96.劇場へようこそ 9
部屋では扉が開いたままで――、伯母上と父上が話し込んでいた。姉弟だけど、まったく似ていない二人だ。
「貴方も絡まれたの?――あれは、印刷会社の男よ。社交場に置く……、王都の富裕層が読む冊子を作成している会社の男」
「冊子?」
さきほど、私と父上に突撃しようとした男性のことらしい。――新聞は、流通の関係でカルディナにはないが読み物はあるみたいだった。
「月に一度、紳士たちの社交場に置いてある読み本ね。大体は好き勝手に貴族の醜聞を書くのだけれど――」
「貴女の名前はよく出るわけか?」
父上のツッコミに、オルガは鼻白んだ。オルガの華やかな噂は……うん、多いね。一度意を決して「あれは本当ですか……?」とこっそり聞いたことがある。「秘密よ。話半分に聞いてちょうだい」との事。
半分は本当なのかなあ。さきほどあったクラウス氏は確実にオルガの信奉者だ。堅物のジグムント・レームだって、オルガが傍にいると嬉しそうだしなあ。あと、ユリウスもそうだった。
「濡れ衣よ。この前なんか、……いいのよ私の事は。貴方の再婚が話題になっているから、一言欲しかったんでしょうね」
「迷惑な話だ」
私が開いた扉をノックすると、オルガが手を振った。
「いらっしゃい――あら?おちびちゃんも来たの」
「おばうえ!」
え!と私が思う間もなく、ユリウスが――とっくに寝ている時間なのに、オルガに飛びついた。オルガはソファの上で相好を崩して、ユリウスは伯母の胸に顔をうずめる。
「申し訳ありません、お嬢様……お坊ちゃまは、先ほどまでは寝ていらしたのですが……その、目を覚まされて」
ユリウスの侍女と――侍女頭のヒルダが申し訳なさげに私を見る……仕方ないかあ。
「大丈夫、あとで私が寝かしつけるから」
私は微笑んで父上の横に座った。オルガはユリウスを抱きかかえてあやしている。
「――伯母上、重くないですか?」
「ちっとも!――ねえ、ユーリ。おめめさめたのね?」
「おばうえにあいたくて、おきちゃったの、きょうはぼくとねる?」
ユーリ?口説いてない?それは。
「ユリウス!まずは挨拶を」
父上が多少厳しい声でいうと、弟はぴょん、と伯母の上に立って挨拶をした。
「おいでなさいませ、おばうえ。父しゃま、ねーね、おかえりなさい」
「よくできました」
私が笑うとユリウスは満足したらしく、オルガの横に座った。
「ぼくもおはなし、ききます」
「おませさんねえ」
背筋を伸ばしてユリウスにオルガは苦笑する。――私たちが仕方ないか、と諦めて話を続けていると……、ものの十分も経たないうちにユリウスは船をこぎ始めた。
「寝室に連れていきましょうか」
「いや、いい。私が連れて行こう――ユリウス、立ちなさい」
「とうしゃま?」
寝ぼけ眼の弟を仕方ないなと父上は抱き上げた。――寝かしつけてくる、と私たちを振り返った。
「すぐに戻る、しばらく二人で話をしていてくれ」
「わかりました、父上」
父上の背中が消えるとオルガは苦笑した。
「――すっかり父親が板について」
「はい」
母上がなくなって、私は半年は弟に近づけなかったと思う。色々なことを思い出してしまって。その間父上は抜け殻のようになってしまった娘を辛抱強く見守って――弟とも出来る限り側にいてくれた。父上は何もできない父親だと、自分を責めているようだったけれど……あの時に父上が折れなくて良かった、と思う。本当に。
私は微笑んで、でも、と言った。
「ユリウスは、寂しいのかもしれませんね。母親がいなくて――私ではやっぱりいたらないから。オルガ伯母上やヨアンナ伯母上のように、優しく出来たらいいんですけど、ついきつく怒ってしまって」
だから、オルガやヨアンナが来ると甘えるのかもしれない。私が少し寂しく思っているとオルガは私の横に座りなおした。それから手を伸ばして……私の鼻をつまむ。
「おふぉふえ!?」
「つまらないことを言わないの。――私もヨアンナも、あの子が甥だから甘やかしているだけよ。家族にはなれないわ――どうしたの?弱気ねえ?カタジーナがまたレシェクの嫁候補でも送り込んできた?」
「いえ!まさか――ただ、父上の再婚話もあるのかなって」
「……具体的に何かあるの?」
「い、いえ、まさか!」
オルガは笑った。
「若い男ですもの。ないとは言えないけど――レシェクが再婚話に乗り気と言う話は聞いたことがないわね」
「でも、女王陛下の話は?――印刷会社の男性が言った噂は真実味があるんでしょうか。陛下は再婚を考えておられるとか」
「ベアトリスが?ないわね。彼女がそう望んでも――貴族連中が許さないわよ。ヴァザの領土と直轄地が、王家の者になってしまうわ――まあ、ユリウスに爵位を継がせてレシェクが王になると言うならともかく……」
オルガは苦笑した。
「――貴方の父上は王には向かないと思うわよ?国の世話より、庭の世話が好きですもの」
「確かに」
「安心なさい。レシェクに聞いても同じことをいうから。女より薔薇を愛でている方が楽しいって」
「言いそうです」
私が笑ったところで、父上が戻ってきた。
「なにか楽しい事でもあったのか?」
「いいえ、なんでも――そうそう、この前の約束だけれど」
オルガはごまかし――、バッグを開けると私達に一つの紙を取り出した。
表のように――文字が一つと、数字、情報が示してある……一見すると劇の配役のようだ。
「――これは?」
「カタジーナが、あなたとレミリアに押し付けようとしているお歴々の名前――誰が、どの文字かは……一度しか言わないから、覚えてね?」
以前、オルガは、自分の養い児のアロイスの後見を父上に求める代わりに、カタジーナが気に入っていて、かつ私達に娶せたい人々のリストをくれると言っていた。今夜は劇の鑑賞の礼と言うより、このために屋敷に来たのだろう。
私は紙を見た。結構あるから覚えるの大変そうだなあ……。記憶力にそこまで自信がないぞ。父上は器用に片眉をあげ、手を頭上で二回叩いた。
「お呼びですか?」
扉の前に控えていたスタニスが入室してくる。
「スタニス、お前も一緒に聞いてくれるか?――私には全て覚える自信がない」
父上が理由を喋ると、記憶力が異常にいいスタニスは「畏まりました」と請け負った。
では、と伯母上は紙を広げ――私達に説明をしてくれた。
――伯母上が教えてくれた名前は私が知っているものも多かった。――ハイデッカーの息子の名前もあってぞっとする。軍務卿であるハイデッカー自身は厳めしい顔の男性だけど……息子はどちらかと言えば線の細い青年だ。真面目そうに見えるが紳士の社交場に入りびたりだとは――フランチェスカのサロンに出入りする少女たちでさえ知っている話だった。ハイデッカーの身内は……好きになれない人が多いな。そのほか、近衛の副団長さんとか……会った事のある人も多い。
「全部却下!!」
と宣言したいが、私は黙って聞いていた。しかし、あからさまに嫌な顔をしているであろう私にオルガは笑う。
「見事に嫌な感じでしょ?カタジーナも困ったものよねえ、純粋で」
「純粋、ですか?」
オルガは皮肉に笑って足を組む。衣擦れの音が耳に心地よい。
「そうよ?知らなかった。カタジーナはね、少女時代からずぅっと世界が変わらないの。美しく、清いままだった頃から同じものを見ている……あの人が若い頃は、それはそれは美しかったわ。妹の私でさえ見惚れるくらい――年をとって枯れかけた今でも、ね」
今も女性として美しいオルガが言うととても残酷に聞こえる。オルガは皮肉な表情のまま続けた。
「世界があの時と同じほど美しいと、自分にとって優しいと信じているのよ。現実は見ないまま、ね」
「なるほどな」
「レシェク、姉上が貴方にこだわるの、何故だかわかる?レミリアにも」
「いや……」
「我らが父上と同じ顔の貴方に――そして、その傍らにいる娘に……昔の自分を重ねているの。そして、思い通りにならなかった人生のやりなおしを……貴方たちに仮託している」
オルガの紅い唇から零れ落ちる皮肉に私は、ぞっとなった。カタジーナが私に自分を重ねている?冗談じゃない、そんなの。寒気を感じたのは父上も一緒だったようで、思わず、と言った体でこめかみを押さえた。
「迷惑な話だ」
「ま、私の悪意ある想像だから気にしないで……と、そろそろこんな時間?……私は休んでいいかしら?」
「ゆっくり休んでくれ――」
スタニスが扉を開けると――カミラが待っていた。「こちらです」とオルガを案内していく。
カミラの背中を見ていると……父上がぽつり、と言った。
「私が再婚するって?」
「いえ、そんな」
父上はため息をつく。
「外野は面白おかしく話すものだ。そんな予定も心づもりもないよ。ヴァザの公爵夫人は……ヴィカだけだ」
「お父様……」
「不安にさせたならすまないね、レミリア。誰と再婚するつもりもないし、君はよくやっている。無理をしすぎな位に、ね」
父上の手は少し迷って――久しぶりに私の頭を撫でた。なんだか懐かしいな、この感じ。父上の言葉が嬉しかったけれど、私は口を尖らせた。
「お父様、私はもう十五です。頭を撫でられる年齢ではありません!」
「そうかい?――私の中ではいつまでたっても小さなままだけれどね……」
私たちは、微笑みあう。私は少し強がった。
「も、もしも……私とユリウスが成人して、お父様に好きな方が出来たら、私は反対しませんから。――母上は、きっと怒るけど……」
「しないよ」
「でも、たとえば、その……カミラとか……素敵な女性ですよね……」
私が下手なかまをかけると、父上が妙な顔をした。……と、スタニスが部屋に戻ってくる。
「カミラ?確かに彼女はいい娘だが……カミラが私に懸想はないだろう」
「そ、そんなことは!そ、そうですか……?」
私はナターリアの結婚式でのカミラの切なげな視線を思い出した。あの目線はなんとなく、だけど恋する視線だったような気がするんだよね……。




