94.劇場へようこそ 7
照明を落とされた四角い空間。
黒いフードを身に纏った男達が舞台の中央に進み出る。
一歩一歩、何かに操られたかのように、区切りながら。足並みを揃えて。不安の予兆のように低い弦の音が彼らの足取りを彩る。
ふらり、と足を止め真ん中の男が甲高く鳴いた。カーン、と鐘が鳴らされ観衆は彼の指先を見つめる。
『王妃がみまかられた』
呼応するかのように左右の男が手をあげた。
『烏の泣いた刻に』
『かの女は絶望し、塔から身を投げたのだ!古王国の娘、己の責務を投げだして鳥のようにはばたいた』
『呪われるがいい、恥知らずの雀たちよ。あの高貴なる方の魂を貶め、疲弊させ、暗闇の底に突き落とした!』
『いいや、あの女は自分で飛んだのだ』
真ん中の男がまた、鳴いた。
『王妃が――みまかられた――』
やがて舞台が明るくなり一人の美しい少女が現れる――のちに王妃となる、可愛らしい少女だった。
彼女が長じて無理矢理王の后になり、やがて恋をし、波瀾万丈の生涯を閉じるまでが展開される。
王妃マグダレナ。
そのタイトルロールを演じた女優が舞台の中央で仮初の生を終えた時、劇場は痛いほどの沈黙に包まれた。そして舞台が暗転し次に光で満たされ――無表情の演者達が中央に集まると、主役のマグダレナは一歩前に進み出て――花が綻ぶように華やかな笑顔を観客に向けた。それを合図に演者達は顔を綻ばせて素の顔に戻り、華やかな音楽がかきならされる。
観客は呪縛が解けたように万雷の拍手で彼らに応えた。
よかったよー!よかったよー!素敵だったよー!
王妃マグダレナ役の声も素敵だけど、他の女優さんも歌がうますぎだったよおー!
私は立ち上がって拍手をする。
王妃マグダレナの千秋楽。
私は父上とスタニスと共に、2階の貴賓席で鑑賞をしていた。父上があきれたようにレミリア、落ち着きなさいと言っている。私ははしゃいで彼を振り返った。
「素晴らしい舞台でしたわね、お父様!」
「……不倫はよくないよ、レミリア」
物語の主題はそこじゃないっ!
私は同意を求めてスタニスを見ると、彼はあー、良く寝たーと言うかのように、背伸びをしていた。
――芸術を解さない朴念仁がここに、二人もいたことに愕然とする。し、信じられないー!
同伴者を間違えたことを心から後悔しつつ、私はいいもん、とばかりにまた拍手を送った。父上は首を捻りながら義兄に聞く。
「――スタニス、お前わかったか?」
「歌はいいとおもうんですけど、――物語がよく――主人公も死ぬほど嫌なら離婚すればよくありませんかね?」
「確かにな。あの宝石を売り払えば離婚後の生活費くらい出そうだが。そして何故歌うんだ」
「喋った方がはやいのに……」
私はくるりと振り返り、ヒソヒソ話の二人を睨んだ。
「おねがいですがら、黙っていてくださる?二人とも!余韻が壊れてしまいますから!」
二人は顔を見合わせて沈黙した。
この人たちとは二度と一緒に観劇をしないっ!
憤然とした私の視線の先では演者達が二度目のカーテンコールをうけていて、オーケストラ・ピットの指揮者にスポットライトが当たって挨拶をし、最後に音楽監督たるクラウス・リーヴァイ氏も現れて拍手を一身に浴びている。目つきの鋭い、痩身のまだ若い男性だ。
目が不自由だと聞いているが、足取りも迷いがない。彼に拍手を送っていると彼は優雅に客席に礼をし――それから、なぜか――こちらを、みた。
「え?」
彼の視線を追うように、観客の顔がいっせいに私を見る。
視線を集めて、私が誰かわかったらしい人々が名を囁くのが見え――私はサアッと血の気が引くのがわかった。
どうしよう、誰だかばれた……、よね?
しまった、と思っていると背後の父上がやれやれ、とためいきをつき、私が見えないように、さっと身を乗り出した。
「父上ーー」
「オルガの事だ。ここまでが演出だろう」
父上は観客に姿が見えるようにして――笑みをはいて手を振る。
同じ色をした娘を伴う、金色の髪の貴賓席にいる美丈夫――。
誰だかわかった観客は少なくないはずだ。父上は観客に応えるとクラウスに拍手を贈る仕草をし――また観客はクラウスに視線を戻し、惜しみない喝采を浴びせた。
その隙に私と父上は人の目が届かない所まで姿を隠した。
うわぁ、恥ずかしい。めっちゃ笑顔で拍手してたよ。ミーハーなのが皆様にばれた……。スタニスが立ち上がって、それでも私たちのボックスの影に身を隠しながら舞台を覗き込む。
「彼がクラウス、ですか。オルガ様のお気に入りの」
「元は下町の酒場で弾いていたらしい――物語はわからないが、曲は斬新だな。オルガは確かに、才能を見つけるのが上手い」
「それを演出するのも?」
「そうだな。私は姉が用意した彼の踏み台だ。癪だが、……ま、仕方ないか」
人嫌いで公務以外には滅多に出歩かない、更には貴族以外にはくちもきかない(なんてことはなく、単に知らない人としゃべるのが億劫なだけだと思うけど)カリシュ公爵が、わざわざ、平民出身の音楽家の歌劇を聞きにきて――称賛したのだ。
今までクラウスを馬鹿にしてきた人々も、公爵が褒めたとあっては認める層もあるだろう。
「この席に私たちがいるのって……」
「オルガ様がきちんとクラウス氏に伝えていたと思いますよ?」
スタニスが答える。
抜け目ないなぁ!私は赤くなった顔を扇いで冷やしつつ呻いた。
「閣下――オルガ様が楽屋の見学はいかがかと」
スタニスが苦笑しながら、劇場の係員が持ってきたカードを示す。オルガの署名と用件が書かれていた。
「――演者達の虚像を大いに楽しんだが、彼らの素までは興味がない」
父上は笑って手を振った。私をちらりと見る。
「レミリアは行ってくるといい。――今日は一度目にしては、随分と筋をわかっていたようだけど?」
ぎっくぅ……。マリアンヌとスタニスに頼み込んで、数日前に一度、一般席でみました、なんて言えない……。ばれてそうだけど。
スタニスは笑って行きましょうか、と言う。隣のボックスにいたユゼフ伯父がかわりにやってきた。父上の護衛をしてくれるのだろう。
「行っておいでレミリア。ただし、演者達にあまり無責任な約束をしてはいけないよ。彼等も自分を売り込むのに必死だ。仕事だからね」
はい、と私は頷き、足取り軽く楽屋へ向かった。クラウスの部屋らしき場所へと向かうと、待っていた支配人が深々と頭を下げ――扉を開くと、クラウスの後ろに幾人かが立っていて、反省会の真っ最中だった。
「王様、お前何回とちった」
「とちってないってクラウス」
「一幕の終わりの三重奏――お前ここの節全部半音ずれてたからな」
クラウスは眼前にあるピアノを弾いてみせた。おー、あれは王様役の人かあ。甘ったるい顔のいい声の役者さんだけど、たまーに音が外れてたな、確かに。
「マグダレナ!笑ってないでお前も反省しろ!」
「えっと……」
マグダレナ役の人はまだ若い。二十歳過ぎくらいに見えた。とてもかわいらしい人だ。歌も演技も上手かったけどなあー。
「お前達、反省はあとで」
ぱん、ぱんと支配人が拍手をして――演者達は私を見て、あっと声をあげた。皆、頭を下げる。……こういう場面は慣れていても緊張するのだった。
「公女様が、お褒めの言葉をくださるそうだ――どうぞ、レミリア様」
えっ。お褒めの言葉?
私は両手に持ってきたパンフレット(――イザークの進言で、劇場側が作ったらしい――飛ぶように売れたとか)を握りしめた。今の私、どう見ても、ミーハーなファンなんですけど。それでもこの体勢で公女様のお言葉言うべき――?
なんとも間抜けだけど、私はもう正直に言うことにした。
「今日は大変素晴らしかったわ、皆様、素敵な時間をありがとう。カルディナには様々な技に長けた演者や作家、音楽家がいて幸せだわ!」
本当はまたみたい!また呼んで!と言いたかったけれど、父上の言葉を思い出して我慢した。
支配人は満足そうに微笑み、三人の演者を紹介してくれた。マグダレナの王様役は、甘ったるい顔にとびきりの笑顔で私を見てくれた。うーん、遊んでそう。私は心の中で音程外すなよ、美形の君、とおもって微笑みかえす。
マグダレナ役のエリナという女優さんは感じよく頬を染めて私に礼をした。――可愛いだけでなく、演技も上手いなんてすごい。
「こんなに若い方だと思わなかったわ。少女時代から晩年まで――違和感なく演じられるのね?」
「ありがとうございます!」
最後に――マグダレナをおとしめるラウラという王の愛人役の女優さんが頭を下げた。メグというらしい――三十前だろう彼女は化粧を落とすと、ケバケバシイ愛人役が嘘のように優しげに見える。
「わっ」
「はい」
私が奇妙な声を出したのでメグが首を傾げる、――落ち着けレミリア。あなたは女優よ?公女の仮面を被るのよ?私はキッと顔をあげ、メグがのけ反る。
いかん、気合いが入りすぎた。
「――私、ラウラの歌が一番好きでしたわ……!憎らしい役なのに、感情移入して泣いてしまって……!」
高音も低音もよくのびて、なめらかで。こんな美しい声の人は初めて会う!私の勢いに驚いていたメグはくしゃりと顔を歪めて、破顔した。
「光栄です、公女様」
私は冊子にサインを書いてもらうように頼む。スタニスが呆れているけど、見ないふりをした。次いつ来れるかわかんないんだもん!演者三人は支配人に連れられて退室する。王様役が何か言いたそうだったけど、女優二人に足を踏まれて、小さく悲鳴をあげて、去っていく……。クラウス・リーヴァイは立ち上がり私に頭を下げた。
どこか神経質そうな、視線の鋭い人だ。
「この度はお招きいただきまして、ありがとう、クラウスさん」
「いえ。楽しまれたのなら光栄です、公女様――やはり、オルガ様のお血筋ですね」
「え?」
クラウスはほんの少し笑った。
「メグ、いい歌い手でしょう?ずば抜けた容姿じゃないみたいだが、彼女の歌は滅多にない一級品だ。公女様はいい耳をお持ちだ」
わあ!今をときめく音楽家に褒められてしまった。
気難しいと評判のクラウスは私の質問――なぜあの時はこの旋律か、とか、歌詞の変遷なんかをネタばらししてくれた。
小一時間ほどたち、失礼しようとしたとき、クラウスは私に礼を言い、それからスタニスを見た。
「あなたがスタニス・サウレ?」
「そうだが」
クラウスはほんの少し、口の端を上げる。
「なるほど、竜族の方がヴァザにいるのは本当らしい」
「え?」
私が惚けると、クラウスは失礼、と私たちに謝る。
「――私はほとんど目が見えませんが――そのかわり、人それぞれを光の形で見ることができます。――あなたの光は、シン公子や他の竜族の方々と同じだ――ここ最近、王都でよく、竜族の血が混じった方々をおみかけしますが――」
スタニスと私は、思わず顔を見合わせた。




