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131.金糸雀は歌う 12

「すべて真実です、アレクサンデル神官長補佐」

「貴方の名と、神にかけて?」

「ええ」


 アレクサンデルは右の指先で空に不思議な紋様を書いた。

 指の動きにぐにゃり、と空気が捻じ曲げられたような心地がした。


「……もう一度、聞こう」


 アレクサンデルの指の動きに呼応してセリム神官の首の環がほのかに光る……。銀一色と思われたそれは浮き出た不思議な紋様自体がその存在を主張するかのようにほの朱く光を放っていた。


「セリム・ラダ・ルフトナ。其の名と血にかけて、偽り無きを誓うか」

「誓います。我が名と、我が命にかけて」

「では、真名にかけて、この地で何があったかを、語れ」


 アレクサンデルの命令に老神官は繰り返した。ヴィンセントに聞かせたくない、彼を見たけれど、ヴィンセントは私を少しの間見返して僅かに、首を振る。


 セリムは確かな口調で断言した。

 ヴィンセントの母君のこと、弟君の事。

 それから、ヴィンセントの事も。……先ほどと同じことを、セリムは語った。


 スタニスが私の視線を受けて説明してくれる。


「異能者が持つ首環は権威の象徴でもありますが、一方では制約です。名と命にかけて誓ったならば偽りは言えない……いえば」


 言い澱んだスタニスの言葉をいつの間にか近くにいたイェンが、引き取った。


「環が極限まで狭まって……」


 彼は右手の人差し指を左から右へ一気にスライドさせた。白い歯が肉食獣の牙を思わせた。


「首と、胴のお別れだ」


 ……悪趣味な銀の環を私は言葉を失いつつ、見ていた。

 その悪趣味な環は今もアレクサンデルの首にあり、かつてはスタニスの首を飾っていた。


 セリムがそうと言うならば、少なくとも彼の中では先程のことはすべて真実なのだ。

 ヴィンセントはもう、沈痛な表情を浮かべてはいなかった。

 いつもの、冷静な「宰相の息子」の仮面を被り直している。



 とにかくも、とアレクサンデルは言った。


「お屋敷まで、お送りいたしましょう」


 青年の言葉に息を一つ吐いて、散らばった木の端を見ながらスタニスが顔をしかめた。


「アレクサンデル神官が優秀な異能者だとは存じ上げておりましたが、先程のは、なんです?まるで刃のような」


 私は真2つに割れたベンチをみた。鎌鼬(かまいたち)のような刃が襲いかかったかのように見えた。

 アレクサンデルは空気を操ることも出来るのか。


「お見苦しい所をお見せしました。日にそう何度も出来るものではありませんから、危険は薄いですよ」

「……そうですか」


 スタニスは短剣を拾って血を拭う。

 どこか、東国の意匠を施された柄をした、綺麗な短剣だった。イェンが小さく笑う。


「俺の、いつかの東国土産が役に立ったじゃないか」

「捨てたら祟りそうで持っていただけですよ。……どうせリディアの事だ。自分で治癒するでしょうけれどもね」


 イェンが首をひねる。


「どうかな?――その刃物は特殊でな。切られた傷は異能では塞がらず、自然治癒しか効果がない。東国特有の逸品だ。今頃痛みに呻いてるだろうよ」

「……やっぱり呪いの刃物じゃねぇか……」


 うんざりとスタニスが呻いて、立ち尽くしたままの私と……ヴィンセントを見た。ヴィンセントを気遣うような表情で、アレクサンデルは彼の視界に入らないようにそっと端に寄った。


「アレクサンデル神官。……貴方の信用に足るものをこの教会に呼べますか?セリム神官を一人にはしたくない」

「ええ」

「セリム神官、悪いが貴方には私と来てもらおう」


 スタニスはヴィンセントに言った。


「ユンカー」

「……はい、サウレ教官」


 私は指をヴィンセントの袖から離した。ぎゅ、と拳の形に握り込む。


「どうする?私は君に約束した手前、君が望まないのであれば、私から宰相閣下や公爵には今日のことは言いたくはない。が、アレクサンデル神官は君の義父上に報告するだろう」

「……義父には、伝えたいと、思います……」

「同席しても構わないか」


 ヴィンセントは泣きそうな顔をして目を閉じた。


「教官が、そうしてくださるなら」

「公爵と……伯爵にどう伝えるかは私と宰相閣下で話そうと思う。お前は沈黙していていいから、そこは考えるな」

「……はい」


 アレクサンデルが呼んだのは彼の同輩のテトだった。

 痩身の若い神官は多くを聞かずにセリムの留守を守るとだけ告げた。


「もしも……リディア神官が訪問したらどうすればいい?アレク?」

「リディアには逆らうな、従え。必要があれば薬と食料を提供してやってくれ。だが、俺にだけは彼女が来たことを教えてくれ。あとはテトは危険から遠ざかっていていい。彼女がおめおめとここに来るような愚か者だとは思いたくないが」



 テトを残して、私達は国教会を後にした。

 アレクサンデルの手配した八人乗りの馬車に乗って伯爵の居城へとのろのろと進む。


 そこには何故か……。


「……イェン様もおいでになるのですか?」

「俺もあの神官に野暮用がある。居城にはどうせファティマもいるんだろう?機嫌伺いに行くさ」


 軽い調子のイェンにアレクサンデルが口を挟んだ。竜族に対しても全く阿る様子が彼にはない。


「それは控えていただきたい。出来れば私と同行していただく」

「なんで俺が?」

「……西国の人々に今の話をしないでいただきたい」

「醜聞には敏感だな、カルディナの連中は」


 醜聞、か。

 ……醜聞だけど。私も俯いた。イェンをそっと見ると彼の金色の瞳と目があった。


「……あの、イェン様」

「なんだ?お嬢さん」

「……まだ、よくはわからないんですが、今は……私かアレクサンデルと側にいて西国の皆様のもとには行かないでくださいませんか」

「醜聞が広まるのは嫌か?ヴァザの面子を保つために、神官が幼児殺しとは、なかなか面白いネタだ」


 ヴィンセントの拳に力が込められた。


「まだ、真実とはわからないし。……事実がはっきりするまで、他の人にはあまり知られたくないなって。……いろんな人が傷つくから……お願いだから、イェン様にお任せしますけれど……」

「いろんな、人」

「ヴィンセントだけじゃなくて。……ジグムントはずっと体調が悪いんです。伝え方を考えないと、また倒れるかもしれないし。それに?」

「それに?」

「アレクサンデルも」


 アレクサンデルのサファイアの瞳が私を見たので私は射すくめられたように身を縮こまらせた。


「……親しくしてきた伯母上のことをそんなにすぐには切り捨てられないと思うから……」


 アレクサンデルは唇を引き結んだ。屈辱に感じているのかな……、私から気遣われたような発言をされたことを。


 イェンは私達を見比べて、ふ、と思いもかけぬような優しい笑みを浮かべた。


「わかったよ。しばらくは……国教会は息が詰まるからな。ユンカーの屋敷にいよう」

「僕の、ですか?」


 ヴィンセントが多少、嫌そうな顔をした……。


「お前の親父と俺は知己だ。ついでにお前の警護もしてやる。いつ何時……緋色の髪の女がお前を始末しに現れないとも限らない」

「……はい……」


 スタニスがものすごく嫌そうにイェンから視線を反らした。


「……さっさと山に帰ればいいのに」

「何か言ったか?眼鏡?」

「何も?幻聴でも聞こえてんですか?寄る年波で?」


 けっ、とスタニスが毒づいた所で、アレクサンデルは……、向かい合った形のヴィンセントに向かって深々と頭を下げた。


「どうされました、アレクサンデル神官」

「心から、申し訳なく思います。ヴィンセント・ユンカー様。伯母が何をしたのか……定かではないが。私は……セリムの証言が正しいように思う。貴方のご家族を、事もあろうに、神官が、見殺しにした。……過失ではなく、故意にだ。許されることでは無い。一族の者として、神官の一人として、深くお詫びを申し上げる」


彼らしくもなく、台詞は歯切れが悪かった。


「…………」

「私の顔など見たくはないと思いますが、居城に戻るまでしばらくの間、お許しください」


 緋色の髪をヴィンセントはまじまじと見つめた。馬車の中に沈黙が、満ちる。

 やがて、ヴィンセントは静かな夜に溶ける声で言った。


「…………先程は僕も我を失ったけれど。真実はまだ、わからないから」


 公正を旨とするヴィンセント・ユンカーは苦しげに告げた。言ってから痛むかのように左手を胸に添えた。

 私は知っている。そこには、彼の母の形見がある。言い聞かせるようにヴィンセントはゆっくりと言葉を区切る。


「父なら言うでしょう。全てが明らかになるまで、判断は下すなと。リディア神官の言い分をきちんと聞くまで、彼女をどう思うか、保留にしようと思います。仮に彼女が……故意に、母と弟を見殺しにししたのだと、して、も」


 ヴィンセントは翠の眼でまっすぐにアレクサンデル神官を見つめた。


「それは、彼女の咎であって、アレクサンデル。貴方のものではない。貴方が負うべきものではありません。」


 きっぱりと、だが、強い調子でヴィンセントは宣言した…………。



 居城へ到着し、ヴィンセントとセリムを送ってスタニスとイェンの背中が遠くなる。残されたのは私とアレクサンデルだった。


「戻りましょうか?」


 私がアレクサンデルに声をかけると、彼は秀麗な顔を歪めた。

 それから、ゆっくりと頭を下げた……。


「……!アレクサンデル?」

「レミリア様にまでお気を遣わせて、申し訳なく、思います」

「え、と……」


 先程の「アレクサンデルも傷ついている」のくだりだろうか。


「……ヴィンセント様はあのように言いましたが、私は彼女が罪を犯したであろうことを確信しています。彼女なら、やりかねない。あの人の人為(ひととなり)を私はよく知っている。それくらいの事は平然とやるでしょう。そして、彼女の言葉からは嘘の匂いがした」

「そう」

「そのようなおぞましい行為をした者を、公女殿下の側においたことも申し訳なく思います」


 アレクサンデルの異能がどういうものか詳しくは知らないが、彼は先程のセリムに示したように、他者に「誓い」を立てさせる事が出来るのだろう。リディアがそれを嫌ったと言うことは、彼女が限りなく有罪であることの証明になるのかもしれない。


「ヴィンセント様は、強い方だ。私を詰っても構わないのに」


 アレクサンデルは己の長い髪を一房つまんで嘆息した。

 異能者を多く排出するレト家の特徴。緋色の髪とサファイアの瞳。リディアとアレクサンデルの風貌はよく似ている。


「ヴィンセントは公正な人だもの。それに、いくら似ていたって、リディアとアレクサンデル神官は別人だもの。貴方がヴィンセントの代わりにリディアに怒ってくれたから、彼は……冷静でいられたんじゃないかな」

「ヴィンセント様もレミリア様も人が善くていらっしゃる」

「そうかな?……でも、アレクサンデルは、悪くないと思うよ?」


 つい、友達に言うような気安い口調で言ってしまった。神官は……、深々と、再度私に頭を下げた。


「……いいえ。申し訳ありませんでした。心よりお詫びを申し上げます」


 顔をあげたアレクサンデルと目が合う。

 なんだか、初めて彼の視線をまっすぐに受けた気がする。


「公爵閣下の元へ参りましょう、レミリア様」

「ええ」


 私から父上にすべてを言うことは出来ないけれど、一緒にスタニスとおそらく、共に来るであろうユンカー宰相を待ちたいと思った。



明日2巻が発売です。どうぞ、お手にとっていただけますと幸いです。よろしくお願い致します!

通販サイトが見つけやすいかな?とは思いますが、見つけたら確保してやってくださいませ。


ブクマや評価、拍手コメント閲覧などいつもありがとうございます。読んでくださる方や、いろいろな方のおかげで、2巻が出せました。

いろいろな反応を励みに、これからも書いていきたいなと思います/やしろ慧


明日も更新しますー。

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