105.西より風来たる 8
割とムカムカする展開。
誤字脱字誤用があまりに酷かったので修正。
諸々の挨拶……、諸貴族達と軽く挨拶をするために私は父上の後をついて行く。と言っても私は成人しているわけではないのでニコニコと父上の側で笑っているに留めた。
女王陛下とフランチェスカ王女がいる場所で目立っても仕方ないし、――父上に話しかける貴族達とその追従や友好や警戒の言葉を聞きながら私は彼らの名前と顔を一致させる事に専念した。
「やあ、レシェク。今日の相方はご令嬢か」
気易く声をかけて来たのはシュタインブルク侯爵、シモン・バートリだった。
カルディナでは先の国王の粛清により、我がカリシュ公爵家しか公爵は存在しない。父上に継ぐ地位なのは侯爵位の面々になる。シモン・バートリは王家の流れを組む血統だから、侯爵位筆頭と言えるだろう。
『彼の母は、私の母親より身分が高い――彼は私より血筋が正しいと言う自負はあるだろうね』
以前父上は私に話してくれた事がある。お祖母様の事はあまり知らないなと思っていると父上は続けた。
『母はヴァザの一族と言えど――傍系の子爵家の出だ。――元はカタジーナ達の母君の侍女だった』
カタジーナ伯母上達三姉妹の母君は、オルガ伯母上を産んだときの産褥で亡くなっている。
その後、マテウシュ様の手がついて……、婚姻の時には既にお腹が大きかったらしい。
お祖父様は淡白な方だと聞いていたけど、そうでもないのかなあ。
父上は独白のように言った。
『思えば、母には公爵夫人は過分な地位だったのだろうね……、不安気な横顔しか記憶にない』
――母方の身分まで考慮するならば、父上よりも正しき血筋のシモン・バートリは親しげに私たちに微笑みかけた。
その傍らには妻であるオルガ・バートリではなく……父上の長姉カタジーナ・ヘルトリングがいる。
――最悪な組み合わせ。個人的には、ね。
「レシェク、ごきげんよう」
「ええ、カタジーナ」
「レミリアは可愛らしい装いだこと。誰の見立てかしら?」
言っていいものかと言い澱んだけれど、私は口にした。
「……その、アデリナ姉様が……」
アデリナは、カタジーナの次女だ。
母娘の折り合いは頗る、悪い。案の定カタジーナは顔を顰める――かと思いきや、ふ、と微笑した。な、なんだろ調子狂うな。
「さきほど、夫妻で歓談しているのを見たわ――、元気そうで、安心ね。私を見たら不快でしょうから、声はかけなかったけれど」
「伯母上……」
同情した私の隣で、父上が鼻を鳴らす。
「どの口でそれを言うのか、貴女は」
「お父様」
私は父上に批難の言葉を向けたが彼は構わなかった。カタジーナは自嘲するように口の端を歪め、シモン・バートリの腕を摑む指が震えている。シモン・バートリが困ったように彼女を見た。
「――カタジーナ」
「いいのよ、シモン。そうね、わかっているわ――私がいい母親では無かったから、あの子達は私に見向きもしない。自業自得だわ。――けれど、時折それが無性に寂しく感じられて……、レシェク達の仲睦まじい様子を見ると余計にそう感じるのよ……年をとったわね」
カタジーナは失礼、と言って踵を返した。テラスの方へ行く。
「放っておきなさい――レミリア!」
冷たい声がしたけれど、カタジーナは泣いているように見えたし……、私は父の手をすりぬけて彼女の背を追う。
「お優しい令嬢だ」
背中にかけられたシモン・バートリの声はどことなく嘲りを孕んでいた。
テラスから死角になっている場所の小さなベンチに、カタジーナは腰掛けていた。ぼんやりと虚空を見つめている。
「あら、レミリア。来てくれたの?」
カタジーナは涙を拭った。なんだか調子が狂うな。
私はええっと、と言い澱んだ。
「後で、その――アデリナ姉様とシルヴィア姉様とお話をする予定なのです――伯母上も私と一緒に……」
「いいのよ」
カタジーナは苦笑して隣を指し示した。座れということかな。私が隣に来ると、彼女は深く息を吐いた。
「あの子達がレミリアのように優しければよかったのに」
ううーん。それには賛同しかねる。ヘルトリング姉妹は優しいし、どちらかと言えば母娘の不仲はカタジーナに原因がありそうだ。無言の私に、カタジーナは目を細めた。
「……などと言うのは愚痴ですよ。私のせいで娘達とは断絶してしまった」
「――……」
「南部の風習は私には馴染めなくて、私は殆どを王都で過ごしていたし……、婚家での責任を放置していたわ。娘達にも年に何度か会うくらいだったもの」
「……一緒に過ごそうとは思われなかったのですか?」
質問に、カタジーナは暗く視線を漂わせた。
「夫は善良な人間に見えたわ。でもそれは、婚姻前だけだった」
「そうなのですか?」
ヘルトリング姉妹から聞く前ヘルトリング伯爵はおおらかな素敵なエピソードに溢れた人だ。私が疑問を呈すると、カタジーナは口を歪めた。
「あの男にはね?婚姻前からずっと愛人がいたの」
「……愛人、それは」
憎々しげにカタジーナはドレスの膝上部分に爪を立てる。老いたりと言えど美しい横顔に、憎悪の色が滲む。
彼女は吐き捨てた。
「――あの、汚らしい西国の奴隷!」
「……」
「何も知らない善良なフリをして、夫だけでなく、娘達まで誑かして……!だから……私が!」
「伯母上……?」
鬼の形相に私が唾を飲み込むと、カタジーナは我に返った。
それから、皮肉気に喉をくつくつと鳴らした。
先程までの弱々しい表情は嘘のように消えている。色褪せた水色の瞳が私を射て……、瞬きを忘れたかのように捕らえて離さない。
カタジーナは呪詛のようにゆっくりと口にした。
「――私はね、婚家で苦労したのよ。――父は、私の結婚相手選びに失敗しました。だから、そのせいで私はずっと不幸!そう、父上のせい。父上が悪い!」
「お、伯母上」
「けれど、父は美しくて――、世間をよく知らない方だった!だから、仕方ないの――許してさしあげなければ」
私の腕に、彼女の爪が食い込む。私は狼狽えて立ち上がろうとした。
「カタジーナ」
カタジーナは炯々(けいけい)とした双眸で私を凝視する。
「レミリア――貴族の婚姻相手は大事なのですよ。シルヴィアにはせっかく侯爵をあてがってやったのに!今度は身籠る事もできず!――貴女は私を失望させないでちょうだい」
「……なんのことです!」
私が悲鳴のような声を上げて立ち上がったとき、私の視界に人影が見えた。
「――これはこれは、カタジーナ様。レミリア様まで!」
現れたのは見たことがある青年だった。
ハイデッカーの長男だ。彼は少し酔った様子で私達に近寄ると、優雅に腰を折った。カタジーナはくすくすと笑った。
「まあ!ヨハン。偶然だこと!」
「――このような所で何をなさっているのです?」
「姪が気分が悪いと言うので、風に当たっていたのよ――ああ、姪を任せていいかしら?私は戻らなくては」
「ええ、勿論です」
「何を勝手なことを!」
私がカタジーナを見ると、彼女は慈愛に満ちて微笑んでいた。私を嘲るようなシモン・バートリの声が脳裏に蘇る。
(おやさしい……そして、迂闊なレミリア)
カタジーナを追おうとした私の肩を、ヨハン・ハイデッカーが摑む。彼は体格のいい男性なのでびくともせず、カタジーナは焦る私の様子をうっすらと笑い、テラスから姿を消した。
「お久しぶりです、レミリア様。――と言っても親しくお話をさせていただくのは初めてですが」
「――貴方と親しく話すつもりはありません、離しなさい、ハイデッカー……」
ヨハンは低い声で拒絶した私を宥めるように背中を上から下へと撫でた。ぞっと鳥肌が立つ。アデリナが、せっかく見繕ってくれたドレスが汚れたような気さえする。
ヨハンはおぞましい事に、私を引き寄せた。息が頬にかかって背筋が寒くなる。
「そんなに恥ずかしがらずとも」
「貴方は恥じなさい。今なら殴るだけで許してあげるわ」
「怒った顔もお可愛らしい、貴女はここ数年とみに美しくなられた。公爵の過保護が過ぎて滅多に公には顔を出されないが」
「――お離し、大声をだすわ」
「構いませんよ。困るのはあなたですよ、レミリア様。こんな暗がりで若い男女が、何をしていたかと言われるでしょう?」
私は怒りで身をよじろうとしたけれど、彼はびくともしない。何をするつもりだ、という彼への怒りと――カタジーナにのこのことついてきた己の愚かさに震えていると、彼は一瞬力をゆるめた。
「ああ、そんなに怯えない………ぶほっっ」
「離しさい、と言ったでしょう、無礼者!」
小気味よい音がして、私の渾身の平手がヨハンの右頬を打つ。
彼は一瞬、呆然として――怒りもあらわに右の拳を振り上げた。
「殴るがいい、ハイデッカー」
「っ」
「貴方の振り下ろした拳が与える影響が推測出来るのなら、おとなしく手を下ろすことね。今なら貴方の無礼の謝罪だけで留めてあげる。振り下ろした瞬間に、貴方の父もそれなりの代償を払う事になるでしょう!」
「くっ」
「少しでも貴方に知恵があるのなら、どうすれば良いかはわかるはずよ」
ヨハンはそれでも拳を振り上げたまま私を睨んでいる。私達が睨みあっていると、少し離れた場所から、ひどく静かな声が聞こえた。
「ああ、ここにいらしたのですか、公女様」
どこか皮肉な声に、私とヨハンはハッと、声の主を見る。
「……、ユンカー」
「ハイデッカー様、おひさしぶりです」
ヴィンセント・ユンカーは今来たのだろうか?
私達の明らかに緊迫した雰囲気にも少しも動揺せずに、私に向けて膝を折った。
「レミリア様。先程お約束した通り、王女殿下とシン公子がお待ちです。――おしゃべりが楽しいのはわかりますが、時間とお約束は守って頂かねば、私が、主から叱責されます」
ヴィンセントは顔をあげた。それから、確かめるように時計を見る。――この前、壊れていた時計は修理が終わったのか。
「ヨハン・ハイデッカー様」
「……なんだ」
「約束の時間になりましたので、――公女をお連れしても?」
ヨハン・ハイデッカーは所在なくあげた手を、誤魔化すように頭をかき、ぎこちなくおろした。
「好きにするがいい、それでは、レミリア様、ごきげんよう……」
手に口づけられようとしたのを咄嗟に払う。ヨハンは鼻白んだが、さっと退散し、その間ヴィンセントは下を向いて「見ていない」と言うポーズを崩さなかった。
「…………」
気まずい。
沈黙が落ちて私が立ち尽くしていると、ヴィンセントも立ち上がった。
「……殿下とシンが君を探していたのは、本当だよ」
ぽつりと言われて、私は、下を向く。
「ありがとう、ヴィンセント」
「何が?僕は単に、君に声をかけただけだ」
「……言いたいことはわかるわ」
「何も言っていないけど」
「迂闊に、若い男と二人きりになるなんて、君は馬鹿か、とか。愚かだ、とか。自覚が足りない、とか」
情けなさに地面にめりこむほどに凹みそうだ。本当に馬鹿。カタジーナに同情するなんて。まんまと嵌められるところだった。あの人の本性なんて知っていたはずなのに。
ヴィンセントは沈黙して私を見つめると、珍しく気遣うように、言った。
「ヘルトリング伯爵夫人が去った後を君が追いかけるのを、たまたま見ていたんだ。やけに上機嫌なハイデッカーが後を追って……、伯爵夫人が一人で戻ってきた。嫌な予感がしたから追いかけただけ――まあ、偶然だね」
「……そう。……来てくれて、ありがとう」
ヴィンセントは茶化しもせずに、うん、と頷いた。
「もう少し早く来るべきだったね」
「責めないの?」
いつもみたいに嫌味のひとつも貰うかなと思っていたのに。私が彼を見上げると、ヴィンセントは肩を竦めた。
「愚かな男の無礼に対して傷ついている女性に追い打ちをかける趣味はないよ。さ、戻ろう――あいつらのいる場所に戻るのは、嫌だろうけど」
「……平気。もう、回復したから」
私が、唇を引き結ぶと、ヴィンセントは私を先導しながら――出した手を引っ込めた。たぶん、私が、先程の事を思い出して、触れられるのを忌避するのでは、と思ったのだろう。……ヴィンセントは私の前を歩きながら振り返りもせずに、言った。
「今日のレミリア様は、大変お可愛らしい。ドレスも似合っているし、髪も凝ってるし、ええと、イェンに会ってぽかんとした顔はなかなか笑えたし――イザークが負けそうなときに思わず、ぎゃあって令嬢らしからぬ声をあげそうになっていたのも、大変好感がもてまして――」
「なに、いきなり……褒めているの、それ?」
私が呆れて聞くと、ヴィンセントは嘯いた。
「柄にもなくレミリア様が沈んでおられるので、褒めたら気分が上昇されるのではと」
「お気遣いありがとう、ヴィンセント!でも、ちゃんと褒めてくださらないかしら!」
「ええっと……ドレスも髪型もかわいいですよ、レミリア様」
中身を褒めなさいよ!わざとらしい棒読みに私が吹き出すと、ヴィンセントは振り返った。
翠色の瞳が私をみとめて、安心したように瞬く。
「僕が言いたい嫌味は、君に先回りして全部言われてしまったからね?今夜は出番無し……」
「残念ながら、ヴィンセントの言いそうな事がわかるようになってしまったわ!」
私の軽口に、ヴィンセントはくつくつと笑う。
「よかった」
「え」
「やっと笑った」
それから、はい、と手を出されて私は思わず赤面した。
なにその、不意打ち……。おずおずと手を重ねると、ヴィンセントは私の様子に気づきもせずに続ける。
「君を僕が颯爽と助けたのは、先日、時計を見つけてくれたお礼だから、どうぞお気になさらずに」
「颯爽!自分で言うの?」
「素晴らしいタイミングだったろ」
私は彼の腰に下げられていた時計に視線をやる。
「金具、修理できてよかったわ」
「うん……おかげさまで」
ヴィンセントはなおも続けた。悪戯っぽく笑って私を見る。
「それと、広間に戻ればさっきの嫌なことを忘れると思うよ」
「え?」
「君が喜びそうな光景があるから」
私は首をかしげながら、広間に戻った。
 




