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【幕間】邂逅と追憶 中(三人称注意)

上空でフランチェスカはすぐに後悔した。

眼下に広がる箱のような建物は既にずっと遠い。


 遠ざかるおうち。

 風になびく長い髪。

 ドラゴンの羽音……。


 (こわくない、大丈夫。私はなにも、覚えていない)


 目をつぶりそうになると、フランチェスカを支えていたイェンが嘲笑った。


「ちゃんと目を開けてろよ、でなきゃ意味がないだろ」

「……わかっている」


 もはや無礼だと詰る余裕もなく、恐る恐る彼の上着をつかむ。


「高度をあげるぞ」


 機嫌よく言われて、フランチェスカは思わずしがみついた。

 竜族もドラゴンもまるでフランチェスカの恐怖など意に介さずに風を切るように飛んでいく。

 夜風は冷たく、地面につかない足はおぼつかない。フランチェスカは動悸がしはじめた。


「なかなかいい眺めだろ、王女様」

『なかなかいい眺めだろ?僕のお姫様――』


 反射的にイェンを仰いで、月灯りにその秀麗な顔が『あの人』に重なった。


 似ている?いいや、そんなわけはない。この男はヴァザの人間ではない、竜族なのだ、違う。

 けれど、長い髪が月光を弾いて金色に見える。闇を映した瞳が金と混じって空色のよう。フランチェスカは恐怖に口元をわななかせた。


『ここから落ちたら、――あの女はどんな顔をするだろうね』


 痩せて細くなった手を伸ばし――――。楽しそうに笑った。


 イェンがフランチェスカの様子に首をかしげた。


「どうした、王女?もう、降参か?」


 言って手が近付く、――――、

 違う、これはあの人じゃない、あのひとは死んだ、そもそも私は覚えていない。

 忘れたのだ。

 ――あのひとが、そんな事をするわけがない、違うから!


「おい?」


 イェンの声が『あの人』に似ている気がして、フランチェスカはとうとう、悲鳴をあげた。


「やめて……」

「なに?」

「おねがいっ!いいこにするから、お願いだから、私を落とさないで!ごめんなさい、いいこにするから、ごめんなさい、やめて!」


 身体が固まる。

 ぼろぼろと子供のように涙があふれる。

 イェンは表情を失ってフランチェスカを見つめた。手綱を引いて速度を緩める。


「お願い――また私を――つきおとさ、ないで……」

「……」

「おとうさま、どうか、お願い……」


 しゃくりあげたフランチェスカを引き寄せるとイェンは溜息をひとつついて、降りるぞ、とドラゴンに声をかけた。




 フランチェスカの父、マレクはヴァザ家の遠縁だった。

 シュタインブルク侯爵の従弟でヴァザ家の特徴の金色の髪と水色の瞳を持った男で大層美男だった、らしい。

 らしいと言うのはある時から彼の顔がフランチェスカにはペンで塗りつぶしたように思い出せなくなったからだ。

 フランチェスカを溺愛し、母、ベアトリスとは業務以外は全く口を聞きかず、いつも違う香水の甘い香りがする優しい父。

 放蕩がたたって公には出来ぬ病になったころ――マレクは久々に気分がよいからとフランチェスカを抱き上げてドラゴンでの散歩に誘った。

 5つか6つの頃だ。

 

『おとうさま、どこにいくの?』

『ドラゴンでお空を散歩しよう、僕のお姫様』


 いつものように『僕のお姫様』と呼ばれて、フランチェスカは無邪気に喜んだ。

 母は厳しいけれど、父はフランチェスカの我儘をなんでも叶えてくれる。


 私はお姫様で、お父様は私が一番大好きだからなんでも言う事をきいてくださるのだわ!

 

 フランチェスカはそう、信じて疑っていなかった。

 最近寝てばかりいた父親が起き上がったのが嬉しい。遊んでくれるのが嬉しい。父の大事なドラゴンに乗せてくれる事にはしゃいでいた。

 ドラゴンの背の上で親子は風を楽しみ、マレクは優しく娘に、聞いた。


『ねえ、お姫様……、このまま王宮を出ようか。ここは退屈だ』


 フランチェスカはわけもわからずに首を振った。

 そんな事をしては、いつも仕事で忙しいベアトリスが一人になって可哀想だ。


『だめよ、おとうさま。おかあさまがひとりになってしまう』

『……おかあさまが、すきなのか?』

『だぁいすき!』

『……なるほど、おまえもそちらがわ、か』

『おとうさま?』


 マレクは娘の返答に怒り、ドラゴンの上から地上に落とすような真似を、した。

 やめてと泣き喚いたフランチェスカに辟易とした父親は、煩いと吐き捨てて王宮に戻り、血相を変えたユンカーと近衛隊長に責め立てられた。

 彼らは王女を無理やり乳母から奪って無断で王宮を抜け出した王配に焦り、空での一部始終を目撃して背筋を凍らせていた。


『マレク様!フランチェスカ様はいかがなさったのです』

『聞き分けが悪いから、ドラゴンから落とすと脅したのさ。ったく、泣き止みもしない』

『――幼子に、なんと言うことを』


 非難され、彼は嘲笑った。

 フランチェスカを抱きかかえたまま広い窓から身を乗り出す。父の気に入りの部屋は――花園が見渡せる陽当りの良い部屋は二階にあった。


『鬱陶しいなあ――娘くらい、あの女がまたいくらでも産めばいいだろう?僕はもう協力できないけど、誰か他を当たればいい。なんならユンカーお前がやるか?貴族の女を誑かすのは得意だろう』

『っ殿下!』


 父の手が、フランチェスカを突き落とそうとする予備動作と、ユンカーが身を乗り出すのはほぼ同時だった。

 フランチェスカを抱きとめて、そのまま地上に叩きつけられたユンカーは治療師がすぐさま駆けつけたがそれでも三日死地を彷徨い、フランチェスカも落とされた衝撃で、高熱を出して寝込んだ。


 目が覚めた娘を見て、声を殺して泣きながら「ごめんなさい」と繰り返し謝り、肩を震わせた小柄な母に、フランチェスカは生まれて初めて、母親に嘘をついた。


『どうしたの?お母様。わたし、どうしてここに寝ているの?なんで?』

『ああ、フランチェスカ。覚えていないならそれがいい……怖い事はないのよ。何もなかった』


 そうか、なにもなかったのか。あれはすべて夢の事か。

 フランチェスカは、母の願いを正確に理解しながら重い瞼を閉じた……。


 女王ベアトリスは夫のマレクは病だと触れをだして彼を隔離し――フランチェスカは監視の目のない所では二度と父親に会えなくなった。

 フランチェスカは時折あう父親にも嘘をついた。明るく、あくまで父を慕う可愛い娘を演じた。

 何も覚えていない、何も知らない。


 お父様は私を突き落としたり、しないでしょう?

 だって、わたしをあいしていないなんて、そんなことは、うそ。


 その答えを聞けないまま、父は病から回復しないまま、物言わぬ骸になった……。




 イェンは手近な建物の屋根に降り、ドラゴンからおろしてくれた。砂龍がべろりとフランチェスカの頬を舐めて、グルルと鳴く。


「そいつが、怖い思いさせてごめんな、ってさ」

「……ドラゴンの言葉がわかるの?シンみたいに」

「いや?全く。でもたぶんそうなんじゃないか」


 フランチェスカは呆れた……いい加減な男だ。

 頬に涙の感触がしたので拭おうとするとイェンがフランチェスカのハンカチをとりあげてまるで幼子にするように拭ってくれる……あまりの事に固まっているとそれを怯えと見たのか、くしゃりと頭を撫でられた。

 まるで人が変わったかのように優しく微笑まれる。


「悪かったな、お嬢さん――意地悪して怖がらせた」

「え」

「もう、泣き止んだか?」


 口調が完全に子供をあやすものに変わっていて、フランチェスカは別の意味で赤面した。

 先ほどまでは誘惑する対象だったはずが、あっさりと子供に格下げされている……みっともない所を竜族に見られたのが恥ずかしい……王太子なのに。そして、彼は――フランチェスカと父親の間に何があったか、悟ったのだろう。

 だから同情して優しく……労わられてしまったのだ。ああ、また、恥をさらしてしまった。泣いてしまった余波でありえないことにまた涙ぐみそうになり袖口で乱暴に涙を拭う。


「お、お嬢さんじゃない。――子供じゃないもの。泣いてなんかいないからッ!」

「よしよし、わかった。ごめんな」


 泣きながら抗議すると、またあやされる。

 それが悔しくて混乱して泣きだそうとするフランチェスカが震えてそれを堪えていると、イェンは溜息をついて子供をあやすようにぎゅっと抱きしめた。


「さっきのは、俺が完全に悪い。虫の居所が悪くて八つ当たりだ。嫌なことを思い出させてごめんな。お前は悪くないよ、フランチェスカ」

「嫌な事なんて」

「わかった、なかった。俺は何も聞いていない」

「っ……な、泣いたことを、誰にも言わないで……おねがい……」

「わかった」

「わたしが何を言ったかも、いわないで」

「わかったから、ほら、……我慢せずに泣いちまえよ」


 ますます力を込めて抱きしめられて、フランチェスカは信じられないことに、イェンにしがみついて、わんわんと声をあげて泣いた。




「ほら、顔拭けよ」

「ありがとう、ございます……」

「鼻水出てるぞ、きったねえな。ちゃんとふけよ」

「ご指摘、ありがとうございます……」

 



 涙の発作がおさまり、二人で並んで星をみていると、イェンが毒づいた。フランチェスカはたまらずにハンカチに顔を埋める。

 今まで出会った異性の中で、おそらく一番美しい男にみっともない指摘をされフランチェスカは穴を掘って埋まりたいと切実に思う。

 こんな寒空の屋根の上でみじめに何をしているのかと、つくづく己の浅はかさを呪う。しかも一番の屈辱はどう考えても優しくなさそうなイェンに慰められているという状況だった。


「いいじゃねえか、別に。ドラゴンに乗れなくても」

「……王太子だから、皆、私がドラゴンにのれないとがっかりするんだ。王子じゃなくて。王女で……私は出来が悪いから……人の倍努力しないと、皆の期待に応えられない……」


 すん、と鼻を鳴らすとよしよしとまた頭を撫でられる。


「国王なんか、もっと適当でいいだろ」

「……そうかな」

「優秀なやつに仕事は任せて遊んでろよ。たまに偉そうなこと言って締めてりゃいい。んで、飽きたら辞めろ。おまえじゃなくても、誰かがやりたがるだろ」


 そんな風に言われたのは初めてだったのでフランチェスカは戸惑った。……変な人だなあと思う。


「……今は、私がやりたいんだ。だから、辞めない……」


 イェンは少し、目を細めて、そうかと言っただけで後は何も言わなかった。


「イェンは……どうして北山を出て旅をしているの?」

「レミリアにも聞かれたな、それ」

「……レミリアにも?」


 フランチェスカはレミリアのイェンにぽぉっとなった横顔を思い出した。

 レミリアも案外浮ついたところがあるのだなあと呆れたけれども、今の自分の状況は、彼女よりもずっと浮ついている……。

 イェンは行儀悪く片膝を立てて意外なことに説明してくれた。


「北山は退屈だからと……探している人間がいるんだ。見つかるあてはないけどな――生きているかすら怪しい」

「探している、人間?どこにいるの?私で力になれる?」


 フランチェスカが思わず聞くと、額を小突かれた。


「王太子が私情で見知らぬ奴に肩入れすんなよ。探すのはお前じゃなくて、女王の部下だろ」

「……はい」


 折り目正しく言って反省すると、イェンは笑った。さて、と立ち上がる。


「ありがとよ、気持ちだけもらっておく……そろそろ、帰るか。怖いだろうけど、ちょっとだけドラゴンにのるからな、目を閉じて我慢しておけ」

「……うん」


 子供のように返事をすると、イェンは軽々とフランチェスカを鞍上に抱き上げた。あたたかいなと思って俯く。

 イェンにしがみついて飛び上がって……不思議なことに全く恐怖は無かった。ドラゴンの上なのに。

 ……フランチェスカはイェンにしがみつきながら、目を細めて、空をみあげた。

 きらきらと満天の星は宝石箱の石よりもずっと……美しい。


「賭けは、私の負けだね……」


 ドラゴンの背に揺られながら言うと、イェンは笑った。


「賭けは持ち越し、また今度な」


 今度がある、と言う事だろうか。

 イェンはあくまで紳士的にフランチェスカを塔まで送り、じゃあなと手綱を引いた。


「ま、待ってイェン!私は……時々ここにいるんだ。時々。貴方はまた来る?」

「気が向けばな」

「わ、私は明日もいると思う」


 イェンは金色の目を細めた。


 不快に思っただろうか。はしたないと、思われただろうか。けれど早鐘を打つ鼓動が理性を邪魔する。背の高い竜族の男は無駄のない動きでドラゴンから飛び降りるとフランチェスカに近づいた。

 甘い声が耳朶を打つ。


「……馬鹿だなあ、おまえ。そういう時は『明日も来て』って言うんだよ」


 そっと吐息が重なる。

 ぬくもりが離れ……イェンはまたドラゴンに飛び乗った。砂龍が愚かな王女を憐れむように視線を一つ落とし、気まぐれな竜族は夜の空へ帰っていく。

 

 フランチェスカは去る背中を見ながら、ひとり、石畳にへたり込んだ……。

つづきは近日中と書いておきながら更新無くてすいませんでした。

業務都合の為、(と旅行に行っていたので)次回更新は 10/21か22に!すいません!

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