109.予兆 1
西国の使者、ハヤルは、それから半月の間王宮に滞在した。
彼はなかなかに精力的な人で、一つところにとどまることを知らない。
友好と見識を深めるとの名目で王都の各所を見学し――たとえば官舎、学校、軍の訓練、夜は劇団を――国教会でさえ行きたいと言い、国教会は異教徒の立ち入りを嫌がるが、あまり国教会に立ち入りたがらない父上と同行するという条件で彼を受け入れたみたい。
城下にも降りたようだけれど、ハヤルの側に常にいたキプティヤとイェンはさすがに目立つので同行は出来ませんでしたね、とドミニクが教えてくれた。
父上には宰相ユンカーとカナン伯爵、ジグムント・レームも同行していた。
父上と宰相の仲も悪いけれど、ジグムントと宰相もよろしいとは言い難い。
ヴィンセントとヘンリクよろしく使者のまえで衝突でもしたらどうしよう、と思っていたけれど二人とも表面上は平静だった。
……大人だものね……。
彼らの滞在中は父上も一緒に夜会へと駆り出されて、屋敷に帰ると糸が切れたようにぐったりとしていて、今ばかりは軍部から命じられて父上の護衛との名目で側にいるスタニスに、ひきずられながら寝室へ毎晩運ばれていた……。
もっとやさしく取り扱ってあげようよ、スタニス……。そりゃあ父上頑丈だけどさあ……。
「イェン様は以前、カルディナにいらしたこともあるとか」
私は王宮にある国教会の施設――春の祭礼に使用した建物だ――、をイェンとキプティヤに案内して回っていた。といっても神官が説明をし、主にキプティヤが質問すると言った具合なのだけれど。
私の他にも何人かの令嬢が私の手伝いとの名目で同行しているが、彼女たちは神官の話は上の空で美貌の竜族の周囲を賑やかしている。
軍務卿ハイデッカーの姪、ザビーネがしなをつくってイェンを見上げた。彼女、以前は父上に迫っていたような気がするけど。
変わり身早いな……。
「カルディナにいた頃は、国教会の神官になりたいと思っていたこともあるのですよ」
「ご冗談ばっかり!」
イェンは貴公子然とザビーネに微笑みかけた。
ザビーネは隣でとろけそうになっている。
「……私もあんな顔をしているのでしょうか、マリアンヌ様……」
「そうねえ、レミリアの方がもっと……あほ……可愛い顔して見惚れていたわよ?」
彼らを観ながら尋ねると麗しのマリアンヌは容赦なく言ってくれた。……えーっと、あほって言いいそうになってなかった……?
悪戯っぽく笑ったマリアンヌはついで声のトーンを落とす。
「憧れの君に会えたから、レミリアはもっと喜ぶと思っていたわ……何かあった?」
マリアンヌの指摘に私はうん、と頷く。
……スタニスとイェンのやりとりがまだ頭にこびりついていて、イェンと話が出来ない。
「神官を目指していらっしゃったのが本当なら、教義書を諳んじてくださいませ、イェン様」
別の少女がザビーネと反対側からねだる。
おそらく今は異教徒だろうイェンにそれをねだるのはさすがに……、と私は思ったけれど、イェンはうっすら笑い、祭壇を観ながら聖歌の一説を口ずさんだ。
暗闇をたたえ、安寧を望む一節を。
少女たちは素敵なお声……! ときゃあっとなっている。
「私も暗闇は好きですわ」
イェンに謎の主張を試みるザビーネに、さすがに私はこめかみを押さえた。
カルディナの男女関係のタブーは緩い、緩いけれども。宗教施設で軍務卿ハイデッカーの姪が西国の使者を誘惑するのは見逃せない。
彼が何しに来たのかもわかんないしさ。ここにあの、ザビーネ様をねじ込んだのは誰だっ!出てこいっ‼
「イェン様、もうひとつお見せしたいものがありますのよ? 女神の像です……あちらへ」
私があからさまにイェンを誘うと……「光栄です」と猫を被ったままイェンは私のあとに続いた。女神像のある区画には公爵家以上の者でなくては許可なく立ち入れない。
ザビーネが抜け駆けを許さないとでも言いたげに私を睨んだけれど、……無視!
キプティヤは私を面白そうにみるだけで追ってはこなかった。マリアンヌは入口の、けれども私達の声が聞こえないところで見守ってくれている。
イェンは私と二人になると、少し首を傾げた。
「それで――公女様におかれましては、拙めを暗がりにお誘い下さるので?」
「さ・そ・い・ま・せ・ん! 女神像の見学ですっ」
「だよな、残念」
私が目を白黒させると、イェンは艶っぽい表情をあっさりと消して、女神像を見上げた。
「美しき春の女神、か。――お嬢さんにも王女様にも似ているな……」
私は首を傾げた。ほっそりとした女神はどうみてもフランチェスカに相似している。
「――どうしてイェン様はカルディナにいらしたのですか?」
私が尋ねるとイェンはさて、と誤魔化した。
「暇だから……。と探し物をみつけに、かな」
「?」
「いや、いい。――故郷に遊びに来ようと思っただけだぜ」
意外そうな表情に気付いたのかイェンは説明してくれた。
「さっきのあれは嘘じゃない。いつか言ったろ。祖父が人間だったってな」
「あれは本当だったんですか?」
「別に隠していないしな。俺の祖父は生粋のカルディナ人だし、生まれたのもここだ。――それより、先ほどの娘の事ではなく、言いたいことがあったんじゃないのか」
意地の悪い笑みに……、私はちょっと困った。
あるような、ないような。
「……お嬢さんのところの侍従の事か? あいつを虐めないでやれって?」
揶揄する口調に私は反発した。
「……いいえ。スタニスなら、もう立ち直りましたから、身内の事ですので、どうぞご心配なさらず」
「なんだつまらないな。……俺があいつの何か、きいたのか」
私は、いいえ、と否定した。スタニスから何かを聞いてはいない。
「でも、私、わかったと思います。スタニスとイェン様の関係……」
へえ、とイェンは華やかな瞳で私を伺う。
私は唾を飲み込んでから、言った。予測だけれど間違っていないんじゃないのか。
「イェン様は――スタニスの。その……」
「ああ」
「――――お、お祖父さまですか?」
「…………………………………は?」
私が言うと、イェンは目を丸くし……。
一拍置いて、爆笑した。
「くっはははは! ……なるほど! なるほど! ははははははは! そう、――そう来たか」
「ち、ちがうんですか」
イェンは壁に手をついて、体を折り曲げて笑い、ついにはこらえきれずにひぃひぃと言いながら、しゃがみ込んでしまった……そ、そんなに⁉
「だ。だって、その、スタニスのお祖父さまは竜族の方だっていうし、ひょっとしたらそうかなあって。その、スタニスがイェン様を、そのー、くそじじい、って言っていたし」
イェンはお腹を抱えひとしきり笑って呼吸を整えてから、あー、おかしいと涙を拭った。
「お嬢さんはやっぱり変な奴だなあ、この十年で、一番笑った」
変と言われましても、……あんまり嬉しくないのですが……。
「……では、イェン様はスタニスのお祖父様ではないのですが」
「違うね。あんな眼鏡と血縁にされたら困る」
イェンは笑いの発作をおさめて否定した。
「なんでそんな面白い予測に至ったんだ?」
私はじっと美貌の竜族を見た。笑い方や口調、ふとした仕草。目線の使い方とか、そういうものが。
「顔は似ていませんけれど、スタニスとイェン様はちょっと似ているような気がします……」
私がそういうと、イェンは黙って女神像を見上げた。ほんの少しの間、沈黙が落ちる。
「……外れだな。俺はあいつの家族になり損ねた男だ」 「それは、どういう?」
「詳細はあいつに聞いてくれ」
イェンとの関係をスタニスに聞いたら教えてくれるだろうけれど、問いただすのはやめようかな……。言いたくないことは別に言わなくていい。家族だからってお互いの全てを知っている必要はないと思うから。
イェンはふ、と口元を緩めて、女神像に視線を戻した。
「女神像を見るのは久しぶりだ。なかなか面白いものを見せて貰ったよ。ありがとうお嬢さん」
それから私を、女神像のすぐそばにある小窓に手招いた。
「どうかしましたか?」
「笑わせてもらった礼に、――面白い事を教えてやる」
「おもしろい、事ですか?」
私が小窓をのぞくと、隣接する建物への渡り廊下で三人の男性が話をしているのが見えた。
一人は西国人で……後は軍務卿のハイデッカーと……カタジーナ?シモンもいる。
「あいつはハヤルが治める地区の総督府の副官だ。ここ最近ずっと軍部に出入している……あの髭面なんといったかな?軍務卿のハイデッカー」
「副官はハヤルが遊びまわって色んな奴の気を引いている間に、別の奴らと仲を深めている……特に、軍部とな」
「軍部」
私は蒼褪めていたと思う。イェンも小窓に手をかけ、話し込む男たちを眺めた。
「カルディナも西国も、王位の周辺がきな臭いのは変わらん。第二王子の勢力はカルディナの軍部と結びついて、さて、どうする気か」
イェンは私を煽るだけ煽って満足したのか、帰るかと私を促した。まるでこの建物の主のように。
「どうして、あの人たちがあそこにいる事がお分かりになったのですか?そして、西国の方と一緒に居るのになぜ私にそれを教えてくださるんですか?」
イェンはうん? と微笑んだ。
「そうさなあ……、爺さんの秘密を教えてやるよ。まず、ひとつ。この建物のこの小窓から、軍部の連中が見えることを俺は知っていた。――そういう風にヴァザの王族が作ったからだ」
私はぱちくりと、瞬いた。
私でさえ知らないことをどうしてイェンが知っているんだろう。
「……イェン様は、ここに、立ち入ったことがあるのですか?」
私の疑問をあっさりとイェンは解決してくれる。
「この建物はヴァザ王家が竜族の使者を出迎える場所でもあったのさ。俺は何度かきたことがある」
そうなのか。昔は代代わりの度に竜族が来て祝を述べていたと言うから、イェンは竜族の使者としてここに来たことがあるということか。
「王家は知らないのか隠しているのか、ヴァザ王の最後は処刑ってことになっちゃいるが」
イェンは私の足元を指差した。
「ヴァザの最後の王は、ここで最期を迎えた」
「えっ」
思わず私は足元を見た。曽祖父は広間で処刑されたのでは……イェンはなおも笑う。
「そこに首が転がってるのを見たぜ?」
「ええっ」
私は思わず飛び退き、イェンはくつくつと笑った。
じょ、冗談なのかな?本当なのかな?イェンの話はどこまで信じていいのかわからない。
「曽祖父と――最後のヴァザ王と会ったことがあるような口ぶりですね?イェン様」
「まーな、お嬢さんの父君と、恐ろしいほど似ている男だったよ」
――イェンは本当に、何歳なんだろう。
曽祖父は今もし生きていたら百は近いはずだ。イェンは続けた、
「それと、俺の秘密のふたつめ。俺には同族の気配がわかる。――ハヤルの副官は竜族混じりだ。あいつがうろちょろしてんのは、よくわかるぜ」
人の気配がわかる異能というと、レーダーみたいな? それってすごい能力なのでは……。
そういえば、メルジェへの旅でも、たしかイェンは「同族のシンの気配がするから」と船に降りてきたはずだった。
「何を話していたんだろう」
私は小窓を再び覗いた。カタジーナ達は笑いながら軍部の中へと消えていく。
「さあなあ、西国に戻ったら聞いてみるかな」
「……イェン様も西国へ戻られるのですか? 北山ではなく?」
私は彼の背中に尋ねる。
「北山は退屈だ。お嬢さんも、父君と一緒においで。また西で遊ぼうぜ。……ハヤルが何を企んでいるかは知らんが、まあ、碌なことは考えてないと思うぜ……けど、俺なら行くかな」
「なぜですか」
私が聞くと、彼はニィと口の端をあげ、物騒なことを言った。
「退屈しなさそうだろ」
……スタニスがイェンを罵りたくなる気持ちが、ちょっとわかるかも……。
今月の目標はあと3回更新。
 




