110.予兆 2
半月後、ハヤルは別れの宴で次はぜひカナンで会いましょうとにこやかに言い、 女王陛下を仰いだ。
「時に、フランチェスカ殿下は先年成人なされたとか。王女殿下はカナンにはいらっしゃらないのですか」
女王陛下が曖昧に微笑み父上も少し眉を動かした。
面倒なことをと思っただろう。
「カナンには我が主、ファティマ殿下が訪問させていただきます。そしてファティマ殿下の領地の一つはカナンからドラゴンで半日の距離に位置します。美しいオアシス都市なのですが……」
ハヤルはなおも続けた。
「王女殿下が我が主と友好を深められたらどれだけいいでしょうね……両国の友好の為にも、次代の主同士が仲を深めるのはいいことでしょう?お目通りが適うならばこれほど光栄なことはない」
ハヤルの不躾な提案に、陛下は何と言って断るか、内心で首をひねったはずだ。
唯一の継嗣のフランチェスカを王都を離れ西国にはいかせられないし、第二王子……ファティマ殿下と言うのか……が跡継ぎだとは決まった話ではないのだ。
訪問してはファティマを西国の次代の王だとカルディナが認めたと吹聴され、……面倒な話になりかねない。ハヤルは『認めてくれ』と暗に言っているのだろうが。
ベアトリス女王は腹心を見て、宰相はその意を受けて口を開く。
突然の申し出にも、宰相閣下は平静だった。
ひょっとしたら前々から、この打診はあったのかもしれない。
「これは、楽しいお申し出だがカナンは少々遠いでしょう」
「シン公子は見事な飛龍をお持ちだ。フランチェスカ殿下も騎乗なさるのでしょう?立太子の祝いに砂竜をお連れすればよかったですね」
一瞬、フランチェスカの表情が曇る。
完璧な王太子たる彼女に唯一、欠点があるとすれば、それはドラゴンに騎乗できないことだ。カルディナではドラゴンは王の象徴。しかしながら、フランチェスカはドラゴンには乗れない。
フランチェスカが唇を震わせて何か言う前に、宰相が平静な声音で淡々と言った。
「残念ながらハヤル殿。殿下のご予定は今から調整できはしないのです。……ファティマ殿下の立太子の暁にはきっとご挨拶に参りましょう」
……訳をするなら
『正式に王太子になってから呼べ。挨拶に行くのが誰とは言っていない』
言質をとられない言い方をユンカー卿は熟知している。
ハヤルは笑みを絶やさずにその折にはぜひと嘯いた。つくづくどこまでが本心が分からない人だなあ。
「それでは、公爵閣下のお越しを心待ちにしておりますよ」
「私もだ。ファティマ殿下によろしく伝えてくれ」
「……時に閣下、フランチェスカ殿下がカナンにおいでいただけないのは残念ですが。――レミリア様はおいでになられますかな?」
思わず場の視線が私に集中する。私は……思わず、動きを止めた。父上が微かに目を見開く。
……私!?
「ハヤル殿、娘はまだ成人ではない」
父上の言葉にハヤルは待っていたとばかりに言葉を重ねた。
「おお、そうでした!!聞けば、秋に……社交界デビューされるとか。エスコート役は我が主ではいかがですかな、レミリア様。カナンで社交界デビューされるのであれば呆れるほどの宝石と西国産の絹を贈らせていただきましょう!」
「まあ、面白い冗談ね!けれど、レミリアも秘密にしているだけで相手は決まっているかもしれないし」
さすがに女王陛下が助け舟を出してくれた。父上は私にだけわかる程度に微かに不快を視線ににじませる。
父親を通り越えて直接申し込む話ではないものね。ハヤルはそれに気づいたらしく大げさな動作で胸に手をあて、傷ついた表情を作った。
「これは失礼、私のような異国の者が出すぎた真似を……」
イェンが言う通りハヤルは『ろくなことを考え込んでいない』のだろうか。
おそらくそうなのかもしれない。しかし、断るには……悪くない話だと父上でさえ思っただろう。
女王陛下はフランチェスカのカナン訪問を断った。ここで私が行くと言って、自分の大事な社交会デビューを……西国の機嫌取りのカードとして切るならば、西国にも王家にも「貸し一つ」だ。
西国は王女を引っ張り出すのは無理でも、「旧王家の姫」と公爵と第二王子をつなぐことが出来たと喜ぶだろうし。
フランチェスカの身代わりとして私が行く、と言えば……陛下にもありがたがられるかなあ。
私はそれとは別に、もうひとつ別の事を考えていた。
社交界デビューの相手に誰を選ぶか、というのはずっと頭の痛い問題だった。
このまま王都で、誰かを相手に選んでも厄介なことには変わりないし。
……なにより、私は従兄の事を思い出した。
『ローズ・ガーデン』では私の相手はヘンリクで。
ヘンリクと私はそのまま婚約し、結婚して……どちらも不幸になる。ヘンリクは私がどんな道を選んでも「必ず」死ぬのだ。
彼が私の社交界お披露目の相手になる。
――それが分岐点だったとしたら?
その未来を確実に変えられたら、少なくとも
「ヘンリクが私の婚約者になり、そして必ず死ぬ」
というフラグは回避出来るのかもしれない。
私はにこにこと笑った。
「まあ、素敵! 異国の王子さまがお相手なんて、物語みたいですね」
「これは嬉しい事を言って下さる」
無邪気に笑えているといいけれど……。
ハヤルが笑うと目じりが下がって、彼の眉のあたりの傷も一緒にうねり、彼の笑顔の上を、まるで蛇のように傷が動く。
「お相手はファティマ殿下でなかったとしても、いつか西国にお招きくださいませ」
「ええ、いつか」
ハヤルは機嫌よく請け負うと、では、と女王陛下に別れを告げる。
一行は、帰国の途に就いた。
陛下が考え込むように私を見たのを……、私は気付いていた。
さすがに半月に渡る使者の対応で、翌日は父上はぐったりとしていた。
「あと百年は誰とも会いたくない……」と世迷言を言い残して薔薇園に朝から引きこもっている。
光合成が最近足りなかったみたいだし、栄養補給するのかなあ……。
普段から鍛えているスタニスは涼しい顔でセバスティアンとともに、久々に侍従の業務をこなしていたけどさ。
休めばいいのにと言うと、気分転換ですよと笑っていた。
「みな忙しそうね? スタニスの侍従姿も久々だし」
「本日はレーム卿もお泊りですから、忙しくしております。レーム卿は海の幸がお好きですが、なかなか手に入らないので料理長が焦っておりました。……やはり侍従服の方がしっくりいたしますね」
「侍従への復帰も近いかしら?」
「お嬢様が命じて下されば、いつでも」
スタニスは軽口で応じる。
カナン伯のレームは父上と打ち合わせることも多いので、今日からは我が家に泊まるはずだ。
私がカナンに行くかどうかの決定はまだなされていないけれど父上とも話をしないといけないだろう。
「お茶、私が運ぼうかな? カナンの事をもっと聞いてみたいし」
「茶は私がお持ちいたしますが一緒に行かれますか? レーム卿も、お喜びになりますよ」
スタニスの言葉に甘えて、茶器はスタニスに任せてともに客室へ向かう。
「そういえば、スタニスはレーム卿のお嬢様に会ったことがある? お亡くなりになったとシルヴィア様が言われていたけれど」
スタニスは首を傾げた。
「それは存じ上げませんでしたね。結婚なさってすぐに奥様とお子様を亡くされ、……その後は独り身で過ごしていらしたかと思いますが。たしか、若君だったと……」
「そうなの?」
スタニスが首をひねったので、私の聞き間違いだったのかも……、私は扉を叩く。
返答がない。
「ジグムント? レーム卿? ……いらっしゃらない?」
部屋から出て来ていないと思うけれど。――どうしたのか。
スタニスが耳をそばだて……はじかれたように顔をあげた。スタニスは常人より、耳もいい。
「お嬢様、サピア医師を呼んで来ていただけますか? ――うめき声がします」
私はスタニスの表情の険しさに、言われるまま廊下を引き返した。




