69限目 たまにはこんな平凡な一日
※乙女つらたんです。合ってます。
藤井ヒナが夢を見ながら死亡した、その日のことを語ろう。
第一発見者は、翔太と母親であった。
いつまで経っても部屋から出て来ないヒナをいぶかしんだふたりが緊急家族会議を行なっている最中だ。
優斗から家に電話がかかってきたのである。
曰く、『藤井ヒナがいつまで経っても待ち合わせに来ないけれど、大丈夫か? もしかしたら事故にでもあったのではないか?』と。
なぜ家族との付き合いをシャットダウンした姉が、優斗とは遊びに行こうとしているのか、それはそれで翔太の心にも深い傷を刻んだのだが。
しかし、翔太は不可侵条約を盾に、渋っていた。なにかとてつもなく恐ろしいことが起きるような気がしていたのだ。
今はそんなことを言っている場合ではないと主張する母親によって、ふたりはヒナの部屋に踏み込む決意をしたのだった。
ゴールデンウィークの三日目ということで、休みの母親と一緒に翔太は緊張しながら姉の部屋のドアを開く。
時刻はもう夕方近くだ。
ギィと鈍く軋んで開く扉の奥、藤井ヒナはどうやらベッドに横になっているようだった。
部屋になかなか踏み込もうとしない翔太の後ろから、母親が首を出して中を覗く。
「どうしたの? 翔ちゃん」
「あ、いや……なんか、今……」
なにかを恐れているように翔太は歯切れ悪く答える。
「前にもこんなこと、あったよう、な……」
「ええ? なに? デジャヴ?
そんなことより、今はヒナちゃんを」
「お、おう……」
翔太は部屋に立ち入り、ヒナを揺り動かす。
しかし彼女の細い体に触れた瞬間、翔太はビクっとして手を離した。
「あ、あ……」
「な、なに? どうした、の?」
翔太の顔が青ざめてゆく。
彼は口にすることすら怖いとばかりに、ぱくぱくと喘ぎ、ひたすらにヒナを指さしてみせる。
その異常な態度を見て、さすがの母親も事態の深刻さを感じたようだ。
「ひ、ヒナちゃん……? えっと、まさか、ヒナちゃ……」
ヒナの布団を剥ぎとった母親は、すぐに異変に気づいた。
彼女の体が冷たくなっていることに――。
「――っ」
唇を震わせながらも、母親は手早く口走る。
「翔太、早く、連絡」
「えっ……?」
信じない。信じられない。信じたくない。
そんな翔太の一瞬の逃避を吹き飛ばすように、母親は金切り声をあげた。
「救急車と、警察と! あとパパに! 連絡!」
ヒナを抱きしめながら叫ぶ彼女もまた、動転していたのだろう……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今回のヒナの変死は、今までとは明確に異なる点がひとつあった。
それは、彼女の死を見届けた人物がいない、ということだ。
そのため、藤井ヒナの758番目の死は、初めての事件性を帯びる。
彼女は他殺ではないかと疑われることになった。
最初に警察に事情聴取をされたのは、翔太、母親、そして父親の三名だ。
彼らは口を揃えて「最近のヒナの様子はおかしかった」と語る。
「数日前から、まるで人が変わったようだ」とも。
その意見を補強するように、途中で聴きこみされたクラスメイトの凛子や樹といった人物たちも、うなずいていた。
一方、彼女の死を聞かされた幼馴染の優斗などは、純粋にただただ泣き崩れていた。
椋もまた、心から彼女の死を悼んでいるようであった。
アリバイや動機を探るような真似はあまりせず、警察は事件の解決を急いだ。
その結果――あるいはゲーム中の簡素な処理だからか――事態の収束は極めて迅速であった。
誰の心にも深い傷を刻み込んだこの事件は、ヒナの検分結果を持って決着をする。
監察医の診断結果は――『心臓麻痺』であった。
藤井ヒナはかねてより体が弱く、昔からずっと田舎で療養しつつ暮らしていたのだという。
恐らくは、深夜に突然容態が急変したものの、彼女は助けを呼ぶこともできず、ベッドの中で息絶えたのだという見立てであった。
苦しんだ形跡がなかったため、意識を覚醒することもなく安らかに逝ってしまったのではないか、という専門家の分析は、家族に一雫の慰めをもたらしたようだ。
夜間に何者かが忍び込んで、ひっそりとヒナを殺害して立ち去ったのだ、という最悪の想像だけは免れた。
身内から殺人犯を出すこともなく、ヒナはヒナ自身の天命によって亡くなってしまったのだ。
それは恐らく神様のノートに決められていたことだったのだろう。誰かがどうにかできたことではなかった。
亡くなる前日も彼女は洋服を購入して楽しそうに浮かれていたのだと、こっそりと扉の隙間から盗み見た翔太は証言していた。
決して人生に絶望しての、死ではない。
これからも恋をして、人並みの幸せを願って、それでも運命の悪戯によって二度と目を覚ますことはなかった。それだけの話だ。
こんな日がいつかは来るのではないかと、藤井ヒナの身内は皆、覚悟をしていたらしい。
眠るように亡くなった彼女の姿はとても美しく、儚く、なごり雪のように人たちの心を打った。
――しかし、彼女はもう二度と、微笑むことはないのだ。
催事場に場所を移し、まるで眠り姫のように横たわる藤井ヒナを見下ろす参列者たちの顔は、皆どこか夢を見ているかのようだった。
あまりにもヒナの体には外傷がないため、まるで現実味がないのだ。
今にも起き上がり、「おはよう」と笑みを見せてくれるような、そんな気持ちを誰もが抱いていた。
突きつけられた死体検案書すらも、どこかの誰かが作ったまがい物のようだった。
祭壇に献花をし、焼香をあげた優斗は呆然とした顔で、式場を出た。
こんな日だというのに晴れやかな空を見上げて、本当なら藤井ヒナと遊びに行くはずだったつい先日の予定を思い出す。
未来予想図は、180度変わってしまった。
ため息すらも出ない。
そんな彼にひょいと缶コーヒーが投げられた。
「ん」
無意識にキャッチすると、「よう」と片手を挙げて挨拶する男がいた。
眼鏡をかけた制服の美青年。青髪の親友、九条椋だ。
「椋ちゃん」
「ああ」
「これは?」
「いいから飲め。なにもかも枯れたような顔をしているぞ」
「……ん、サンキュ」
プルタブを開けようとして、手が震えていることに気づく。
「貸せ」と横から缶コーヒーを奪った椋は蓋を開け、再び手渡してきた。
「……ども」
「構わん」
「……」
椋も同じように缶コーヒーに口をつける。
彼が持っているものはブラックの無糖。優斗のは甘いカフェオレだ。
こんなときにもしっかりと好みを覚えて、用意してくれている彼に、優斗はなぜだかちくりと胸の痛みを感じた。
「……椋ちゃんは、いつもいつも、冷静だな」
「……」
「別に、関係ないもんな。
……こないだ転校してきたばかりで、2日しか会ってないし。
幼馴染の俺とは、違って、さ……。
だから、そんなに、澄ましていられるんだよな……!」
ぎりぃと鳴るほどに奥歯を噛み締めた優斗の手の中で、缶がわずかに潰れてゆく。
椋は相変わらず遠くの空に視線を浮かべたまま、ブラックコーヒーを口に運ぶ。
それから、小さくつぶやいた。
「確かに、僕は彼女のことをなにも知らない」
「……っ」
「まあ、そうだな。少し、言葉を交わしただけだ。
……そんなに、交友があったわけでは、ない」
椋が思い出しているのは、きっとここ二日間の出来事だ。
藤井ヒナをアルバイトとして雇い、共に働き、それから他店への調査についてきてもらった。
彼にだって、ほんの僅かだが、思い出はある。悲しくないはずがないのだ。
ヒナと一緒に、歩み始めよう。
これから、ふたりで力を合わせて戦おう。
そんな風に決意したばかりだったのだから。
ひとりでは勇気が出なかった。
きっとそばにヒナがいてくれたから、嵯峨野に宣戦布告も出来た。
彼女は不思議な、他の人にはない魅力を持った少女であった。
椋は今になって、そう思う。
だがそれでも、
椋はなにひとつ余計なことを言うつもりはなかった。
「僕はあの娘のことは、ほとんどなにもわからない」
「だったら……!」
「しかし、優斗のことは、少しなら知っているつもりだ」
「……っ」
優斗はハッとして顔を上げた。
視線が合う。椋の目は、穏やかだった。
「優斗。
しっかりしろ、元気を出せ、なんて、月並みなことは言わない。
僕はなにもしない。
痛みと向き合うのは、お前自身だ。
だが、そばにこうして立って、
たまにコーヒーをくれてやるぐらいは、構わないだろう」
「……椋、ちゃん」
「なんてことはないさ。
僕はあまり口が巧くない、からな。
こんな言い方しかできなくて、もどかしいが……。
あまり僕のことも、見くびらないで欲しい」
「……」
優斗は下唇を噛み、俯く。
今はヒナを失った突然の悲しみに襲われて、自分の心を保つのが精一杯だけど。
いつかきっと、そばに椋がいて良かった、と思う日が来るのだろう。
その日になったら、きちんとお礼を言おう。
前に進めるその日がきたら、いつの日か――。
「椋、ちゃん……」
「フン。構わんさ」
優斗に体重を預けられ、椋は彼の頭に手を置く。
ふたりは今、ひとつであった。
欠損した半身を補うように、青年たちは互いの悲しみを分かち合う。
これから先も、彼女の分まで、生きていくために。
「くっ……うう……あ、あああ……ああああああああ!」
――優斗の瞳から、大粒の涙がこぼれた。
シュルツより一言:藤井ヒナ先生の次の人生にご期待ください! 完!
(続きます)




