旅路 1
私が王都を出たことは、ほとんどない。
祖父、カミンスキ伯爵の別荘がある王都に隣接する田園都市か、もしくは北方の避暑地くらい。
カタジーナ叔母上――ヴァザ王家最後の「王子」マテウシュの長子――の領地である北東のメルジェに訪れるのは初めてだった。
「スタニスはメルジェに行ったこと、ある?」
「ええ。何度か。カタジーナ様の領地になる前でしたが」
スタニスもいつもの執事の姿ではなく、旅装だ。
いつもぴしっと髪を撫でつけているスタニスが髪をおろして、街人のような格好をすると、なんだか普通の青年っぽい。似合わない、と私はひとしきり笑った。
私一人でイザークの一行に交じるのかと不安に思ったけれど、母上はスタニスをお付きにつけてくれたので、ほっとした。
侍女達が来るかな、と思って緊張していたけれど、スタニスだったので、随分と心易い。
今までの行いがたたってか、私は侍女受けが悪いんだよね。
皆、視線を合わせてくれないし、話しかけても戸惑われるばかりで。こちらも、どこまで距離を詰めたらいいものか……うん、わかんない。
なんとかしたいと思って、早二月近く。
なかなか人間関係は劇的に変革できないものだなあ。
それにしても、父上のお世話、一月以上もスタニスが不在で大丈夫かしら。
母上一人でお世話か。大喧嘩しなきゃ良いけど。
私があれこれ思い悩んでいると、スタニスが私の気をほぐすためか、にこにこと笑いかけてくれた。
「お嬢様は、そのドレスがよくお似合いでらっしゃいますよ」
「そう?」
私は仕立てのいい、けれども(旅装だからね。)麻の涼しげなドレスを着ていた。麻を着るのは珍しいけど、動きやすくていい。
それに、緑色って好きだな。
みんなに似合うと誉められたので、たとえお世辞でも気分がよかった。
一行はキルヒナー兄弟、私とスタニス、後は護衛が数人とドラゴンの世話をする専門の厩務員が二人いて、総勢十人にも満たない。
といっても、旅程の大半の船――メルジェまで川を下って行くのだ――はキルヒナー商会の持ち物だから、安全だよね。
安全だといいなあ。
……旅慣れていないので、とても不安。
現代日本に居た頃、私は旅が好きで、海外旅行でもふらふらと一人現地を歩いたりしていたんだけど、現世では生粋の箱入りお嬢様だからそうも行かない。
(そもそも、カルディナの治安ってどんな感じなんだろう)
私は最近持ち歩くようにした手帳を開き「カルディナの治安」と書いてみた。その上には「ヴァザ家の経済状況」と書いてある。
イザークと話して痛感したけれど、私は、自分の周囲のことがあまりにわかっていない。
家庭教師のミス・アゼルは知識が豊富で歴史や文芸、音楽、美術、はたまた数学などを教えてはくれるけど、一般教養のことは私には必要ないからか、さっぱり教えてくれない。
疑問に思ったことを調べるリストと称して書き留めているんだけど、誰にどう聞いたものやら。
通える学校があればいいんだけどね、と私はため息をついた。
カルディナの高位貴族の子弟は大抵家庭教師につく。
王都にあるのは十五から入学できる四年制の大学がいくつかと、ベアトリス陛下の肝いりで設立された女子の高等学校が一つ。前者がドミニクの、後者がミス・アゼルの母校だ。
あとは学校といえば男女が共に通う神学校くらい。
驚いたことに聖職者には男女の別が少ないらしい。
奇跡――別の呼び名で言うなら魔力――が高い人間が上位聖職者になる事が多いから、女性を蔑ろにしては立ち行かないのだとか。ついでに、学校に大貴族の子弟が通うのはあまり歓迎されない。
なんでかなあ。教師たちが扱いづらいからかな?
私は身分が邪魔して――恐ろしいことに陛下と王女殿下を除けば、父上の姉君達と私がこの国で一番身分の高い女性になるみたいなので、そのどれにも通えそうにない。
ともあれ、もの知らずな私にとって、カタジーナ叔母上に会うのは酷く気が重いけれど、全く知らない外の空気に触れる事が出来るこの旅は、すごくいい機会だった。
(「レミリア」が滅亡フラグしか立てられなかったのって、周囲への感心がなさ過ぎたからなんじゃないかな。狭い世界で限られた人にしか会えなかったら、行動も理念も偏るよね……)
私が、そうならないといいんだけど。
前世の記憶を取り戻したところで、今のところ私をとりまく状況に劇的な変化はなさそうなのだが(特別な能力とかないんだろうか。魔法使えるとかさ……)、せめて己の周囲で何が起きているか、察知出来るような知恵はつけたいな。
馬車と、ドラゴンを輸送する専用の箱を引いて一行は進んでいく。
「スタニス」
休憩しようと一行が止まった所で、私がスタニスの袖を引くと、はい、なんでしょう。と侍従は気易い口調で応じた。
「ハナの所に行っちゃ駄目?」
「朝も遊びに行かれたばかりでしょう、我慢してください」
「えー……つまんない……」
むくれた私を、背後でドミニクが笑っていた。
ハナは、イザークの大切なドラゴンで。
つまりは私のドラゴンのお母さん、である。
羽根を傷めて、まだ飛べないので、大きな箱に柔らかな草を敷き詰めて、箱のまま運ばれている。
旅路の初日、イザークと一緒に挨拶すると、ハナはキラキラした丸い目で私をじいっと見つめて、それからペロッと私の頬を嘗めてくれた。ざらっとした舌はちょっとぞわっとしたけど。
正直に言おうか。
か、可愛い!!ドラゴン可愛い!!
つぶらな瞳で見つめられたら溶けちゃいそう!
「ハナ、レミリアだよ。挨拶しな」
イザークが長い耳の間をガシガシと撫でてやると、気持ちがよいのか、ハナはキュー、と甘えた声を出した。私にではない、イザークにだ。俺じゃなくて、レミリアに挨拶だよと彼が重ねて言うと、カボションルビーみたいな優しいミルキーピンクの瞳が私に向けられて、ぱしゃ、ぱしゃ、と開けては閉じて、を繰り返す。
アナタ、ダァレ?とでも言うように。
「言葉がわかっているみたい、凄い」
「わかってると思うぜ」
「そうなの?」
「うん、知能は人間の子供とそんなに変わらないって」
そうなんだ。
私が人間にするように名乗ると、ドラゴンは首を傾げてキュー、と鳴いた。よろしくね。ハナ!
ハナと……その番のアキは一番小さな種類のドラゴンで、単に飛竜と呼ばれる。
主に騎乗用として捕獲されるんだとか。西の国が軍務に用いるような砂竜よりも一回り小さく、乗せられるのは大人二人と、二人分の荷物が精々。
「気性の優しい飛竜の中でも、ハナは特別優しいんだ」
「そうなの?」
子供の頃に親とはぐれたのを幸い、北部の商人に拾われて、以来ずっと人間と暮らしているらしい。
大人しいからとベアトリス陛下の騎乗用として召し上げられたのだけど、十頭以上もいる王宮のドラゴンの群れと馴染まなくて、体調を崩しがちになり、あまり活躍の場はなかったらしい。
兄弟に劣らずドラゴン好きなキルヒナー男爵が、いつも悲しげなハナを気にして何度も懇願して陛下から譲り受けたとか。
キルヒナー男爵って軍人で商人で何事にも抜目ない人という印象があったけど、意外な一面が。
「ドラゴンとより、人間といるほうが落ち着くんだろうな。子供とか好きなんだ」
「私のことも好きになってくれるかしら」
「大丈夫じゃないか?ちっちゃいこ好きだし」
なんかひっかかるなぁ、その言い方。ちっちゃいって。イザークと私は二歳違いじゃないですかね!?
お友達が出来にくいなんて、私みたいね、という共感もあったせいか、旅も三日目になると、私はすっかりハナが好きになっていた。餌は果物や野菜で、私が持っていくと嬉しそうにスンスンと鼻を鳴らす。
お友達になれたのかなぁ。
初めての女の子のお友達だ(人間じゃないけど)と私はこっそり笑った。
「港が見えてきましたね」
メルジェまでは船で進む予定だ。
休憩が終わって半時ほど馬車を進めた所で、馬に騎乗していたドミニク・キルヒナーが私とスタニスに並んで来た。そして、これからの旅程を再度確認する。
港町にある商会御用達の宿で休んで、明日の早朝から船旅です、という事らしい。ドラゴンと旅をするのが初めてなら、舟遊び以外で、大きな船にのるのも初めてだ。
ドミニクが言った通り港町はすぐに見えた。
私はスタニスの袖をつかみながら港町の様子をキョロキョロと見渡す。
メルジェの側も流れる大きな河川はコンサスという。
河川を使って交易はなされるらしく、源流に近いこの港町はとても人が多くて、すごく栄えていた。
人口密度がすごい!
人が歩くたびに土埃が舞って空気はよくないけれど、飛び交う言葉、笑い声、怒号、物珍しい果物や綺麗な布、様々なものに溢れてて、物珍しいったらない。
明らかにカルディナ人とは違う赤銅色の肌の一団や、私には懐かしい黄味がかった肌の色の商人達は、しかし私の予想に反して髪や瞳の色は、宝石を散りばめたように色彩豊か。
ここが私がかつて生きていた場所とは異世界なのだと、強く感じさせた。
あ、あの鳥、初めて見る!
スタニスがドミニクと話しているのをいい事に、私はちょっと一行の側を離れた。
小さな屋台には鑑賞用なのか大小沢山の鳥がいた。
慣らされているのか、商人が何かの魔力持ちなのか、鳥達は枷もないのに、大人しく宿り木に止まっている。
あれはインコかな?
私を見つけた店主らしき男から手招かれる。彼が示した鳥は、孔雀のように色鮮やかな尾羽根を持ち、しかしながら鸚鵡よりも小さい。
その鳥を手に乗せていた黒い肌に金色の髪をした恰幅のいい商人が、私に気づくと人好きのする笑みを浮かべて、私に鳥を近付けた。
触っていいって事かな?
恐る恐る触ると、鳥は綺麗な声で鳴いた。
わぁ。
「すごく綺麗な声で鳴くのね、お前。名前はなんて言うの?」
私の問いに答えるかのように、鳥はまた綺麗な声で鳴いた。
鳥の声というより、それは歌だった。
確かな音律をもった歌が、鈴の音をもっと細く滑らかにしたかのように、鳥の嘴からこぼれ落ちる。
チリリ。チリリ、と鳥が歌う。
…………嘘みたい。
鳥が本当に歌を奏でている。
私がうっとりしていると、商人が私に何事か言った。
え?わからない。
異国の言葉で早口だから、なおさらだ。困っているといきなり腕を捕まれ、見下ろされ何かをいいつのられる。な、なんだろう!怖いよ、と焦っていると。
「よせよ、嫌がってるだろ」
フードを被った人物が、私と商人の間に割り込んだ。
商人は不快気に彼を一瞥し、その少年に声を荒げた。
《鳥の歌は一曲銀貨一枚だ。対価は払ってもらわなくちゃなぁ?ほら、そこに書いてあらぁ》
《南方語でね。子供相手に馬鹿げた商売をするなら、キルヒナー商会にいいつけるぞ、おっさん。この街じゃそういうのは禁止なんだろ?》
《ガキ、脅す気か?いい度胸だ》
《俺に凄むなんて、おっさんこそいい度胸だと思うけど》
《うるせぇ、なんならお前が払うかチビ?》
何を言っているかわからないけど、商人が怒っているのは分かった。私が固まっていると、フードの人物は、じっと商人の屋台を見回した。
正確には、鳥達を。
「お前達、ここは退屈だろ?……もういいよ、空に帰れ」
甘い声音に誘われて、鳥達がさえずるのを止め少年を見る。
鳥達は、考え込むように、一斉に同じ方向に首を曲げた。
そして、お互い示し合わせたかのように、もう一度反対側に首を傾げ、羽根を広げ……。
私がえっ、と思う間もなく、鳥達は籠の中の小さな鳥をのぞいて空へと飛び立ってしまった。
えええーっ!!
あんぐりと口を開けた私の横で、商人が絶叫し、必死に戻れ、戻れと鳥達に手を広げている。
「こっち」
私はフードの少年に引かれて、屋台から遠ざかった。
その声に、覚えがある。
そして何より、動物をあんなにいとも簡単に操れる人物なんて、私には一人しか思い当たらない。
植物が大好きで、動物達と意識を通わせる事の出来る、そんな、人ならざる技が出来る人は……。
「あの、あの…」
私が口をパクパクとしていると、フードの下から、黄金と紫の色違いの瞳が覗いて、にこっと私に笑いかけた。
「レミリア、鳥が好きなの?」
俺も好きだよ、と笑ったその人は。
シ、シン様ー!!




