89限目 キラーキラー・キャッツ
「シュルツさん!」
弾かれたように声を上げたその直後である。
受話器から聞こえてきた音は、無慈悲だった。
つまり――。
ツー、ツー、ツーという……。
「あ、あれ!? 切れちゃった!」
ヒナは慌てて携帯電話を見返した。
それから、ぱちぱちと叩くようにしてキーを押しまくる。
「ちょ、ちょっとヒナちゃん、壊れちゃう、壊れちゃうってば!」
「で、でも、切れちゃった、切れちゃった!」
「どうどう、落ち着いて、落ち着いて」
美卯に慰められ、ヒナは泣きそうな顔で彼女を見返す。
「美卯ちゃんー! なに叩いても反応しないよ、この携帯電話! どういうことなのー!?」
「大丈夫大丈夫、美卯の予想が正しければ、何度でもかかってくるはずだから」
「え、そ、それって……?」
「んー、なんて言おっかな」
そのときだった。
「――それはワタシから説明するのです」
いつの間に出現したのか。
ヒナと美卯が向かい合っているテーブルの上に、一匹の白猫(のぬいぐるみ)がいた。
つやつやの毛並みは美しく、その自信満々な表情には気品が見え隠れしている。
つるんと髭を撫でる表情は、貴婦人(貴婦猫?)のそれだった。
「えっ、なにこの子かわいい!」
美卯がきゅるんと桃色の声をあげる。
その賛辞に気を良くしたのか、白猫は二足歩行で立ち上がりながら胸に手を当てた。
「当然なのです! ワタシはブルーメ! 復活して帰ってきたネオ・ブルーメ! コムスメども、わたしを崇め奉りやがるのです! オーッホッホッホ!」
「やだやだ、かわいいー! ま、美卯のほうがかわいいけどね!」
「!?」
驚愕の表情で振り返るネオ・ブルーメ。
美卯はいつの間にかクマ耳ではなく、ネコ耳を装着していた。
ネオ・ブルーメは気に入らないようなものを見る目つきで、美卯を睨む。
「なんなのです、その耳! キャラかぶっているのです! 許せません、粛正してやるのです、勝負なのです!」
「ええっ?」
突然の果たし状である。
ネコ耳つけただけでそこまで言われるとは思わなかった。
美卯はじりじりと引きながら、不安げにうなずく。
「う、うん、いいけど……勝負ってなに?」
「フ――」
じゃきんと両手の爪を伸ばす白猫。
彼女はまるで血統書つきのような誇りを讃えながら、闘争本能をあらわにした。
「コムスメに格の違いというものを教えてやるのです。彼氏はいなくても荒事は大得意、年収一千万円以上のイケテルBOYをGETするために、日夜戦うワタシに勝てるとでも? フ、ズタズタに引き裂いてやるのです。アラサー女子の底力みるのです!」
美卯は少し考えて。
「えと……じゃあ、美卯はヒナちゃんみたいに戦闘力がないので、女子力で勝負したいです」
「女子力!」
ネオ・ブルーメは嘲笑した。
「このスーパーOL、キュートでカワイイモテカワオーラの権化たるワタシに女子力で勝負を挑むだなんて! 再起不能になっても構わないと言いやがるのですね! ならばブルーメの本気を見るのです!」
殺る気満々のネオ・ブルーメである。
「ふーん、猫ちゃんも自信満々なんだねー」
「フ、当たり前なのです! ブルーメは合コンにいけばほぼ確実に相手の連絡先をゲットする能力を持っているほどの猛者なのです! 年収六百万円以下は相手にもしやがりませんからね! コムスメとは違うのです」
「つき合う相手を年収で選ぶのはどうかと思うんだけどなあ」
苦言を呈する美卯を、ネオ・ブルーメは鼻で笑った。
「さすがまだまだ社会を知らないコムスメは、言うことが違うのです。結婚相手に求める条件は、3K! つまり、高身長、高学歴、そして高収入以外にはありえないのです! ばかめ、です! コムスメはおうちに帰ってママのミルクでも飲んでろ、なのです! もう勝負あったのです!」
そこまで言われながらも、美卯はニコニコと笑っている。
女の子が憧れる女の子のような、邪気もまるでなにもなく、それでいてしたたかで、可愛らしい笑顔だ。
あ、また悪い癖が出たな、とヒナが思ったのもつかの間。
己の胸に手を当てて、美卯は告げた。
「住吉美卯と言います。高校二年生だけど結婚していて、ダーリンの年収は一千万円です」
「……………………………………」
『私の戦闘力は53万です』並の破壊力だった。
完敗である。
ブルーメはテーブルの隅っこで体育座りをしていた。ぬいぐるみなので手足の長さが足りず、なんだか中途半端な格好だが。
「べ、べつに、べつにけっこんだけがおんなのしあわせじゃないもん……。だいたい、わかくしてあいてをみつけたって、えんじょいできないだけだもん……。もっともっといろんなひととこいして、おんなのみりょくをみがいてこそだもん……。りそうのぱーとなーをみつけるんだもん……」
「え、でも見つかった人が運命の人だと思ったら、もう他の人と恋愛する必要とかなくない? なんでわざわざ遊ばなきゃいけないの? それって理想の相手がまだ見つかってないからでしょ? そもそも恋をするような年になって理想のパートナーって夢を見ているのもどうかと思うな。この人と一生添い遂げるんだって思ったら、その人を自分の理想の人になるように、一緒にがんばっていこうよ。それに美卯はひとりの男の人に一生尽くすことが幸せだと思うから、今すごく幸せだよ。自分を『女の幸せとは~』なんてテンプレートな例に当てはめないでいいんだよ、ブルーメちゃん」
「もうやめて美卯ちゃん、ブルーメちゃんのHPはとっくにゼロだよ。あとわたしもなんか、わたしもなんか胸が痛いから、やめよう? ね?」
ヒナが頭を押さえながら、ふたりの間に入る。
ネオ・ブルーメは――今まで気づいていなかったのか――ぱぁっと顔輝かせた。
「まま!」
「……まま?」
美卯が首を傾げる。
まるで瞬間湯沸かし器のように、ブルーメは顔を真っ赤にした。
すごい勢いで叫び出す。
「わ、ワタシはそんな、そんなつもりじゃ! そんなつもりじゃな! あう、えううう、ううううう! ううああああああ!」
いまだ心の傷が癒えていなかったようだ。
ヒナが「あっ」と手を伸ばしたけれど、時すでに遅かった。
――しゅぴんと消え去るブルーメ。
影も形も残らない。
美卯が「あーあ」と顔を曇らせた。
「そっかあ、あの子もヒナちゃんの被害者だったんだ……」
「ひ、被害者ってなーにー」
「言うまでもないから言わない。あとブルーメちゃんがすごく説明してくれそうな感じだったのに、消えちゃったんだけど……」
「え、わたしのせい!? わたしのせいかな!? だいたい全部美卯ちゃんのせいだったと思うんだけど!」
冷や汗をかくヒナ。
美卯は「み、美卯は勝負って言われたからつい……」と目を逸らす。
なんとも言えない空気が漂い出した頃、再び携帯電話が鳴った。
今度は慎重に通話ボタンを押すヒナ。
『……ホントに、ブルーメつかえないな……』
そんなつぶやきが聞こえてきた。
この口の悪さは本物だ。シュルツである。
ヒナは通話をスピーカーモードにして、ことりとテーブルの上に携帯電話を置く。
それから、小声で話しかけた。
「えーっと……シュルツさーん、あなたの藤井ヒナですよー?」
『あーはいはい……』
隣の美卯が「なんだかものすごくテンション低い子だね……」と、シュルツに聞こえない声の大きさでささやいてきた。
普段はこうじゃないんだけどな、と思うヒナ。不安になりながらも声をかける。
「大丈夫ですかー? なにかありましたかー?」
『ウボァー』
「えっ、ちょっ、断末魔ですか!?」
『いや、うん、大丈夫。ていうか久々に疲れた。仕事をした気がするよ』
「えっと……?」
シュルツはそこで押し黙った。
もしかしたらまた電話が切れたのかな、と不安に思っていると、隣に座る美卯がそっと手を伸ばしてくれた。
「大丈夫大丈夫、ヒナちゃん」
なんの根拠もないが、その幼なじみの微笑みを浴びて、ヒナは若干心温かくなる。
ひとりで悩まなくていいというその安心感が、ハートを包み込んでくれるのだ。
やはり持つべきものは友である。美卯へのスキトキメキトキスの気持ちが徐々に溢れてくる。
だが、その瞬間――ヒナは思わず胸を押さえた。
「うっ」
「だ、大丈夫!?」
もうさすがに幼なじみに恋心は抱かないだろうと思っていたが、そういうわけでもなかったようだ。
ヒナは失神する寸前で、なんとか持ち直す。鋼の自制心である。
そこで再びシュルツからの通信だ。
『あ、これはだめだな、ボクも腐っている場合じゃないな……。ヒナさん、平気? 聞こえる? 大丈夫? ヒナさん』
「あ、はい……シュルツさん、心配してださっているんですか?」
『まあね。じゃなくて……ええとね、ヒナさん、心して聞いてくれる?』
「はい」
神妙にうなずくヒナに、シュルツもまた、いつになく真剣な口調で語る。
『そこは本当の現実世界じゃないんだ。キミの今いる場所は、キミの精神の中にある世界だ。ボクたちは結局、クリアをするまで外に出られないんだよ』
美卯が「やっぱり……」とうなずく。
『精神の中にある世界』だとシュルツは言った。
つまりヒナが今いるのは、自分自身の心の中ということか。
ヒナは驚く。
「えっ、じゃあこの隣にいる美卯ちゃんも、わたしの心の中の美卯ちゃんなんですか!?」
『そういうこと。こっちでもそちらの状況はモニターしているからね。ちゃんと見えているよ』
美卯が「それだったらもっと早く電話をかけてきてくれても良かったんじゃ……?」と横から口出した。
シュルツは沈黙する。そして重々しい声を出した。
『………………そう、だね……。その件に関しては、ボクが全面的に悪いね。社会人にあるまじき行為だったと反省しています。ボクはだめだ、猫のクズだ。一時の感情に流されるところだった。終わったらどんなに罵ってくれても構わない……』
「いえいえ、美卯ちゃん! シュルツさんはきっと全力を尽くしてくれていたんですよ。わたしにはわかります。とても責任感のある人ですもん!」
「え、本人がああ言っているんだけど……そうなの?」
「そうですとも!」
『………………………………まあ、そんなことは、今は置いとこう』
シュルツが話題を変える。
『バーチャルゲームが台頭してきた未来世界では、<トリップ症候群>、という病気がある。ゲームをしながら夢を見るようなものだよ。現実世界と自分とゲームの世界の境界が曖昧になってしまう、一時的な脳の混乱現象なんだ。キミがなっているのはそれだ』
うなずくヒナに、シュルツはさらに語る。
『本来は珍しいけれど害がない症状なんだ。ただ、今回は少し、事情が変わってしまっている。どうしてこんなことになってしまったのかというと、色々と理由があるみたいなんだけど、今は割愛するね。時間がないんだ』
「だったらもっと早く電話……」
『時間がないから早急に説明するね!』
美卯の指摘を華麗にスルーするシュルツ。
『いいかい、ヒナさん。今キミの設定は、深刻だ。ゲームが終了の解除が為される前に、キミは自分の心の中の仮想現実の世界に入り込んでしまった。そこから戻るためには、この世界のどこかにあるはずの日記に触れて、このゲームを終了しなければならない』
「あ、日記があるんですね?」
『うん、場所は今解析している途中なんだ。本当は全部確認してからキミにコンタクトを取ろうと思ったんだけど……思いの外、事態は深刻でさ』
なるほど、日記もゲーム中のものか。
しかし、シュルツの口調は相変わらず真剣だ。かっこかわいくて、気が逸れてしまいそうになる。
『ここは先ほども言った通り、キミの心の中の世界だ。明晰夢って知っているかい? これが夢だと自覚して見る夢のことなんだけど、そんな感じで、キミにとって都合の良いことばかり起きてしまう可能性がある。くれぐれも注意してくれ』
「つ、都合の良いこと……?」
ごくりと生唾を飲み込むヒナ。
その瞬間だった。
そっと美卯が再び、ヒナの手に指を絡めてきた。
「あ、そうだ。聞くの忘れていたけど……ねえ、ヒナちゃん、きょうは泊まっていくの?」
「えっ!?」
上目遣いで見つめられて、思わずドキリとしてしまった。
美卯は確かに大切な友人だ。久々に会ったからつもる話もあるのだが、それにしてはなんだこの鼻にかかったような声は!
「と、突然なに!?」
「ねえ、きょうはダーリン帰ってこないんだ。だから、美卯寂しくて……ね、ヒナちゃん……ね?」
「ま、待って! 美卯ちゃんはこんなこと言わないよ!?」
慌てて仰け反り、美卯の手をふりほどく。
どういうことだ。先ほどから心臓の鼓動が早すぎる。これではまるで――。
『ヒナさん、ただし、気をつけて、ヒナさん』
艶っぽい笑みを浮かべながらこちらに向かって迫る人妻女子高生。
その肩越しに置いてある受話器から、シュルツの暗い声がする。
『まだゲームの設定は生きている。つまり、ヒナさん、それがどういうことかというと――』
ゆっくりと自分の着ているものを脱ごうとする美卯。
彼女に視線を引き寄せられながら、ヒナは聞いた。
シュルツの言葉を。
『キミは、恋をすると死ぬ――。
――それも恐らく、本当に、だ』




