118.西国の王子 6
カナンの居城へ戻りながら私はアレクサンデルに尋ねた。
「先程の質問を、またしてもいい?」
「質問、ですか?」
「ガーシュに国教会の紋章が刻まれた建物があったわ――あれは国教会の関連施設なの?」
アレクサンデルは言い澱んだが、しつこい私に負けたのか、平坦な声で説明をしてくれた。
「ええ、国教会のひとつ、です。カナンの中央にも荘厳な建屋がありますが……貧困層は足を踏み入れ辛いですから。――老神官が、数人の有志とともに救済を行っています」
「立派な方ね」
「いいえ。徒労だと思います――目の前の恵まれない百人の腹を満たしても、それが何になるでしょう――?明日には彼らはまた飢えるのだ――なんの解決にもなりはしない」
「……そう」
「根本的な解決をすべきでしょうね」
徒労だと。
そういいながら、アレクサンデルの声音は熱がこもっている気がした。――私は何も言えない。
根本的な解決が、出来ていない領主の一族の娘なので私は何と言っていいものか、――うまく言えない……。
私が沈黙すると、アレクサンデルは皮肉に肩を竦める。
「――レミリア様はたまに、物を知らないふりをなさいますね」
「え?」
私が弾かれたように顔をあげると、アレクサンデルは秀麗な顔を僅かに、かしげて微笑んだ。
「無邪気な顔で――なにも知らぬ体で、――私達がどうでるか、観察されているように感じますよ?」
「そ、そんなつもりはないけど!」
私は図星をさされて思わず声を上擦らせた。
どうしても小娘だと侮られる事が多いから、ならば仕方ないや。
素知らぬフリをして出方を伺う事はたしかに、ある。
「答えを知っているのに、教えていただけないのは少し、狡くていらっしゃる……かと。私達がどう動くかを楽しんでいらっしゃる?」
私は唇を引き結んだ。
答えは……知らないことも、多いけど。
誰が、どういう人か、何をなす人なのか……知っていることもあるのだ確かに。例えば目の前のアレクサンデルがやがて神官長になる、ということなどを。
「人が右往左往するのを、愉しむほど悪趣味ではありません」
アレクサンデルは顎に手を触れた。
「これは、ご無礼を――以前もお伝えしましたが。私はレミリア様には夢見の才があるのでは?と期待しておりますもので」
「ございません!あればもっと……」
「もっと?」
「……もしあったとしたら、そうね、声高に宣言して人々の尊敬と称賛を集めるようにするわ!」
カナンの居城の中庭に到着し、私達はソラから下りる。アレクサンデルは私の手を取った。
「欲深いことをおっしゃいますね。レミリア様ほど尊敬と称賛を集めるご令嬢もいないでしょうに?」
「そんな話、聞いたことはないけど……フランチェスカなら、ともかく」
台詞の後半はちょっとした、愚痴だなあ。
思わず情けなく頭上を見上げると最早、あたりは暗くなっていた。アレクサンデルは少しだけ優しい目をして遠くを見た。
「王女殿下も同様のことをおっしゃっていましたよ」
「どういう意味ですか?」
「……さあ?口が滑りました。……レミリア様、また外出なされるときは私か……そのあたりに隠れている、キルヒナー殿を頼られるといい。一人で遠がけは危険でしょう」
アレクサンデルは私の手を、離した。先程の件はどうぞよろしく、と囁いて去ろうとし――。
それから、一言付け加えた。
「もし、ヴィンセント・ユンカー殿に会う事があれば、彼にもお伝えください」
「ヴィンセントに?」
「如何に故郷とは言え、貴方のような貴族の師弟がガーシュを一人歩くのは危ない、と……」
私は離れていく指を見つめながら、思わず唸りそうになった。
「レミリア、黄昏れてる時に悪いけど、話しかけても大丈夫?」
私の背後からひょっこりと顔を出したのはイザーク・キルヒナーだった。私はほっと息をつく。
「帰ってきて一番に会えたのがイザークでよかったわ」
「そう?」
「スタニスに見つかったら、大目玉だもの!」
イザークは白い歯をみせて残念ながら、と私を見た。
「護衛を置き去りにして、勝手にお散歩をしたレミリア様に、師匠はたいへんお怒りで……」
「えっ!」
「レミリアの部屋の前で無言で待ってたよ」
ひぃいいい……。私が青褪めると、イザークはけらけらと笑った。
スタニスは大抵、私に甘いけど無言で怒っている時は、ほんっとうに怖い。
……やっちゃったなあ、と足取り重く歩いていると、イザークが真顔に戻って私に、尋ねた。
「――アレクサンデルと散歩した理由は聞かないつもりだけど」
「……うん」
「最後の……ヴィンセントが、のくだりだけ教えて欲しいな。アレクサンデルは俺に聞かせたがってたろ?明らかに」
「そうだね」
私は……、アレクサンデルが去った方向を見た。姿勢の良い背中は、もうすっかり見えない。
「アレクサンデルが、カナンを案内してくれたのだけれど」
私はカナンの町並みを思い出しながらイザークを見上げた。ガーシュという地区に行ったこと。
そこで貧しい人々と、国教会の神官をみたこと。
そこで人影を――ヴィンセントらしき人をみた、こと。
視力はいいけれど。
遠目だったからヴィンセントだとは限らない――そう思っていたけれど。アレクサンデルがそう、言うならそうなんだろう。
「貧困地区にヴィンセントが?」
「うん。……故郷だから知っている人がいるのかもしれないけれど……」
ヴィンセントはあそこで何をしていたんだろう?
イザークは目を僅かに細めた。
「ヴィンスのことは……俺が気にしてみておくから、レミリアも何か気づいたら教えて」
「わかった」
居城に入り、私は自分の部屋へと急ぐ。
扉の前に仁王立ちのスタニスがいたら怖いなぁ!と思っていたけれどさすがにいなかったみたい!
着替えて夕飯を食べに行って、明日、早朝に会ったら謝っておこうっと。
私は胸を撫で下ろしてドアノブに手をかける。
ガチャ、と回そうとした瞬間何やら冷気を感じて振り返……っ。
「ぎゃっ」
「これはこれはお嬢様。遅い、お帰りで」
にこやかに微笑むスタニスの眼鏡の奥の目が薄く光っている。
私は平静を装いつつ、微笑んだ。
「たゃ、ただいま!スタニスっ!」
………思い切り噛んだ私の横で、イザーク・知人・キルヒナーが笑いを堪えるために顔を横に背けた。




