93.劇場へようこそ 6 ※三人称注意
王宮視点。
夜の事である。
飛龍のアルを連れ出して――、シンは王都の上空を一周していた。お気に入りの、王都が見渡せる塔に行くと、そこには先客がいた。
「あれ、ソラ?」
月夜に輝く白い肌、昼の明るい空を写しこんだ水色の瞳は、彼の主と同じだ。ドラゴンは首をかしげた。
(しんダ!あるト、オさんぽナノ?)
(そら、イル、れみれあイナイ。ゆえハ?へんりくハ?)
シンがアルの背中から滑り落ちると、若いドラゴン達はお喋りをはじめた。シンは笑って久しぶりとソラを撫でる。
フン、とソラはそっぽを向く。尾でぺし、と足を軽く叩かれシンは痛いっと声をあげた。
(そら、シンのどらごんチガウ。キヤスクさわったら、めっ!ナノ!)
ぷんすか怒っているので、シンはごめんよ、と謝った。ソラが言う通りだ。
「今日はレミリアは?」
(キョウハひとりでオサンポ!――れみりあとおサンポはアサナノ。よるニしゅくじょデアルクノはしたないの)
「そっかあ、そうだよな」
ソラはアルと同じく、公爵家でつながれる事はない、らしい。
勝手気ままに公爵家の上空を飛び、たまに遊んだら帰る。レミリアは「最初は逃げたらどうしよう、と思っていたんだけど」と笑った。カルディナの王都でドラゴンは限られている。飛龍は温厚な気性だし、龍同士で争うと言うこともなかった。
ソラが、王都で遊びながらもヴァザにきちんと帰るのは、彼が公爵家を、住家だと認識しているからだろう。
シンが最近楽しいことあった?と聞くと、ソラはぱたぱた、と翼を動かした。
(そらノこぶん、オネショなおらない!ゆーり、オネショしてにわしニおこられた!)
シンは吹き出した。レミリアの弟は父親にも母親にもよく似た、なんとも可愛らしい幼児だが、どうやら粗相を父親に叱責されるらしい。それにしても、ユリウスは子分なわけか!
ソラにすればレミリアは(オオキイこぶん)で、ユリウスは(チイサイこぶん)なのだという。公爵閣下は――庭師か!シンは笑いそうになった。ここ数年、カリシュ公爵から貰った薔薇園への鍵も使っていないが、また行きたいなとぼんやり思う。
(ソラのおうち、イキタイ)
(イイヨ、しんト、クル、イイヨ)
ソラとアルは楽しくお喋りをはじめ、シンはそれに相槌を打つ。ソラがじゃあねと帰るのを見送ってから、アルを連れて王都を飛び回り――、日付が変わる近くまで飛んだ。
王宮の厩舎にアルを返すと、彼は耳をヒクヒクと動かした。
(しん、ツカレタ?モウカエル?ある、マダあそぶ!)
アルが不満げに顔を擦り付けて来る。アルはシンよりも年の若いドラゴンで朗らかな寂しがりやだった。
「ごめんな、あんまり遅くなるとみんな心配する。また明日遊ぼう?」
(オヒルハ、しんガイナイ。ある、サビシイ……)
「お前の好きなとこに飛んでくれるようにガイに頼んでおくから」
(ある、しんガイイ。しんガスキ、しん、オヒルハがっこうイク、イヤダ。あるモイキタイ。イッショ、スキ)
「――そうだね。おまえも一緒にいけないか、聞いてみるから」
「」
宥めるとアルはシンに縋り付いてきた。学校にいく間、若い下男がアルの面倒をよく見てくれているが、アルは寂しいらしい。
学校に――例えばヘンリクのように寮に連れて面倒を見てもらった方がいいのかなと思いつつも、それだと、夜が心配だ。
連れて通おうかなあと考えてあとでねと手を振る。寂しそうなアルの横にいつのまにかガイがいて、シンはよろしくねと手を振った。若く無表情な彼は頷くと頭を下げた。
王宮の中に足を忍ばせて入るのは諦め、門番の横を通ると彼らはお帰りなさいませ、と背筋を伸ばした。王宮の、特に女王やフランチェスカの居室に近い所は近衛の騎士達が護衛をしているが、建物のそのものの入口は近衛ではなく中央軍に所属する若いものが多かった。
「誰か俺を探しに来た?」
「今夜はまだ。――ですが公子、あまり夜に出歩くのはやめてださいね。ばれたら私の寿命が縮みます」
「そうです。皆様も心配されますよ」
「ごめんよ」
改めるとは言わずに笑ってごまかすと若者二人は親しげな笑顔でシンを送り出した。近衛たちよりもシンは彼らの方が親しみがあった。
近衛兵ともなれば、上級貴族の子弟が大半だ。半竜族といえど母の身分が低いシンを心ひそかに見下す人間もいないではない。
部屋にかえるかなぁと思っていたがふと、気が向いて温室へと足を伸ばした。
夜だが灯がついているから、と期待して足を進めると――――、はたして、そこにはフランチェスカがそこにいた。温室の奥のテーブルに頬杖をついて考え事をしている。シンに気付いた侍女がフランチェスカに合図をし、彼女は顔をあげた。
「――また、夜の散歩?おかえり、シン」
「ただいま、フラン――遅いね?」
従姉は宝石のような空色の瞳でシンを見返した。昔のように無邪気に金色の髪に触れたい衝動を押さえながら横に座る。
「眠れなくて」
「心配ごと?」
「いや、なにかな……たまにそういう夜ってあるでしょう?」
「どうだろ?俺は安眠だし。眠りに困ったことはないかなあ」
「図太さがうらやましいよ」
茶化すとようやくフランチェスカが笑うので安心する。
「フランが真面目過ぎるんだよ。――いやなこと忘れて気晴らしにどこかに、行こうよ。俺、アルに乗せるからさ!」
フランチェスカは微笑みながら少し、寂しそうな顔をした。
その表情に気付いてしまったと思う。フランチェスカは高いところが病的にだめだ。その理由を知ってから、シンはドラゴンに乗らないなんてとフランチェスカを冷やかした事を後悔した。
欠点がない、と讃えられる彼女の唯一の弱みをフランチェスカが気にしているのは知っていた。
「……訓練しないといけないな。ドラゴンに乗れないカルディナの王なんて、今までいたことがないんだ」
「王様の仕事は、ドラゴンに乗ることじゃないよ」
励ますように言うと、フランチェスカはそうだねと笑って立ち上がる。
「じゃあ、遠駆けは?それなら私もシンと張り合えるかもしれない」
「いいよ、楽しみにしてる」
シンがほっとしつつ、話を続けた。
「そういえばこの前、レミリアに会ったんだけど」
「レミリアに?」
「うん、劇場になんか劇を観に行くって言ってた」
「王妃マグダレナ?」
「そう、それ――フランもいく?楽しいらしいよ?」
フランチェスカは首を振った。
「興味はあるけれど、――今回は遠慮しておく。いつか正式に招待されたら、行く」
「そっか……」
シンは部屋までフランチェスカを送り届けると、彼自身は部屋にもどった。
フランチェスカは侍女を下がらせ手早く夜着を纏う。鏡に映る己を見て、ためいきをついた。――女性としては骨張った身体に――それは鍛えた結果なのだが――ためいきをつく。
「不格好……」
いっそのこと、筋骨隆々の女騎士のようになれればいいが、鍛えてもそこまでは筋肉がつかなかった。中途半端だと自嘲しながら椅子に身を沈める。
「立太子の儀に、竜族は来ない」
そう母――ベアトリス女王から告げられた事は少なからずフランチェスカを落胆させていた。過去、どの王であっても竜族の使者はカルディナの王太子が立つときには祝いを述べに来た。祝いの使者が来ないのは前代未聞だ。
「長は人間が嫌いなんだ」
面識のあるシンはそう言ったが、フランチェスカには己の資質不足を見透かされたような気がしてならない。女だと言うことは関係がない。ドラゴンにも乗れない、線の細い、何事も中途半端にしか出来ない自分のせいなのか、と。
「――残念ですが仕方ありませんね、母上。せめて盛大にしてください」
明るく笑ってみせたがベアトリスにはフランチェスカの不安などお見通しだろう。
「私は、弱いな――」
鏡に映る自分を見て、ためいきをつく。
強く、そして王太子として毅然としようと思うのに「不適格」の烙印を押されたようで、容易く気分が沈む。
――竜族に認められなくとも己が王だと言い切れればいいのに、と思う。シンにまで――気ままに生きる従弟にさえ気にされてしまった。
「しっかりしないと」
髪をとかそうとして、櫛に目が行く。たしか今年の誕生日に、とレミリアがくれたものだった。細工が見事で――螺鈿が貼付けてある。
「可愛すぎたかな?」
気にしている様をおもいだして、微笑む。
――フランチェスカは普段、かわいらしいものを纏わないが――それを好きだと知って選んでくれたのだろう。
櫛を握って、レミリアの柔らかな手の感触を思い出す。彼女は――柔柔と頼りない風情のくせに、強い。
困難があっても、しなやかに、前を向いて進んでいる。
母親が亡くなった時も――立ち直って、弟や父のために努力しているのを知っている。乗れなかったドラゴンを乗りこなして、一人で飛ぶという。
彼女の姿に、目を細める貴族達も多い。フランチェスカにでさえ――彼女にとってはおもしろくない存在だろうに、気さくに話をしてくれる。感情に嘘のないハトコが、虚飾だらけのフランチェスカにはまばゆい。
ひとつ、ひとつ、懸命に――前に進むしか、ないのだ。
彼女のように。
母に、己に、そしてカルディナの民に恥ずかしくない王になるために。フランチェスカがためいきをついたとき、遠慮がちに、扉を叩く音がした。
「何事だ?」
夜更けに王女の寝室を訪れるものがあるとは――嫌な予感しかしない。フランチェスカが扉をあけると、ベアトリスの侍女である、シルヴィア・ヘルトリングが顔を覗かせた。
「どうしたの?シルヴィア」
「――殿下。夜更けに申し訳ございません――至急、確認いただきたいことがありまして」
「いいよ」
シルヴィアが辺りを気にする風だったので、ついて来ようとした騎士達を下がらせる。シルヴィアはフランチェスカを先導しながら――息をひそめた。
「どうしたの?」
不安に声が震えないよう、抑えた声で聞くと――シルヴィアは低く告げた。
「陛下が、お倒れになられました。今は医師が付き添っておいでです」
「――陛下が」
どくん、と心臓がはねた気がした。
焦りを隠して母の――女王の居室に身を滑り込ませると、ベアトリスは娘をみて嫌な顔をした。
「いやぁね、フランチェスカ。この世の終わりみたいな顔しないで?私よりあなたの方が死にそうな顔してるわ?」
「――母上!」
ベッドに駆け寄るとベアトリスは半身を起こす。隣に青い顔をした宰相がいて、女王を支える医師は一礼をすると部屋の外に出て行き、シルヴィアもそれに従う。
「――おおげさなのよ、ユンカー」
「陛下」
「フランチェスカ、夜更けに心配をかけたわね?」
「そのような……」
「たいしたことじゃないの。けれど、明日は南方の貴族達との謁見があるわ――私は南の領地から戻るのが遅れて、顔を出すのは午後からになる――そういう事にして、朝は貴女が名代をつとめて頂戴。夜遅くに悪いけれど打ち合わせを」
「――母上、午後もわたしにお任せください」
元からベアトリスと共にフランチェスカも顔を出す予定だった。ユンカーもフランチェスカの提案に頷いた。――しかし、ベアトリスは首を振る。
「大丈夫よ、それより資料を早く――」
「母上」
非難めいた口調になったフランチェスカにユンカーも同意する。
「引き継ぎはすべて、私が。はやく休まれてください」
「――けれど」
「譲りませんよ、陛下」
二人に見つめられ、ベアトリスはためいきをついた。任せるわと言って、また――ベッドに身体を横たえる。
「陛下、薬湯です」
「――ありがとう、シルヴィア」
ベアトリスは薬湯を受け取り、後で飲むわと口にした。
フランチェスカはシルヴィアに連れられて、続きの間にむかう。ユンカーが心配げに側にいるのに苦笑して手を振る。
「きちんと寝るから、安心してよ、アル」
「――懐かしいですね、そう呼ばれると――」
ユンカーの名はアルフレートと言う。
アルは若い頃の愛称でベアトリスと姉のタニアは彼をそう呼んでいた。今では誰も呼ばなくなってしまったが。ベアトリスは苦笑した。年をとった。彼も、ベアトリスも。記憶の中の、姉だけが若いまま、だ。
「――明日のこと、頼むわね。昼には向かうから――。フランチェスカを補佐してやって。諸侯が何か要望を出してきても答をださせないで」
「承知いたしました」
気遣わしげに去るユンカーの背中を見つめて、ベアトリスは息を吐く。ベッドで天井を眺めながらこれからの事を考えた。
ベアトリスがまだ精力的に公務をこなせるうちに、少しずつ引き継いでいかなければならないだろう。
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