ドラゴンノッカー 3
「無理です!」
「即答しなくても」
首を振った私にイザークが苦笑した。
無理です、無理。
私、ドラゴン買うようなお小遣いとか持っていないし。だいたい幾ら位するの?高級車くらい?
私が高価すぎてとても無理だと重ねて断るとイザークは大丈夫、と根拠なく断言した。
「そこまで高価でもないぜ。馬五頭分ぐらい」
「十分高価です!」
こ、この、ボンボンめ。
「公爵家なら、無理のない値段だろ」
「そうなんですか?」
「多分」
イザークが肯定したので、私は目をぱちくりさせた。そういえば、ヴァザ家の収入ってどのくらいなんだろう。
お金持ちなんだろうとは思うけれど、家計のあれこれは母上とスタニスが管理していて、私は生まれてからこの十年間、日々遊んで暮らして来たからわからない……。
「それに私、馬も上手く乗れないのに。いきなりドラゴンなんて」
「不自然じゃないと思うんだ」
「不自然です、思いっきり!」
「大丈夫だって。この前レミリアはドラゴンに助けられただろ?」
「ええ」
私の答えに、イザークは芝居がかった様子で両手を広げた。
「ドラゴンに助けられて、ちょっとドラゴンがほしくなっていたりしないか?ドラゴンに憧れていたレミリア嬢の元に、友人のイザークから相談が持ちかけられる。ドラゴンの卵を買わないか、と。ドラゴンは北部でしか無事な産卵が出来ない。ところが、飛べないドラゴンは陸路で移動するしかない。残された期限は後一月。ドラゴンの卵を無事に孵すために、叔母のカタジーナの領地を通る許可を父の公爵に掛け合うレミリーー」
「待って、待ってください」
イザークの小芝居に私は慌てて割って入った。
うっかり洗脳されそうになったじゃないの、もう!友人のイザークって何。厚かましい!
「話を勝手に作らないでくれますか」
私が呆れていると、イザークがごめん、と肩を竦めた。
「そういう事にしたいわけですね?」
「わけ、です」
協力してあげたくない訳じゃないけど。父上がそんな面倒くさいことに協力なんかしてくれるかなぁ。
姉君のカタジーナ様のこと、大っ嫌いだし、父上。
カタジーナ伯母上に頭下げるくらいなら舌を噛むとか平気で言いそう。それに、馬五頭分の買い物なんて、私にそんな権限はない。
「そもそも、私に何の得があるお願いなんです、それは」
ちょっと冷たく言うと、イザークは「ないよなあ」と肩を落とした。
「無理なお願いだし、公爵家のご令嬢に無礼なお願いをしている、自覚はあるんだ。だけど、レミリアはドラゴンが好きかと思って」
「え?」
「前に王宮でヴィンセントがドラゴンの騎乗練習してたとき、羨ましがってみてただろ」
さすが、よく観察している。
ちょうどあの頃、ヘンリクがドラゴンを両親に購入してもらって、練習していたので、私もドラゴンに一度乗ってみたいな、と思っていた。母上が許可してくれなかったけれど。
だから、ヴィンセントの騎乗風景を、羨ましくみた記憶がある。
「だったら、悪くない機会かも、と思うんだ。レミリアは北部の事情を聞いたことがあるか?」
私は首を振る。
「今の竜族の長は、人間があまり好きじゃない。だから、今まで多少はお目こぼしされていた、俺たち北部民のドラゴン捕獲も、なかなか難しくなってきているんだ。今後、竜族の長が代替わりしない限り、北の山のドラゴンは、ほぼ、手に入らないと思っていい」
「それってどのくらいなんですか?」
「ーー竜族は長生きだから。あと五十年くらい?かな」
「そんなに?」
だから、新しくドラゴンがほしければ南西から気性の荒い砂竜を買い付けるか、密輸か。もしくは繁殖されたドラゴンを購入するしかないらしい。
しかし、イザークが言った通り、ドラゴンは繁殖が難しいのだ。
「気にいらなければ、戻してもらっても構わない。元値で買い戻す。駄目元でいいんだ。公爵になんとか、頼んでもらえないか」
「珍しく、必死なのね」
ちょっと驚いた。
イザークっていつも余裕な印象が強いから、こんな風に頼まれると、面食らってしまう。
「うん、ハナ……ドラゴンの名前だけど。ハナは俺たち兄弟の乳母みたいなもんなんだ。ちっちゃい頃から背中に乗せて遊んでくれて、へこんでるときは慰めてくれてさ。前に卵が孵らなかった時は、かわいそうで。干からびた雛をなかなか渡そうとせずにずーっと鳴いてた。だから、今度はなんとか無事に雛を孵してやりたいんだ。父上は諦めろって言うけど。俺はどうしても諦められなくて」
困ったな。
これを断ったら、私、本当に嫌な奴じゃないか。
でも、なあ。こればかりは私の権限でどうこう出来るような話ではない。
「でも、私、ドラゴンに乗れませんもの……」
ちょっと考えて、でもやっぱり無理だよと私は結論づけた。
穏便に断ろうと首を振る。イザークはなおも食い下がった。
「それは大丈夫、購入してくれたら、特典として国一番の教師をつけるって約束する。あいつに習えばレミリアもすぐに上達するから」
「どなたですの?」
誰に習ったって、私の運動音痴はそれなりにひどいんですけれど?
私が気のない感じで訪ねると、イザークは満面の笑みで答えた。
「そりゃあ、決まってるじゃないか。ドラゴンのことは竜族が一番詳しい。ちょうど王都には竜族がひとりいるだろ?」
「シン様が?」
思わず喜々とした声が出て、しまった、と口をつぐむ。条件反射で反応しちゃったよ。
「シン様に、そんなことさせるわけにはいかないでしょう」
仮にも陛下の甥だよ?男爵家の商品の特典に出来るわけがない。
「あいつなら、喜んで引き受けるさ。シンもハナの事は心配してたし。レミリアがハナの卵を買ってくれたらいいな、ってあいつも言っ……あっ!」
はあ!?
慌てて口を押さえたイザークに、私は柳眉を逆立てた。
シンにまで話しているってこと?
私が買うって前提で?
「私、買うとは一言も言ってないのに、勝手にシン様に話をしてるんですか」
あちゃ、とイザークは天を仰ぐ。
「待った、レミリア、今の失言。今の無し。あ、でも、シンはそうなるといいなーっとは言ってたかも」
「貴方、卑怯って言葉ご存じかしら」
「それは知らないけど、目的の為には手段は選ぶな、って格言なら習った」
そんな格言はカルディナには無い!キルヒナー家の家訓でしょそれ!!
ちょっと協力してあげようかと思ったけど、勝手に話を進めるその態度が気に入らない!
しかも勝手にシンにまで話をつけて!
た、確かにちょっぴり心惹かれる特典だけどさあ。
もう、協力なんかしてやんないっ!とばかりに、ぷいっと横を向いた私に、イザークが頼む、と頭を下げた。
真剣な目で私をのぞき込む。
「……ごめん。レミリア。レミリアが公爵に聞いてくれて駄目なら諦めるから。本当に一回だけでいいんだ。頼む。他にもう、思いつく事がないんだ」
「…………」
私は考え込んだけれども、どうにも、キャパオーバーで処理できない。
ここは、我が家の渉外を召還することにした。
「それで、私をお呼びに?」
キャパオーバーになった私は、侍女に頼んでスタニスを呼んできてもらった。高価な買い物だし、叔母上は絡んでいるし、イザークは脅してくるし。
手に負えません。
「そうよ、スタニス。どう思う?」
とりあえず、椅子に座らせたイザークにスタニスにあらいざらい話させてから、私はスタニスの意見を聞いた。
そうですねえ、と万能使用人は苦笑する。
「まずは、イザーク様はたっぷり反省すべきでしょうねえ。お嬢様のお優しい心根につけこむのはいい線いってますけど、乙女の恋ごころにまでつけこんだら、いけません」
いい線ってなんですかね。
「反省します……」
「恋心じゃありません。単なる憧れですもん。全っ然、特典に心揺らいだりしていませんから!別にシン様に教えてもらいたいとか二人のりしてみたいとか全く思っていませんから」
「お嬢様、人間は真実を隠すときほど口数が多くなるものですよ」
嘘は簡潔に、とにこやかに指摘される。
「…………」
スタニスなんか嫌いだ。
ちょっと笑いかけたイザークは、もっと嫌いだ。
むくれた私にスタニスは再度尋ねた。
「けれど、お話自体は悪くないと思いますよ。お嬢様、ドラゴンお嫌いじゃないでしょう?乗ってみたいですか?」
私は唇をとがらせたまま、考えて…答えた。
「うん、乗ってみたい」
「ご自分のドラゴンが欲しいですか?」
うーん、と首を捻る。そこまでは、どうかな。乗れるかどうかわからないし、生物だし。責任もてませんし。
「家計の負担になるなら、欲しくない」
正直に言うと、スタニスはちょっと、口の端を緩める。
「そこは、ご心配なさらず」
うちは、そこそこお金持ちらしい。
「お嬢様が買うことに旦那様は反対なさらないと思いますよ」
「でも、母上は」
スタニスはちょっとシニカルに笑った。
「ちょうど今、奥様とドミニク様がその話をしていましてね。奥様はいたくドミニク様に同情されていまして」
「えぇっ?」
「なんでも、その老ドラゴンは、ご兄弟の母親のような存在だとか。今にも息絶えそうな様子に夜も眠れず心を痛めておいでだそうですね、イザーク様」
私はイザークを見た。
イザークは寝不足など全く関係なさそうな、健やかな顔で横をむいた。
さては、夜しか眠れず心を痛めておいでですね、イザーク様?
さっき、イザークは自分の独断みたいな事を言ってたけど、嘘だろうな。
思えば、高額な商品が絡む話だもん。ドミニク兄上様も共犯か。
怖い顔して人情話に脆い母上を、あの無害そうな笑顔でドミニク様が泣き落としにかかったんだろう。
温厚そうな顔してやっぱりイザークの兄上よね……。
「母上、承諾なさったの?」
「お嬢様次第だと」
えええー……。責任押し付けられた……。
「私に言われたって困ります。父上が許可するとは思わないし」
スタニスも頷いた。
「まあ、奥様が頼んでも、お嬢様が頼んでも多分無理でしょうねぇ」
眼鏡の鼻の頭を押しながら、スタニスは笑った。だよね。カタジーナ様に頼むくらいなら臍噛んで死ぬとか、平気で言うよねあの人。
「侍従としましては、お友達のお願いごとをお父上に断られて、お嬢様が気落ちするのも忍びなく思います」
うん、私も嫌だよ。罪悪感感じたくないもん。
ですので、と眼鏡の下のスタニスの薄茶の目が笑った。
「イザーク様ご自身で掛け合っていただけますか?」
「本当ですか!?」
機会を与えられると聞いて、イザークの目が輝いた。
「でも、父上って今日は」
大好きな庭いじりの日だよ?
不安の声をあげた私に、スタニスは大丈夫、と笑って見せた。
「趣味は逃げません。商談は逃げます。……たまには旦那様にも世のため人のために役に立ってもらいましょうか。なかなか偏屈ですから、説得出来るか、までは保障しませんよ」
それでは、とスタニスは慇懃に私たちに一礼した。
「旦那様をお呼びして参ります。イザーク様は兄君を呼んで来られてください」
さっと身を翻した。
何事も迅速な人である。
イザークは、緊張した!と椅子にもたれかけた。おい、公爵令嬢の前でだらけるな!
「なんでスタニスに緊張するの?」
私じゃなくて。
イザークはあれ?っと首を傾げた。
「レミリア知らないか?あの人昔、カリシュ公爵の代わりに軍務こなしてただろ。その筋じゃ有名だぜ?」
「それは聞いた事があります。スタニス、軍の経験もあるから、護衛も出来るんだって」
「護衛だなんて勿体ないなぁ。御前試合の優勝者なのに、あの人」
へえー!そんなに強かったのか、スタニス。
なんでも出来るな本当に。
「御前試合優勝って、凄いことなんですか?」
「めちゃくちゃ凄い」
知らなかった。後で聞いてみよう。
後で稽古とかつけてくんないかなぁ、と剣術馬鹿らしい事を呟いたイザークは、立ち上がるとドミニクを呼びに行った。
果たして、趣味を中断され、スタニスに呼び出されたカリシュ公爵は、キルヒナー兄弟から事情を話され、拝みたおさんばかりに懇願され……。
「断る」
ばっさりと切り捨てた。
やっぱり……。




