【幕間】束の間の 下
カミラが姿を消すのを待ってから、レシェクはもう一度小さくはないため息をついた。
「お疲れですか?」
「違う。彼女を姉の所へ向かわせるのは、正直な所気はすすまない」
「カミラを護衛の任につけるとカタジーナ様にはもうご連絡をなさったのですか?」
「した」
言いながら、レシェクは立ち上がってまた、外を眺める。
「特段構わない、とのことだ。私が彼女を警戒しているのは知っているだろうが、嫌に上機嫌で……、不気味だな」
「王都のユゼフ様は、なんと?鏡で連絡があったのではないですか?」
遠く離れた相手と話すには、異能者が組んだ術式が必要になる。
レシェクは、大叔母にあたる神官マラヤが組んだ術式をごくたまに利用していた。
「オルガとユゼフは王都で観劇三昧をしてくれている、らしい。オルガも度々、我が家に里帰りしているようで……。浮名が流れてちょうどいいんじゃないか?あの堅物にはかつてなかったことだ」
スタニスは苦笑した。
若くに結婚し……二年とたたずに妻を亡くしたユゼフ・カミンスキ伯爵にはそれから浮いた噂がない。
花街に出入りして適当に遊んでいるのは知っているが、婚姻はこりごりだと思っている節があった。
レシェクはカミラの去った扉へと視線を投げかける。
「カミラは家庭教師としても護衛としても、良くやってくれている。が、彼女を受け入れた当初の目的からは遠く離れてしまったな……。本当は別の理由で彼女には暇を出したいのだが……」
「そうですねえ……」
レシェクの声に陰りが混じったのは……たぶん、カミラが公爵家に来た頃の事を思い出したからだろう。
カミラの前任者である家庭教師のミス・アゼル。
彼女を嫁ぎ先の世話をする……との名目で遠ざけたのはヤドヴィカだった。
今思えば、ヤドヴィカは妊娠に気づいたときに、生まれてくる子やレミリアの身辺に置く者たちをどうするか、考えたに違いない。
アゼルは博識で気のいいお嬢さん、ではあったが王宮の人々と懇意で、……何よりお喋りだった。
そもそもが彼女の紹介状を書いてくれたのは、ユンカー宰相と同郷の侍従長だ。王宮からの強い勧めで当時はアゼルを雇うのを断れなかった、と記憶している。
アゼル自身はその意識はなかったろうが、彼女は伝書鳩だった。夫婦の不仲も、公爵家に出入りする客人も――王宮には筒抜けだったろう。
ようやくいなくなった鳩の代わりを務めたカミラは、レシェクの長年の友人でクレフ子爵の妹だ。
この人事異動については、……表立っては言わないが、アゼルに出来るだけ重要事項を報せないよう腐心していた執事のセバスティアンや侍女頭のヒルダは随分と安心した事だろう。
ヤドヴィカは……たぶん、もしもの事を予測していた。
気が強いくせに、怖がりで、いつも最悪のことを考えていたから。
自分がもしも……居なくなった時に、信用のおける人物に、レミリアやレシェクの傍にいてほしかったのだ。
それだけじゃない気がしますけどね、と。
スタニスはヤドヴィカのツンと澄ました横顔を思い出した。
……公爵夫人としては感情的に過ぎる、と評された彼女は、レシェクの傍に出来るだけ彼に恋をしそうな女性を配置したくなかったのではないか。
邪推だと怒られるかなとスタニスは目を細めた。
ヴィカ様、そんなに心配しなくたって、実はそんなに若はモテないですよ、と焼きもちやきのヤドヴィカを笑って安心させてやりたい心地になる。
ヤドヴィカは、いつまでたっても再婚するつもりのない兄を……不幸な結婚の罰のように独身をとおすユゼフを心配していた。
『ユゼフ兄上には、もうカミラしかいないと思うのよ!』
『……それはそうですけど、ユゼフ様、再婚される気まったくないでしょう?』
『カミラがレミリアの家庭教師になれば、嫌でも顔を合わせるわ。事あるごとにけしかけて行こうと思うの。……スタニス貴方、勿論協力するでしょう?』
『……いやぁ、私は他人様の色恋沙汰はちょっと踏み込みたくないと言いますか』
『す・る・で・しょ・う?』
『……めんどくさ……イテテッ!耳を引っ張らないで下さいよ、ヴィカ様!』
お節介なヤドヴィカは……、クレフ子爵の妹カミラがユゼフに焦がれ、ユゼフも年の離れたカミラを憎からず思っているのを知っていて屋敷に招いたのだ。もし……自分がいなくなったら、一人きりになってしまう武骨な兄の事を案じて。
「ヴィカのお節介、だ。出来ればかなえてやりたいが……」
「閣下がお命じになればユゼフ様は再婚なさると思いますよ。……ただ、人の気持ちは、公爵閣下でさえ動かせるものではないでしょうけども……」
「うん」
「個人的には、さっさと、まとまっちまえよ、と思いますが。ユゼフ様も頑固だから、無理にけしかけたら意固地になりそうだ」
あまりな物言いにレシェクは笑った。
「はやくカナンを落ち着かせて戻りたいが」
レシェクは羽ペンを握りなおした。
カナンと西国の地図を広げる。
「ジグムント・レームによれば第二王子……ファティマの領土からの客人が増えているらしいな」
今は戦時下ではないからファティマの治めるオアシス都市とカナンとの通行は自由だ。煩雑な手続きはあるにしろ、商隊や一般人の出入りはある。
オアシス都市からの何を持ち込んだか、どこに持ち込んだか、誰に渡したかはわかるだろう。
「カミラとの連絡は、密にしてくれ」
「御意」
頷いたスタニスの喉元をふとレシェクは見つめた。
視線に気づいたスタニスが僅かに怪訝な表情を浮かべる。
「……アレクサンデル神官を、どう思う?」
「……レミリア様の逢引の件ですか?」
茶化す口調にレシェクは咳ばらいをした。
「そうではない。私は、若者は大いに交流すればいいと思っている。別段、親が口を挟む話ではない」
「物分りがいいですね。わかっておりますよ、アレクサンデル神官は……どうやら、リディア神官とは折り合いが悪いようですね」
「――そして、彼はヴァザを好いてはいない。首環持ちだからな」
「なるほど……」
スタニスは、かつては己の首元にあった環を思い出した。まるで生きているかのように喉元に吸い付くようだった銀の鎖……厭わしくてならなかった枷だ。
強い力を持つ異能者に首環を嵌めて監視する。悪趣味な慣習はヴァザ王家がはじめたもので、女王ベアトリスが廃止しようと試み、国教会から強い反発を受け、撤廃できていない事項の一つ。
「神官長の許可を得ず、あの環を外したのはお前くらいだからな……その理由を知りたがっているらしい」
「それはそれは」
スタニスの環が外れたのは、事故のようなものなのだが。ふむ、と考え込んだ。
アレクサンデルがどのような人物かは知らないが、彼が次代の神官長ではと目されているのは知っている。
「そうですね。どうやって外れたか教えてもいいですが。……彼が我々と親しく交わってくれるつもりはあるか、カナン滞在中に意図を確かめてみましょう」
「そうしてくれ」
話し込んでいるうちに、扉がノックされ……、ジグムントが現れた。もう、こんな時間かと二人は時計を確認する。
明日からのファティマとの対応を確認せねばならない。あの王子様もにこやかな風貌の下でなにやら色々と考えていそうだ。
つつがなく、この会談を終わらせたいものだなと内心でぼやきつつ、スタニスはため息をそっと押し殺した。
同じ世界観のスピンオフ「女王陛下の愛した魔女」も投稿をはじめました。
あわせて読んでいただけますと、幸いです。
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