表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
101/213

【幕間】一つの夜の、三つの出来事(下)

101話目です。折り返し。今後もよろしくお願いします。

 その夜、キルヒナー男爵は北部の領地で珍しい客を迎えていた。


 屋敷に戻ったキルヒナーに家令が慌ただしく「彼ら」の来訪を告げる。初老の家令はどこか怯えた様子で主を見上げた。


「いかがいたしましょうか」

「私がもてなすよ、お前は下がるといい。――彼らはどちらに?」

「一階の客間に。その、……ドラゴンは厩舎につないでいるのですが」

「そうか」


 頷いて客間へ向かい、現れた客のために人払いをさせる。

 護衛の男が、客たちの風体を警戒して部屋に残ろうというのを構わないよと笑い部屋の外に押し出す。客は、二人。

 黒づくめの痩身の男はキルヒナーが入室すると、申し訳なさげに謝罪の言葉を口にした。


「すまないな。こんな夜に突然」

「――構いませんよ。よくいらしてくださいました」


 言ってからキルヒナーは奥に座っているもう一人の()にもチラリと視線をやった。

 こちらの方は、全くすまないとは思っていないのがうかがえる。鍛えた体躯の男は雪のような白髪を無造作に背中に流し、客間のソファに身を沈めて、王侯貴族のように寛いでいる。もちろん彼の美貌は王侯貴族と並んでも遜色ないだろうが。

 座ったまま金の瞳で睥睨され、私の家なんだがな……、と腑に落ちない心地になりながらもキルヒナーは頭をたれた。

 顔を上げると、黒づくめの男が眼帯を外したのが視界に入る。秀麗な顔には金と黒、色違いの瞳がのぞく。


 真夜中の男爵家に訪れたのは、北の森の魔女テーセウスと北山に住まう竜族のイェンの二人組だった。


「ご無沙汰しております、テーセウス先生……、それとイェン様も。何年ぶりでしょうか?」


 テーセウスを促して座らせる。

 竜族二人が部屋の中にいると調度品もずいぶん豪華に見えるなと妙なことを感心しながら、キルヒナーも対面に腰を降ろした。テーセウスとは年に何度か商売の関係で会うが、もう一人の竜族と会うのは……シンが幼少の頃以来だから、十年近くにはなるかもしれない。彼と初めて会ったのは軍に居た頃、二十年は昔の話だが少しも年を取ったようには思えなかった。


「テーセウスがお前の所に行く予定だっていうからな。つれて来た」

「ついでに、とおっしゃると?」


 イェンは手を頭の後ろに組んで、キルヒナーを見た。


「最近、西が騒がしい。面白そうだから遊びに行こうかと思って。――お前に伝言もあったしな」

「西が騒がしいとは?」


 質問にイェンは金の双眸を細めた。

 ――同じ金色でも竜族それぞれで色味が違うと感じるは幾人かの竜族をキルヒナーが知っているからだろう。シンとテーセウスは混じりけのない黄金、イェンは橙味が強く夕陽のよう、スタニスはたまに瞳の色が薄い金に変わることがあった。主に怒っているときに。

 そして、一度だけ会った事のある竜族の長はえも言えぬ美しい太陽の色をしていた。


「秘密。――おまえらの上も、どうせ知ってるんじゃねえか?」

「どうでしょうか――私は外交にはあまり携わっておりませんので」


 キルヒナーは空とぼけた。西国が跡目争いの関係で騒がしくなりそうだと言う事は西国にいる取引相手から聞いて、知っていた。具体的にではないが。


「そういや、西でお前の知り合いってやつにあったぜ?」


 にこりと微笑まれ、キルヒナーは黙って苦笑する。

 確かに北にも西にも、商売と情報の売り買いに精通した部下を潜り込ませてはいるが……イェンのそれははったりなのか、本当にキルヒナーの手の者をそうと見抜いたのかはわかりづらい。


「私に伝言とはなんでしょう、イェン様」


 キルヒナーがイェンの質問をはぐらかしつつ聞くと、イェンは笑みを深くした。


「シアから伝言だ」


 イェンが口にした名前にテーセウスが軽く目を瞠る。キルヒナーも思わず、姿勢を正した。


「はい」

「"人の国のうつろいに興味はない"とさ。――ユンカーに伝えておけ」

「そうですか」


 キルヒナーは肩を落とし、テーセウスも小さくみじろぐ。


 シア――十五年ほど前に竜族の長になった青年の名だ。

 なぜだか、イェンとは親しい関係だと聞く。

 ……カルディナでは、王の即位や立太子のときに竜族の長か使節が王宮を訪って、王家を言祝ぐのが通例だ。少なくともヴァザの時代は。ベアトリスの即位の際は前の長と親しい竜族達が祝いの口上を述べに来た。

 だが、フランチェスカの即位の議を秋に控えて、何度も竜族側に打診するものの、返事をもらうどころか、北山に招き入れてさえもらえない。

 フランチェスカの即位に否やがあるわけではない。


「落胆するなよ。たとえ王女が生粋のヴァザだろうが、長は断ったさ。人間が嫌いだからな」

「そうですか」


 ――ユンカーはもとより、王女はそうは思わないだろう。竜族の長の祝いがないのは自分の力が足りないせいだ、と嘆くのだ、きっと。そして反王家の面々は口さがなくこきおろすに違いない。やはり彼女には荷が重い。そもそも正当な王ではないのだ、と。


「……お前は平気そうだな、キルヒナー」

「実を申しますと私はあまり期待はしておりませんでした」

「なぜ?」


 キルヒナーは無意識に左足に触れた。左は義足だ。

 戦場で――西国の敵兵に見せしめとして切り落とされた。


「いちど、長にお会いしたことがありますので……、あの方は我らを疎んでおられる」

「まあな」

「それに、……わざわざ竜族の方に認めて戴かなくとも、王女殿下はよい女王になられると思いますよ」


 微笑むと、イェンは面白そうに口の端を吊り上げた。


「そういわれると寂しいものだ。ま、竜族の奴らの中には、王宮に呼ばれるのを楽しみにしてたやつもいるみたいだけどな」

「竜族のやつら、とはまるで人のような事をおっしゃる」

「俺は元々人間だよ――北山は退屈だ、若い奴らは息が詰まるんだろ――どうしてもお飾りの挨拶が欲しいなら俺を呼べ。適当なのを数人見繕って、ベアトリスの面を拝みに行ってやる」

「陛下が嫌がりますよ」

「それも楽しみだ」


 ニッと笑うと、イェンは立ち上がった。


「どちらへ?」

「テーセウスは届けた、伝言は伝えた。俺の用事は済んだ。――だからさっさと去る」

「一晩くらい泊まっていかれては?」


 気まぐれな男は「いい」と一言断ると、窓辺に寄った。胸元から笛を取り出し息を吹き込む。音のしない笛にキルヒナーが首をかしげると、イェンを見送るために立ち上がったテーセウスは思い切り顔を顰め思わず、と言った風情で耳を塞ぐ。

 バサバサと音がして何事かと窓辺を見ると――白いドラゴンが窓辺で羽ばたいている。彼らにしか聞こえない音がする笛らしい。

 イェンは勢いよく窓を開け放つと、イェンは白い砂竜にひらりと跨って、彼女の首元に口づけた。


「よくきた。お前はいい子だ」


 ……窓は玄関じゃねーぞ、と心中で毒づいたキルヒナーにイェンは微笑みかけた。


「どっちにしろ、カルディナには遊びにいってやる」

「――ユンカーに伝えておきますよ、イェン様」

「伝えとけ」


 胃薬を届けるついでに、とキルヒナーが答えると、白い砂竜はキルヒナーとテーセウスを一瞥し、高く飛び去った。瞬く間に小さくなる背中を見上げながらキルヒナーは頭をかいた。


「慌ただしい人だな」

「無礼なやつで重ねて、すまない……夜に来たばかりか、窓辺を汚してしまった」

「いえいえ……先生は、なぜこちらへ?」


 戸棚からグラスと酒瓶を取り出しながら尋ねると、テーセウスはますます、小さくなった。


「夜に来て、男爵に頼めることではないのだが……」


 どうやら、本当は別の日に一人でキルヒナー家に訪れようとしていたらしい。大方、イェンに無理やり乗せられてきたのだろう。キルヒナーは構いませんよと彼の前にグラスを置く。


「どうぞ」

「ありがとう、キルヒナー……実は」


 テーセウスは頭を下げた。

 テーセウスとキルヒナー商会は、言わば取引先だ。彼が調合した薬のレシピを買い取って調合し――販売する。彼には販売時には些少ながら一定の金額を渡している。買い取ってくれていいとテーセウスは言ったが、キルヒナーが「不具合があったら、修正してほしいですしね」と願って……そうしていた。なので、季節が代わるごとにカルディナにある彼の口座に振り込み、引き出しがない場合は、北の森へ届けていたりもしている。医学に関する探究心は旺盛なくせに、欲のない男だから、ともすれば金のことを忘れてしまうのだ。


「本当に頼みにくい話なんだが」

「水臭いですよ、先生。……先生は私の命の恩人です。足を失ったときに先生が治療してくださらなかったらこの世にはおりませんでした。なんなりと言ってください」


 テーセウスは恥じ入って再度頭を下げた。半竜族と……貴種と言っていいこの男はそれを誇ることも傲慢に振る舞うこともない。常に、つつましやかで謙虚だ。キルヒナーはそんな彼には商売を抜きにして好感を抱いている。


「恥で申し訳ないが、報酬を数年分、前借させてもらえないだろうか。頼む」


 キルヒナーは目を丸くした、金に執着のない彼が、融資の申し入れとは珍しい。


「全く構いませんが、どうなさいました?」

「……北の天候が良くないんだ。局地的に雨が降って……、畑が壊滅状態だ」


 テーセウスは北の森の魔女だ。北の森には男女の区別なく魔女と呼ばれる異能の人々が千人弱住むとされるが、実際の所、人ならざる力を持つのは一部、多くは特殊な技能を持つものの、ただびとに過ぎない。多くのカルディナの民と同じく、農業を営んでいると聞く。


「……先月の雨ですか?北部はそうでもなかったが……」

「そうだ。あんな雨ははじめてみる……、一年分かと思うような雨が三日間で振った。壊れた家もあるし……、恥ずかしい話だが、北の森は貧しい。貯えもないし……これでは、この冬に餓死者が出る……」


 魔女たちはカルディナでは長く忌避され、さげすまれてきた。ベアトリスの御代に彼らを阻害する古い法は撤廃され交易する若者も増えたものの、今でもカルディナの国民と関わることを恐れる者も多い。テーセウスは、彼らの為に食料を買いこもうとしているのだろう。

 テーセウスのグラスに酒をつぎながら、キルヒナーは首を振った。


「そういうことなら、金はさしあげられませんね」

「……そうか」

「勘違いしないで下さいよ、先生。私が先生にお金を渡して、それでどうやって買って、どうやって森へ持っていくんです?」

「……人を雇おうかと」


 キルヒナーは苦笑した。浮世離れした男にそういうことの一切が出来るとは思えない。


「先生の声かけで、北の森から二十人ほど選んでいただけませんか。食料は私が準備しましょう。もちろん、先生の報酬から。それを、彼らに森に運ばせましょう。運搬に必要な品は私が揃えます」

「そこまでしてもらうのは……」

「うちの若い衆にさせてもいいけど、北の森の皆さんは警戒するでしょうし……、魔女たちに外に興味がある若者が増えるといいなという打算ですよ」


 なあに、とキルヒナーは笑った。


「先生は命の恩人だし、恩に思ってくださるなら、また薬のレシピを私たちと一緒に考えてくださいよ。医療器具でもいいし」

「恩に着る」


 生真面目に言ったテーセウスにキルヒナーは苦笑した。


「それに、魔女(あなた)たちだって北部の民でしょう。同胞は助け合わなきゃ」


 明るく言い切った商会の長に、テーセウスは感謝する、と重ねた。


「しかし、気になるな……北部はもともと雨の少ない地域だ。どうしたってそんな大雨が」

「……私にもわからない……若い者たちには女神の怒りだなどという者さえいる始末だ」


 キルヒナーはため息をつく。天候が悪ければ、それを神の怒りだと言うのは人々の常だが、それは魔女でも変わらないらしい。キルヒナーは気まぐれな竜族が飛び去った窓辺をみつめた。


 月に叢雲。


 ――雨が降りそうだった。


「この季節には――珍しく、ここでも降りそうですね」


 長雨にならなきゃいいけど、と呟いた途端、遠くで雷の音がした……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ