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四足の少女  作者: 乃木伊穂理
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四足の少女

 私の髪は金色だ。これは生まれつきだとか、病気だとか、そういった類いのものではない。過去の自分を変えるために、私自身の意志で染色したのだ。

 “高校デビュー”と呼ばれるそれは、人を積極的にさせる。私も積極的にさせられた者の一人だ。そして、その試みは見事に失敗に終わった。

 クラスで唯一金髪の私に話しかける者など、夏休みを目前にした現在でさえも一人もいない。

 今日も、いつものように大好きな漫画を読みながら、周囲の生徒たちの会話に耳を傾ける。

 海に川、そして遊園地……私も、中学生時代にはよく友達と行ったものだ。

 ……今年は行くことはないだろうが。


「八城さん」


 “八城奈緒”という生徒がこのクラスには存在する。その生徒は見かけによらず成績がよく、また、何をやらせても平均以上の結果を残すことができるという恵まれた才能を持っている。

 苗字を呼ばれた“八城奈緒”は、漫画のページから、声のした方向である隣の席へと顔を移した。

 声の主は、見たことのない女の子だった。


「何を読んでるの?」


 私の隣の席に座っている少女は、興味深そうに少しずつ椅子を詰めてきた。


「“鴉色の箱”っていう漫画だよ」


 彼女の真っ直ぐこちらを見据える視線に耐えきれず、私は思わず目線を下へとずらした。

 包帯で巻かれた彼女の右足を私の目が捉える。骨折でもしたのだろうか……

 彼女は気まずそうにする私とは対照的に、興奮するようにこう言った。


「その本、私も読んでたよ! 小説版だけどね」


 この“鴉色の箱”という作品は、小説が原作だ。その小説がヒットし、後にアニメ、漫画化を果たした。


「私はアニメから入ったんだ! 全部見終わった後に漫画を読んでて思ったんだけど、これ、至るところに伏線が散りばめられていて本当にすごいよね!」

「そうなんだよ! ただの風景描写が、実は重要な伏線だったりね!」


 ……もしかしたら、今年は私も海に行くことができるのかもしれない。

 彼女と話していてそう思った。

 正直なところ、こういった話をこの高校ですることができるとは思っていなかった。周りの人々が、ピアノや茶道を嗜んでいるような雰囲気を醸し出していたからだ。

 勿論この少女も例に漏れず、こういった雰囲気を漂わせている。

 お嬢様ヘアーとも呼ばれる長い艶のある髪に白い肌、恵まれた体つきをしているこの少女は、何という名前だったか……

 始業式から現在まで、ずっと欠席していた彼女の名前を覚えるために、少々タイミングは悪いが、私は自己紹介をすることにした。


「あたし、八城奈緒って言うんだ──って、さっきあたしの苗字を呼んでたし知ってるか……」

「さっき、出席簿で確認したんだ! でも、名乗ってくれてとっても嬉しいよ! 私は“一ノ瀬美初”。美しい初めてと書いて“みそめ”だよ!」

「頼りないお隣さんだけど、これからよろしくね一ノ瀬さん!」


 私がそう言うと、美初は少し恥じらうようにこう言った。


「あー……その、よかったら美初って呼んでくれないかな。このクラスで初めてのお友達だし……」


 お友達──その言葉を聞いた私は、勿論嬉しかった。だが、同等の量の負の感情が湧き出てきたこともまた事実だ。

 しかし、今の私は美初の要望に応えてあげたいと思っている。負の感情の根源である苦い記憶などには負けてはいられないのだ。


「分かったよ美初。私のことも奈緒でいいからね。」

「よろしくね、奈緒!」


 私の言葉に、美初は胸を撫で下ろすように返答した。

 ──そうだ、これでいい。

 ホームルームの開始を告げるチャイムが、騒々しい教室に静寂をもたらした。




 ◆





「やっとお昼だぁ~」


 大きな伸びをしながら美初が言った。


「美初は教室で食べるの?」


 美初は首を横に振った後にこう答えた。


「先に保健室に行かないといけないから、その近くの中庭で食べることにしたの。もうすぐお迎えが来るはずなんだけど、よかったら奈緒も一緒に来る?」


 中庭の存在は認知していたが、そこで食事を取るということは考えたこともなかった。一人での昼食のためだけに、わざわざ移動をするのが億劫に思えたからだ。しかし、今は美初がいる。彼女と親睦を深めるためにも、ここは同行をするべきだと私は考えた。


「それじゃあ、私も着いていかせてもらおうかな」


 私が弁当箱を取り出すために鞄へと視線を向けたその時、視界の端に一つの影が映った。


「一ノ瀬、足大丈夫だった?」


 影の主である黒いセミロングの女の子は、座っている美初の顔の高さまで腰を曲げ、柔らかい口調で言った。

 静寂の走る教室に、元気で綺麗な美初の声が響く。


「平気だったよ九石さん!」


 “さざらし”と呼ばれた少女は、美初の言葉を聞いて嬉しそうに微笑みながらこう言った。


「ふふーん、私の治療のおかげかな~?」

「あっ、そうだ! 私ね、お友達ができたの!」

「スルーされちゃったかー……んで、どの子がそのお友達?」


 一瞬私と九石の目が合ったが、彼女はすぐに目を逸らし、辺りを見回すように首を動かし始めた。


「こちらの八城奈緒さんだよ!」


 手のひらを上にした美初の手が私の方を指す。それを見た九石は、今度はじっくりと私の顔を見つめた。

 少しの沈黙の後、九石はゆっくりと口を開く。


「えーと、これからも一ノ瀬と仲良くしてあげてね、八城さん」

「は、はい……」


 私の頭は、九石の制服のように真っ白になっていた。沈黙を続ける他の生徒も同じ状態だろう。

 海軍科──県内ではこの学校にしか存在しない学科の一つだ。強い女性というイメージがあり、生徒たちの憧れの的でもある。

 この学科の特徴は制服にある。普通科の生徒はカッターシャツに緑のチェックの入ったスカートを着用しているのに対し、海軍科の生徒は白いワンピースの先に金色の横線が二本入った制服を着用している。この制服は、大日本帝国海軍が着用していた軍服をイメージして作られたものらしい。

 制服の他にも、普通科とは全く異なったカリキュラムや月給制などの相違点もある。

 私が動けずにいる間にも、九石は手際よく美初を立ち上がらせる準備を進めていた。


「はい、松葉杖。ゆっくりでいいからね」

「ありがとう九石さん。後、私のことは美初でいいからねっ」

「はいはい、一ノ瀬一ノ瀬」

「もう、頑固なんだから……」


 どこで関係を持ったのかはわからないが、どうやら二人は仲が良いらしい。

 それに、美初には私たちのように九石を特別な目で見ている様子はなかった。


「ほら、奈緒も行こっ!」


 蚊帳の外となっていた私に、立ち上がった美初が言った。

 美初の言葉のおかげで正常な思考回路を取り戻した私は、今度こそ弁当箱を手に取ることに成功した。これで、ようやく次の段階へと進むことができる。


「あの、私も着いていっていいですか?」


 私が同行するというのは美初の意志だったが、九石のあまりの威圧感に思わず確認を取ってしまった。


「一ノ瀬のお友達なんでしょ? だったら、好きにするといいよ。私も君とお話がしたいしね」

「奈緒、九石さんも私たちと同じ一年生だから、わざわざ敬語を使わなくたっていいんだよ?」

「わ、わかったよ。よろしくね、九石さん」

「こちらこそよろしくね。んじゃ、しゅっぱーつ」

「進行~」




 ◆




「奈緒、もしかして九石さんのこと怖がってる?」


 廊下に出て少し経った時に美初が私に小さな声でそう囁いた。


「いや、別に……」


 私は、美初から目を逸らしながら言った。

 ……本当は少し怖い。久々の友好関係だからだろうか? それとも、彼女が海軍科だから……?


「……確かに九石さんは冷たい人間に見えるけど、本当はとっても優しくて面白い子なんだよ。無理にとは言わないけど、私は二人にも仲良くなってもらいたいんだよね……」


 美初の言葉が本心だということは私にもわかった。

 そして、私も九石とな仲良くなりたいと思っている。

 ……踏み出すならこのタイミングだろう。

 私は、勇気を出して九石の名を呼ぶことにした。


「九石さ──」

「八城さん」


 わざとか偶然かはわからないが、見事に私たちの口を開くタイミングが一致してしまった。

 私と違って、声をとぎらなかった九石が発言を続ける。

 

「好きな食べ物って何?」

「……コロッケかな」

「あーコロッケかぁー、私も好きだよ。一番はキャビアのパスタだけどね」

「えっ?」

「嘘嘘! そんな高級なもの、一度も食べたことないよ」


 ……この人は何が言いたいのだろう。

 戸惑いの感情こそ有れど、堅くなっていた私は、少し柔らかくなっていた。


「本当はビーフシチューが好きなんだ。お母さんが作ったやつね」

「お母さんとは仲が良いの?」

「……そうだね。とっても仲良しだよ」


 少しの間があったことが気がかりだが、私には本人の言葉を信じる他ない。

 私は、途切れてしまった会話を繋ぎ止めようと頭を巡らせたが、結局それ以降、誰も口を開くことはなかった。




 ◆




 九石が手慣れた手つきで美初の足の包帯を取り換えている様を横で見ていた私は、美初の足の怪我が思っていたよりも綺麗な状態であるということを知った。見た目だけだと、普通の人と何ら変わりない状態だったからだ。ということは、彼女の足の内側で何かが起きているのだろう。

 私には医学的な知識がないので、それ以上のことを考えることはできなかった。

 保健室でのやり取りを済ませた私たちは、予定通り近くの中庭で食事を取ることにした。


「そういえば、まだ名前を言ってなかったね」


 校内に来る屋台で買ったクレープを手に持ちながら、九石が言った。

 その横では、同じくクレープを買った美初が、美味しそうにそれを頬張っている。


「私は“九石祈”。いい名前でしょ?」

「いい名前なのに、どうして下で呼ばせてくれないの?」


 美初が不満そうな顔で言った。


「そのことなんだけどさ、この際二人とも下で呼んでくれていいよ」

「えっ、本当に!?」


 美初の声を聞いた祈は、私たちの方を向きながらこう続ける。


「もう吹っ切れちゃったんだ──あ、私は二人のことを一ノ瀬と八城って呼ぶけどね」

「何よそれー……」

「本当だよ……」


 膨れる美初を横目で見ながら、祈は静かに微笑んだ。

 そんな二人を見て、私も不思議と笑顔になった。

 ……だが、私の笑顔はそう長くは続かなかった。

 “鴉色の箱”が今開かれる──

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