104.西より風来たる 7
執政官ハヤルに呼ばれた人物は顔をあげて進み出た。
私を含めてギャラリーは二つの意味でざわつく。
「……女ではないかっ」
吐き捨てるような声が聞こえて、賛同するような、困惑のような声があちこちから上がる。
……ハイデッカー軍務卿の声だろうか。あれは。
カルディナ語を理解しないのか、気にしていないのか、キプティヤと呼ばれた女性はしなやかな身体を西国の衣装につつみ、さっと立ち上がった。
私は彼女の姿に思わず目を奪われた。
イェンの肌を褐色と言うなら、彼女はもっと濃いチョコレート色だ。
濃い肌色と反したように、頭髪は薄い黄土色。癖の強そうな髪は細かく均一の縄目模様に編み込まれて首の半ばまで伸ばされている。
厚めの唇は紅をひいてはいないのに形よく目立つ。そして何より――。
「背の高い女性だ」
父上が感心したようにつぶやいた。
目視だけど、男性としても背が高い父上やイェンと同じくらいの身長ではないだろうか。巨漢というイメージではないが、しなやかな筋肉に覆われているのは見て取れる。
こんなに背の高い女性……はじめて見た。カルディナの女性とは全く違う。
私が彼女をみつめていると、茶の瞳が私を見て、面白そうに笑ったので、はっとなって口を閉じた。い、いかん。見惚れてぽかんとしていたぞ。
「……女性だとは……聞いていませんよ、執政官」
「なにが問題なのでしょう、ユンカー宰相?キプティヤは我が主の忠実な部下、有能な戦士、そして竜族の末裔です」
「わが国では女性は剣を持ちません。――いかな有能な戦士といえど、腕力に差があるでしょう?危険だ」
「何をおっしゃいますか!カルディナは女王陛下を抱く大国。カルディナならばこそ、我が部下は言祝がれると思い連れて参りましたのに」
ユンカー宰相は無表情のまま、列席した貴族のうち軍部の高官を眺めた。
……ハヤルの言い分は全く正しい。私もそう思う。
しかし、軍部は「女ごとき」を推挙され、虚仮にされたと思っていそうだ……。ハヤルは……「嘆かわしいですなあ」と言いながら笑った。
絶対面白がっている。
ハヤルの指摘は正しい、のだけれど、ベアトリス陛下には困った展開だろうな……。女性であるキプティヤを退ければ女性でありながら軍部を掌握する自分を否定するようなものだし、キプティヤを認めれば、軍部のうるさ方から「女王のせいで軍部が侮辱された」とまたいらぬ反感を、買う……。
執政官ハヤルのにこやかな悪意に私がどうなるのか、とハラハラとしているとき……。
『一行に、女性の戦士がいらっしゃることは聞き及んでいました』
口を開いたのは、イザーク・キルヒナーだった。イザークは気負いのない声で、流暢な西国の言葉で言った。
私も嗜みとして学んでいるけれど、ヒアリングはともかくあんな風に滑らかには喋れない……。
座の視線がイザークに集まる。
イザークは今度はキプティヤとハヤルに交互に微笑んだ。それから、座の全員に聞こえる声で言う。
「私のほうが背が低いし、手も短いでしょう?ハンデならお互いさまだ。なんら問題はない――私は若輩者ですが、どうか、使者殿の胸をお借りしたい」
素直に頭を下げたイザークに、キプティヤの琥珀の瞳が細められた。面白い、と言った風に。それから、裁可を仰ぐようにベアトリス女王に頭を垂れた。
ベアトリスはユンカー宰相に合図し、それはスタニスに伝えられた。
「三本勝負とする――お互いに模擬刀を使う――西国の騎士殿よ、刀を選ばれよ」
キプティヤは差し出された幾本かの剣のうち何本かを持って比べ、一つを選び、イザークは迷わずに一つを手に、取った。
「どちらかが、三本連続で勝った場合には、褒美を与えましょう、なにが望みです?」
ベアトリス女王の言葉に、イザークは、こういう場合に決められた儀礼上の言葉を口にした。
「いただけるならば、女王陛下の剣を下賜いただきたく」
「よいでしょう」
使者にも同じ質問が繰り返され、キプティヤは、告げた。
『いと高き方、太陽の国を治める美しくかしこき女王よ、私が傷なき勝利を収めたならば、いただきたい褒美がございます』
『それは何か』
通訳に聞かれ、キプティヤは笑いもせずに言った。
『私の隣に立つ戦士と手合わせをさせていただきたい』
私はぎょっ、とキプティヤの隣にいるスタニスを見た。スタニスが視線だけを動かして、彼女を見て、薄茶の瞳が僅かに不快の色をのせて鈍く光る。
『私はかつて、カナンでこの方を見たことがある。類稀な、素晴らしい剣士だった。いつか、――手合わせを願いたいと思っていた。積年の願いを叶えていただきたい』
…………、西国の言葉がわかるものは、狼狽えた。
スタニスが昔、強い剣士だった事を記憶する者は少なくないだろうが、今は一介の教師に過ぎない。
しかも、女王陛下直属の部下ではなく、彼は私達、旧王家の一族だ……。それを西国の使者が褒めそやすのは、決して女王にとって耳障りの良い言葉ではない。
父上はやれやれ、といった様子で僅かに眉をよせ、義兄を見つめる。
不穏な空気に女王陛下は気付いただろうが、微笑みを絶やさずにタイスの言葉で続けた。
『どうします、サウレ。私は構いませんが。貴方を褒賞にしても構わないかしら?』
スタニスは、ちらとキプティヤと――イザークを見た。
『構いません、陛下』
ですが、と言葉を区切る。
スタニスは、きっぱりとカルディナの言葉で言った。
「彼女の望みは叶えられぬでしょう。私の生徒が、三本続けて敗れるなどあり得ない――準備はいいか、キルヒナー?」
「いつでも」
スタニスは教え子の肩をぽんと叩くと、持ち場についた。
様々な思惑の渦巻く場で、イザークはキプティヤに対峙した。
――二人が向かいあうと一つ半はキプティヤの背が高く、そして腕が長い。彼女が構えるとまた観客のざわめきは大きくなる。
上段に構えたイザークと異なり、彼女は抜刀した剣を持って重心を低くし、右手で柄を握ると左手を添え……左手の腰に添えた。
――私が日本で見た、侍の剣術のような。変わった構え。
「なんだ、あの構えは……」
誰かがつぶやくのが聞こえたが、イザークは動じた様子は無い。
「はじめ」
声がかかる。
静寂の中、間合いを測るように円を描くように二人は動き、――先に動いたのはイザークだった。
素早い動きで型どおりに打ち下ろし――――!
私が金属音に身を竦めて目をつぶると、人の輪から失望の溜息が聞こえた。
「勝者、キプティヤ」
思わず目を閉じてしまった事を恥じながら目をあけると、イザークとキプティヤが互いに礼をして、開始の立ち位置を交換している所だった。弾かれたらしき剣を地面から引き抜いたイザークは涼しい顔のまま、元の位置に戻ると再度構え直す。
苦虫を噛み潰した表情のヘンリクと、心配気なヴィンセントが視界に入る。私は、ハラハラとしながら思わず胸の前で手を組んだ。「あのような男女に負けるなど!」とキプティヤを侮辱する声が聞こえる。
「二本目、はじめ」
事務的な声でスタニスが二人に告げる。スタニスは内心はともかく、狼狽した様子もない。
イザークが、先に仕掛けた。
上段から打ち下ろし、それをキプティヤの斜め下から打ち払う。剣は飛ばされず、――イザークは勢いを殺すためか、後方に飛んだ。着地するイザークを狙って鋭く横なぎに剣が動かされ、イザークは着地するとほぼ同時に剣を地面と垂直にして彼女の攻撃を受け、乾いた金属音が響く――!
誰かが、唾を飲み込む音が聞こえるような、そんな静寂だった。
速さは多分、イザークの方が上だ。
しかし、キプティヤの攻撃の重さはとても女性とは思えない。やはり、ウィラナート・ハヤルの言うとおり、キプティヤは竜族の末裔で、異能があるのかもしれない……!
二人の打ち合いが速くなる。
右から、左、上段から打ち下ろされた必殺のキプティヤの剣をイザークが受け止める。ギリギリ、と火花が散りそうなほど剣同士がせめぎあい、シャリンーーと鋭く高い音が耳に響く。力で圧されたイザークが一歩下がり、たたらを踏むのを見計らって、キプティヤは容赦ない一撃をイザークの首元に叩きつけた。
「きゃっ」
鋭く悲鳴をあげたのは――少女達だった。私も思わず叫びそうになるのを口元に手をあてて、堪える。立ち上がりそうになるのを抑えたのは父上だった。
「勝者、キプティヤ」
冷静にスタニスが告げる。
私が早鐘を打つ胸を宥めるように息を吐くと、父上の指が私の手から離れる。
キプティヤの剣は、イザークの首を打つ事はなく、寸前の所で止められていたようだった。あの速い一連の動きの中で―――。
イザークは悔しさを全く滲ませず、再度、キプティヤに向き直って――構えた。西国の女戦士は勝利を確信したように笑うと、スタニスを見た。
『次は貴方の番だが、月の名を持つ者よ。準備はいいのか?』
『――再度構えて。最後の一本が残っている』
キプティヤはフン、と鼻を鳴らした。
再度、二人が構えて――――、座はざわついた。
『なんのつもり?』
『さあ?』
イザーク!?私も思わず目を丸くした。イザークは、カルディナ流の構えではなく、斜めに剣を控えさせる――キプティヤと同じ構えをしていた。軍務卿ハイデッガーが、苛々と腕を組んだのがわかった。
二本目も完膚なきまでに敗れ、イザークが自暴自棄になったように思ったのだろう。対照的に西国の使者であるハヤルは満面の笑みを浮かべていた。
当のイザークは、涼しい顔だ。
「三本目、はじめ」
スタニスの声がかかる。
低い姿勢から剣を抜いたイザークが、視界から消え、た――――!?キプティヤが息を呑み、乾いた金属音が響く。
勝負は一瞬で、ついた。呆然とするキプティヤの剣は呆気なく彼女の手を離れ、地面に突き刺さっている。
「勝者、キルヒナー」
スタニスが高らかに告げ、座の人々がワッと湧く。イザークは礼儀正しく、元いた位置に戻った。
「い、いまの、なに!?どうなったの?!」
私が狼狽えていると、背後のカミラが解説してくれた。
「自身と同じ構えをイザーク様がされたので、キプティヤは振り上げられる軌道を予測したのでしょう……、イザーク様はフェイントをかけて身体を反転させて、今度は右上から叩き落としました」
あ、あの一瞬にそんな事が!?カミラは幾分皮肉をこめて、続けた。
「――あのキプティヤという戦士は強いですが、どうも人を侮るくせがあるようですね。三本目は完全にイザーク様ではなく、スタニス殿に意識を向けていました」
「そ、そうなの?」
武術は全くわからないので私が尋ねると、カミラは頷く。父上もフムフムと聞いている。
「お父様はおわかりになっていたのですか?」
「私が?――まさか。瞬きしたら終っていた」
……自信満々で言わないでください、父上……。
「私は二本目、イザーク様が故意に負けたように見えました……彼女の油断を誘うために」
「イザークが……」
お互いの開始位置に戻った二人は礼をした。イザークは勝利した高揚感を微塵もみせず、ただ淡々としている。
すごい。イザークはそこまで考えていたのか。
「互いに見事でした!」
ベアトリスが二人を褒め、どこかほっとしたような宰相ユンカーが、場の一同に告げた。
「素晴らしい二人の若者に祝福を!これより、夜会とする――皆、おおいに酒を酌み交わし、両国の友好を深めよ!」
音楽が鳴りはじめ、貴族たちは今度はわっと安堵の入り混じった歓声をあげた。
人々が、思い思いに散らばり、イザークを褒めそやす人波が少なくなった頃、私はカミラとともにイザークに駆け寄った。イザークの側にはスタニスだけがいる。
「お疲れ様、すごかったね!」
「……二本とられたけどね……」
謙遜するイザークに、スタニスがやれやれと息を吐く。
「……わざと、二本目とられやがって」
カミラと同じ指摘をスタニスがする。私がイザークを見ると彼は首を振った。
「まさか!二本目は……出来たら勝とうとは思っていましたよ。間合いを確かめはしましたけど。しかし、彼女は強いや。なみの腕力じゃないし」
「……でも、たった二回見ただけで、いきなりあの構えを真似出来るなんて、すごいね、イザーク」
私が尊敬の眼差しでイザークを見ると、彼は、決まり悪そうに鼻の下を指でこすった。
「いやいやいや……いきなりは出来ないよ。知らないふりをしただけ。油断してくれるかなあ、と期待した」
「そうだったの!?」
驚く私に、イザークは事も無げに言った。西国の剣術を研究したときに、あの構えも知っていて……対抗策をシミュレーションした事があった、らしい。
「実践は初めてだったけど。上手く行ってよかった。剣技だけなら勝てそうになかったから。舐めてもらおうかなかと思って、さ」
「博打だな。だが、よくやった」
スタニスが呆れ混じりに褒め、私もすごいよ!と再び拍手を送った。――――盛り上がる私達四人に、近づいてくる人影があり、私はちょっと息を止めた。
噂をすればなんとやら。先程イザークと打ち合っていたキプティヤが一人で現れた。
「さきほどは」
イザークが姿勢を正すと、キプティヤは破顔して頭を下げた。随分年上のように見えたが、三十にはなっていないように見える。
「――貴方を侮るような態度をとって済まなかった……。大変、失礼をした。私はナシェレ・キプティヤと言う。貴殿の名前を伺っても?」
流暢なカルディナ語に私達は顔を見合わせた。カルディナ語がわかるのか。それならば彼女への心無い野次も全て聞こえていただろう。
イザークは破顔した。
「イザークです。イザーク・キルヒナー。戦士ナシェレ・キプティヤ。これだけあっさり負けたのは久々でした。貴方は、お強い」
「いや、経験値の差だ。――強い若者と出会えて良かった。と同時に私の中の驕りに気づかせてくれて感謝する。機会があれば再戦させてほしい」
「光栄です」
「サウレ殿にも。不躾な事を言いました――貴方に辿り着くには、まず、貴方の弟子に勝たねばならぬようです」
「いや、私の生徒にもよい勉強になった。ありがたいことです」
キプティヤとイザークの二人はにっ、と笑い合い、がっちりと握手を交わした。あ、熱い友情が芽生えている!?
キプティヤは毅然と顔をあげ、自分より背の低い男達の敵意にも似た嘲りと興味の視線をはたき落として、人波をかき分け、キプティヤはハヤルの元へと戻っていく。
なんだか、彼女もかっこいい人だな……。
私が感動しているとカミラから、「レミリア様」と促された。私は父上とともに、色々な方に挨拶をしないといけない。
イザークに「後でね」と名残惜しく小さく手を振ると、イザークは「うん」と私にしか観えない位置で手をあげた。
イザーク回。でした。




