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111.予兆 3

「お疲れがたまっていらっしゃったのでしょう。……数日は安静になさるように」


 部屋の中でジグムントは胸を抑えてうずくまっていた。

 彼を介抱し、サピア医師は診断と薬を処方して鞄に道具をしまうとくれぐれも、と老人に念押しした。


「隠れて仕事など、なさらないで下さいよ、伯爵」


 ジグムントは礼を言うために立ち上がろうとしたけれど、父上が「安静に」と止める。

 椅子に座って煎じられた薬を飲むと苦い……と顔をしかめた。


「我儘をいうな、ジグムント」

「寄る年波に勝てずに疲れただけですよ。しかし閣下、公爵家には専属の治療師がおられぬのですな。若君はよく熱を出されるご様子、専属の神官をお持ちになっては?」


 ジグムントは薄い水色の瞳で皮肉気に父上を見た。

 父上は護衛にも国教会を使っていないし、確かに高位貴族にしては珍しく専属の治療師がいない。

 ……ヴァザ家を神の子孫と崇める彼らが父上は苦手なのだ。父上は椅子に深く腰掛けながら足を組み替えた。


「息子の件は考えるが、できれば、国教会に借りを作りたくない。それに、異能者に頼って治癒してもらえるのは私達貴族だけだ。民の事を考えるならば国教会の技を享受せず、西国のように医療を発展させるべきでは?」

「西国を尊ぶようなことをおっしゃる」

「事実、我が国より医療面では優れているだろう。外科は無理でも薬草学でもいい。医療知識をもっと民間に拡げるべきだ。カルディナは肥沃な土壌に恵まれている――それなのに薬草学でさえ発展しなかったのは何故だろうな?」

「それは」

「ジグムント、あなたが服用した薬は、元は北の魔女が作ったものだ。それをキルヒナー商会が量産して、サピアのような医師に販売している。国教会は医師の台頭にいい顔をしないだろうが」


 薬をつくる北の魔女か。


 北部に住む少数民族は男女の区別なく魔女と呼ばれてさげすまれるが、特殊な技能を様々持っている。


 私は二人の会話を聞きながら、一人の男性を思い浮かべていた。

 北の魔女にして医師のテーセウス。シン公子の養い親。

 彼も旅の途中で色んな薬をわけてくれた。

 ジグムントは父上の言葉にいささか鼻白む。


「竜族の長が変わり、人と竜族の交流が絶えたままなら、神官たちの血が弱まっていくのも時間の問題だろう。早急に代替方法を考えねばならない。国教会は神官たちの特権を失うのを恐れて、女王陛下が医療改革を進めるのを是としない」


「旧王家の長が、随分と――王家よりな発言をなさるのですね」


 嘆かわし気なジグムントに、父上は首を傾げた。


()()()。そのような呼称がいまだにまかりとおるのがおかしいとは思わないか?私は陛下の忠実なる臣に過ぎぬ」


「先代が嘆かれますぞ」

「ジグムント。それは貴方の意見だ。死者はもはや何の感情も抱けない――その術がない。死者の名を借りて己が感情を代弁させるのは、生者の傲慢でしかない」


 ジグムントは沈黙した。何も今、そんなことを言わなくても。しかし、父上は続けた。


「西国が我らを窺うなか、国境を守るカナン伯が国内の対立を煽ってどうする。王都での残りの滞在は、我が屋敷にいてもらうぞ。カタジーナの屋敷ではなく」

「……閣下」

「旦那様。込み入った話は明日に。レーム卿もお疲れですから」


 スタニスが止めに入ったので、父上はそうだな、といった。すまないとジグムントに一言いい、ゆっくり休めと言い渡して部屋を出て言った。なんとも言えない空気が部屋に満たされる。

 私はつとめて声をあげた。


「あ! そうだ! お茶を淹れようかと思っていたの」

「……ずいぶん冷めてしまいましたので、湯を取り換えてまいりますね」


 スタニスが部屋を出たので私はジグムントと向かい合った……。


「……カナンの事を聞こうと思ったけれど、明日にするわ」

「老人の昔語りでよろしければ、なんなりと……レミリア様も父君と同意見ですか。過去の栄光にしがみつくのは愚かだと?」


 自嘲するような表情に私が何も言えずにいると……、ジグムントは椅子に深く腰掛けて目を閉じた。


「……愚かでしょうな。私も、そう思います……。ですが、私は今でも覚えているのですよ。色とりどりの小鳥が遊ぶ庭、姫君が歌い、若君たちが駆け……、天上のような光景を。だが、その光景を先代国王は欲望のままに蹂躙した……あの血まみれの光景が忘れられずに、私は恐ろしいのです……。ベアトリス陛下が国を能く治めておられても私には恐ろしい。あの暗紫の瞳がいつか流血を望んで我らに敵意を向けるのではないか、と……私怨ですよ」


 ……ジグムントは、ヴァザが滅ぼされた当時、私と同じ年くらいだったろうか。

 先代国王のヴァザやその縁者、門閥への粛正は凄惨を極めたと言うから、想像を絶するものがあったのだろう……。私は上手な言葉が見つからないまま、彼を慰めた。


「疲れているのよ、ジグムント。私は父と同じ考えだけれど……父も私も、卿が苦労なさっているのを知っているわ。父も何も今言わなくてもね……」


 呆れる私に、ジグムントは苦笑した。

 スタニスが戻ってきて、茶を淹れる。ゆっくりと昔話を聞きながら私もそれに付き合う。


「……レミリア様はお優しい、公爵が羨ましいことです。」


 スタニスが苦笑して、茶器を片付けに退室する。

 ジグムントは窓の方向を向いた。


「そうかな?」

「レミリア様のドラゴンは何といいましたかな」

「ソラよ、レーム卿」

「瞳の色が我らと同じですが、彼はヴァザの血縁ですかな」

「そうかも」


 私が彼の真面目な冗談に同調すると、ジグムントはふ、と笑って目を伏せる。


「レミリア様はお一人で、ドラゴンを駆られるとか。――あまり感心はいたしませんな」

「たまに、よ。――ジグムントはヴァザらしいと褒めるかと思ったのに」

「供をおつけなさい、姫様。――いかにドラゴンが賢く、空に危険が少ないとは言え御身に何かあってからでは遅い」


 物悲しげな口調だ。


「……レーム卿はドラゴンには興味がある? ――父はあまりないけれど」


 ジグムントは灰色がかった水色の瞳を伏せたままテーブルの上に置いた自分の右手を眺めた。

 開いて、閉じる。何かを掴み損ねたみたいに。


「昔はよく砂龍に騎乗いたしました……娘も好きでしたが……」

「娘さんはお亡くなりになったと、シルヴィア様から聞きました」

 私がなんとも言えない顔をすると、ジグムントは空虚に笑った。

「――娘は嫡出子ではありませんでしたし、私も大して父親らしい事はしませんでしたから、娘は私を父親とは思っていなかったかもしれません」

「…………そう」


 老人はさきほどよりも、一層、老いて見えた。


「最初の妻と子を亡くした後、あれに会ったのです。カナンに着任して間もない頃。まだ伯爵ではなかったが、カナンを代官として納めていました。……娘の母は裕福な商家の娘で、よく屋敷にも出入りしていた。半分カルディナ人ではありませんでしたし、私の再婚に反対する一族の者も多かった。――あれが、婚姻にはこだわらないと強がるのを真に受けて、長い間日陰の身において……あれが死んだときには、娘には随分と詰られましたよ」


 娘さんは嫡出子ではなくて……。

 だから、スタニスは存在を知らなかったのか。


「ドラゴンが好きで、何かの折に砂龍を買ってやったのですが、何を贈っても喜ばない娘が――その時ばかりは楽しそうでしたね……」


 ジグムントは自嘲するように口を歪めて、息を吐く。

 胸元から何かを取り出した。私は、息をのむ。ジグムントは胸元から懐中時計を取り出した。

 


 ――古い、デザインだ。西国風の。

 


 既視感がある。私の声は、思わず上ずった。



「……姿絵が、入っているの?」

「……ええ、レミリア様……。娘が私の元を去る少し前、腕の良い画家に描かせました」


 窺うようにジグムントは私を、見た。


「見せて貰っても、構わない?」


 ジグムントは黙って私に、時計を渡した。

 どのように開けるのか……、私は知っていた。


 前後にずらせばいいのだ。


 変わった仕様だけれど、以前に手にしたものと同じだから、私にはわかった。時計の中に隠された姿絵を私は凝視する。


 褐色の肌をした、水色の瞳の少女が微笑んでいて彼女の黒髪は艶やかにかつ緩やかに波打っている。


「時計は揃いで三つ作らせたのです。私と、娘と、その母と……」


 ジグムントの声が遠く聞こえる。


「妻の時計は、彼女と一緒に墓に埋めました。残りの二つは娘と、私に……。この世には二つしか、ないはずなのです……」


 私は脳裏に()の言葉を思い出していた。


『この時計は、母の形見なんだ……』


第49部分 47. 我が愛しきヴァザの面々 2

第50部分 48. 我が愛しきヴァザの面々 3


あたりの彼を見返していただければ、という。

一年前の伏線回収でほんっと……。

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