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【ラゴ】誇り高き獣

 わしがアルスを初めて見かけたのは、朝方畑に向かっている時だ。

 その時は驚いたし、恐ろしかった。

 薄暗い中、畑の中をなにか小さな獣が動きまわっていたのだから。

 わしが驚きの声を上げると、アルスはピタリと立ち止まり、こっちを見た。

 そして、申し訳無さそうに頭を下げられた時、それが真っ黒な毛並みの獣だと気がついたが、悪いモノでは無い、と感じられた。


 アルスは隣に済むフィーナが拾ってきた犬だった。

 ネズミを狙って獲る珍しい犬で、アルスが姿を見せ始めてからネズミの数が驚くほど減った。

 ネズミ退治をそろそろしなくてはならないと寄り合いで話し合っていたところだから、本当に助かった。

 わしがその事を話すと、大層羨ましがられ、フィーナの所へアルスを貸してくれと頼みに行く奴もいたらしい。

 その時、フィーナはアルスは物ではない、貸す気は無いと取り合わなかったと聞いた。

 フィーナとアルスは毎日一緒に水汲みに出かけ、フィーナが楽しそうに話しかけているのをよく見かける。

 フィーナにとってアルスはかけがえのない家族だろうから、貸せと言われてきっと気を悪くしただろう。

 わしはこれ以上アルスの活躍について寄り合いで話すのを止めた。


「おぉ、アルス、今日はいい天気だね」

「キャン!」

 アルスが畑の近くを通りかかったので声をかけたら返事をした。

 それだけで、昔狩人をしていた時に飼っていた犬のことを思い出し、暖かく寂しい想いが胸に満ちた。

 あれも呼びかけると返事をする奴だった。

 その日、アルスは不思議とわしの畑の回りに姿を見せたので、アレコレと声をかけつつ、畑仕事を進めた。

 さて、休憩するかと、座り込み、間食の蒸し芋を鞄から取り出すと、アルスが尻尾を振りながらとんできた。

「さては、これを狙っていたのか?」

 わしは意地悪な気分で問いかけると、アルスは鳴かず、首を傾げた。

 そのとぼけた仕草が愉快で仕方なかったので、2つあった握りこぶしほどの芋を1つ分けてやると、喜んで食べ始め、すぐにペロリと平らげた。

 その小さな体のどこに入るのか、と思わず呟いてしまったほどの健啖ぶりだ。

 感心していると、じっとこちらを見上げてきた。尻尾を千切れんばかりに振っている。

「もうやらんぞ」

 わしが芋を食い始めると、しょんぼりと尻尾を垂らして帰っていった。

 わかり易い奴め。

 


 フィーナとリィザが堕ちた獣の蛇に襲われた、と聞いたのはそれから暫く経ってのことだ。

 二人は無事で、アルスが蛇と戦い、リィザが聖水を使って倒したらしい。

 堕ちた獣と出会って命があるだけでも大変な幸運なのに、その上倒してまった、というのは信じられなかった。実際に2つにちぎれた黒い蛇の死骸を見るまでは。

 黒い蛇の奇妙な死骸。

 その時居合わせたフィーナとリィザに聞いてみるも要領を得ない答えしか返ってこないらしく、現役狩人、元狩人が集まり、どうやったらこんな死体になるのか、と話し合いが持たれた時に、わしは蛇の死骸を検分する機会があった。

 堕ちた獣の新たな性質、特徴だった場合、それを確認した者は教会に報告義務があるので、皆で検分し、これまで似たようなことが無かったか話した。

 が、誰もわからなかった。焼け焦げたようでもあるが、それならこんな引き千切れたような切断面にはならない。蛇がこうなる直前に光った、というのもわからない。

 わからない、なら、新たな性質ではない、と言い切れないので、まずは報告しよう、ということになった。

 報告するには教会まで行く必要があるが、この村の近くには教会が無い。

 今度開かれる市場を主催しているピーヒンさんに相談しよう、ということになり、話し合いは終わった。

 話し合いの中でアルスの話題も出た。

 アルスはその時、蛇に2度も噛まれたらしいが、蛇に噛み付いて離さず、フィーナとリィザを守ったと聞いた。

 あの小さな体で堕ちた蛇に噛まれたら、まず助からない。堕ちた蛇は強力な毒を持ち、堕ちた獣の中でも危険な存在だ。

 死んでしまったのか、とわしが問うと、ババ様が毒除けをしたので助かったそうだ。

 わしは夕飯の前、皆の仕事が落ち着くころに、見舞いに行ってみることにした。

 

 まさか、フィーナがアルスを抱いて過ごしているとは思わなかった。

 アルスは母親が赤ん坊を抱く時に使うストリングでフィーナの胸の前で固定され、丸くなっていた。

 すぅすぅ、と安らかなアルスの寝息を確認し、安心したが、それよりも気になるのは……

 アルスを抱くのに使っているストリングは、フィーナが弟を抱くのに使っていたものではないか?

「私の弟なの、可愛いでしょう?」とニコニコ笑いながらわしに自慢したことや、

 弟が死んじゃった、私のせいだ、と叫び、一日中泣いていたのはそう昔のことではない。

 フィーナの中であの出来事が昇華できたなら、喜ばしいことだが……

「丁度いい紐があったもんだね?」

 少し意地悪だろうか、と思いつつも、気がつかない振りをしてフィーナに問いかけてみた。

「ええ、弟が使っていたやつなんです。あの子もアルスの為ならきっと許してくれると思うの」

 フィーナはアルスを愛し子のように撫で、微笑みながら答えてくれた。

「そうだね。二人共フィーナの事が大好きな者同士だから、喜んで貸してくれるだろうさ」

「……はい」

 フィーナは少しはにかみながら微笑んだ。

 これなら大丈夫そうだ。


 アルスが目を覚ましたのはその翌日の事だった。 

 それからアルスに会う度にする挨拶に、フィーナに心配かけるなよ、と付け加えるのが習慣になった。



 まったく、こいつは一体どうしたんだ!

 わしが友人達と歩いていると、突然血塗れのアルスが山から転がり落ちてきた。

 わし達が驚き、立ちすくんでいると、アルスはわし達を誘導するように、吠え、北の山を登っていった。

 これはただ事ではない、と友人たちと顔を見合わせ頷くと、アルスを追いかけた。

 前を歩くアルスはボロボロで、今にも倒れて死んでしまいそうに見えるのだが、足運びは気力に満ちていた。

 いや、気力だけで歩いていた、というのが正しいかもしれん。

 やがて中腹の狩人達が休憩場所に使う広場に出た。

 そこは血が飛び散り、草地は踏み荒らされ、あちこちが焼け焦げ、地獄のような有様だった、。

 フィン坊が脚を真っ赤に染めて倒れ、フィンが育てたキッシュも少し離れたところに血塗れで倒れ、倒れているフィンの頭の近くに、黒い、黒いイノシシが倒れていた。

 わし達は情けないことに、その漆黒の姿を見ただけで、脚が竦んで動けなくなってしまった。

 倒れ伏し、胴体にナイフが刺さっているので、死んでいるはずだ。そう判断できるのに、その忌まわしい気配に魂が萎縮していくようだった。

 こんな大きな、堕ちた獣は見たことが無い。

 ごく稀に山に現れる堕ちた獣は大きくてもタヌキ程度のものだ。

 なのに、このイノシシは倒れ伏しても大人の腰ほども高さがある。

 恐ろしい、ただ、恐ろしい。

「ヴォウ!!」

 アルスの咆哮のような鳴き声に我に返った。

 そうだ、フィン坊は生きているのか!?

「おい、大丈夫か!?」

 わしはフィン坊に駆け寄り、声をかけ、脈をとった。弱いが鼓動がある。

 息もしている。生きているぞ。

 助けられるかもしれない、怪我の手当をして、早く村に連れて帰らないと。

「生きている、まだ助けれると思う。脚の傷を縛ってから、担いで村まで下ろそう。サジ、頼めるか?」

「ああ、任せろ」

 イノシシと出会った者がやられるのは内腿だ。

 ここを裂かれると血を流しすぎて死んでしまうことがある。

 フィン坊の傷は幸いにも急所は外れているようだ。

 フィン坊の太腿の付け根を落ちていた縄できつく縛り、傷口も手ぬぐいできつく縛る。

 ここで出来ることはここまでだ。

 この中で唯一現役の狩人のサジにフィン坊を託す。

 見ると、友人のもう1人であるコムスはイノシシに聖水をかけているところだった。

 イノシシに反応はない、やはり死んでいる。

「キッシュはどうだ?」

「あの犬か? 残念だが、傷が深すぎる。まだ生きているようだが……」

「そうか……」

 主人を守って戦ったのだろう。立派な奴だ。

 キッシュの方を見ると、アルスが別れを惜しむように鼻を押し当てているのが見え、胸が詰まった。

「それよりも、ラゴ、日が暮れるぞ、早く村に戻らないと」

「そうだな」

 確かに夕闇が深くなってきている。今から山を駆け足で降りてギリギリといったところだ。

 夜の山は危険だ。獣が活発になるし、一説では堕ちた獣も人里の近くまで降りてくるらしい。

 村の人間は誰も夜の山には入らない。

「キッシュは……置いていくしかないな」

「ああ、フィンの奴の荷物を持って行ってやらないと」

 狩人の装備は高価だ。特殊な護符の縫い込まれた鞄や、様々な術式起動用の木札、本人の為に調整した弓。

 もしかしたら、村長に装備購入の為に借金をしてるかもしれん。

 これを山に放置して、獣に持っていたれたりしたらフィンは狩人廃業だ。

 ドサリ、とアルスがキッシュに覆いかぶさるように倒れた。

「アルス!」

 慌てて抱きかかえると、目を開け、わしになにか訴えかけるようになにか唸っている。

 キッシュを連れて行け、ということだろうか?

「キッシュは置いていく。明日またここに来る。その時に弔ってやる」

「獣に持っていかれなければいいがな……」

「コムス!」

 わしが咎めると、コムスは意味がわからないのか肩を竦め、フィン坊の道具を拾い集め始めた。

 アルスはおそらく人語を理解している。キッシュと別れを惜しんでいるところに、遺体が獣に食われるかもしれない、なぞと言われたらどんなに悲しむか……

「ウォウ!ウォ……ン!」

 やはりアルスは抗議するようにわしの腕の中で暴れ始めた。だが、もうわしの腕の中から抜け出す力も無いようだ。

「すまん、わしはアルスを連れて帰らせてもらう。道具は大丈夫そうか?」

「ああ、いくつか代えの効くものは置いていくことになるがな」

 コムスはフィンの使っていた鞄に道具を粗方片付け終わり、弓と矢筒を背負っていた。

「では、行こう」

 わしらが広場を後にしようとすると、アルスがまた暴れた。

「すまん、すまん」

 キッシュの側に駆け寄れないようにアルスを抱きすくめ、わしはただ、謝った。




「アルスッ!!」 

 わしの腕の中でぐったりしたアルスを見てフィーナが悲鳴を上げた。

 山を下っている途中でアルスは暴れるのを止めたので、顔を窺ってみると、意識を失っていた。

 右前足の付け根と、左脇腹に深い切り傷がある。

 近くで見ると、山を下ってまたあの広場まで行けたのが不思議な程の深手だ。

 先ほど出血は止まったが、わしの腕と上着は血塗れになっている。血を流しすぎているかもしれない。

「清潔にして、傷を縛ってやれ。そして温めてやるんだ」

 アルスを渡すとフィーナは血が服につくのにも構わずアルスを抱きしめた。

 ババ様のところに連れて行ってやりたいが、フィン坊の治療にかかりっきりだろう。

 申し訳ないが、ババ様の手が空くまで持ちこたえてもらうしかない。

「ババ様にはアルスのことを伝えておくぞ。手が空いたら人が来るだろう、気をしっかりと持て」

「はい……!」

 フィーナはアルスを清める為に水瓶の方に歩いていった。

 わしはババ様に言付けなくてはな……



「ラゴさん! アルスが居なくなったの!」

 フィーナがわしの家に飛び込んできたのはもう夜が明けようかという時間だった。

「居なくなった? ババ様の治療を受けたのか?」

「ううん、受けてない! わたし、ずっと起きてようと思ったのに、寝ちゃって、そしたら……!」

「ラッツとサレアはどうした?」

「アルスを探すのを手伝ってもらってる!」

 なるほど、わしにも手伝えということか。

 普段だったら夜中に人を叩き起こして手伝わせるようなことはしない子だが、アルスの事に我を忘れるほど取り乱しているらしい。

「わしも手伝おう、心当たりがある」

「本当!?」

「ああ、本当だ。ラッツを連れて来なさい。山にいくぞ」


 わしはアルスが居なくなったと言われた瞬間に、あの広場に行ったに違いないと感じた。

 アルスの広場から連れだされる時の悲痛な声がまだ耳に残っているようだ。

 無理にでもキッシュを連れて帰ってやるべきだった。

 夜が明け始めてすぐ、わし達は山に踏み入った。

「もうすぐだ」

 後についてくるフィーナとラッツは無言で頷いた。

 わしが見たままの事はここに来るまでに話してある。

 はたして、アルスは広場に居た。

 キッシュの亡骸の前に立ち、周りを威圧するように唸り声を上げている。

 黄色の瞳が殺気で爛々と輝いていた。

 フィーナに巻かれたのであろう包帯が、千切れ血にまみれ無残に垂れ下がっており、新しい傷がいくつも増えていた。

 

 アルスの周りには、ムジナの死体が7つも転がっていた。


「アルス……」

 やはりだ。

 同胞の亡骸が汚されることが我慢できず、自身も死んでもおかしくない怪我を負いながらここに戻ったのだ。

「アルスッ!」

 周りにもう生きている獣の姿は無く、その上フィーナが姿を見せても、アルスは牙を剥き唸るのを止めない。

「フィーナ、待て、様子がおかしい!」

 ラッツが慌てて娘を止めようとするが、フィーナは構わずアルスに駆け寄っていった。

「アルス! キッシュをお家に連れて行くから、アルスも帰ろう!」

 アルスは唸り続けている。その目は正気に見えない。

 わしもラッツと同じくフィーナを止めようと駆け出そうとし、手を伸ばした。

 フィーナは構わずアルスに近づいていく。

 おかしい、足が動かない? いや、足どころか、腕も動かない、声も……出ない!?

 この魂が震え、竦み上がってしまうこの感じは……堕ちた獣?

 ラッツも同じような状態のようだ。娘を追おうと前のめりになるが、足が震えて動いていない。

 フィーナだけが、動き、呼びかけている。

 もう、フィーナはアルスの目の前で、いつ噛みつかれてもおかしくないように見えた。

「フィ、フィーナ……!」

 ラッツの渾身の力で絞り出した呼びかけは掠れ、フィーナまでは届かない。

 フィーナがアルスの前に跪き、その顔に手を伸ばした。

 アルスがどうしているか、フィーナの影になって見えない。

「大丈夫だからね」

 不意に体が軽くなった。足が動く。

 急いでフィーナの元に向かうと、アルスは目を閉じてフィーナにもたれ掛かっていた。

 さっきまでの様子が嘘だったかのように安らかに眠っているように見える。

「ラゴ爺さん、さっきのは一体なんだと思う?」

「猟犬には獲物を動けなくするほどの殺気を巧みに使って主人を助ける。アルスも猟犬の才能があるということだろう」

 そういうことにしておこう。

 ラッツは狩人の経験は無い。なるほど、そういうものか、と納得しているようだ。

 この事は、わしの胸にしまっておこう。

 アルスは誇り高い狩人だ。悪いものでは、ない。


「さあ、帰ろう。アルスとキッシュと一緒にな」

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