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128.金糸雀は歌う 9

とても胸糞悪い話なので、嫌な人は飛ばしたほうがいいかも、です。

 ……貧困地区、ガーシュの中にも国教会はある。


 私がアレクサンデルと飛龍に騎乗した際に見つけた、白い建物がそうだった。壁はくすんではいるけれど崩れかけたほかの建物と違いしっかりとした造りの建物の三棟に分かれたうちの一つ、からは、時折甲高い子供たちの声がする。


「中央の建物が礼拝堂。左が救貧院です。おもに収容されているのは孤児たちで、僕も、少しの間だけ、そこに滞在していました。義父が、僕を見つけてくれるまで……」


 スタニスに先導されて私たちは進む。

 地面に座り込んだ老人がじっと私を見る視線に気付いて、ヴィンセントは少し歩調を落として私を彼の視界から隠すように横に並ぶ。


 礼拝堂を訪れると私たちの訪問を知っていたらしい白髪の男性が出迎えてくれた。足が悪いのか右足を引きずり、緩慢な動作で私達に近づいてきた。

 古ぼけてはいるものの神官服を着たその人の首には、異能者の証である銀の首環が光っている。


「ようこそいらっしゃいました。ヴァザの姫君。このような錆びれた場所にいと高き神の一族の方々がご訪問下さるとは……恐悦至極に存じます」

「急な訪問で悪いと思っています。貴方には聞きたいことがあるのです」

「皆様がいらっしゃる事はアレクサンデル神官より聞き及んでおりました」

「アレクサンデルから?」


 彼はカナンの国教会にいるはず。白髪の老人は頭を下げた。


「国教会とガーシュの支部は()で繋がっておりますので」


 私も数度しか見たことがないが、異能者達は術式を組んだ鏡や水盆で互いの姿を映して連絡を取り合う。私はまじまじと老神官の喉元を見てしまった。彼はどんな能力を持った異能者なんだろうか。


 セリムと名乗った神官は、凪いだ視線でヴィンセントを見た。


「貴方様にも再会できるとは望外の喜びです、若君。……宰相閣下の御許でお健やかにお過ごしで嬉しく思います。十年前、貴方を看病した者として」

「――どういう、こと、ですか!」


 ヴィンセントは声を詰まらせながら言った。

 ―護衛の青年はヴィンセントが亡くなったと記憶していた。母子三人の亡骸は丁重に伯爵によって弔われたのだと。

 だが、ヴィンセントの記憶は違う。何より彼はここに、生きている。


 彼は老神官の顔を凝視して、低い声で呻いた。


「そうか、貴方だ……!僕が目覚めて……、貴方が言ったんだ。母も弟も荼毘に付されたと。それから……貴方が、言った!祖父は僕が、もう要らないのだから、……忘れろと」

「申しました。結果として良かったのではないですか?貴方は宰相閣下の元でお過ごしで……、今も無事に生きておられる」


 淡々と喋る神官に、私は不快を示す。


「どういう意味ですか。セリム神官。貴方の口ぶりでは、ヴィンセントはここに残れば、無事ではなかったと言いたげですね?」


 白髪に褐色の肌をした老人は私達に背を向けて、女神に向かって跪いた。手を胸にあて、懺悔の一説を口ずさんでから、跪いたまま……今度は私達に向き直る。


「ずっと、後悔しておりました。そして、どなたかが現れてこの罪を正してくださるのを待っていた。アレクサンデル神官にはすべてを書状に認めております。けれど、私の口から、貴方に謝罪をせねばならない……そして、どうか、私に罰を」

「罪とは、なんのことです」


 ヴィンセントの声が震える。

 セリム神官は深々と頭を、下げた。


「貴方のご家族を見殺しにしたのは私です。そして、罪の無い少年を一人、殺しました」


 キィ………と、立て付けの悪い扉が、微かに軋む音が、した。





 私は、と老いた神官は語った。



 ――私は元はオアシス都市の生まれでございます。母がカナンの裕福な商家の出で、学問をしたいので国教会に属しました。

 肌がタイス人そのものでしたので、はじめは拒否されましたが、異能がある事がわかって、入信を許可された。


 夢見をするのです。予言とも、いいますが。


 成人してからは夢見の精度は低くなりましたが、子供の頃の私の夢はよく当たった。災害や、暗殺の予見や……西国の兵がどのあたりに潜んでいるか、そういうものを当てたこともあった。

 ……長じて、異能が発現しにくくなる頃には、一時カルディナと西国の争いは小康状態だったこともあって、私はこの街では神官として、引き続き職務を全うする事を許されました。


 国教会は私のような一見西国人に見える神官が説法をした方が、カナンの人々の信任を得やすいと踏んだのでしょう。その時代は私は重宝されていましたよ。

 ほどなくしてカナン伯爵としてジグムント様が赴任され……、時を経て貴方の母君が生まれた。


 利発で、お可愛らしい方だった。


 けれど、自分がカルディナ人なのか西国人なのか常に悩んでおられた――西国人にしか見えないのにカルディナの神職を選んだ私の話を聞きたがって、よく話をしました。


 語らいは楽しい時間でした。

 神の話、歴史の話、文学の話。

 国教会に入り浸るお嬢様に、ジグムントは決していい顔をしなかったが……彼には負い目がありました。彼女を嫡子だと届けなかったという、負い目が。


 ――私は少し、痛快でもありました。


 カルディナ人の見本のような、規律正しく、美しく、勤勉なジグムントが美しい娘に手を焼いて、彼女は、私のような食うために神職にしがみついている男の詭弁に騙されて……親身に相談をしてくれる。


「追い返すべきだった、そう思います。そうすれば彼女は、伯爵の決めた貴族の男に嫁ぎ、子を産み――今も生きていたでしょうから」


 カルディナからその若者がやってきた夜は大雨でした。


 恵みの雨だったけれども、私は気欝だった。降り止まないそんな雨は初めてのことで……カナンの街がこのまま水に埋もれるのではないかと思いました。


 途方にくれる青年が、雨宿りを兼ねて国教会を訪れたので私は国教会の慣習に基づいて彼を保護した。

 青年はエドゥアルドと名乗りました。気さくな人柄の熱心に勉強する医師だった。


 ええ、そうです。若君。貴方の、お父上です。


 彼は私の勧めで国教会で衣食住を保障されるかわりに貧困層への医療活動を行っていた。――当時、よくカナンを訪れていた北の森の魔女に教えを請いながら、彼は医師としての才能を開花させた。


「貴方のご両親は恋に落ちて街の外れに逃れ、私は……二人を出逢わせ、そして二人が惹かれ合うのを知りながら、ジグムントにも他の神官たちにも知らせなかった咎で、この――ガーシュの勤務に職場を変えられました……」


 その当時カナンの国教会において誰が責任者であったかはあまり重要ではありません。むしろ、食客として滞在していたヴァザ信奉者の意向が働いたのは、事実です。……今もカナンに滞在している、彼女です。


 年月は穏やかに、過ぎました。

 時折訪れるお嬢様の幸せな様子に、子どもたちの可愛らしさに、私は救われるような思いがしました。


 けれど……私の愚かさが、お嬢様を死なせました。


 あの年、小さな子供から発生した流行病は猛威を奮っていた。

 初め、エドゥアルドが斃れ、家主から執拗な立ち退きを迫られたお嬢様は私を頼って……ガーシュヘやってきた。

 私は彼女に伯爵家への帰還を勧め彼女は二人の息子のために、すぐにそうした。


 けれど、折悪く伯爵は不在で……屋敷の護衛はお嬢様を門前払いしたそうです。


 ――伯爵のご令嬢が、西国人なわけがあるか、と。


 彼は、王都から来たばかりの国教会の人間でした。

 ならば私がジグムントに伝えに行こうとした矢先に、ご兄弟と続いて、お嬢様は……病に倒れた。


 伯爵は不在で。何故か私も国教会の人間に阻まれて、屋敷の使用人達には繋いで貰えなかった。

 

 私は、国教会に走りました。


 高名な治療師(いやして)である彼女(・・)が滞在していると知っていたからです。彼女(・・)は母子の窮状を聞くと、いたく同情して、迅速に手配をしてくれました。自分は今は行けないが、と親切にも治療師を私とともに帰らせてくれました。

 お嬢様のお苦しみを取り除かなければならない、と言ってくれた。治療師はお嬢様に薬を飲ませて、一晩中そばについていてくれた。


 私は、安堵しました。お嬢様達が快癒したら伯爵に改めて使いをやろう、と。そう、考えながらうたた寝をしました。

 そうして、夢を、見た。





 夢のなかでは、緋色の髪をした女が笑っていた。


『……お嬢様のお苦しみを取り除かなければ!ふふ。鎮痛剤はよく効いたかしらお嬢様?』


 緋色の髪、緋色の唇、サファイアの瞳は炎の中心にある灼熱の色だ。熱く、禍々しい。


『誰が西国人などを異能で救ってやるものですか!勿体無い!せいせいしたこと!……けれど』


 女が、近づいていく。

 小さな亡骸と並んで、息をせずに眠る美しい母の胸元に手を置いて、完全に時を止めたことに満足げに頷いた。だが、隣で荒い息をする、子どもたちの兄の方に視線を留めて眉を、下げた。


『おかわいそうに。苦しいのですね、若君……?けれど貴方は少しもヴァザらしくない。ジグムントは言うのよ。貴方を正式にヴァザに迎えてあげたいって。……肌の白い貴方の弟ならともかく、貴方は少しも相応しくない。きちんと、始末しなくちゃ……ああ、でも、苦しみがないように上手にして差し上げるから。貴方もヴァザの一族なのだから……』


 うっとりとした彼女は、優しく手を添える。

 その、細い首に。指を廻す。

 少年が、荒い息をしながら、もがく。

 じたばたと手足を動かし……。

 やがて。

 また静寂が訪れる……。


 女はセリムに気付いて驚きもせずに、粘着質な笑みを白い面に刻んだ。


『何をぼうっとしているの?お嬢様とお子様を、丁重にお屋敷にお連れしなくては。伯爵はさぞ落胆されるでしょうね。可哀想なジグムント。お慰めしてあげないと』





 私は、魘されながら起きました。

 そんなはずがないと思いながら、お嬢様の部屋に飛び込んで……、愕然とした。お嬢様と弟君は息絶えていた。

 窓の外では彼女と……お嬢様に付き従っていたはずの治療師が会話を交わしているのが見えた。二人が笑っているのも。


 私は、夢の流れをなぞり、それから別のことを思い出していました。救貧院に、兄君と……ヴィンセント様と同じ背格好の少年が、同じように苦しんでいたのを知っていた。

 そして、虫の息で明日をもしれぬその少年の、顔が、病で爛れている事を……、思い出した。なんて幸運なのだと思った。


 ……考える間もありませんでした。

 私は無我夢中でヴィンセント様を連れ出して、少年が転がされた雑居房に押し込み、……少年をヴィンセント様の寝ていたベッドに寝かせました。




 そして、夢で見た通りのことが起こりました。






「…………じゃあ、伯爵の墓地で眠っていたのは?」


 私は、聞いた。


「私は彼の名を知りません、名も知らぬ少年です。私が殺しました」

「…………僕が目覚めたときに荼毘に付されたと告げられたのは?」

「少年の母と弟の、ことです」


 ヴィンセントは、立ち尽くしている。

 私は乾いた口の中を誤魔化すように、つばを飲み込んだ。

 どうして。


「どうして、今まで、黙っていたの?」

「……ヴィンセント様が生きていると伯爵に告げてどうなったでしょう?」

「ジグムントは喜んだわ、きっと!」

「ええ。そしてきっと、原因不明の高熱でヴィンセント様はお亡くなりになったでしょう」


 淡々と、老神官は告げた。


「ユンカー様が来られた日、ユンカー様が屋敷へ訪問するつもりだと知って、私は先回りして伯爵家の古馴染みの使用人に言いました。亡くなったお嬢様を誑かしたエドゥアルドの親戚が来たと。奴は……若君が生きていると嘘をついて、国教会から金をせびろうとした、と…………屋敷に行くかもしれない。気をつけてくれ、とね。伯爵は繊細な方だから、自分の短慮がお嬢様と若君たちを殺したのだと気に病んで……鬱々とした日々を送っていた。そして、その傍らには常に彼女がいて目を光らせていた」

「それで?」


 スタニスが、促す。


「……伯爵にも彼女の耳にも入れるなと、くれぐれもだ、と釘を刺しましたよ……善良な彼が口の硬い男でよかった。ユンカー卿を殴り殺そうとしたのだけは、失敗してよかったですが」


 ヴィンセントは、そうして……ユンカーと共にカナンから、去った。


 長い、沈黙のあとで。ヴィンセントは声を絞り出した。


「……わからない。何故……?待ってくれ。どうして……?」


 よろけた彼を咄嗟に支える。


「治療師が、来たんでしょう?……なのに、なんで?弟も、母さんも……死んでしまったんだ?なんで?」


 老神官は澱みのない口調で言った。


「あの日派遣されたのは、彼女の下男の一人でした。治療師ではない。彼は貴方達に鎮痛薬を飲ませて治療をしたフリをした。数ヶ月後に、銀の環を外されて、路地裏で息絶えているのを見ました」

「見殺しに、したのか!助けられたかもしれないのに!母さんも、弟も!――僕の代わりに死んだ少年も!人を救うべき、国教会の人間が!」


 ヴィンセントは叫んだ。


「ヴィンセント!」

「人殺しじゃないか!助かるはずの命をどうして見殺しになんか出来るんだ!……あんたは、僕を助けたつもりかもしれないけど!ひょっとしたらその少年は……生きていたかもしれないのに!それに、何で今の今まで黙っていたんだよ!卑怯者!」


 老神官は頭を、下げた。


「私は、三人を伯爵家に送るまで献身的に働きました。彼女は私の協力を褒めて、私がガーシュで働くのならば困らないようにと色々な事を取り計らってくれました。……それから、彼女は私に暗示をかけてその日のことを忘れるように言いつけた。もし、何かの拍子に思い出して、彼女に不都合な真実を誰かに話すような事があれば、すぐさま彼女(・・)に伝わるように……その術式まで、かけて」


 老神官は深く、息を、吐いた。


「私は……術が効かぬのです。けれど、すっかり忘れたフリをして、彼女がカナンに来るたびに献身的に仕えてきました」


 老人は溜息を、ついた。


「お見苦しい話をあと少し、お許しください、公女殿下。ヴィンセント様。私は、誰かにお話出来る機会を、ずっとうかがっておりました。

 伯爵に対してか、それともアレクサンデル神官がよいのか……私の寿命はもう、さほど残っていない。誰に話せば真実だとわかっていただけるか……機会は一度だけでした。誰かに話せば、誓いを破ったと知られれば、彼女が私の元に来る。……アレクサンデル神官から、お二人が訪問されると知って、私は今日しかないと思った……」


 長い告発が終わり、老人は裁定を待つ殉教者のように凪いだ瞳で私達を見た。

 私達は誰も動けず。気の遠くなる沈黙を破ったのは……パン、パンという拍手だった。


 道化の長い台詞は終わり。

 沈黙は舞台袖に去って、きっと悲しげな音楽が鳴っている。不協和音がかき鳴らされて、美しい女がゆっくりと階段を降りてくる。



「……愚かしいこと!世迷い言を……どうしたらそのような嘘がつけるのかしら……」


 私は振り返った。

 緋色の髪を靡かせた彼女のドレスはいつものように、白。

 肩にかかった燃えるような髪色は鮮血のようにも思える。


 リディアだった。




小噺を更新してます。いただいた小ネタ:「レミリアが煽情的なドレスを着るようです」

2巻は1月6日発売となっております、どうぞよろしくお願いします。

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