90限目 エラーエラー・エスケイプ
『キミは、恋をすると死ぬ――。
――それも恐らく、本当に、だ』
そんなことを告げられて――。
しばらく、ヒナはぽかんとしたままなにも言えなかった。
その言葉の意味を飲み込むと、途端に彼女の顔は青ざめた。
そして、叫ぶ。
「えっ、えええええ~~~~~~~~~~~!?」
ヒナは仰天しながら携帯電話に掴みかかった。
「ちょ、ちょっとシュルツさん! どういう、どういうことですか!? え、なんですかそれ!? 本当に死ぬって!」
『……そういうことだ、日記を見つけて、生き延びてくれ……。ボクも尽力する……』
「さすがにわたしまだ死にたくないですよ! 来週新作乙女ゲームも発売されますのに! わたし16才ですよ! あと100年生きて乙女ゲーやるんですから!」
『ギャーギャーうっせーな!』
「ええ!?」
逆ギレである。
『だいたい、ヒナさんが精神世界で死んじゃったら、こっちでぶっ倒れてるヒナさんも動かなくなっちゃうから、ボクだって一生ゲーム世界に閉じこめられることになるんだよ! クリア条件はキミが乙女ゲーをクリアすることだからね! そうなったらボクだっておしまいさ! 孤独の海でたゆたうカルネアデスの板となる!』
「そうなんですか!? なにを言っているかわかりません!」
怒鳴り合うふたり。
もはや、めちゃくちゃだ。
『ボクだってよくわかんない! とにかく生きて! マジで生きて! なにがなんでも! なりふり構わず! 頼むから!』
「もしかして電話が遅れたのって、わたしを見捨てようとしたんですか!? そうなんですか!? ひどい、シュルツさんひどいです!」
『一時の気の迷いだよ! たったひとりで一生ゲームする暮らしも悪くないって思っちゃったけど! でもヒナさんと一緒にゲームを攻略するほうが、死ぬよりはマシさ! 現実世界に戻りたいし!』
「シュルツさんのバカ! でもそんなところも好きです!」
『うるせー死ねビッチ! いやだめだ、死んじゃだめだ!』
罵り合う小鳥と黒猫。
だが――そのとき、だ。
ヒナの後ろから――先ほどから放置されていた美卯だ――少女がふわりと背中に抱きついてくる。
「ひぃッ!」
身の毛がよだった。
ヒナの思い描くヒナのための美卯は、そうして耳に唇を寄せてくる。
「ねえ、ヒナちゃん……」
吐息が耳にかかる。こそばゆい。
「なななななななぁに? みみみみうちゃん?」
「ちょっと、汗かいちゃったね……」
「――」
ヒナさぁぁぁぁぁん! とシュルツが叫ぶ。
しかしその声も届かない。
クレイジーサイコレズの言葉に、クレイジーサイコビッチは頭が真っ白になってしまっていた。
そして――。
「一緒に、お風呂、入ろっか……?」
「わあああああああああ!」
ヒナはじたばたと暴れ、美卯をふりほどく。
それから机の上にある携帯電話を掴むと、なんとヒナは――意を決してベランダのガラスを体ごと突き破った。
映画ぐらいでしかお目にかかれないような大胆アクションである。
「わあああああああああ!」
ガラス片をまき散らしながら、ごめんなさいごめんなさい美卯ちゃん乱暴してごめんなさい、あとで弁償しますから! と心の中で叫びつつ、靴下で外に飛び出した。
脇目も振らず腕を振り、ヒナは全速力で駆け出す。疾風のようである。
――しかし、本当に危ないところだった。
相手が小学校からずっと一緒にいる幼なじみでもなければ、確実に死んでいた。
ここで死ねば、もう二度と本物の美卯には会えない。だから我慢しなければ、今度こそ、我慢しなければならないのだ。
ヒナは髪を振り乱しながら、叫ぶ。
「恋をしたら死ぬとか、つらたんですよーーー!」
魂の叫びであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
恋をしたら死ぬとか、つらたんです
『90限目 エラーエラー・エスケイプ』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
はぁ、はぁ、と息を切らし、ヒナは立ち止まった。
塀に手をつきながら、呼吸を整える。
靴下のまま走っていたはずだが、いつの間にかヒナは靴を履いていた。
これこそがなによりも、ここが現実世界ではないということの証明であった。
微塵も疑ってはいなかったが――やはりシュルツの言っていることはウソではないのだ。
ヒナは暗い声でつぶやく。
「ど、どこまで走ってきたんでしょう」
『さぁてね……』
辺りはどこか見覚えがあるようなないような、どこにでもある町並みだ。
もちろんここがヒナの精神世界である以上、彼女が知らない記憶などはありえないのだが。
「そ、それにしても、心臓に悪いですね……この状況は……」
『ボクが言えたことじゃないかもしれないけど、ヒナさんよく死ななかったよね、ボクの通信が入るまで……』
「そりゃあそうですよ。現実世界だと思っていたんですもん。わたし、地味で平凡な女子高生なんですから、現実では自制してますよ。あれは乙女ゲーでタガが外れていただけで……」
『ヒナさんの心を固定するタガって、なんなの? オリハルコンかなにかでできているの?』
「そんなことより! 日記ってどこにあるんですか!?」
さすがのヒナも真剣だ。
携帯電話から届くシュルツの声は、普段よりもシャープである。
『位置はまだわからないけど、方角はキミから見て右手側かな……とりあえず、そちらのほうに移動してくれるといいよ』
「はい……」
『いいかい? ヒナさん。ここから先はなにが出てくるかわからない魔境だ。キミにとって都合の良い出来事がバンバン起きるだろう』
「うう……」
道ばたをおっかなびっくり歩きながら、ヒナはぎゅっと胸を押さえた。
『だからヒナさん、命令はただ一つ、見人必殺! 見人必殺だ!! ボクたちの邪魔をするあらゆる勢力は叩いて潰せ! すべての障害はただ進み押し潰し粉砕しろ!』
「言っていることがすごいこわいですけど!」
シュルツはトーンを落とし、言い聞かせる。
『ここで戦ったって誰も傷つけることはないんだ』
「戦うって、そんな、わたし……」
『やらなきゃ死ぬだけだぞ!』
「愛に殉じるなら、それでも!」
『ええい、このわからずや! 命がかかっているのに! ならば今すぐ愚民ども全てに叡智を授けてみせろ!』
「なんですかそれ?」
『なんでもいいから。ほら、来る、来るよ!』
「えっ」
シュルツの声に、思わず身構えるヒナ。
曲がり角から、ゆっくりと姿を見せる影。
ヒナの前に現れたのは――。
「よう、ヒナ――。こんなところでなにしてんだ――」
――赤い髪の幼なじみ。
現実に、いるはずがないその男は、三島優斗であった。
刹那――。
認識するよりも早く、ヒナの体は動いていた。
夏の風よりも緩やかに、冬の海よりも激しく、その小さな体は優斗の足下へと滑り込む。まさしく――縮地。
踏み込みはない。ただ上半身のバネのみを使った掌打。音もなく放たれたその一撃は、暗殺拳のように優斗の顎を貫いた。
ヒナの瞳は光を映さず、さらなる行動に映っている。優斗が上方へと吹き飛ばされるよりも早く、独特な歩行を用いて彼の背後に回ると、腰を落としその背を打ちつける。
今度はすさまじい轟音が響いた。
柔拳からの剛拳――。
内外を同時に破壊するヒナのコンビネーションは、オートマチックに作用し、優斗をべちゃりと壁に叩きつける。
無意識の中、体に染みついたその連続技が炸裂し――。
「――ハッ」
数瞬後、遅れてヒナは気づく。
「わたし! 一体今なにを!」
『実に見事な威力だったよ。パーフェクトだ、ヒナさん。今ばかりはボクも、優斗くんかわいそう、とは言わないよ。これも生きるための戦いだ』
「そんな! 誰も傷つけたくないのに!」
顔を押さえて苦悩するヒナ。まるで己の戦闘技術に悩む生まれながらのサイボーグのようである。
しかし優斗の――そもそも優斗だったのかどうかもヒナにはわからなかったが――吹き飛ばされた方を見ると、塀にまるでギャグマンガのような人型の穴が空いていた。
のぞき込む勇気はないが、恐らく行動不能にはなっているだろう。
「うう、わたし、わたし……」
ヒナは相変わらず握った拳を見下ろしながら、落ち込んでいた。
だが、シュルツにとってそのヒナの戦闘力こそが、今は唯一の光だ。
『いいかい、ヒナさん。キミは獣だ、獣になるんだ。近寄るものは咬み殺す地獄の番犬だ。人の姿を捨てることで闘争に特化するんだよ。モード反転・裏コード・獣化第二形態だ』
「そんな物騒なことできませんよ!?」
『人ひとりを問答無用でぶっ飛ばしておきながら、今さらなにを!』
まったくであった。
しかし、この世界、ヒナに都合の良いことばかり起こるというのは、まったくもって誇張表現ではない。
一息ついて、さらにシュルツの指し示す方向に歩んでいたその矢先。
――曲がり角から出てきたのは、パンをくわえた少女であった。
「!?」
今度こそ避ける間もなく、ぶつかる。
どこかで見たような少女はヒナと激突し、軽く吹き飛ばされた。
尻餅をついた彼女は「いててて」と額を押さえながら、気づき、慌ててスカートを押さえた。
「わ、わわわ……み、みた?」
「え、えと……」
ヒナは凍り付いていた。
顔を真っ赤にしてヒナを上目遣いに睨む少女は、男性向け創作のベッタベタな展開さながらに、ぶーと唇を尖らせていたのだが――。
だが、その彼女の古典的なポーズは通用しない。
――その姿が、全身が、荒いモザイクに覆われていたからだ。
何者かまるでわからず。当然ぱんつも見えていない。
クリーチャーのようですらある。
リアルなモザイクがわたわたと手足を動かしながら、さらにドキュメンタリーの取材を受けている人のように性別もほとんどわからない、加工された声色でなにやら「もー、遅れちゃうー!」とか言いながら走り去ってゆく。
残されたヒナは、呆然とつぶやいた。
「これって……?」
あれが都合の良いこと? 一体どゆこと? 頭の上に疑問符を浮かべるヒナ。
答えは、すぐそばにあった。
『間一髪だった……』
はぁぁぁぁ……とため息をつくシュルツ。
彼(彼女?)は、改めて告げる。
『ここはなんでもありの世界だからね……。だから、ゲームと違って、ボクが介入することもできるんだよ。タイミングが合って良かった。座標を指定して人物加工を施す。シューティングゲームみたいなものだよ』
それはつまり――。
「な、なるほど……シュルツさんがやったんですね……!」
『ああ、そうさ。キミに都合の良いことだけなんて、起こさせてたまるもんか』
「しゅ、シュルツさん……」
生きるために必死なシュルツの声を聞き、ヒナは思わず胸の前で手を組み合わせた。
恋をすると実際に死んでしまうこの世界において、ただひとり、絶対的な味方がいる。
どんなに嬉しいことだろう。ヒナは胸がきゅっと締め付けられる感覚を味わう。
感動だ!
『ボクだって仕事をするんだ。ふたりでなんとか、生き延びよう、ヒナさん。できることはなんでもするから。だから、ボクは絶対にヒナさんをその世界から脱出させてみせる』
断固としてそう言い切るシュルツ。
そんな黒猫の言葉に――。
「ああ、シュルツさん、かっこいい……!」
ヒナは陶酔の顔をしていた。
言うまでもないことだが――ほぼ死にかけだった。




