21世紀のむかしばなし。
桃太郎は鬼ヶ島の鬼をやっつけました。
そして鬼が奪った財宝を持ち帰り、村の人々に返してあげました。
ちょうどその頃、島で一匹の鬼が目を覚ましたのです。
倒れている仲間を見た鬼は、目に涙を浮かべながら叫びました。
「桃太郎! お前を一生、恨んでやる!」
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昨夜は風呂に二回も入ったし、歯磨きは念入りに一時間もかけた。
そして今、人生初のワックスとやらを髪につけてみるところだ。
「これ、どーやって使うんだ?」
俺は鏡の前でそう呟く。
しばらく格闘した結果、ワックスはあきらめた。
俺はワックスを洗面所の棚にしまうと、ふと鏡に視線を戻す。
そこに映るのは実にさえない男。
近所の床屋で、父親より年上の理容師に切ってもらっている髪型は、さすがに流行に乗れていないことは認識している。
やけに白い肌は文化部どころか、帰宅部の超インドア派だということを物語っており、少し垂れ気味の細い目は頼りなく、鼻は低くはないが高いわけではない。そして存在感の薄い唇。
細すぎず太り過ぎずの体型をキープしているものの、筋肉質というわけでもない。身長は一六七センチで高くはない。
いつもなら鏡の前で溜息を連発するところだ。そもそも鏡なんか、めったに見ないけど。
でも、今日は違う。
俺は慣れない手つきで香水を体につける。
この香水は兄貴のもの。
こっそり拝借した。バレたら確実に『それじゃあ使用料もらうなー』とか言って、お気に入りのエロゲを持って行かれるだろうな。
そんな危険を犯してでも、俺が良い香りをさせたい理由は一つ。
「リア充、爆発しろ! なーんて、もう言えないな!」
俺は笑いながら香水を体中に吹きかけた。
駅前広場に着いたのは待ち合わせの三十分前。
周囲を見回してから、未島の姿を探す。
「さすがにいないか」
俺はそう言ってベンチに腰掛ける。
さすがに土曜日なだけあって、目の前を通り過ぎて行くのはカップルが多い。
いつもなら、嫉妬をたっぷり含んだ重い心でリア充達を横目に歩くのだが。
今日は心が穏やかだ……ってゆーかそれどころじゃない。
「ママー! あのお兄ちゃん、くさーい!」
その声に視線を下に向けると、五歳くらいの女の子がそう言って、こちらを指さしていた。
え?! 俺?!
キョロキョロと辺りを見回してみたが、幼女が指さしているのは間違いなく俺だ。
「リナ! 人を指さしちゃダメよ!」
母親らしき人がそう叱りつけ、「すみません」と申し訳なさそうにこちらに頭を下げる。
親子は逃げるようにして去って行った。
あのー……。お母さん「くさい」っていうのは否定しないの?
俺は自分の匂いを嗅いでみる。
香水の匂いしかしないけどなあ。
「桃山君、待ったー?」
俺が自分の匂いを嗅いでいると、天使のような声が聞こえた。
慌てて顔を上げる。
そこに立っていたのは……。
綺麗な栗色の髪は活発さを現すショートヘア、日に焼けた健康的な肌に、大きな瞳はやや吊り目で、笑うと八重歯がかわいい。
華奢な体の割には出るところが出ており……つまり胸が結構、デカい。
高校一年生なのに、どう見ても中学生以上には見えないロリ顔で、体だけは成熟しているってのもギャップだ。素晴らしい!
いかんいかん。完全にエロオヤジの目線だ。
この子は未島茜。
今日から俺の彼女である!
「いや、ぜんっぜん待ってないよ!」
俺の言葉に末島が笑いながら言った。
「昨日、見たドラマの台詞と同じ!」
「そうなの?」
「うん。桃山君は『警棒』ってドラマ観てないんだっけ?」
「あー……ドラマはあんまり観ないなあ」
「今度、観てみなよ! 右西さんの推理が凄いんだからー」
「うん。そうする」
俺はそう言って笑う。
未島は広場の時計を見上げてから、五歩だけ俺に近づいた。
すると。
「うっわ! 桃山君、すごい匂い!」
末島はそう言うと、顔をしかめた。
「え?! 俺、臭い?! 昨夜風呂に二回入ったし歯磨きだって……」
「そーじゃなくてー、香水の匂いがきっついの!」
「香水?!」
俺はそう言葉に出してから、家を出る前の事を思い出す。
全身に香水をふりかけたのは、まずかったのか……。
「ま、いっか! さ、急ごう! 映画が始まっちゃうよ!」
末島はそう言うと俺の手をとった。
心拍数が上がる。
ごくん、と唾を飲み込んだ瞬間。
突然、辺りが暗くなったと思ったら、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。
俺と末島は映画館まで走り出す。
手をつないだまま。
天気は土砂降りだけど幸せだ……。
映画は笑えるくらいつまらなかった。
予想を斜め下をいく駄作のくせに三時間超えの長編。
俺が睡魔と格闘する中、ふと隣に視線をやると、未島が気持ちよさそうに眠っているのが見えた。
天使のような寝顔。
「告白、されたんだよな……」
俺は彼女の顔を見つめながら、小声で呟く。
昨日はバレンタインデーだった。
一個ももらえないだろうと思っていたら、放課後に教室で未島から綺麗にラッピングされたチョコレートを渡された。
『本命だからね!』という夢のような台詞付きで。
一ヶ月前の席替えから隣同士となった俺達は、まあそりゃあ以前よりは話す事が多くはなったけど。
スマホのアドレスを交換し合って、メールも頻繁に交換してはいたけど。
『桃山君は優しくて気配り上手だからすぐに彼女できるよ』なんて未島からのメールがあったけど(もちろん即保存)
まさか両想いだとは思わなかった。
俺が一方的に憧れているだけで終わるんだろうなあって。
「それが彼女だなんて……」
俺はそう呟いてスクリーンに視線を戻した。
人生初めてのデート。
土砂降りだし、映画は笑えるくらいつまらないけど。
それでも俺は幸せだ。
大好きな彼女が隣にいるから。
そして、末島に俺の秘密を、打ち明けよう。
きっと驚くだろうけど、信じないかもしれないけど、さすがに引かれはしない……はず!
映画の後は少し遅い昼食。
ファミレスに向かう途中、犬のフンを踏んだり、ヤンキーの方々にからまれて命からがら二人で逃げたり、その途中で信号無視の車に轢かれそうになったり。
たった一キロの道のりが波乱万丈だった。
俺ってこんなに運悪いっけ?
「ねぇ。桃山ってさ、いつもこんなに不幸体質だっけ?」
ファミレスの窓際のテーブル。
向かいに座った未島がそう尋ねてきた。
「ん? いや、意識したことはないけど……。今日は珍しくツイてないなー」
俺はそう言ってから、勇気を振り絞ってこう付け加える。
「あ、でも今日は未島とデートできたから――」
「お待たせいたしましたぁ!」
ウエイトレスの無駄に明るい声に、全部言えたらカッコ良かったであろう俺の台詞は遮られた。
タイミング悪っ!
ちょっとへこむ。
ちら、と未島を見ると、何やら考え込んでいる様子だった。
ドリアが熱いのだろうか。そういえば猫舌とか言ってたな。
「桃山、あのね」
末島はそう言うと、グラスをテーブルに置いた。
パリーン、という音が響く。
彼女がテーブルの上に置いたグラスが、何の前触れもなしに割れたのだ。
俺は驚いて目をまん丸くした。
さっきの無駄に明るいウエイトレスが謝罪しにきた。
ウエイトレスがテーブルを離れてから、俺は末島に尋ねる。
「大丈夫か? 顔、真っ青だぞ?」
「あ、うん。ちょっとビックリしただけ」
彼女はそう言うと、少しだけ笑う。
そして、いつもの明るい声でこう言った。
「私、行きたい場所があるの!」
窓の外を見ると雨はすっかり止んでいて、太陽が顔をのぞかせていた。
未島に連れて行かれたのは公園だった。
申し訳程度に遊具があるだけの、小さな小さな公園。
隅の方に植えてあるやけに立派な木が、なんだか寒そうだ。
そんな場所だから、遊んでいる子供はおろかカップルだっていない。
つまり、ここには俺と末島の二人きり。
なんだか急に緊張してきた。
「よっ、と」
末島は嬉しそうにブランコに乗った。
俺も彼女の隣のブランコに座る。
「いいねー。ここ」
末島はそう言うと、張り切ってブラコンをこぐ。
まるで誰かと競争しているかのように、彼女の体が高く上がる。
「あんまりこぐと危ないぞー!」
「平気ー!」
末島はそう言ってこぐのをやめようとしない。
「相変わらず元気だなあ」
俺はそう呟いて笑う。
すると。
がちゃん、と聞きなれない音がした。
「キャアアアアア!」
末島の悲鳴が聞こえ、驚いて顔を上げると。
彼女は鎖の切れたブランコと共に、宙を舞っていた。
何が起きたのか分からなかった。
末島とブランコが地面に叩きつけられる。
俺は慌てて彼女の元に駆け寄る。
「末島! 大丈夫か?!」
そう叫ぶと、彼女は苦笑いをしながら答える。
「いったぁ……」
「どっか痛いか? そうだ、救急車!」
俺がそう言ってスマホを取りだそうとすると、未島が言う。
「大丈夫。私、体は頑丈だから」
「いや、でも!」
「本当、気にしないで。かすり傷だってないんだから」
「だけど、頭打ったりしたかもしれないだろ?」
「だーかーらー。だーいじょうぶだって」
「大丈夫じゃねぇよ! かなり高い位置から落ちたんだぞ!」
「人間じゃないから大丈夫なの!」
「とりあえず救急車──」
俺はそこまで言いかけて、彼女の言葉を反芻する。
人間じゃない?
「末島、マジで頭打ったんじゃ……」
「頭打ったせいで自分が人間じゃないと思い込んでるんなら、どんなにいいだろうね……」
末島はそう言うと俯いた。
俺はごくり、と唾を飲み込む。
「どういうことだ?」
俺の問いには答えず、末島はベンチに移動する。
そっと隣に座ると彼女は黙ったままこちらを見た。
そして静かにこう尋ねる。
「桃山君、私に秘密にしてること、あるでしょ?」
俺はその言葉にぎくりとした。
彼女は続ける。
「私も秘密にしてたことあるんだ」
「なに?」
末島は少しだけ躊躇してから、ゆっくりと唇を動かす。
「私、鬼なの」
「え?!」
「正しくは、私の祖先が鬼」
「祖先、って……」
「はい。私は打ち明けたよ。次は桃山の番」
末島はそう言って少しだけ笑った。
俺は拳をぐっと握って、勢いをつけるかのように言う。
「俺の祖先は……桃太郎だ」
「やっぱりそうじゃないかと思った」
末島はそう言って笑う。
俺は彼女に尋ねる。
「あっさり信じるのか?」
「だって、私の祖先は鬼だよ。桃太郎だっているでしょ。あの話を作り話だって思ってる人は多いみたいだけどさ」
末島は俯いてから続ける。
「聞いた話によるとね、私の祖先は鬼ヶ島にいたらしいんだ。桃太郎に退治されて命からがら生き残った鬼が、私の先祖だって」
「なんか、ごめん」
「桃山が謝ることないよー。それに私の祖先は生きてたんだから」
末島はそう言って笑った後、真面目な顔に戻った。
そして、ひどく悲しい顔をする。
彼女は真っ直ぐ俺を見てからこう言った。
「だけど、私達は一緒にいちゃいけない運命なんだね」
「桃太郎の子孫と鬼の子孫は結ばれない。もし恋に落ちたとしても、二人には災いばかりが降りかかる、って俺もばあちゃんから聞いたけど、あんなの迷信だろ?」
「迷信なんかじゃないよ。今日のデートで、変な事が沢山あったでしょ?」
「でも!」
俺は反論できなかった。
とつぜん割れるグラス、ブランコの太くて頑丈な鎖が切れる。
雨やらヤンキーにからまれるとかは『偶然』で済ませられることができそうだが……。
「私は鬼の血をひいてるから、体だけは普通の人間よりも頑丈なの。さっきも怪我一つないし。でも――」
末島はそこで言葉を切り、唇をやわらかく噛んでから続ける。
「このままだと、桃山にも悪い事が起こるよ……」
「俺だって、体は頑丈だ」
俺の言葉に末島は俯いたまま言う。
「でも、これがまだまだ序の口なんだとしたら……危険なのかもしれない。私はともかく、桃山は普通の人間の体なんだから……」
「ちょっとくらいの不運なら、なんてことない!」
俺はそう言って末島の両手をぐっと握る。
直後。
バキバキ、という音がしたかと思うと木がこちらに倒れてきた。
寸でのところで下敷きにならずにはすんだ。
ごくんと唾を飲み込む。
倒れた木を見つめて思う。
風もない穏やかな日に突然、木が倒れることなんてあるのだろうか。
しかも俺が末島の手を握った直後に……。
これはやっぱり「災い」なのだろうか。
もう不運なんて覚悟で付き合ってしまおうか。
末島だって今は怯えてるだけで、デートを重ねていくうちに『なーんだ。大したことないね!』って笑い合え――
「そんなわけないか」
俺はポツリとつぶやく。
彼女がいくら頑丈な体とは言え、何があるか分からない状況に巻き込むのは嫌だ。
それなら誰か別の男と幸せになってくれれば、俺はそれでいいんだ。だって好きな人の幸せが一番だから。
……なーんて思えないけど。
だけど、俺と付き合ってはいけないのは確かだ。
頭では分かるんだけど、な。
公園を沈黙が支配する。
それを破ったのは、俺だった。
「俺達は普通のクラスメイトに戻るべきなんだ……」
そう言ってから、俯く。
大きく息を吐いて、末島の顔を真っ直ぐ見つめる。
そしてこう言う。
「だけど、俺が末島を好きな気持ちは変わらない。ずっとずっと。永遠に」
末島は眩しいくらいの笑顔で言う。
「うん。私も桃山のこと、大好き! 初恋なんだからね!」
彼女は歯を見せて笑った後で、静かにこう言った。
「来世はさ、お互い、普通の人間として生まれようね。それで恋人同士になって結婚しようね!」
末島の目に光る大粒の雫が、やけに綺麗だった。
@
目が覚めた。
視界に入ったのは、見慣れない白い天井。
「誠人!」
母の声が聞こえた。
「お母さんの顔、分かる? 記憶はあるの? 痛いところはない? いま看護師さん呼んだからね!」
母が矢継ぎ早にそう尋ねてくるが、頭がぼんやりして答えることができない。
看護師さん?
……ってことは、ここは病院か。
でも、なんでだ?
看護師が医者を連れてきて、俺を簡単に診察した後で「ああ、大丈夫そうだね。でも、明日は念のため精密検査をしましょうか」と言った。
母は安堵の表情を見せていた。
静けさを取り戻した病室で俺は母に尋ねる。
「母さん。俺、なんで入院してるの?」
「覚えてないの?!」
母はそう言って、リンゴの皮をむく手を止める。
そして口を開く。
「誠人、あんた車に轢かれたのよ。怪我は大したことなかったんだけど、ずっと目を覚まさなかったの。本当に心配したんだから」
「ずっと、ってどのくらい?」
「事故が入学式の日だったから……。一週間くらいね」
母の話を聞いていたら、ぼんやりと記憶がよみがえってきた。
そういえば俺、高校の入学式の日に事故に遭ったんだっけ。
「じゃあ、今までのことは夢か……」
俺はポツリとそう呟く。
桃太郎の子孫と鬼の子孫の報われない恋。
我ながら少女漫画みたいな夢を見たもんだ。
「ちょっと売店、行ってくる」
俺はそう言って立ち上がる。
「一人で大丈夫?」
「うん。平気、平気。散歩がてら行ってくるだけだよ」
俺はそう言うと、よろよろとベッドを降り、ゆっくりと病室を歩き始めた。
ドアに手をかけて、母の方を振り返る。
そしてこう尋ねる。
「あのさ、実は俺の先祖って桃太郎とか鬼ってことはないよね?」
母は目をまん丸くして俺を見た。
そして心配そうな表情で言う。
「やっぱり頭、打ったんじゃ……」
「いや、違う。そういうことじゃなくて。真面目な話なんだけど」
「桃太郎だの鬼だの真面目に話す時点で、おかしいわよ。先生呼ぶ?」
「あ、いい! やめて! その、あの、夢の話だから!」
俺はそう言うと、逃げるように病室を出た。
そうだよな。
夢の中の『俺』は桃山猛とかいう名前だったし、そもそも俺(山田)の祖先はずっと農民だって、ばあちゃんが言ってたなあ。
「あれは俺が見た夢の話だ」
そんなことを言っている内に、売店に到着した。
「愛花ちゃん、また牛乳飲むんだね。あんまり飲むとお腹こわすわよー」
レジのおばちゃんの笑い声に、なんとなくそちらに視線を向ける。
「だーって、骨折、早く治したいもん! まさか入学式の日に階段を踏みはずすなんて思わなかったけどさ」
愛花と呼ばれた女の子が、怪我人とは思えないほど明るい声で話してた。
俺は、彼女の姿を見て心臓が止まりそうになった。
なぜなら。
夢に出てきた鬼の血をひく女の子にそっくりだったからだ。
「茜……」
俺は無意識の内にそう呟いていた。
彼女が驚いてこちらを見る。
そして俺に優しく微笑んだ。
<おわり>