121.金糸雀は歌う 2
「リア様に置かれましては、ここで何を?」
ヴィンセントは半眼で私に尋ねた。
「言っておきますけど、お忍びじゃないわ」
私が視線を動かすとリディアはかすかに礼をして微笑む。イザークは今同行していないけどヴィンセントがいるなら、一緒に来てもらえば良かったな。カナンに来て二人は話を出来ているのかは少し気になる所だった。
「ヴィンセントは……」
何をしに来たの?
と聞こうとして私は国教会の神官と話し込むユンカー宰相に気付いた。
今日は父君と国教会の視察か……。宰相は私に気が付くと彼から近づいてきて礼を取った。
「これは……、ご機嫌麗しく。お嬢様は見学ですか?」
「ええ。お二人と同じかと」
お互い、名を呼ばずに会話を交わす。
リディアはにこやかに、だがどこか冷たい瞳で二人を眺めていた。
……ヴァザを尊ぶ一部の神殿関係者は女王陛下やその側近を嫌っている者も多い。さすがに私の前で彼らを詰るような事はしないが明らかにリディアの空気は冷ややかになる。私は気にせずに会話を続け、ユンカー卿もリディアを意に介しはしない。
公の場ではないからかユンカー卿の物腰は穏やかだった。意外にも……気安い人なのだなと。
北部人特有の深い青は、今日はさほど冷たくは見えない。
「カナンの国教会は王都とはずいぶんと様子が違うので驚いております」
「王都とカナンほど距離がありますと、全て同じとは行かぬのでしょう。王都の国教会とは趣が違いますが――これもまた美しいと思うのは不敬でしょうか」
意外なことに強面の宰相は少し笑んで、天井を見上げた。
国教会は普通白を尊ぶ。敬虔な気持ちになって国教会の礼拝堂で祈るのも好ましいけれど……、カナンのこの荘厳さと華美な……しかし、美しさはまた異なるものだ。
私も同意して青い小宇宙を仰ぐ。
「ユンカー様と同じ意見で嬉しいです。まるで絵画のようだと見惚れていたところでした。……卿はカナン訪問は何度目でしょう?」
「若い頃、はこちらに駐屯していた事もございますよ。……サウレ殿と同じ時期に滞在していたこともある」
スタニスが軍部にいた時代ユンカー卿は女王陛下の側近として王都とカナンを往復していたらしい。若いころのユンカー卿とスタニスが会っていたのは、なんだか奇妙な感じだ。
直近では……、と一瞬ユンカーはいいよどんだが続けた。
「お嬢様の……、お爺様と訪問したのが最後です」
「……そうですか」
思いがけない名を聞いて、私は思わず胸に手をあてた。
……小柄でどこか恍けた私の祖父、カミンスキ伯爵は外交顧問としてカナンとの和平交渉を行っていた。
ユンカー宰相と一緒に。
西国との恒久的な和平はカルディナの悲願であると同時に、亡き祖父の願いでもあった。
お祖父様もこの光景を見たかな。
私は目を伏せる。
今はいない人と同じ場所に立っているかもしれないことは、不思議な寂寥と安堵を湧き上がらせた。
小さな手が私の手を握り返して「ねえ」と聞いた。
「リア、この人たちも貴族なの?」
「うん?ええと、そう……だね」
ふーん、とハルト君は考え込んだ。
ルカイヤさんが慌てたようにハルト君を私から引きはがした。先程からはらはらとしていたみたいだ。
「先ほどから息子が無礼な事ばかり、申し訳ありません」
私は彼女の怯えと……、昨日のカミラの事を思い出して反省した。
私は確かに、周囲の人と序列があるのが好きではない……というより、あまり慣れないのだ。
しかし、それは時と場合によっては相手に好ましいと感じられるよりも、相手に一方的な不利益を生じさせることがある。
私と母子が親しく口をきいたせいで……彼女たちが誰かから……例えばリディアから……叱責を受ける可能性だってある。
それに、……貴族ではない人から見たら、正体不明の貴族の女が我儘で息子を連れまわしている様子は心休まるではないだろう。
ふとした拍子に機嫌を損ねてハルトを傷つけないとも限らない。
私は不安げなルカイヤに首を振り、ハルトには手を振った。
「案内をありがとう、楽しかったわ」
またね、と笑うと無邪気な少年は母親のスカートに隠れてへにゃりと笑う。
本当に愛らしい子だなあ。
「どうか気にしないで。私こそ連れ回してごめんなさい。私にも弟がいるから会えたみたいで嬉しかったわ。ありがとう、ルカイヤさん、ハルト君」
「うん……。あのね、リア。俺にもね、貴族の友達がいるんだよ!」
「まあ、そうなの?」
「うん、カナンで一番えらい貴族だけど、俺は友達なんだ……!」
ハルト君は屈託なく自慢げに言った。
それは誰か、と私が尋ねるより前に彼は「あ!」と顔を上げて入口へと走っていく。
背の高い老人が護衛を連れて入口に立っていた。
「ジグムント」
私が声をあげると隣に居たヴィンセントがぴくりと肩を揺らした。ユンカー卿は顔色を変えない。
「ジグムント様!」
「……ハルト、来ていたのか」
「あのね、パンを貰いに来たんだよ」
「その前に大切なお話があっただろう。神様の言葉だ。最後まで聞けたかな」
「ちゃんと静かに聞いていたよ!」
ジグムントの背後に控えた護衛の青年が微笑んで少年を見つめ、幾人かの神殿関係者が二人を微笑ましく見守っている。
彼らには見慣れた光景なのだろうか。確かに、とても微笑ましい光景だった。
明らかに西国の血が濃いと分かる年端も行かない少年と、彼を慈しむカナンの領主……。
まるで、祖父と孫のような。
カナン伯爵、ジグムント・レームはハルトの手を取ると私に一礼をした。
「……お嬢様がいらっしゃる予定ならば案内をいたしましたのに」
「いいの、リディアが来てくれたし、ハルト君が案内してくれたから」
「色々、教えてあげたんだよ」
無邪気な少年は得意げに老人を仰ぐ。
ジグムントは彼の頭をそっと撫でた。カナンや西国では髪を触る行為はあまり奨励されない。
親しい間柄でしか髪を触れるのはよしとされない。
ハルトの慣れた様子から、二人の間は、親しいと言う事が知れた。
「そう」
私は微笑みながら口の中が渇くのを感じていた。
ヴィンセントは身じろぎもせずにただ、礼儀正しく目を伏せている。一瞬の緊張をルカイヤが気づいたかはわからないが彼女はあくまでも礼儀正しく頭を下げた。
その横顔は……、いつかみたジグムントの時計の中に秘された彼女に似ている。
「あの……伯爵さま、私はこれで失礼いたします」
「ああ、おまえも息災で」
「またね、お爺ちゃん」
「ハルト、なんて口を……!」
「よい、……またおいで。母君と一緒に」
ルカイヤが頭を下げた。ジグムント・レームは無言で頷くと美しい母親に少年の手を渡す。
私は横を向くことが出来ずにごくりと喉を鳴らした。
「随分と親しげでいらっしゃいますのね、伯爵」
母子が去り、どこか皮肉な口調で言ったのはリディア神官だった。
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