10.狩人
それにしてもいい天気である。
空は晴れ渡り、目の前の山にはほんの少しの雲がかかっていて非常に絵になる風景だ。
二人と俺はリィザの家から東の山の方に伸びている道を歩いている。
道の脇に続いていた畑も無くなり、道に傾斜がついてきた気がする。
木の数も増えてきたし、そろそろ山の中か?
「ここの辺はまだ浅いよね」
「そうだねぇ、村から近すぎるからみんな拾われてるかもね」
二人はもうちょっと先まで行くようだ。
んー、ヤバそうな匂いはしないな。多分大丈夫だ。
しかし、こうしてみると、随分と俺の知ってる森と違うなぁ……草と、木の幹と枝が、道を覆い尽くそうとしているかのような圧力を感じる。
車が通らないってのもあるんだろうけど、それだけじゃないんだろうなぁ。
「アルスは初めてこっちに来るから珍しいみたい」
「そうみたいだね。可愛いじゃん」
む、見られてた。
「道から離れちゃダメだよ?」
フィーナを置いて行ったりしないぜ。
「キャン」
「本当に返事するね……」
「前から言ってるじゃない」
「いやー飼い主のウチの子可愛いは当てにならんからさ」
ははっ、と軽くリィザが笑った後、少し真面目な顔で俺の方を見た。
「名前を呼ばれてないのに返事したから、ちょっと驚いたの」
「ん? どういうこと?」
「犬も猫も、自分の名前ぐらいは覚えるもんさ。だから名前を呼ばれたら、自分が呼ばれてるとわかって返事する。まあ、当然だね」
「そうだね」
そりゃそうだな。
「で、この子、さっきは自分の名前が出てないけど自分が言いつけられている、って理解して返事したように見えたのよ」
……なかなか鋭いね。
「え、それって普通でしょう?」
「普通の犬はそんなことしないの!」
「ブフッ!」
不意のボケとツッコミにちょっと吹いてしまった。
犬飼ったことが無いっぽいから俺を普通だと思っていたのかぁ。
「ねぇ、この子、今笑わなかった?」
「笑ったかも……」
おっと、今までそんな機会が無かったが、ついにバレちゃう?
俺がばっちり言葉を理解してるとわかれば、流石に中に人が入ってる、とまでは思わないだろうが、色々と面倒が無くなるかもしれないな。
「この子、堕ちているんじゃない?」
なんで、考えてたら、リィズが思いもよらぬことを言い出した。
おちている? なんだそりゃ。
「そんなはずないよ! 酷いよリィザ!」
「あぁ、いやゴメン。確かに堕ちてたら見たらわかるよね」
フィーナが凄い剣幕で詰め寄ると、リィザはあっさりと折れた。
おちている、って失礼なことなんか?
「でもさ、真っ黒で他の犬と違うってなったら、なんとなく想像しちゃわない?」
「そんなこと……」
「まあ、別にみんな気にしてないみたいだけどさ……」
「……うん」
おいリィザ、なに説教っぽくしてんだこら!
「キャンキャン!」
「だから……」
ふいに、リィザが俺の前にしゃがみ込んで、俺の顔の覗き込んできた。
「大丈夫だよきっと」
真顔である。行間を読めという気配を感じる。
「クゥ……」
なんだよ、ちょっと怖いじゃねぇか。
おちてるってのはわからんが、どうやら目立ったことはしない方が良さそうだな。
ちぇー、人を驚かせるのってなんか楽しかったのになぁ。
「変なこと言ってごめんね、行こう?」
「うん」
リィザが仕切りなおそうとするように、妙に明るい声を出し、フィーナもそれに応えるように少しだけ笑って歩き出した。
それからひたすらリィザが喋り続けた。
家族の愚痴、近所の夫婦の喧嘩の訳、村の爺さん婆さんの健康具合から山に出る獣の数まで、まあよくそんなに喋れるもんだ。
お陰で妙に辛気臭い雰囲気が無くなったのでそこは評価する。
俺は聞いてるだけで疲れたし、フィーナも相槌うつのに疲れたっぽい。
ほれ、さっきから結構枝が落ちてるぞ、ここらで拾えばいいんじゃないの?
「ん? ありがとうアルス」
俺が太めの枝を咥えてフィーナに渡すとフィーナがお礼を言ってくれた。
「じゃあ、ここの辺で拾おうか?」
「そうだね」
念の為、念入りに周辺の匂いを嗅ぎまわってみる。
んー、多分大丈夫だけど、嗅ぎ慣れない匂いが多くてよくわからんなぁ……警戒は怠らないでおくか。
焚き木拾いは下ろした背負子を中心に太めの枝を拾っていくのがいつもの手順のようだった。
フィーナが拾っているのと似たような枝を拾ってフィーナを手伝いつつ、フガフガ匂いを嗅ぎまくったが、今のところ特に問題なし。
「ねぇ、アルス~私も手伝ってよ~」
俺は普通の犬だから、そんな風に頼まれてもわかりませんなぁ。
「そんなに反応良くソッポ向いたら返事してるのと一緒でしょー……」
「アルス、帰るのは二つの背負子が一杯になってからだから、どっちを手伝っても一緒だよ?」
ぬぅ、仕方ないな……ほらよ。
「フィーナが言うと随分素直じゃない……」
胸に手を当てて考えてみろよ。
ん?
僅かな違和感を山の方から感じる。幸いにもこっちが風下なんで匂いを嗅ぎつつ、集中する。
なんかデカイ生き物が近づいてくるな……この匂いは人間の男、と獣……多分犬だな。
んんー、なんか血の匂いもするなぁ、一応警戒しとくか。
山道は山の方へ少し登った後、右の方にある岩の向こうに曲がっているので、そこを歩いているらしき人物はまだ見えない。
「アルスどうしたの?」
俺の様子を見て、フィーナが近づいてきた。
「なに? なんかいた?」
リィザもこっちくる。
2人が俺の傍に来るのと同時に若い男が岩陰から現れた。
赤毛で丈夫そうな服を身につけ、弓矢を担いで、シェパードみたいな犬を連れていた。
軽装だし旅人じゃないだろう、村の人っぽいなぁ。
「あ、兄貴!」
リィザがその男を見て、テンション高めの声を上げた。
むお、兄貴だと?
さっき、やたらと命令されてムカつくとか愚痴ってた兄貴?
その割には嬉しそうな声を出すね?
「ああ、リィザもこっちきてたのか。フィーナちゃんも」
リィザの兄ちゃんは妹よりは落ち着いて見えた。
ちっ、なかなかのイケメンじゃねぇか。
「……こんにちわ」
おや、フィーナの表情が硬い。なんだろう警戒してる?
「兄貴、ウサギ獲ったの? 流石だね!」
リィザが兄の腰にぶら下げられた2羽のウサギを見て歓声を上げた。
血の匂いはこれだったか。狩人って訳ね。
「今日は調子が良かったよ。この前買った鉄の鏃のお陰かもな」
少し笑って狩人兄貴は矢筒から慣れた手つきで矢を一本取り出した。
確かに矢の先には鉄製の鏃が着いていた。ふーん、鉄製ってプレミアムなんか?
ん?
視線を感じると思ったら、リィザの兄貴の犬にめっちゃ見られてた。
確か、名前はキッシュだったっけ。
そういや、まともに犬と向き合うの初めてだなぁ、よし試してみるか。
「くぅ~ん?」(なあ、俺の言ってることわかる?)
話しかけてみた。
もしかしたら、同族同士なら話し合えるんじゃないかって思ってたんだよね。
ほら、猫語、犬語とかあってさ。
「…………」
が、全力でスルーされた。
わからないんだか、わかった上でスルーされてるんだか判断つかんな!
「キャン」(なんとか、言ってくれ)
「ヴワフッ」
うお、なんか呻きだか威嚇だかわからん声出された。
少なくとも向こうがなんて言ってるのかわからんな。
微妙に不機嫌なのはわかるが、それは俺が人間だったとしてもわかっただろう。
言葉は通じないかー。まあ、そんなもんよね。
「…でね、この前も兄貴は凄かったんだぁ」
俺が異文化コミュニケーションを図っている間はリィザが話し続けてた。
なんか妙に兄貴をアげるね、君?
当の兄貴が微妙に気まずそうにしてるぞ?
「あー、リィザ、僕はそろそろ行くよ」
「もう行くの?」
そこそこ話し込んだと思うがね。
「こいつを片付けたいしな」
兄貴がウサギを指すと、リィザも納得したようだ。
「うん、じゃあ家でね」
「ああ…フィーナちゃん、こんな妹だけど宜しくね」
「はい」
リィズの兄貴は手を肩越しに振りながら村の方へ歩いていった。
キッシュは俺をチラリを見てから、飼い主に続く。
実に訓練された犬って感じだなぁ。
「さ、もうちょっとだからやっちゃおう」
「そうだね」
さて、焚き木拾い再開だ。
若干日が傾いてきたから、巻いていくぜー。
「ねえ、兄貴に興味ない?」
黙々と焚き木を拾っていると、ふいにリィザがなんか言い出した。
ああん!?
「……別に」
「結構お買い得だと思うんだけどなぁ」
「……」
くっそ、そういう事かファック! 私の兄貴と友達をくっつけちゃおう作戦、みたいなことか!
どうりで妙に兄貴をアげると思ってたわ! やめろ! やめやめ! フィーナのテンションがだだ下がりなところで察しろ!
「ほら、さ、変なのから縁談がくるよりわさ、ほら」
「……リィザ、私…」
「ま、まあ、考えといてよ!」
フィーナの落ち込みっぷりに流石のリィザも引き下がった。
よしよし、わきまえよリィザよ。
でもこのローテンション、半分演技だけどな。フィーナもなかなかやりおる。
「こんなもんかな、そろそろ帰ろうか」
「そうだね、行こう」
二人が背負子を背負って歩き出した。
焚き木が山盛りって程でもないが、あんまり多いと大変だろうからね。
しかし、山の中だと薄暗くなるのが早いなぁ、日没までにはまだ時間がある気がするんだが。
さあ、とっとと帰りましょう。
下り道だということもあって、二人は結構早足で歩いていく。
「ねぇ、フィーナ、さっきの話だけど」
また蒸し返すのか! やめい!
思わず吠えて止めようとする、が。
ビクリ、と体が硬直してできなかった。
嫌な、嫌な匂いがする。
今までに嗅いだことのない、不吉な匂い。
否定し、憎悪する匂い。
なんだ、これは……!?
「グウゥゥ!」
俺の喉から唸り声が漏れる。
10メートルほど先の左手の草むらに、なにか、いる。
こっちが風上だから気がつくのが遅れた。やばいぞ、毛が逆立ってきた。
「アルス? どうしたの?」
フィーナが心配そうに俺の傍に寄り添ってきてくれるが、草むらから目を離せない。
「っ! これ、まさか」
リィザもなにか感じたのか、緊張した声を上げた。
その次の瞬間、一匹の蛇が草むらからゆっくりと這い出てきた。
蛇は真っ黒な体をよじり、三角の頭をゆっくりとこちらに向けた。
その頭には黄色の目が爛々と輝いていた。