって窓の近くへ寄った。
「カタジーナ。貴方と同じ見解でよかった。……私は彼女を捕らえて罪を明らかにしたいと思います。彼女の罪は母子を見殺しにしたことでは『ない』。この際、ユンカーを襲撃したことも不問に処したいと思います。彼女の罪は、過失で母子を見殺しにした事ではない。セリム神官が、彼女の息子の……兄の方と入れ替えた、名もなき孤児を殺害したことです」
「なんですって?」
「セリム神官は、悪夢の警告に従って、重症ではあったが致命傷ではなかった兄を、別の子供と……おそらく死を待つのみだった孤児と入れ替えました。リディアはその孤児を殺した……」
「……どういう、意味です」
父上はそこで初めて、セリム神官の話を再度繰り返した。
「ジグムントの孫の一人は生存しています。セリム神官の機転によって。神官としては恐ろしい罪だが、私はその機転を……、感謝しようと思う。一族の当主として、ジグムントの血族が凶刃から救われたことに安堵して。そして同時に、孤児の少年に大変に済まなく思う……」
「私は知りませんよ……、生きている?そのような……ジグムントの孫が?生きている、ですって?」
カタジーナは父上を見返し、それからユンカー宰相を見た。ユンカー宰相は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……伯爵のお嬢様の名前はカヤ様とおっしゃいました。伴侶の名前は、エディアルド・リヒター。……そう母方の名字を名乗っていたようですね、西国では。戸籍上はエディアルド・ノルトハイムと言いました」
カタジーナの指が、かすかに、震えた。ゆっくりとカップをソーサーに戻す。
「聞き覚えのある家名だこと」
「私の妻の家名を夫人が記憶してくださっているとは、光栄です」
「貴方の妻のエリザベト・ノルトハイムはベアトリスの侍女でしたからね」
「エディアルドは妻の異母弟です。彼はノルトハイムの……、私の義父の庶子です」
「……」
カタジーナは何故か、私を見た。
「……シン公子の側仕えとやけに親しくしていると思っていましたが……」
私が視線にどうこたえたものかと思っていると、さらりとユンカー宰相が言った。
「私の息子は、血統的にはジグムント殿の孫にあたります」
カタジーナは呻いた。
「馬鹿な!そんな証拠がどこにあるのです」
「ご心配なく。ヘルトリング伯爵夫人、ヴァザ家の権利を何ら主張するつもりはありません」
「そのような事を心配してはいません。どこに証拠がときいているのです、ユンカー!」
「証拠なら、私がすべて知っていますよ姉上。今は明かせませんが」
「……貴方は知っていたとでもいうのですか、レシェク?」
涼しい顔で父上は言い、それからまた席に戻った。
「ええ。何年か前に内々に女王陛下から打ち明けられました。ですから……私はシン公子とともに彼が我が屋敷に訪問するのを歓迎していました」
無論、大嘘である。
父上は昨夜はじめてきいたはずだ。
「このことは女王陛下もご存じだ。宰相がジグムントに打ち明けようかと思っていたのを、私が止めていました。ジグムントの孫は死亡していたことになっていたし、確証を得てからジグムントに話したいと思っていたのだが……姉上」
「……なんです」
「私はリディアが母子を……ああ、正確には孤児を、ですが。殺害したのが本当ならまたヴィンセント・ユンカーを殺害しに来るかもしれないと恐れています。私はヴァザの当主としてジグムントの孫を保護し、リディアを捕らえ……真実を明らかにしたいと思っています。もう一度聞きますが、カタジーナ」
「ええ」
「貴女は、リディアの過去に犯した罪を一切知らないのですね?」
「勿論です。神の名に懸けて」
「ならばよかった。貴女がリディアと懇意であるのは知っています。私たちの御前……マラヤ神官も嘆くでしょう。だが、罪は罪だ。リディアが潔白でなかった場合、リディアの擁護は諦めていただきたい」
カタジーナの長年の信奉者で国教会の神官長補佐であるリディアを……切り捨てろ、と言っているのだ。
「……確固とした証拠があるのならば」
「ええ、そこは検証しようと思います」
「どのようにして?」
「幸い、母子は火葬ではなく土葬でした。……兄の墓を暴いて、遺体をみたいと思います」
カタジーナは蒼白になった。
「し、死者の墓を暴くなんて!正気の沙汰ではない」
「いたって正気ですよ」
「骨を見た所で何がわかるのです!」
「私にはわかりませんが……それを生業にする者もいる」
父上は冷静な表情をたたえたまま、年の離れた姉をじっとみていた。
「……とにかくも、貴女と意見が同じで喜ばしいことです。リディアのことは諦めて下さいますね?姉上」
「……わかりました。公爵の意に従いましょう」
父上は、彼女に手を伸ばし退室を促した。
カタジーナの足音が消え、私はようやく茶を口にした……。大変、喉が渇く。
三人の男性陣は涼しい顔で扉を見ていた。
この人たちは、凄く演技が上手だ。何かあってもあんまり信用しないでおこう!私は小さく決意をした……。




