ドラゴンノッカー 2
男爵家の嫡男、ドミニク・キルヒナーは客間に通されると手ずから土産を広げた。
「本日はレミリア様だけにご挨拶をと思っていたものですから、あまりご夫妻向けのものがなくて」
恐縮した風の彼の言葉は柔らかい。
広げられたベリー類はキルヒナー男爵の領地でこの初夏に収穫されたものらしい。王都だとまだちょっと出回る時期は先。
確かに子供向けだけど、果物が好きな私はものすごく嬉しい。
キルヒナー男爵は、領地でとれた特産物を使ったお商売もされていたはずだ。
先代国王から新しい領地を賜る時、広い土地でも王都近くでもなく、交通の要所と豊かな農産地を希望したのは有名な話。そこで得た産物は彼らの一族の生活を豊かにしている。
よく見れば瓶を密閉するためのコルクには、彼らの紋章が刻印されているから男爵家縁の商会が作った品なのだろう。
キルヒナー男爵を旧王家の人々は商人貴族と馬鹿にするが、才覚があるってことだよね。
「おいしい!」
「気に入りましたか?」
「今まで食べたコンポートの中で、一番おいしい!」
コンポートは何種類もあって、いくつかを勧められて味見をした私が、繰り返し喜んでいると、瓶は沢山ありますから後で運ばせますね、とドミニクは微笑みかけてくれた。
眼鏡の下の瞳の色が、とても優しい。
イザークの兄上、ドミニクは確か今年で19歳になったはず。
軍門の家系にお生まれだけど、軍には入らず、男爵のお仕事を手伝っておられるとか。
落ち着いた感じのまさに文官、といった感じの好青年で、イザークと似た感じの人物を想像していた私には意外だった。容貌は似ている兄弟だけれど、雰囲気は正反対だ。
「娘が親しくさせていただいているようで、ありがとう。迷惑をかけていないかな」
「いえ、レミリア様にはいつもよくして頂いています」
父上が余所行きの笑顔で応対し、イザークはにこりと笑った。
イザークに特段よくした覚えは全くないけど私も適当にうふふ、と笑っておいた。こんなに美味しい特典があるなら、イザークとは是非今後も仲良くしたい。ああ、イチジクのコンポート最高。アイスクリーム添えたい。
父上がそこらへんで味見をやめなさい、と私に冷たく言ったので、「はい」と私はお行儀よく返事をした。
あとで食べよう。
「沢山の土産もありがたい。……もう少し話をしたい所だが、私は所用があって。二人とも、ゆっくりしていくといい」
「いえ、お会いできて光栄でした。公爵」
兄弟が頭を下げる。
父上が部屋の外へ出ると、母上はこれまた余所行きの笑顔で二人に応対した。
「レシェクは、はずせない約束が以前からありましたの。せっかく来ていただいたのに、申し訳なかったわ」
そう。父上には「庭師の皆さんと庭の設計計画を練る」という、大事な約束がある。特に今日はミハウさんの古い庭師仲間が来るとかで昨日からソワソワしていたもんな。
別の日にずらしてよというべきか、そんな父上にとっては大事な日に顔を出してくれて嬉しいというべきか。
「それはお忙しいところに」
「気にしなくていいわ。娘の、しかも男友達の訪問ですもの。男親としては、顔を出さなくてはね」
そうそう、気にしなくていいわ、ドミニク様。
これから父上は作業着に着替えて男友達と庭いじりに行くだけですもの~。
「正直、公爵にお会いするとは思わず……近くでお会いするのは初めてで、緊張してしまいました」
父上の美貌に気圧されたらしい青年は、ふうと息を吐いた。
母上はドミニクに椅子を勧めながらあら、と拗ねて見せた。
「私には緊張してくださらないの、寂しいこと」
「そんなことは!困ったな。いじめないでください、公爵夫人」
まあ、母性本能くすぐる系の笑顔。
ドミニク兄、さぞかしもてるだろうな。
私に負けず母上も果物や甘いものがお好きだ。
沢山の賄賂とさわやかな兄弟二人の訪問に、意外にも母上の機嫌はよろしい。
そもそも、ここ数日、なんでか母上の機嫌がいいような気がするんだけど、どうしたのかな?
「イザークもよく来てくれましたね。はじめまして」
ほら!母上のくせに王女のお気に入りのイザークに微笑みかけちゃったりなんかしてるし。
「お会いできて光栄です、公爵夫人」
「レミリアに薔薇園の案内をしてくれたとか。貴方も薔薇がお好き?」
イザークは兄と私をちらっとみてから、母上にニカっと白い歯をみせた。
「俺は薔薇より林檎のほうが好きです」
「あら、どうして?」
イザークは悪戯っぽく笑う。
「薔薇はきれいだけど実が生らないし、食べられないですから」
ドミニクがこら!とあわてて弟を小突き、ヤドヴィカ母上は、ちょっと沈黙した後、軽く吹き出した。
「本当にねえ!綺麗なだけで……、ふふ、実にならないものね!食べられないし……」
「申し訳ありません、礼儀を知らない子供で」
ドミニクが頭を下げたのを母上は気分良く笑って許した。
「ふふ、構わないわ。正直な弟さんね。イザーク様は楽しい方ね、レミリア」
「ええ、いつも楽しいです」
母上、脳裏にどこかの食えないうえに、役に立たない公爵を思い浮かべてませんか?
母上は笑いをおさめると、囁くように声を低くした。
「私も、実は薔薇より実が生る植物の方が好きなのですけど。夫の手前、なかなか言えなくて」
「秘密にしておきます」
イザークが大人びた表情で言ったのがおかしかったのか、母上はまた笑い、二人で遊んでいらっしゃい、と私たちを促した。
薔薇園は今日は行ってはいけませんよ、と釘をさすのは忘れなかったけれど。
スタニスが母上とドミニクと一緒に客間に残り、私はイザークを伴って部屋を出た。
「薔薇園は案内できませんの、ごめんなさい」
屋敷に来た客人は大抵そこをみたがる。
でも今日は作業着の父上がいるからね。
薄幸のカリシュ公爵が泥にまみれて、首に白い布を巻いて、庭師の皆さんと、うきうき額に汗している姿は……イメージがあんまりよろしくないじゃない?
母上も私も「悲劇の旧王家の末裔」たる美貌の父上のイメージを守ってさしあげたいんですのよ…。カー○おじさんはちょっと、受け入れ難い。
「ああ。残念だけど、薔薇園は今度また、レミリアの都合のいいときに見学させてよ」
こういうときに薔薇園に興味ないからいいよ、とか言わないのがイザークの良いところだな。
どういう言動が人を不快にさせるかとかきちんと考えて発言していそう。
「ごめんな、いきなり来て」
「構いませんわ……、それより、私、いつの間にあなたのお友達になったの?覚えがないんですけれど」
図書室がみたいと言うので案内しながら、私はイザークに聞いた。
「そうか?何回も会ってるし。友達って宣言してなるもんでもないだろ?」
あら、お友達認定?
その白い歯と人なつこい笑顔には騙されませんからね、と私は図書室に入ると、くるりとスカートを翻して彼を見上げた。
「お願いって何?」
「うん、実は、レミリアから公爵にお願いしてほしいことがあるんだ」
「私から父に?」
私は首を傾げた。
「それなら、さっきお願いすればよかったのに」
「うーん。正直、今日、公爵とお会いできるなんて思っていなかったんだ。公爵は、客人にはほぼ会わないって聞いていたから」
その予定だったんだけれどな。
「娘の自称男友達が、気になったんじゃないかしら」
私が適当に言うと、愛されてるんだなあとイザークは変に感心している。
レシェク様は薔薇とご自分のご容貌にしか興味がない、という世間の噂とずいぶん違うと思っているのかも。
確かに私が死にかけてから、父上は妙に私に優しい。
スタニスは「昔から旦那様はお嬢様を、とても大切に思ってらっしゃいますよ」なんて言ってたけど、疑わしいなー。
「頼みごとって?あまり期待はなさらないでね」
父上が私に愛情を真に抱いているかどうかはともかく、父上は気まぐれな上に頑固だから、娘が可愛くお願いしたところで、聞いてくれるかは非常に微妙。
イザークは駄目もとなんだ、と肩をすくめ、話を切りだした。
「キルヒナーの屋敷にはドラゴンが二頭いるんだけど」
「ええっ!?」
私は話の最初から声をあげて驚いた。
ドラゴンはそうやすやすと手に入るものではない。王都に…百いるかいないか、と聞いたことがある。
そのうち十数頭程度が陛下の所有で、あとは有力貴族が一頭所有していれば、大変羨ましがられるだろう。
北方の山でしか生息しないから希少だし、捕らえるのが大変だから、とても高価。北方にはもう少しいるらしいけれど。
さらに高価なだけではなく、扱いがひどく難しいのだ。乗るのが難しいし、せっかく飼い慣らしても機嫌を損ねると隙をみて勝手に飛んで逃げちゃうって話も聞くし。
それを二頭!
「キルヒナー男爵家って、本当にお金持ちですのね」
「父上が商売上手なんだ」
私が感心すると、イザークはにや、と笑った。
「でも……すごいのね」
「うん、本当は金で買った……わけじゃなくて。女王陛下が所有してるドラゴンを捕まえたのは、うちの商会なんだ。北部にあるから」
果物からドラゴンまで。手広いなあ、キルヒナー商会。
「その時に父上が特別に願って、陛下からドラゴンを二頭譲り受けたんだけど。この二頭が番になって、そろそろ卵が生まれそうなんだ」
ドラゴンの赤ちゃん!!
うわあ、と私は感心した。なんだかとってもファンタジー。
卵から出てきたドラゴンってどんなのだろう。ぴよぴよ鳴くのかな。可愛いのかなあ。
「すごくおめでたいことですわね……」
私がほえほえとドラゴンベイビーを想像していると、それが困ったことになって、とイザークは肩を落とした。
実は、以前にもドラゴンが番になったことがあるらしい。
喜んだ陛下は誕生を心待ちにしていたが、卵の中の雛は殻を破れないまま死んでいた。そんなことが何組か続いた。
ほかの貴族の所有するドラゴンも同じで、王都では雛は孵らないものらしい。
繁殖をなんとかせよと命じられたキルヒナー男爵が、北の領地でつがわせると、これはなんと、上手く雛がかえった。
ドラゴンの妊娠に気づいて慌てて領地に帰らせて生ませた卵も、きちんと孵ったらしい。(そのうちの一頭はシン様が乗り手なのだとか。私を乗せてくれたドラゴンの事かな?)
どういう理由かは謎だが、北部でしかドラゴンは孵らないのだ、とキルヒナー男爵は結論づけた。
以来、領地でつがわせるか、妊娠に気づいた時点で母ドラゴンを領地へ飛ばせるようにしているらしい。
飼い馴らしたドラゴンはあまり卵を産まないけれど、これまでに五頭がかえって、三頭が人を乗せるまでに成長した。
これは、それなりに凄いことらしい。
つがわせないという選択肢はないんだろうか?と私が疑問を口にすると、イザークはため息をついた。
「番にならないように、気をつけて雄と雌をわけたりするんだけど。あいつら気に入りのドラゴンと離すと、途端にむくれて言うこときかなくなるし。だったら卵が腹にある時点で領地に帰らせりゃいいんだけど、最初はわかりづらいんだよなあ」
「そうなんですか?」
「ドラゴンの卵は母親の体の中に十月十日いるんだけど」
「人間と同じですね」
「見た目でわかるのが、八ヶ月目近くなってからなんだ」
十月十日は、実際には九ヶ月と少しの間だから、卵に気づいてから生まれるまでに二ヶ月程度しかないことになる。
さて、そのイザークのドラゴンは、先日、怪我をしたのだとか。
自由に野山で遊んでいたところ、翼を木か何かにひどくぶつけたらしく、翼を折って、飛べなくなってしまったらしい。
その治療に来た獣医師が、異変に気づいた。
お腹に卵がある、と。
「翼以外に異常はないから、卵を生むのは大丈夫だと思うんだけどな」
生むまでに領地に戻さないと、多分、卵は孵らない。
ドラゴンは飛べないし、陸路で行くしかない。
しかし、もう時間はない。
「もう少し前に気づいてたら、うちの領地を経由した陸路でいったんだけど。気付かなくてさ。あいつ随分、おばあちゃんドラゴンだから、まさか、まだ卵が産めるなんて思わなかったんだ」
イザークは悔しそう。
「獣医がいうには、産卵までにあと二ヶ月かからないだろうって」
さすがのドラゴンも産卵日が近づくと全く動けなくなるらしい。とすれば、領地まで、あと一ヶ月半程度でいかないといけない。
「領地まで、陸路だとどのくらいかかるものなんですか?」
「通常で一月半、でも、ゆっくりな行程になるからな、二ヶ月かかる。それじゃ遅い。近道が出来たらいいんだけど。……そうしたら一月で行けるんだ。途中で産ませてもいいけど、その土地で雛がかえるのかわからなくて」
イザークは私をみた。
「その近道って、ひょっとして」
私は頭に地図を描いて、ピンときた。
「そう、ヴァザ家の領地で……、今はカタジーナ様が相続された土地を通る必要があるんだ」
うわあ……。
私がそれは無理だろう、という表情を浮かべたのに気づいたのだろう。
イザークは、うん、と頷いた。
カタジーナ様は父上の一番上の姉君だ。
先代国王の家臣に嫁し、二人の姫君を生んだ。ご主人と死に別れた後、婚家から、ヴァザの家に戻っている。
それを哀れに思った父上が(というのは名目で、父上を溺愛する姉上と一緒の屋敷に居たくなかったらしい)飛び地の領地を叔母上に分割して相続させたらしい。
「父上から一度、カタジーナ様にお願いにあがったんだけど、けんもほろろでさ。ドラゴンのような恐ろしい生き物は平和な我が領地には相応しくないから、別の道でお帰りくださいってさ」
そりゃそうでしょうねえ。
カタジーナ様は陛下をそれはもうお嫌いだから。
勝手にライバル視していると言ってもいい。そんな陛下の子飼い中の子飼い、キルヒナー男爵の願いなど聞きたくもないだろう。
それに、叔母上の領地をわざわざ通らなくてはいけないのは、キルヒナー男爵がドラゴンの体調に気付かなかったせいで、カタジーナ様が断って雛が死んでしまったとしても、責められるいわれはない。
「お礼ならする、って父上も頼んだんだけど」
「カタジーナ叔母上なら鼻で笑って断りそうね」
金で解決しようとするとは品がない云々言ったんだろうなぁ。
図星だったらしく、イザークは遠い目をした。
「諦めたくないんだよな。あいつ、卵産めるの最後かもしれないし、なんとか、雛を孵らせてやりたいんだ」
イザークのちょっと悲しい口調に、私も思わず考え込んでしまった。
聞けば、以前、雛が死んでしまった卵の親ドラゴンは、キルヒナー家のそのドラゴンなんだとか。
確かに、卵が二回もかえらなかったら、可哀相だ。
イザークは同情した風の私に、頭を下げた。
「だからレミリア、ドラゴン買わないか?うちの商会から」
はぁ!?
私は目を丸くした。




