114.西国の王子 2
ファティマとの顔合わせは和やかに進んだ。
彼は、自領や母方の実家の財で第二王子であると同時に莫大な資産家でもあるらしい。私達への土産にと持ってきたものからも彼の豊かさが知れる。ドレス、ドレスを作る絹、新種の植物の株、私付の侍女達へは高価な砂糖をふんだんに使用した甘い菓子。
カナンは東西を結ぶ交通の要所。
そしてカナンに近いファティマの領土も多くの人が集まって利を落とす――カナンはあくまでカルディナ領だから異国の人間には税が重い。カルディナ人であっても裕福な商人は一部、ファティマの治めるオアシス都市に居を構えるのだという。
「――毒は入っていないようですが、惜しげなく砂糖を使っておりますね……」
カミラは砂糖菓子をひとつまみして冷静に感想を述べてから、侍女や使用人たちに振る舞った。
「レミリア様は念のため、口になさらないでくださいませ」
「わかった」
ファティマが土産を準備したのは私達相手だけではない。
馬車から降りてきたファティマ王子を見て好意的な感想を(意外にも)漏らしたカタジーナにも彼は贈り物を用意していた。
「――なんとこまやかな細工でしょうね……!」
西国の豪奢な首飾りを示されたカタジーナは上機嫌で受け取った。ファティマは全くカルディナ人にしか見えない白い横顔で、笑う。
「美しいものは美しい方が持つのが相応しい。――父が申しておりましたよ、先代ヴァザ公爵は美しい四本の薔薇をお持ちだったと――カタジーナ様は大輪の赤い薔薇のようにお美しいと」
「西国の方は女を褒めるのが本当に、お上手」
「カナンを去るときに残念だったのは――あの薔薇を手折る事が出来なかった事だと――と、これは失礼。父の言葉ですので」
カタジーナは未だ美しい横顔を堪えきれないようにぴくりと震わせて喜びに耐えた。
――父上が視界の端で氷点下の微笑みをたたえたのと、宰相閣下の青い目が一瞬、嘲るような光を帯びたのに私は気付いて――やっぱり胃薬がほしいなぁと思った。
昔、スタニスはカタジーナを「殺しかけた」ことがあるとカタジーナの長女たるシルヴィアが皮肉な口調で教えてくれたんだけど、スタニスは彼女からは距離をとっている。
カタジーナが専ら側に置くのは――迷惑この上無いだろうけれど、非の打ち所がない好青年、ドミニク・キルヒナーとヴァザの信奉者であるリディアだった。
カタジーナは観察してきた私に気づくと何を思ったのか、慈悲深く王子様との会話に加えてくれた。
「――先代の四本の薔薇は萎れてしまいましたわ、時は残酷ね。今はカリシュ公爵の薔薇はひとつきり」
西国風のおおげさな言い回しを真似ながらカタジーナは私に水を向けた。
いやいや、このあいだまで薔薇公爵の薔薇園は数百の薔薇が咲いて大変な賑わいでしたよ!
と惚けたい思いをいだきながら私はニコニコと微笑んだ。
異国の客人の前でまで一族の不和を披露する事はない……。
ファティマの副官、ハヤルが現れて彼は父上や宰相とにこやかに話をはじめ、私はファティマとカタジーナの座るテーブルに座ることになった……。
「薔薇だなんて、伯母はおおげさなのです――薔薇といえば、ファティマ殿下のオアシスにも様々な花が咲き誇るとか?」
「ええ、花が咲き誇り、鳥は歌い……楽園のような場所ですよ。――レミリア様は絵をお描きになるとか一度、見学に来られるといい。ドラゴンに乗ればカナンからは半日の距離だ」
にこり、とファティマが微笑む。
私が絵を描くのが好きだと、そんなことまで知っているのか!
カタジーナは一瞬冷たい目をして私を見たが、彼女もファティマの前で「面白い趣味だこと!」とは言わなかった。
和やかに話題は次から次へと出て来る。
優雅な外見の王子は博識で、話上手な人で――それよりも、聞き上手な人だった。
カタジーナに以前のカナンがどうだったのかを話させ、嫌味にならない程度に彼女を褒めそやし――まるでカタジーナよりもファティマの方が年上に思える……。
良くできた子供を褒めてやるかのように、ファティマは寛大な態度を崩さない……。
「殿下はカルディナのことについてもお詳しいこと!お若いのに、感心ね」
「カルディナとタイスが争う時代は終わりました――それぞれの国の発展のためには民の生活の安定が必要です。生活の安定には和平が重要……和平にはまず、互いの理解が必要だと思っています」
「私もそう思いますわ、殿下」
ファティマは同意した私に笑みを深くした。
彼が微笑むと、彼の瞼の上の傷も動く。まるで蛇のようだ、と私は思った。舌をからからと鳴らしながら光の少ない瞳で獲物を伺うしなやかな低温動物。
「タイスは武張った国柄です。――私の考えは軟弱だと詰られるのですが――賛同を得られて嬉しいな」
「軟弱だなんて、そんな」
「私はタイス人としては――いささか変わった外見なもので――生白いカルディナ野郎と、これはまた失礼――口さがない連中に言われるのです」
ファティマは通りがかった少年を呼び止めて、手招いた。
「そういう意味では――君とは、逆かな?」
黒髪に翠の瞳の少年は驚いたように足を止めたが、深々と頭を下げた。……ヴィンセント!
「今の話は聞こえていただろう?宰相閣下のご子息どの」
「いえ、私はたまたま――」
「繰り返すのは嫌いなんだ。――出来れば、東へ行った同胞とも喋りたい――公女殿、彼を同席させても?」
ヴィンセントが困ったように視線を落とした。――カタジーナは一瞬冷たい瞳をしたが扇子を広げて口元と感情を隠す。
迷ったけれども断る理由が見つからない……。
「――ええ、ヴィンセント座ってちょうだい」
ついぞ出したことのない気取った声で彼に命じ、それから、私はさり気なくグラスを代えるために近くに来た黒髪黒瞳の少年を呼び止めた。
「なんでしょう、公女殿下」
「今日のお菓子は美味しいのね?――どうやって作ったか、殿下に説明して差し上げたいのだけれど」
「……畏まりました。わかるものを呼んで参ります」
黒い瞳の少年は去り、ヴィンセントは言われるままにテーブルについた。




