120.金糸雀は歌う 1
カナンで私達がすべきことは今回、二つだけ。
一つは和平交渉の再確認をすること。
もう一つは両国の友好を示すために夜会を開催する。
私のお披露目だ。
十日後に控えた宴に浮かれてなんとなく、街もにぎわっているようだった。
「どれも素敵なドレスでございますね」
私の持物を点検しながらリディア神官はうっとりと目を細める。カミラはカタジーナの元へと移り、リディアが私の護衛と侍女を務めてくれている。
「公女殿下は色が白くていらっしゃるからどんな色もお似合いです……ああ、でも淡い薄緑の衣装も素敵で」
「シルヴィアとアデリナが選んでくれたのよ。父は着るものには疎いから」
「ヘルトリングのご姉妹は大層趣味がよろしくていらっしゃるから!」
リディアは少女のように瞳を輝かせた。
神官は、白を基調とした衣装を着る、あまりドレスを人前で披露する機会がないから楽しいのかもね。私は淡い色のドレスをそっと撫でた。母上が……私に似合うと勧めてくれた色だ。社交界デビューの時は「うんと優しい色にしてね」と。そう、言った。
きっと、母上は別のシチュエーションを想定していたんだろうけど。
衣装を点検し終え、私は外出用に簡素な服に着替えた。
カナンの国教会の慰問に向かうため、だ。
せっかくカナンに来たのだから西国との交渉ごとだけでなく、領民の暮らしぶりはなるべく頭に入れておきたいなと思う。
ジグムント・レームが若い頃に嫡子を亡くしてそれから――正式には――子供がいない。
カナンは彼が引退したら私か、もしくはヴァザの親しい血縁の誰かが受け継ぐ事になる。ヴィンセントが母君から受け継いだとしてもよかった土地だろうに。ヴィンセントの母君は庶子だったけれど、国教会に承認されれば嫡子と同じ扱いを受けるから。
「西国風の建物が多いのですね」
リディアに先導され、私はカナンの街を歩いていた。国境の街だけあって人種が入り混じっている。カルディナ人は肌の白い人が多いけれどカナンでは半々だ。
この五百年、カナンを支配した年数は西国とカルディナでおおよそ半々で、街並みにも二国の様式が混じりあっている。
私はカナンに関する説明を思い出していた。
はじめは支配者が変わるたびに建物を壊していたが、年代が下がると「また取り返せばいいのだから、とそのまま使うよう両国とも方針を転換した」とファティマ王子はそう話してくれた。
カナン伯爵の宮殿もそうだし、国教会もまた然り。
街の中央にある丸屋根の建物が、カナンでの国教会の本拠地だった。
「内部はタイス風なのですよ」
四角い大きな建物の上部は半ドーム状になっていて落ち着いたベージュ色。
美しい建物の内部は、まるで別世界だった。天井一面には幾何学模様がびっしりと極採色で描かれ、まるで星空を映した万華鏡みたいに幻想的だ。天井部分が湾曲しているからか礼拝堂の奥で話し声が反響している。
青で彩色された幾何学模様の天井模様はたやすく人々の意識を高揚させる。国教会の白ばかりの宗教施設には慣れた私の目には不可思議な感じがした。
国教会の内部はちょうど信徒たちが祈りをささげる時間だった。
私を貴賓室へと案内しようとしたリディアを制止して一番後ろの席で神官の話を聞く。
信徒は富裕層だけでとは限らないようで、質素な服装の人々も多い。そこもまた王都とは異なる点だ。王都には国教会の施設数ははるかにカナンより多く、どの階級の人間がどの施設をるようするかも暗黙の了解で区分けされているものだった。
私の隣に腰かけた男の子が、隣の母親らしき女性にそっと耳打ちする。
「ねえ、母さん。お話し終わったらまたパンが貰える?」
「しっ、ハルト。静かにしないと頂けないわよ」
「おじいちゃんはまた来る?」
「毎回は来ないわ……。特に今はお忙しいだろうし」
「つまんないの」
男の子は口を尖らせた。
微笑ましい光景だなあと思っていると母親と目が合った。
茶の肌に薄い灰色の瞳をした綺麗な女性は私の視線に気づくと恥じ入ったように目を伏せ、隣にこしかけた息子に向けて口元に指を添えた。
あ、おしゃべりを見咎めたと思われたかな……。
私の隣でリディアが侮蔑の視線を母子に向けているのに気付いて……私はリディアを隠すように体の位置を変えた。
「お姉ちゃん、初めて見るね。はじめて?」
「ハルト!」
小さく叱責された子供に私は笑いかけた。
「ええ、そうなの……後で色々教えてくれる?」
小声で聞くと彼は得意げに、けれども母親の意をくんで声を潜めた。
「あとでね!でも今はお喋りをしたら駄目だよ、怒られちゃうから」
「わかったわ、お喋りは我慢ね?」
私は笑いを堪えるために唇を引き結んだ。
この子、可愛い!
さらりとした黒髪は肩の上まで。
くりくりとした大きな猫みたいな瞳はグレーと緑の中間色でまさに東西の狭間に生まれた子、といった感じだった。母親は綺麗な女性でたぶん二十代半ばだろう。彼女はそっと私に目礼して私もそれに応えた。
「月に2回、誰でも国教会に入れるんだよ!」
「そうなの?」
「うん、なー、国教会の天井って綺麗だろ?だから俺、話はわかんないけど見に来るんだ」
「本当ね」
私はしゃがみこんでハルトと視線の高さをあわせて幾何学模様の天井を楽しむ。
ハルトとそのお母さん、ルカイヤさんには私はリアと名乗った。リア、とはお忍びで城下に行く際の名前だ。
ハルト君は私の手をつないで国教会のあちこちを説明してくれる。可愛いなあ。何歳くらいだろう、七歳から八歳くらいかなと私はあたりをつけた。
私は王都の慰問先であう子供たちを思い出した。それから、ユリウスを。王都の屋敷でユリウスは寂しがっていないだろうか。
「リアはお貴族様なの?」
「ええっと、はい」
案内を終えたハルトから直球で質問されたので私は頷く。
簡素とは言え縫製のしっかりとした服を着て、護衛を伴っている。どこかのお忍びの子女だと言う事は一目瞭然だろう。特に隠すことはないけれど、私は声をひそめた。
「実はそうなの。みんなには内緒ね」
「うん、いいよ!」
私がサラサラの髪を撫でたいなあ、でもきっと慣習的に嫌がられるだろうなあと思って小さな少年を見つめていると、背後から声がかかった。
「……お姫様が内緒で来るのは、あまり感心しないけど」
「……まあ!ヴィンセント」
振り返れば、上下を簡素な黒でまとめたヴィンセント・ユンカーが立っていた。




