7限目 死神に抗ってみせます
ヒナもシュルツも、一言も発しない。
まるで時が凍りついたかのようだった。
ただただ、お経だけが流れている。
ヒナのゲーム内の父も母もうなだれて、
まるで夢を見ているような顔をしていた。
大の大人の憔悴しきった表情というのは、見ている側にとっても心に迫るものがある。
年月の刻まれたシワはさらに色濃くなり、まるで死相のようだった。
シュルツは心の中でうめく。
つらい……
とてもいたたまれない気分になってしまう。
優斗も椋も誰も彼もが魂が抜けたような顔だ。
このゲームの主人公の少女は、皆に愛されていたのだ。
葬式は彼女の生きてきた軌跡を映し出す鏡だ。
両親は本当に彼女のことが好きだったのだろう。
それがわかってしまうから、なおさらつらたんだ。
うちの会社は一体なんてものを作ってしまったんだ、とシュルツは思う。
新作ソフト『乙女は辛いデス』と『藤井ヒナ』。
このふたりが合わさったとき、圧倒的バーチャルゲーム空間はまさに歯車的砂嵐の小宇宙に変わるのだ。
けっこう呑気に生きてきたシュルツもこれにはビビりまくりだ。
そんな中――というのは、ついに耐え切れず母親が泣きだしたのを皮切りに、あちこちですすり泣きの大合唱が始まった中だ――ヒナが手を打つ。
彼女はいつもと変わらない――なぜ変わらないのかシュルツにはもはや理解不能だったが――普段通りの声でつぶやく。
「やっぱり、思うんですよね」
「うん」
とりあえず社会人の意地として表面を取り繕うシュルツ。
シャープペンを下唇に押し当てながら、ヒナ。
「優斗くんを、克服しなきゃ進めないな、って」
「うーん……」
シュルツは猫の手でこめかみを押さえる。
できるならぜひともそうしていただきたいものではあるが。
こんなことなら、もっともっとゲーム自体について勉強してくるんだった。
シュルツは己の不勉強を後悔する。
大体、シナリオ班とシステム班の開発部署は別なのだ。
シュルツは元々は営業畑の人間なので、なおさらである。
上に言われるがまま生きてきたツケがこんなところに回ってきた気がする。
とまあ、そんなことを言っていても仕方ない。
今のシュルツにできるのは、ヒナとともに苦労することぐらいだ。
「ちなみに、その克服っていうのは、どの程度のレベルを指すの?」
「話しかけられても死なない」
「うわぁ」
レベルが低すぎる。
どれだけホレっぽいんだ。
いや、そうか。恋愛力53万か。
「でも思うんですけど、シュルツさん」
「はいはい、なんでしょう」
「例えば、わたしが優斗くんを攻略したとするじゃないですか」
「う、うん」
あり得ない話だけど、と言いかけてさすがにやめた。
ヒナの気勢を削いで良いことなどひとつもない。
「それで一周目をクリアーしたとして……
もう一度最初から二周目をスタートしたら、
もちろんわたしは優斗くんのことを好きなわけですよ」
「うん」
「そうしたら、最初の出会いの時点で、もう死んでしまいかねないじゃないですか。
つまり、このままトライ&エラーを繰り返したら、どんどん好きになっちゃって、
最初からときめいちゃって、どんどん難易度が高くなっていきません?」
「ふむ」
ヒナはホレっぽいが、決して頭が悪い娘ではない。
新興宗教の教祖に祭り上げられそうなほどに愛が深いが、決してバカではないのだ……と思う。少し自信ない。
ヒナの質問はシステム上のことだ。それならシュルツにもわかる。
「それはね、セーフティ機能が効いているんだよ」
「なんですかそれ?」
「今、優斗くんのことを思い出してみてよ」
「えっと……あ、あれ?」
ヒナはシュルツの言うとおり試してみる……
が、顔は思い浮かぶものの、びっくりするほどにときめかないのだ。
ゲームの中では、即死するほどにドキドキするのに。
一体どうしてだろう。
シュルツはその理由を述べる。
「バーチャルな乙女ゲーとか、美少女ゲーができてさ、
結構な社会現象になっちゃったの。もう生身の人間いらなくね? って」
「思います思います」
「いやそんなに力いっぱいうなずかなくていいから。
でもそれってちょっとやばいでしょう?
ぶっちゃけ人類存亡の危機でしょう?」
「ですねですね。スタンドアローンで生きていけますね。
人と人との繋がりが希薄になり、冷え切った社会は心を失ってしまいますね」
「そんな殺伐とした未来にはなっていないから、とりあえず安心してくれていいよ」
ヒナと話していると、どうにも話がズレてゆく。
無視すればスムーズには進むだろうが、一応はバイトをしてもらっている立場なのでそんなことはできない。
シュルツは続ける。
「だからね、セーフティ機能が開発されたんだ。
ゲーム内世界はキミの記憶とリンクしていたよね。
あれがひとつのファイアウォールになっていてね。
実はこの中で起きた出来事は、感情と切り離されて思い出せるようになっているんだ」
「えっと……?」
「つまり、ゲームをやめた瞬間に、
この世界でのドキドキはほとんど忘れちゃうってこと。
依存症対策のためのセーフティ機能だよ」
「ということは、いくら優斗くんとおしゃべりしても、
際限なく好きになったりはしない、ってことですか?」
「そういうことだね。
スタートの感情の蓄積は常にゼロから。
それがボクの世界の乙女ゲーの基本システムさ」
「ふーん、よくできているんですねえ」
「納得した?」
「全部じゃないですけど、はい、ちょっと安心しました」
しかしそこでヒナは、アレ? と首を傾げる。
「あの、感情が蓄積されないなら、
わたしはいつまでも優斗くんに慣れないのでは……」
当然の疑問だ。
いつだってゼロからのスタートなら、
ヒナの行き着く先は墓場以外にはありえないだろう。
だからシュルツは付言する。
「あ、大丈夫。慣れと飽き、だけは蓄積するようにできているんだ」
「え、そうなんだ」
「いつでも新鮮に楽しめたら、それはそれで依存しちゃうでしょ。
だから、ちゃんと現実に戻らせるようにできているんだよ」
「なるほどー」
ヒナは手を打った。
シュルツの言葉は、すっと胸の中に滑り落ちる。
やればやるほど慣れてゆき、飽きてゆくのがゲームなのだ。
そうだ。どんなに好きなキャラでも、一年も二年も経てば、忘れてしまう。
あんなに好きだった乙女ゲームのキャラだって、
また新作乙女ゲームが出たら、取って代わられてしまうのだ。
確かに何人かはレジェンド的な胸に残るキャラだっているけれど。
それだって、あの頃と同じほどには好きではいられないだろう。
でも、ヒナはそれが悪いことだとは思わない。
むしろ逆だ。一瞬の花火が輝くように、冷めるからこそ恋は美しいのだ。
だって、いつまでも同じ人を好きでい続けることができたら、
乙女ゲーがこんなに毎月毎月発売されてくれたりはしなくなってしまう。
至高の一本を入手してしまったら、それさえプレイしていればいいのだから。
そうしたら購入する人は年々減っちゃうし、売れなくなったらメーカーも作ってくれなくなっちゃうし。
つまり、飽きと慣れ、というのは、
ゲーム業界自体が再生と破壊を繰り返すためにも必要不可欠なキーなのだ。
ヒナはそう考えて、もう一度うなずく。
「なるほど……」
ひとりで結論づけて、ひとりで納得するヒナ。
猫のぬいぐるみに変身しているシュルツは、小さく首を傾げていた。
かわいい、と思う。
恋的な意味ではなく。
困っているなら助けてあげたい、と思う。
恋的な意味……ではないはずだ。
「わっ、ちょ」
シュルツを抱き上げて、ヒナは口元を引き締める。
ようやく自分の胸の中に、勝算というものが生まれた気がした。
それは今は小さな明かりだけれど。
でもきっと、自分とシュルツの未来を照らす太陽になるはずだ。
シュルツを顔の正面に掲げて、ヒナは笑った。
「じゃあ、わたし、
がんばって優斗くんに慣れてみます!」
「うん、ボクも応援しているよ!」
猫でさらにぬいぐるみだから、表情があんまりよくわからないけど。
シュルツも笑ってくれたような、そんな気がした。
◆◆
「お、おい……ヒナ、そ、そんな、ヒナぁ……!
ど、ど、どうしちゃったんだよ、急に……なあ、ヒナ!?」
震える声で叫ぶ優斗。
その表情は青白いのを通り越して、もはや土気色だ。
きょうも校門前には救急車がやってくる。
いつもと変わらない日常、いつもと変わらない……決して平和とは呼びにくい景色であった。
五回目。
死因:三島優斗の優しい笑顔を見て。
シュルツより一言:がんばれ……。