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ドラゴンノッカー 1

王宮で舞踏会が開催された翌日、母上は青い顔で、それでも朝食に顔を出した。父上はまだおやすみだ。


私は罪悪感と母上の不機嫌にガタガタと震えそうになったけれど、ヴァザ家のために、ヴァザの娘として、なんとか滅亡フラグを折ろうと努力した結果だ!腹痛の謝罪はいたしませんわよ。と胸をはった。……心の中で、こっそりとね。


母上は、不機嫌もここに極まるという感じで黙々と朝食を口にし、親の仇かと言うくらい力を込めてギリギリとパンをちぎっては噛み付いている。


夕べ、私達が陛下に謝罪したことも、父上が随分と陛下と楽しくお過ごし(だったそうで……)だったことも、母上は知っているらしい。

何故か、とミス・アゼルに聞くと、「ここだけの話にしてくださいませね!」と母上の不機嫌な理由を話してくれた。

ここだけの話、ね……。アゼルのここだけ、ってどこまでなんだ。

どうやら私達が帰る前に、祖父のカミンスキ伯爵が屋敷を訪れていたらしく、二人は言い争いになったとか。


「それはもう、凄い剣幕でございましたわ」

「母上が?」

「いいえ、伯爵が、です」

「お祖父さまが?」

なぜだろう、と首を傾げていると

「なぜ、奥様も一緒に来て頭を下げなかったのか、と怒っておいでで」

「ええ?」

「伯爵は、お嬢様が伯爵家からの帰途で事故に遭われたことを、大層気に病んでおいでで……ですから、シン様達に大層感謝なさっていて。……お嬢様が寝込んでいらした間、奥様を叱りに来られたんですのよ」

母上は、祖父には、二人に謝罪する、と言ったらしい。


……母上、適当に嘘ついたな……。


祖父、カミンスキ伯爵は先代国王の王宮で重用されていた。さらに、その父親は先々代の重臣で。

……要するに、バランス感覚に長けた当主が多いのだと思う。新旧王家のどちらの治世でもうまく渡り合っている。

だから、日頃から母上の余りに旧王家へ肩入れしすぎた行いには苦言を呈されることが多い。

伯爵は父上にも事のあらましを話して、きちんと筋をただすように諭したらしい。言うなれば祖父は、父上の育ての親みたいなものだし。

父上は、あの調子でふんふんと聞いていたとか。

父上が席を外さずに話を聞いたということは、同意したということなのだと思う。

なぁんだ、私からお願いしなくても、ちゃんと謝る心積もりだったんじゃない、父上。


そういうわけで、祖父にきつく叱られ、夫と娘には出し抜かれ。

自分が居ない間に社交界では完全な悪役になってしまった母上は、頗る機嫌が悪い。

食卓には、沈黙という第三の人物が横たわり、今にも息絶えそうである。私は母上を刺激しないよう、目に触れないよう、そぉっとパンを口に含み、音を立てないように咀嚼する。

あ、まずい、パリって音がした。

母上は私の怯えた様子を観察すると、低い声で私の名を呼んだ。

ひぃ。


「レミリア」

「はい、母上」

「昨夜は楽しかった?」


鋭い視線に胃がひくひくと痛む。

私は適当に言い繕ってしまおうと口を開きかけて……脳裏に、母上にもった野草がチラついて、やめた。

覚悟を決めよう。


「たゃ、大変、楽しかった、です」

……噛んだ……。



私は昨日の出来事を話した。謝ろうとしたら、父上が箱いっぱいの<夜明け>を持ってきてくれて嬉しかったこと。陛下は優しかったけれど、ユンカー卿より怖いと感じたこと。シンが手を握ってくれたので、汗をかいたこと、彼のいれた茶は薬より酷い味がしたこと。王女の庭は綺麗で、イザークが優しかったこと。マリアンヌは相変わらず趣味のいいドレスだったこと、ヴィンセントとヘンリクが馬鹿みたいに頭に薔薇を飾っていてサロンの皆で笑いをこらえた事、王女から遠乗りに誘われたこと。

(それから……)

うん、とても楽しかった。楽しかったなぁ。

一気に喋って、喉が疲れた。

私は母上を上目遣いに見た。


「……母上が居ない間に、申し訳、ありません……」


消え入りそうな声で謝った私から、母上は視線を逸らす。


「そういうときは、母上がいればもっと楽しかったです、と言えばよいのです、レミリア。お世辞の下手な子ね」

「ええと」

母上は俯いて、笑った。

「……貴女がそれだけ楽しかったのなら、レシェクが<夜明け>を全部切った意味もあったのでしょう。……咲いたら、私にもくれると言っていたけれど、どうせ、また、忘れているでしょうね」

独白めいたつぶやきに、え、と私が顔をあげると、母上はいつもの無表情に戻っていた。

そしてまた無言でパンをちぎりはじめた。


母上の不機嫌の一番の原因はそれかあ。


思い当たって、なんだか悲しくなる。

父上は他人に薔薇をあげない。妻や娘にさえ、切るのを許してくれない事の方が多い。その父上が、気に入りの新種の薔薇を母上にあげると約束したのなら、それは、母上にとって大層喜ばしい、心待ちにしている約束事だったはずだ。

……父上は母上を鬱陶しい妻だと思っていそうだけど、母上はまだ多分、父上の事が好きなんだと思う。


独善的で口うるさい人だから、良いことも、悪いこともあれこれと父上に意見し、人に構われたくない父上にもっと疎まれる。

けれど、父上が庭いじりだけできているのも、母上が家の雑事を全部しているからだ、と言うことを「レミリア」は知っていた。


私が余計なことを言わなければ、もしくは陛下にさしあげるのを別の薔薇にしておけば、となんともいたたまれない気分でいると、


「おはよう」

ようやく目が覚めたのか、父上が姿を現した。悪すぎるタイミングに、私は思わず目をそらす。

も、もう少し寝ていらしたらよかったのに、父上。


「おはよう、ヤドヴィカ、レミリア」

「おはようございます、レシェク」

「おはようございます、父上」


私達は、型通りの挨拶を交わす。


父上はいつも母上の対面に座って朝食を取る。

しかし、今日の父上は席を通りすぎ、母上の隣まで歩いた。

母上が何事か、と険のある表情で夫を見やり、……父上の手にあるものに、目を丸くした。


彼の手の中には、ほの暗い、白い花弁を持つ薔薇が一輪。


「…………全部切ってしまったのでは」

「あげるよ」

はい、とそっけなく差し出されて母上は見事に固まる。

「これは、……何です?」

「薔薇だね」

「……そうね」

「約束どおり、一番綺麗に咲いた花は、君にあげるよ」

カリシュ公爵には珍しいことに、妻との約束を覚えていたらしい。


母上はたっぷり十秒は沈黙し、それから、彼女らしく憎まれ口を叩いた。


「……どうして、私には一輪だけなのかしら。陛下には箱一つ分、さしあげたのに」


憮然とした面持ちの母上に、父上は肩を竦めた。


「君が、一番綺麗なのが欲しいって言ったからだろう。一番は、ひとつだけだからね。二番目以降はやっても惜しくないだろう?」


母上は手の中の薔薇と、年下の夫をしげしげと見比べて、匂いを嗅ぐように顔に近づけると、花に向かって、ためいきをついた。


「貴方はまあ、屁理屈ばかりですこと、本当に……。レシェク、私のいない舞踏会では、随分とお楽しみだったようですわね」

父上はまあね、とうそぶくと母上を見下ろした。

「君が居ないせいで、知らない人間に随分話しかけられて、疲れた。……簡単に腹など壊さないでくれるかな」

「あら、私のありがたみをご理解いただけて、ようございましたわ」

「人避けに、君ほど最適な人はいないからね」

フン、と皮肉に言って父上は席に着く。

母上も無表情に戻ると、カップに口をつけた。

気を利かせた給仕が持ってきた硝子の花瓶に、母上は手ずから薔薇を飾る。それを視界に入る位置に置くと、再び食事をはじめる。

母上の無表情な口元がいつもより緩んだように思えるのは、私の願望だろうか。


私はチラ、と視線をあげて、部屋の隅でいつものように立っている老執事のセバスティアンに訴えかけてみた。

彼は私の視線に気付くと、私にだけわかるように、目をぐるっとひとまわり動かして、驚いたことを示してみせた。「青天の霹靂ですね、お嬢様!」と言うように。

うん、私もびっくり。夫妻の会話が三往復以上するのをはじめてみたかもしれない。なんだか、二人が、普通の倦怠期の夫婦みたいにみえるよ……!

なんだかドキドキしてしまって、私は上の空で朝食をとり、母上にマナーが悪い、とこっぴどく叱られた。



父上が丹精した、夜と朝の境界線の色を模した、白い薔薇の名前は「夜明け」という。

派手好みのヤドヴィカ母上が、一番好きな色の花だ。





数日後、私は意外な人物から手紙を受けとった。


(イザーク・キルヒナー)


封筒に書かれた署名に首を傾げた。

私はイザークとは親しくない。にも関わらず、手紙ってなんだろう。そういえばサロンで「頼みたい事がある」とか言ってたなぁ。

イザークは誰に対しても(内心はどうあれ)朗らかに接する少年だから、お互いに悪印象も多分ない、はず。


ちなみに、ローズガーデン内のイザークルートは、レミリアに優しい。一族は没落してしまうけど、夫……不本意ながらヘンリクのことである……と死に別れたレミリアはヒロイン夫妻を祝福すると述べて、彼女は彼を弔うために、教会に一生ひっそり引きこもることを決意するのだが。


(うん?一生、教会?)


いや、待て。待て、私。

やさしいと思っていたけど積極的に滅ぼされないだけで全然幸せじゃない……!自殺・他殺・幽閉じゃないだけでラッキー!と思ってどうするんだ!!

若い身空でヘンリクと結婚し、奴の菩提を弔うために(寺じゃないけど)一生費やすなんて!十分不幸になっているよ!

幸せに対するハードルが低くなってるな、私。


イザークと交流を深めるのは私が「不幸にならない」ためには、吉凶どっちなんだろう…。


私は手紙を読んだ。

ちょっとしたお願いがあること、珍しい果物も沢山持ってくるのでお邪魔していいか、という事だった。

私は判断に困って、お父様の侍従のスタニスに相談した。

こういう場合、母上に相談すると問答無用で却下されそうだし、父上に相談したらスタニスに聞きなさい、になるはずなので手間を省いたのだ。


「どうしたらいいと思う?」

「お嬢様と、キルヒナー様のご子息がお友達になられていたとは驚きです。ああ、ご丁寧に旦那様あてのご挨拶のお手紙もありますね」

侍従と護衛と、なんでもこなす我が家の万能使用人スタニスは手紙を開いて薄い茶色の目を光らせ、感慨ぶかく言った。


「お友達じゃないの。……まだ」

「なれそうなのでしょう?」


どうだろうか。

お友達になれそうな気がしなくもないけど、私はイザークがちょっとだけ怖い。私に悪感情を持っているヴィンセントよりも。

何を考えているか、ちょっとわかんない所があるものなあ。


「そもそも、レディのお宅に男性から伺いたいって失礼だったりしないのかしら」

「お嬢様、子供がそんなことを気にしなくて大丈夫ですよ」

スタニス、なにげに失礼。


けれど、前世で抱いていたイメージよりもカルディナの男女関係のタブーは緩い。

大貴族でも割と離婚や再婚をするし、さすがに貴族の娘は結婚するまで清い事が是とされるが、過去に恋人がいたとしても眉をひそめられる程度で、地位を追われる程ではない。

そうじゃなきゃ、年頃と言っても良い年齢にさしかかった王女が周囲にあれだけ異性を控えさせてはおけないか。

お友達になれるかはともかく、とスタニスは微笑んだ。

「お嬢様が、色んな方とお会いになるのはいいことだと思いますよ」

「ヘンリク達だけじゃなくてね?」


スタニスは、ええ、と笑った。

父上に子供のころから仕えているスタニスは、彼の唯一の娘、レミリアの事も心配していて、特にレミリアの交流関係が狭いことを気にしている。

私の友達と言えば、選民思考バリバリの従兄とその取り巻きばかりだものね。

他の人間関係にも目を向けて欲しいんだろう。

「最近のお嬢様は察しが良すぎて困ります」

スタニスが茶化したので私はえへへ、と笑ってごまかしておいた。レミリアの分も足したら、中身は私貴方より年上になりますことよ……。


「でも、お願いごとが何か、書いてはないのよ。無理なことだったらどうしよう」

「その時は旦那様がきちんとお断りなさいますよ」

うん、その場合、「旦那様」の代わりにスタニスがお断りすることになるだろうけどね。

「イザークはお兄様とおいでになるって言われているけど、どんな人か知っている?」

「ご兄弟ともに優秀だとは伺った事がありますね。キルヒナー男爵のご自慢だとか」

イザークのお兄様。

似てるのかなぁ?イザークによく似たお兄様……。武闘派兄弟が並ぶ図を私は想像した。空手みたいなのやってたりしないかな、イザーク。



兄弟二人が屋敷に訪問する日、ヴァザ家では、親子三人が揃って二人を出迎えた。

非常に、珍しい。

母上は女王陛下の親派が訪れても対応がしょっぱいし、父上はそもそも他人が屋敷に入るのを嫌う。

今日は、ひょっとして、娘のお友達「になってくれそうな」子が来てくれたから、二人して無理したんだろうか……。


イザークの兄上、ドミニク様はまさかの公爵夫妻揃っての出迎えに恐縮して頭を深々と下げた。

ドラゴンノッカーは造語です。

白い薔薇の花言葉は割と意味深なものが多いですね。

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