【幕間】邂逅と追憶 上(三人称注意)
少しだけ時間は遡る。
西国の使者、ハヤルがカルディナを訪れて数日たった頃。
深夜に少女は塔へと向かっていた。
王宮の女王と王女の……、そしてシンの寝室がある区画は厳重な警備体制が敷かれている。誰もが寝付いて息をひそめる中、少女はそっと足音を立てず護衛の目を盗んで部屋を抜けだした。
「フランにだけ教えてあげる、フランの部屋の奥にね、実は隠し扉があるんだ」
シンが王宮に来て一年か二年がたったころ王宮を探検しつくしたシンはこっそり教えてくれた。
ヴァザを滅ぼして、新王朝を打ち立てた祖父は無用だと断じて宮殿を新たに建設はしなかった。ヴァザの王宮はそのまま受け継がれ、最後の王が暗殺を恐れて私財を投じて作ったと言う抜け道や隠し扉、隠し部屋もそのまま引き継がれた。
母でさえそのすべてを把握していないだろう。なにせ、城の設計士まで先王たる祖父が処刑してしまったのだから。
フランチェスカはシンと同じく王宮を探検するのが好きだった。
幼いころはシンやヴィンセントとかくれんぼを、長じてからは、夜更けにこっそりと抜け出して、建物の外れ一番高い塔に向かう事がある。
ユンカー宰相が聞けば卒倒するに違いない。王太子としての自覚が足りない、危険だと母もいい顔はしないだろう。それでも、本当に時折、何かに行き詰まると部屋を抜けだして夜風にあたりに行ってしまう。
「高い所が苦手」
以前、フランチェスカはレミリアに言ったがそれは少し嘘だ。
足音を立てずに階段を上り塔の上から身を乗り出して王都を眺める……夜風が髪を嬲って心地よい。
高い所は嫌いじゃないなと目を細める……。けれど、ドラゴンに乗れないだけだ。高い所をドラゴンで行く。それは、どうしても、恐ろしい事を思い出すから……。
一人になれる場所が、たまにはフランチェスカにも必要で、ここはうってつけの場所だった。
塔の広い窓からしばらく景色を、眺める。
ここ数日の西国の使者の訪問には少しだけ、疲れていた。
「竜族と竜族混じりをこれみよがしに」連れて来たハヤルに、事あるごとにドラゴンに乗れないことをあてこすられて、表情が硬くなるのが分かる。
軍部のハイデッカーやヴァザのカタジーナが王権の象徴たるドラゴンに、王女はいつ騎乗するのか、楽しみですなあとせせら笑われているのを知っている……。
大きなため息をつくと、くつくつと笑い声がしたのでフランチェスカは反射的に身構えた。
闇夜に目を凝らせば、塔の屋根に人影がある。誰何するか身を翻して逃げるかと思うより先に、視界に人が現れた。
「こんな夜更けに一人で散歩か?殿下」
「……貴方は」
フランチェスカの前に音もなく気配もなく姿を現したのは、見事な白髪の長身の男、竜族のイェンだった。
彼の背後では砂竜があくびをしている……。さらりと背中に無造作に流された髪を思わず綺麗だなと見入ってしまってから、フランチェスカは目を逸らした。
イェンはほとんど裸の上半身に雑に上着を羽織っただけの格好だった。カルディナの常識で言えば貴族の男性はあまり肌を露出しないから、若い(と言っても中身は違うだろうが)男の姿は見慣れない。なんとなく居心地を悪く感じてしまう。
「……先客があろうとは思わなかったな。何をしているのです?イェン殿」
フランチェスカがつとめて冷静に、そっけなく、そして敬意を損なわない程度に尋ねると、イェンはにこりと笑って、窓から飛び降りてフランチェスカのすぐそばに来た。
「そうだなあ……」
間合いをつめられてぎょっとする。
金色の獣のような瞳に見つめられて、フランチェスカは思わず一歩下がった。
「ハヤルに言われて、殿下を攫いに、もしくは害しに?」
反射的に胸元の短剣を取り出そうとすると、あっさりと手をねじられた。蒼ざめたフランチェスカの耳元を甘い声がくすぐる。
「……もしくは、単に殿下を誘惑に」
「……ッ!」
吐息が触れそうなほど近くに、酷く美しい顔がある。
「離しなさいッ!ぶれいも……キャッ」
抵抗した手をあっさりと離されて、フランチェスカは無様に石畳に倒れこんだ。
イェンが肩を竦める。
「……反応が予想通りで面白くないな、あんた。色気もないし」
「な、に?」
「よく言われないか?綺麗なだけで面白くない女だって」
思わずカッとなって男を見上げると、イェンは全く意に介していない様子で窓から王都を見渡した。
「俺は単に夜の散歩をしていただけだよ。せっかくいい星空なのに陰気臭いため息をつく陰気な女がいたからなあ……ったく、興ざめだな」
フランチェスカは唖然とした。
昼間のイェンはハヤルのもとで実に礼儀正しく紳士然と振る舞って、母にも実に丁寧な態度だった……、フランチェスカも竜族というのは皆、シンのような貴公子を想像していたので意外だなと思って……実のところ興味深く視線で追っていたのに。
先ほどから、なんという無礼なのだろう。面白みのない……綺麗なだけな、女だなんて。
「――私がどこでため息をつこうと、勝手でしょう!ここは私の王宮なのだから」
らしくなく、むきになって言うとイェンはニィと口の端をあげた。
「それは違うな、王女殿下。あんたの母親のものであって、あんたのものになるとは限らない」
フランチェスカは口ごもった。イェンの言う事は正しい。悔しさに唇を噛んでいると、竜族はさらに意地悪な言葉を王女に投げつけた。
「それで?糞真面目なお嬢さんは何にため息を?」
「く……ぶ、無礼でしょう!」
「別段。俺は別にお前の国民じゃないしなあ……大方、昼間ハヤルが言った嫌味を考え込んでいたんだろう」
あっさりとかわされ、さらには感情を指摘されてさらに言葉を失う。
ハヤルは散策の際に繰り返し告げた。ドラゴンに乗るのがいかに素晴らしいか、そして、フランチェスカはいつ自分のドラゴンを使者たちに披露してくれるのかと。……フランチェスカはドラゴンには乗れないのに。
「ドラゴンに乗れない人間は王には相応しくない、だったか?」
「……あ」
金色の瞳が試すように、フランチェスカを見たので王女は心臓に手を当てた。
傷口をナイフで抉られたような気がしたからだ。……人間に言われたのならば仕方がない。だが、竜族に言われるのは烙印を押されたに等しい。「おまえは王太子にはなれないのだ」と。フランチェスカは……つい、聞いてしまった。
「だ、だから……」
「なんだ?」
「……だから、長は来ないの?私の王太子を祝う席には」
口にしてからフランチェスカは酷く後悔した。なんと無様なことを聞いているのだろう。しかも、よりにもよって、この怪しげな竜族の男に。イェンはさあな、と言って砂竜を引き寄せた。手綱を引く。彼は本当にフランチェスカに興味がないらしい。飛び立って、自分の根城に帰るつもりなのだろう。
「王女殿下がドラゴンに乗れないのは本当らしい……。騎乗すると恐ろしくて泣きわめくと、口さがない連中が言っているらしいな」
フランチェスカはうつむいた。誰が言っていたのかと考えると胃が灼けるような気がするが、事実なので言い返すことが出来ない。
「ま、長にはどうでもいいことだと思うぜ。おまえがドラゴンに乗ろうが乗るまいが、たいして興味がない。あいつは人間嫌いだ」
「……」
イェンは砂竜に跨って飛び立とうとし、ふと思い当ったかのようにフランチェスカを見た。
「――そうだな、……なんなら、俺がドラゴンに乗せてやろうか?俺と賭けをしようぜ、王女様」
「賭け?」
「俺のドラゴンに乗って、王女様が弱音をはかずに王宮の上を一周出来たら」
「……出来たら?」
「俺が長に口をきいてやる」
「あなたが?」
「あいつは俺の頼みは断らない。絶対にな……どうする?」
ばかな、と思う。この男からは嘘の臭いがする。
フランチェスカは伸ばされた手をじっと見つめた。何をばかな賭けに乗ろうとしているのだ、さっさと引き返すべきだと思いつつ、不思議と……逆らえない何かを感じる。甘い声で誘われる。
「……いい月夜だ。眺めもいい」
恐る恐る出した手を強い力で引っ張られて、腕の中に抱きかかえられる。
無礼な竜族からは、かすかに汗の臭いがした。
まとまらない髪をむりやり止めていた髪留めが、かつんと音を立てて石の床に落ちる。
それに意識を奪われる間もなく、二人が空へと舞い上がった。
続きは近いうちに。




