99.西より風来たる 2
「――ってそろそろヴィンスを助けたほうがいい?」
「……!そうね」
イザークの指摘に私は子供たちと遊んでいるカミラとヴィンセントを見た。
ソラが、はむはむとヴィンセントの髪の毛を甘噛みしている。ソラは愛情表現で髪の毛を噛むのが好きなんだよね……毛づくろい?
私のドラゴンは子供を二人を背に乗せて歌いだしそうな具合にご機嫌である。
「キュキューキュキュ」(こぶんタクサンフエタ!モッテカエル!)
「ソラ、だめよ。髪の毛を噛んだら!」
「キュキュキュー!!」(そら、ハムハムスキ。ヤメナイ)
「ほら、離れないと」
「キュー」(…ハァイ)
私がもう一度言うとソラは諦めてヴィンセントの髪の毛を離した。
「ご、ごめんなさい。髪の毛が……」
「大丈夫。アルも――シンの相棒もよくやるよ、慣れてる」
「でも、髪の毛……」
私がハンカチを貸そうとするといいよ、とヴィンセントは手を振った。
「君にはよくハンカチを借りる羽目になるから」
「え?」
「なんでもない」
ジェナ神官が苦笑しつつ、私たちに近づいた。
「水場がありますから、どうぞ」
「遠慮なくお借りします」
ヴィンセントがジェナに礼を言って足を進めるので思わずついて行ってしまう。桶に水を淹れるとヴィンセントは思い切りよく洗った。意外に豪快だね、ヴィンセント……。水に濡れた黒髪を絞っている彼を私はまじまじと見つめた。
「ヴィンセントって癖毛なのね」
「うん?」
「くるくる巻いてるから」
ヴィンセントはちょっと嫌そうに鼻にしわを寄せた。
「――癖は多少あるよ」
「なんだか、可愛いわね」
「かわ……っ」
私が褒めるとヴィンセントが実に嫌そうな顔をした。なんだよ、褒めてるのに。嫌味大王様はフンと鼻を鳴らした。
「――男に向かって淑女が言う言葉とは思えませんね」
「あら、それでいくとヴィンセントは私を淑女だと思っていてくださったのね?嬉しいなあ」
「一般論ですよ、君がどうとかじゃなく」
失礼な。私が反論しようとした時、髪の短い黒髪の少女が現れて、ヴィンセントに布を差し出した。
「ありがとうございます」
「――――」
まるで男性のように髪を短くした少女は無表情で私達に何か指で模様を空中に書くと一礼して下がった。年の頃は私と変わらないと思う。
「……無言、修練生か」
「ええ。ひと月前に来た時もいたから……」
通常、国教会の神官になるには子供のころから修練が必要になる。国教会は十二歳になる前に神官になれそうな血筋の子供たちを集めるから。それとは別に、色々な事情があって十五を過ぎて国教会の神官を目指すものを修練生と呼ぶらしい。彼らは国教会に入ってから一年間、外部の人間の前では無言で過ごすことを義務付けられる。国教会の中であっても、求められない限りは沈黙を良しとされるとか。
なんて理不尽な制度!と思ったけど……国教会も色々と秘密が多そうだからね。情報漏えいを恐れての事、かもしれない。しかし、一年間ほぼ沈黙かあ。
「私には耐えられそうにないな、一年間も……」
髪の毛をふきながらヴィンセントが言った。
「……君にはそうだろうね」
「……ヴィンセントも一年間嫌味が言えないなんて、辛くて泣くわきっと」
私たちがにこにこと友好的に微笑んだとき、イザークとジェナ神官がやってきた。幼女のティアがイザークの足にまとわりつきながらやってきた。人見知りのティアはイザークにお兄ちゃんにすっかり心を許したらしい。私は一半年かかったのになあ。嫉妬してしまうよ!
「レミリア、俺とヴィンセントはそろそろ戻るけど、レミリアたちは?」
「そうね、そろそろ帰らないといけないね……」
「ねーちゃ、またくる?」
「うん、来月また来るね、ティア」
ティアがしょんぼりして目が潤み始めたので、ジェナ神官が彼女を抱き上げた。私達から少し離れたところに控えていた先ほどの修練生を手招く。
「さあ、ティア――私と帰ろうか」
「ん」
「いい子だね――ステラ、ティアを頼むよ」
修練生の名はステラと言うらしい。彼女は無言でジェナ神官から幼女を預かった。彼女は背が高く、がっしりとしている。私がなんとはなしに彼女を見ていると、彼女は目を伏せた……。なんだか、不躾に見てしまったかもしれない。
「修練生が孤児院にいるなんて珍しいですね?ジェナ神官」
「ああ、ステラも今月までの手伝いなのですよ……彼女は来月はセザンに戻ります……、どうも元は裕福な家の娘らしいのですが、神に身をささげたいからと半年ほど前に国教会に入信したのですよ。本当は身元の確かなものでないと許可しないのですが、アレクサンデルが許可しようと言ってですね……」
あの少女は国教会の本拠地、セザンに戻ればアレクサンデル付になるのか。私はへえ、と言い。イザークがすこし悪戯めいてジェナ神官に聞いた。
「神官長補佐と言えど、名前で呼ぶんですね」
ジェナ神官はアラ、となんだか妙につやっぽい仕草で口元に手を当てた。
「アレクサンデル様、とお呼びしたつもりでしたが、ふふ。子供のころから存じ上げておりますもので、つい」
ジェナ神官はにこやかに笑って誤魔化した。ジェナ神官は柔和な人だけれど、たまに舌の上に毒を乗せることがあるからなあ。今度、アレクサンデルをどう思っているのか聞いてみようか。もしもアレクサンデルが……ヴァザを嫌いなままで、私や家族に危害を加える気でいるなら、対抗する手段位は探っておきたい。
「アレクサンデルと言えば……」
イザークとジェナ神官が会話しながら歩く後ろでヴィンセントが私に話しかけて来た。
「ヴァザ家のレミリア様をお誘いしたいって?」
「……さあ、噂は聞きますけれど……」
私はとぼけた。ついでに、聞いてみる。
「例えば私がアレクサンデルに社交界デビューの相手役を頼んだとして……、どなたかお困りになる?」
「どなたか、とは」
「ユンカー様……の父上」
私が横目でヴィンセントを見ると、彼は苦笑した。
「どうだろうね……そこまで困らないとは思うけど……父の思惑云々じゃなくて、単に個人的な興味だよ……。彼を相手にするのは、個人的にはすすめないかな」
「どうして?」
「アレクサンデルは……涼しい顔をして、何を考えているかわからないから」
「なるほど」
「……君は彼と親しいと思ったけど、違うの?」
私は首を振った、カミラが、ソラの騎乗の準備を整えてくれている。ユリウスの事で相談に乗ってくれるけれど、私は彼とは親しくない。
……悪夢の中で父上に毒杯を渡したのはアレクサンデルだ。だからあまり、信用できないと言うのもあるけど。私は首を振っただけで、ヴィンセントに詳しくは語らなかった。ゲームの中で敵対していたから苦手なの、なんてことは言えないしなあ。
「レミリアもう帰るの?」
「また来月来るわ」
「えー、ドラゴンを置いていってよ!」
「あら、駄目よ。ソラは私のドラゴンだもの」
私と言うよりソラと別れを惜しむ子供たちにさよならを言い、私はイザークたちにも別れを告げた。
「また!今度は殿下のサロンに行くからその時に会いましょう!」
私とカミラはソラに跨り、上空へと飛び上がった。二人は軽く手を上げて見送ってくれる。思いがけず会えて嬉しかったな。
屋敷に戻り、私は中庭へと向かった。そこなら、まだソラと遊んでいられる。
帰り際、子供たちを見つめて名残惜しげだったソラの首筋を撫でた。
「お友達増えたのに、寂しいねえ、ソラ。また遊びに行こう?」
「キュー……」
ソラはちょっぴり悲しそうだ。よしよし、と首を叩いてやると、ソラはグル……と珍しく唸って視線を私の後ろに向けた。
「……ソラ?」
私が目を向けると、そこには一人の老人が居た。彼の背後では、女中頭のヒルダがすこし困った顔で老人を見つめていた。
「ジグムント!どうしたの?」
「レミリア様、急にお邪魔させていただいております。申し訳ありません」
「いいけれど」
西国、タイスとの国境に位置するカナン領の伯爵、ジグムント・レームだ。
何ごとだろうか、と私は首をかしげた。




