67限目 スパイ活動で殉職です。
藤井ヒナという少女がいる。
高校二年生。身長157・6センチ。
長い黒髪を真っ直ぐに下ろしている、スレンダーな女子だ。
見た目はこの上なく清楚であり、まるで誰もが心の中に描いた黒髪乙女を具現化したような存在である。
しかし、そんな彼女について、最近発覚したひとつの事実があった。
何を隠そう。
藤井ヒナは、チョロインであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「店長ーッ! 店長ーッ!」
「こ、これは一体……!」
「藤井ー! しっかりしろー! 藤井ー!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「店長ーッ! はやくぅー! 店長ーッ!」
「な、ばかな……これは……!」
「藤井ー! 目を開けろー! 藤井ー!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「店長ーッ! なんなんですかこれーッ! 店長ーッ!」
「うわあああああ!」
「あああああああ!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
中略。
藤井ヒナは葬式の場でひどく落ち込んでいた。
床に突っ伏し、それはそれは見事な『orz』のスタイルである。
「椋さんとなら、大丈夫だと思っていたんです……」
「うん」
「それが、それなのに、こんなに……。
どんどんと椋さんがかっこよく見えて来ちゃって……。
こんなはずじゃなかったのに……えへへ……。
わたし、自分がこんなにチョロいだなんて、知らなかった、な……」
ヒナの閉じた目の端から、涙がキラリと輝く。
どうでもいいけれど、シュルツの前で女豹のポーズみたいな感じになっているから、先ほどからチラチラとヒナのスカートの奥が覗けてしまっていたりする。本当にどうでもいいけれど。
「あの、シュルツさん……」
「なんすかね」
「……やっぱりわたしって、チョロいのでしょうか。
相手とふたりっきりでいると、
誰かれ構わずホレてしまうような、チョロインなんでしょうか」
ゆっくりと身を起こし、女の子座りで俯くヒナに上目遣いでじっと見つめられて、シュルツは斜め上に視線を転じた。
わらにもすがるような熱い視線を感じながら、一体どう言えばいいだろう、と思案する。どう言えばわかってもらえるだろう。
「キミがチョロインかどうか、だけど」
「はい」
「当然そんなことを言語化する必要は、
ボクはないと思っていたんだけど、
それでもあえて言わせてもらうのなら、だけど」
「はい、どうぞおっしゃってください。
忌憚のないご意見をお聞かせください」
「でも、本当にいいの? 結構ひどいこと言うかもしれないよ」
「大丈夫です。お願いします、シュルツさん」
胸に手を当てて、深呼吸し、シュルツの言葉を受け止めようとする藤井ヒナは、まるで聖女のような汚れない瞳をしていた。
まるで幼児のようにキラキラに輝く目をした彼女へと、シュルツはつぶやく。
「鬼チョロい」
「鬼チョロい!?」
「チョロチョロチョロい、チョロチョロい。
合わせてチョロチョロ、7チョロい」
「早口言葉みたい!」
「クレイジーサイコビッチョロイン」
「なんか混ざっちゃいました!?」
ショックを受けたように頭を抱えるヒナに、シュルツは改めて言い直す。
「ボクは生まれてこの方ヒナさんほどチョロい女の子を見たことがないし、
たぶんこれから生きてきて一生見ることもないと断言できるほどにヒナさんはチョロい。
生まれたての雛ですらここまでチョロくはないと思うほどにチョロい。
恋愛ゲームのヒロインはいくらチョロいって言っても、
イベントを攻略したり、選択肢を選ばなければならないけれど、
ヒナさんはもう生きているだけで勝手に攻略されるぐらいチョロい。
アメすらあげずについてくる女児みたいにチョロい。
チョロすぎて美人局の可能性を疑わずにはいられないほどチョロい。
24時間目がハートマークになっているレベルでチョロい。
チョロいという言葉はもしかしたらヒナさんのためにあるのかもしれない。
今だってここまで言われながら、
『えっ、でもそんなにわたしのことを思っていてくれるなんて、
シュルツさんってもしかして……ぽっ♡』とか、
そんなことを心の中で思っているだろうからやっぱりチョロい。
末期。手遅れ。もうだめ。無理ゲー。
行き場を失ったチョロさが暴走を引き起こし、地球は崩壊する。
キミのチョロさで宇宙がヤバい。チョロ~ン」
「はい」
ヒナはいつの間にか正座していた。
粛々とシュルツの言葉を受け止め、それからうなずく。
「わたし、『チョロい』って言葉が、だんだんとゲシュタルト崩壊してきました」
「まあうん、ボクもだ」
ヒナは遠い目をして、つぶやく。
「でも、仕方ないですよね。それがわたしですもんね。
チョロくたって、生きてゆくしかないんですよね」
「そうだね」
「でも大丈夫です、わたし意外と毎日楽しいです」
「良かったね」
自分の言葉でヒナを傷つけられるとは思っていなかったが、それでもここまで平然とされていると、シュルツとしてもさすがに目を細めざるをえない。チョロインのタフネスは化け物か。
いや、違う。あくまでも藤井ヒナは藤井ヒナでしかなく、藤井ヒナはどこまでいっても藤井ヒナだということだけだ。
「じゃあわたし、また行ってきますね!」
「行ってらっしゃい」
かくして、シュルツは声を弾ませるヒナを見送る。
藤井ヒナは13回目のスパイ活動に勤しむのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
しかし今回の攻略ポイントは、実はそう多くはない。
椋とふたりきりの時間に慣れるのは、最低条件だが。
その後も、嵯峨野にちょいちょい褒められたり、かばわれた椋にちょいちょい褒められたり。
とりあえずはその程度なのである。
その程度なので、ヒナもシュルツも、実際はそれほど焦ってはいない。
いや、連休三日目、明日に控えた優斗とのデートがどうなるかは不安で仕方ないが、今現在はそれほどの脅威を感じていない。
ヒナ的には自信が喪失する程度の出来事があったのかもしれないが、それも自分の中で都合よく解釈したようだ。
クレイジーサイコビッチョロインは、完全物質並の耐久値と永久不滅の再生能力を誇るからこそのクレイジーサイコビッチョロインなのだ。
件のクレイジーサイコビッチョロインは椋とふたりでファミリーレストラン『ミスターファイン』にやってきて、いつものようにテーブル席で小さくなっている。
12回潰れたファミリーレストランは、きょうもこの日が最後の営業日になるかもしれないなどとは知らずに、元気に明るく営業中である。
己が死と再生を繰り返すのならまだしも、他人にもそれを強制させずにはいられない死亡テロの主犯の少女は、本日もビーフシチューオムライスを注文する。
なんだかんだで、まだ一口も味わっていないのだ。せめて一口ぐらいは食べてみたい。それがまがい物の味だとしても。
「しかし、なぜだ。どうしてこんな店が繁盛しているのだ……」
「……」
大人しく、大人しくしていよう、とヒナは決めていた。
借りてきた猫のようになるのだ。プッシーキャットのようにだ。仔猫ちゃんだ。
やがて食事を運んでくるのは、ウェイトレスだ。
店内で騒ぎを起こさなければ、今の段階では嵯峨野は登場しない。
いや、それでも帰りには必ず宣戦布告をするために現れるのだが。
「……フン……」
「……」
椋に嵯峨野との縁を聞いてみたい気もするが、それはそれで死ぬ気がする。
いや、むしろ好感度がまだまだ低い現状では、教えてもくれないだろう。
どうしよっかな、とヒナは黒髪を耳にかけながら、スプーンでオムライスをすくう。
口元に運んでかぷりといただくけれど、この世界での初めての外食は、やはりあまり味がしなかった。
喜びはあまりないが、満腹感もやってこないので、いくらでも食べられそうだ。
ヒナは大食漢ではない。
どちらかというと省エネであり、小食であり、燃費が良いタイプだ。
意識して食べようと思わなければ、休みなどは食事を取るのをうっかり忘れてしまう日もある。
乙女ゲーにドハマリした夏休みなどは、水だけで三日を乗り切ったこともあった。さすがに母親に怒られたので、反省した。
また、あまり食へのこだわりもないほうだ。
他人に振る舞うものは秘境の奥地の断崖絶壁にある幻のツバメの巣を手に入れてきてでも美味しいものを食べてほしいと思うけれど、自分の場合は割となんでもいいのだ。
だから、ヒナはこの環境にもあまりストレスを感じずにいられた。もともと彼女に『ストレス』という概念があるのかどうかは、また議論の余地があるだろうが。
「……大したものではないな」
「そうですねえ……」
相槌を打つヒナ。なんといっても味が感じられないのだから、仕方ない。
そんな風に少し言葉を交わしていると、ようやくやってきた。
「これはこれは、九条財閥のお坊ちゃんではありませんか」
「……」
嵯峨野店長だ。澄まし顔よりもむしろ、泣き顔ばかり見せている気がする苦労人だ。
彼はのんきにも、九条椋に向けて不敵な笑みを浮かべている。
すぐ近くに毒の沼地のど真ん中に立つHP1の少女――もちろんルーラを使うMPはなく、キメラのつばさも持っていない――がいるとも知らずに、だ。
知ったときにはもう遅いのだ。青ざめ、凍りつき、泣き喚き、怒り、そうして絶望に顔を歪める以外のことはできないのだから。
「――」
「――!」
ともあれ、そんな湖に張った薄氷の上でタップダンスを踊るような嵯峨野と、椋のイベントが始まった。
ヒナはうっすらと微笑みながら、無我の境地でふたりのやりとりを見守るだけだ。
しかしヒナに備わっているビッチイヤーは地獄耳である。
自分に対する褒め言葉だけは決して聞き逃すことはない。自分に対してではない褒め言葉もやたら拾い上げて自分向けに変換してしまう欠陥品である。
「ふぅん? こんなかわいい彼女さんまで連れて来ちゃってねえ」
「………………っ」
ヒナは唇を噛みながら、耐える。
違うのだ。一定以上の年を召した男性は、女子学生のことを無条件で『かわいい』と言うのだ。それを勘違いしてはならない。決して自分に恋をしてくれているわけではない、のだ!
耐える、耐える、よし耐えた。
いける、このままなら今回こそいける。
「……『後悔』しても知りませんぜ?」
「『後悔』をするのは、お前のほうだ、嵯峨野」
するとようやく、椋と嵯峨野のにらみ合いは終わったようだ。
よし、今度こそ嵯峨野を後悔させないようにしなければ……。
ヒナの緊張が一旦ほどけて、シートに背中を預けたところだった。
嵯峨野の後ろ姿を眺め、一息ついた椋はこちらに向き直ると、背筋を正した。
「……これから、忙しくなるな」
それは先ほどまでとはまるで違う、憑き物が落ちたような顔だった。
椋は眼鏡を直し、口元に微笑を浮かべる。
「僕は誰が相手でも負けない。
九条財閥の後を継ぐものとして、戦い、勝ってみせる。
きょうはそのことを再確認できた」
「よ、よかったですね」
小さく手を叩くヒナの顔がひきつっているのは、椋があまりにも良いムードを漂わせているからだ。
ヤバい、それ以上いいことを言わないで欲しい。
「……お前にも手伝ってもらうぞ、藤井」
「モルッ!?」
ほら、彼の笑みがこちらに向けられた。
狙撃手にロックオンされたような気分だ。狙い撃たれてしまう。
「なにを驚いている。お前も僕の店のスタッフのひとりだろう」
「え、ええ、まあ、そうです、けど……」
椋はスタイリッシュに伝票を人差し指と中指で挟むと、立ち上がる。
それからヒナを見下ろし、彼は極めて難しい裁判に向かう弁護士のように、気取った笑みを浮かべた。
「戦いは、まだ始まったばかりだ。
――戻るぞ、僕達の戦場に」
逆光に輝く彼の姿は、とてつもなく格好良くて――。
「は、はいっ!」
ヒナは胸元で指を組み合わせながら、満面の笑みでうなずいたのだった。
――その瞬間、確かにヒナは、自らが恋に落ちる音を聞いたのだという。
747回目。
死因:嵯峨野に褒められて。
748回目。
死因:椋にかばわれて。
749回目。
死因:店員さんが親切にトイレの場所を教えてくれて。
750回目。
死因:嵯峨野に褒められて。
751回目。
死因:嵯峨野が格好良くて。
752回目。
死因:椋の不敵な笑みを見て。
753回目。
死因:椋が格好良くて。
754回目。
死因:椋の笑顔を見て。
755回目。
死因:椋の流し目にやられて。
756回目。
死因:嵯峨野と椋の間に挟まれて。
757回目。
死因:椋に恋して。
シュルツより一言:『ミスターファイン』は潰れました。




