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11.黒い蛇

「あ、あぁ……」

「堕ちた蛇……」

 フィーナはただ震え、リィザは向こうに聞こえるのを恐れるように呟いた。

 10メートルぐらいは離れてるのに、恐ろしくて堪らない。

 黒い蛇の周りが暗く沈んで見える。

 なんでだ? 形は1メートルぐらいの、そんなに大きくない蛇なのになんでこんなに怖い!?

 不意に黒い蛇はこちらに少しにじり寄ってきた。

 俺たち3人は同時にビクリと震える。

 おいおい、俺、これと同じに見られたの? それは、過大評価というか、酷い評価というか……

「せ、聖水をっ!」

 リィザが声を震わせながら腰に結わえてあった瓶を取り出し、栓を開けた。

 なるほど、すっかり忘れてたが、聖水ってこういうのと出くわした時に使う為のものなのか。

 準備してきてるなら、なんとかなるのか……?

「……っ!」

 それで蛇にぶっかけに行くのかと思いきや、動かない。

 だよな。俺もこれ以上近づきたくないもん。

 むしろ、全力で逃げたいけど、それをしないのは後ろ向いた途端に襲いかかられそうだってことと、フィーナがいるからだ。

 いや、なんか足が竦んでるから逃げれるか怪しいな……どうすんだこれ。

 

 まだ蛇が近づいてきている。


 もの凄い接近された気がしてきた。

 まだ蛇までは5メートルかそこらはあると思うんだが、そういうことじゃない、さっきより近づいている、これがとんでもない事のように感じる。

「うぅっ!」

 急にフィーナが動いた。取り落としそうになりながら聖水の瓶を取り出すと、おもいっきり瓶を横に振った。

 すると道を横切るように聖水が振り撒かれたが、蛇には当たらなかった。

 外した……と、思ったら違った。

 聖水に濡れた道の手前で蛇が嫌がるように停止したのだ。

 足止めか。なるほど、こういう使い方もできるのか。

 ただ、問題なのは、蛇を足止めしても、蛇の向こうに村があるってことだな。

 道の両脇は濃い草むらで、人が踏み越えて進むのは大変そうだ。

 もし蛇が全力で追ってきたらあっさりと追いつかれるだろう。草むらには聖水はかかっていない。

 後ろはどうか? じわじわと交代すれば、聖水でまごついている蛇が見えなくなるまで、下がれるんじゃないか?

 今取りうる選択肢の中では一番マシな気がするが、問題は日が暮れてきていることだ。

 真っ暗になった時に真っ黒な蛇に襲われるかもしれないとか、ぞっとしないぜ……

 くそ、仕方ない。

 リィザ、空気読めよ!

 ガツンと強めに右手でリィザのくるぶしを叩いてやる。

 ビクリと震えてリィザがこっちを見たので、目を合わせて軽く頷いてやる。

 これだけじゃ、なんのことやらだろうが。

 ……ええい、怖いがやってやらぁ!!

「ヴォウ!ヴォウ!!」

 俺は黒い蛇に向かって全力で吠え始めた。

 同時に少し前進する。うおぉぉ怖えぇええ!!

 全力で吠え、全力で殺気を込める。

 俺はお前をヤる気だと、どんな鈍い相手でも伝わるように。

「ヴォウ!ヴォウ!!」

 幸いにも十二分に殺気は伝わったようだ。

 蛇は明らかに俺の方を向いている。

 良し、とりあえず良し。鬼のように怖いけど良し。

 俺は吠え続けながら、道の左端に寄る。寄りながら、飛びかかる振りをして30センチ程前に踏み込んでから、また後ろに引っ込むという挑発を繰り返す。

 蛇は完全に俺を標的にしたようで、俺が挑発する度に首を前後に振っている。

 ほら今だよ!!

 俺はリィザを叩いた右手で道を踏み鳴らした。

 ベシ、というなんとも貧相な音だったが、リィザには伝わったようだ。

「フィーナ、背負子を降ろして」

「う、うん」

 背負っていた背負子をその場に降ろし、身軽になると、道の右脇の草むらに入っていった。

 フィーナはなにやら抵抗していたようだが、リィザに一喝されると大人しく手を引かれていった。

 よし、こういう時にはリィザみたいな性格が活きるな。

 吠え続けてると、焦れたように蛇ぐっと身を乗り出してきた。

 さて、フィーナとリィザが遠くまで行ったら、俺も全力離脱だ。

 俺1人ならどうとでも……っておい!

 リィザが予想よりもかなり手前で草むらから出てきた。

 フィーナも続いて出てくる。

 蛇が背を向けてるとはいえ、蛇からの距離は3メートルも無い。

 くそ、いいから早く行け! 道の上なら速く走れるだろ!!

 俺は先程よりもさらに激しく吠えまくる。

 が、俺の願い虚しく、リィザはあろうことか蛇に近づいてきた。

 その手には聖水の瓶を握りしめている。

 まさか!? 危ないことはやめろ! 大人しく逃げておけよ!

「ヴォウ!ヴォウ!!ヴォウ!!」

 やっぱり俺の想いは伝わらない。リィザは蛇に1メートルほどまで近づき、聖水の瓶で蛇を指差すようにして聖水を振りかけた。

 変化は劇的だった。

「ギイィィ!」

 蛇が悲鳴を上げている。

 蛇にかかった聖水が、熱した鉄板に落とした水のような景気のいい高い音を立てた。

 わずかに湯気のようなモヤが発生してきた。

 蛇が痛みに藻掻くように体をくねらせ、その体が地面を叩くバタバタという音が聖水の反応音に重なる。

「やった……!」

 リィザが得意げに頬を染めて微笑んだ。

 まて、これでほっとけば死ぬまでいくのかわからんが、どっちにしろ今は距離をとるべきだ。

 俺はリィザに一声掛けるように鳴いて蛇の横をすり抜けた。

 いや、すり抜けようとした。

 藻掻いていた蛇が、聖水の水たまりから抜け出すとすっとスイッチを切り替えたように静かになり、長い体をバネの様にしならせ力を溜めるのが横目に見えた。

 飛びかかろうとしている。

 目標は、俺じゃなく、リィザ。

 当のリィザは、反応しきれず、喜びと戸惑いの混ざった半端な表情で蛇を見つめていた。

 蛇がその体に溜めた力を開放し、リィザに向けて伸び上がっていく。

 大きく開かれた口には長い牙が見えた。

 

 俺は……


 くそぉ!!

 リィザに向けて伸びていっている蛇の胴体の中ほどに、思いっきり噛み付いた。

 硬い。

 砂の詰まったゴムホースでも噛んだような感触。牙は食い込むが、まったく手応えがない。ダメージを与えられてない!

 が、俺が噛み付いたので、蛇は急停止しリィザに蛇の牙は届かない。

「ひっ!?」リィザが尻もちをつく。

 すぐに蛇が体を捻り、自分に噛み付いている俺に噛み付こうとしてきた。

 それぐらいは予想できるっての!

 俺は蛇を噛んだまま大きく首を振って地面に叩きつけた。

 鞭のようにしなって蛇の頭が大きな音をたてたる。 

 どうだっ! 目を回したりしてないか? 

 俺は追撃を忘れて様子を見てしまった。これが良くなかった。

 次の瞬間、蛇の尻尾が俺の首に巻きついた。

「カフッ!」

尻尾に首を締め上げられ、押し出された空気が口から漏れた。

 蛇の胴体が口から、離れる……!

 足で地面を蹴り、離れていきそうな胴体に飛びつくようにして噛み直す。

 ぐっと、思いっきり同じところを噛みしめてやっていると、蛇と目があった。

 しまった!!

 蛇が俺の首筋に食いつこうと大口を開けるのがやたらゆっくりと確認できた。

 首に食らったら終わる。

 迫る死の前になんとか右手を差し込んだ。

 ああ、いつもネズミを噛んでるけど、誰かに噛まれたのは初めてだな。なんて、どこか冷静な別の俺が呟いた気がした。

 右手に激痛。

 がっちりと蛇の顎が俺の右手を捉えた。

 激痛の中心の蛇の牙からすっと、体が冷えていく。だが、同時に燃えるように熱いような気もした。

 頭が真っ白になりそうなのをなんとか耐える。

 首も締められているが、これはまだなんとかなる、右手だ。

 左手で右手に食いついている頭を殴りつけるが、顎の力が緩まない。

 なんとか振りほどけないかと、ゴロゴロと地面を転がるが効果はやはり無い。

 スッポンかっていうの。

 やはり俺の力じゃどうにもならん。

 まわりを見渡し、自分の位置を確認する。

 俺はなんとか右手を蛇ごと動かし、リィザが作った聖水の水たまりに蛇の頭をぶち込んだ。

「ギイイイイイ!!」

 口の中にでも入ったのか、さっきよりも大きな悲鳴を上げて蛇が暴れる。

 拘束から開放された俺は、蛇から距離をとる為に飛び退いた。

 飛び退こうとした。

 体に力が入らない。

 おい、これ、ヤバいんじゃないの……

「アルス!」

 フィーナが俺の後ろから近づいてくる気配がする。

「ヴォウ……!」

 駄目だ、来るんじゃない!


 俺の目の前で、蛇が体制を立て直した。

 

 くそ、口を放すんじゃなかった。噛み付いたままの方がマシだった。

 蛇の表情など読めないが、怒り狂っているのは察せられる。

 目が霞んできたが、それでも蛇の黄色い目がやたらはっきりと見えた。

 また、飛びついてこようとしている。

 目の前の俺にもう一撃くれる気だ。

 狙いは首だろう。

 狙ってくる所がわかってるんだから、カウンターとってやる。

 飛びついてきたところを逆にあいつの首に噛み付いてやるぜ。

 そうしたら、今度は死ぬまで聖水に頭を漬けてやる。

 さあ、こい。

 きた。

 蛇がぱっと弾けたように俺に向かって伸びてくる。

 思ったより、早い。

 俺は蛇の頭を目掛けて口を開け、噛み付いた。

 が、俺の牙は空を切った。

 蛇の体がうねり、俺の牙をかわし、そのまま俺の腹に食いついてきた。

 腹に穴でも開けられたかのような衝撃が走る。

 痛みが無いのが逆に恐ろしい。

 苦し紛れに、蛇の胴体に噛みつくが、牙が通らない。どうにもならない。

 腹から体が冷たくなっていく。


 これは、死ぬ。


 くそ、こんな、ところで、死ぬなんて……


「アルス!アルス!」

 フィーナが泣き叫びながら、絡みあう俺たちの傍に跪いた。

 こんなに近くに!?

 一気に頭が赤熱した。

 蛇の胴体を噛みしめる顎に力が入る。

 フィーナはガタガタ震えながらも、手を伸ばしてくる。

 俺から蛇を引き剥がすつもりなのかもしれないが、死ぬ気か!?

 こいつに噛まれたら……!

 フィーナの手に反応するように、蛇の顎が俺の腹から離れた。

 やめろ。

 

 やめろ!!


 やめろッ!!!


 フィーナにその穢らわしいツラ、向けるんじゃねぇ!


 コロスッ!!


 俺の中に生まれた明確な殺意。蛇への殺意。溢れる害意。


 バヂン!!!


 まるで口の中が爆発したかのような衝撃と閃光が俺を襲った。


 なにが起こったのか、わからないまま、俺は意識を失った。

  

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