6限目 校舎が遠いです死にます
例によって葬式の最中である。
「まさか新キャラが出てくるとは思いませんでした……」
「う、うん……」
落ち込むヒナと、それどころではないシュルツ猫。
半透明の自分たちが今いる空間が、とんでもないことになっている。
椋がヒナの父親(ゲーム内の)にすさまじい勢いで掴みかかられているのだ。
なんてこったい。
「おまえがうちの娘を! あいつを、あいつをぉぉ!」と怒り狂う父。
椋は「僕はなにもしていない! なにもしていないんだ!」と叫んでいる。
母は吠えるように泣き、弟と優斗は必死に父親を止めようとしていた。
床には水がぶちまけられて畳みを濡らしているものの、誰も拭おうとはしない。
それどころか、新たに男たちの血でふすまが汚れてゆく。
大惨事だ。
比較的穏やかに育ってきたシュルツにとって、見たこともないような修羅場である。
大きな物音がするたびに、シュルツ(黒猫のぬいぐるみ)はビクッと震えてしまう。
見守りたくもないのに成り行きに目が引き寄せられる。
目の前で行われているドラマの臨場感たるや。
そして、ついに椋が逆切れをしてしまった。
乱れに乱れた髪を振りながら、高笑いをあげる。
その笑みは、どうあがいても狂気である。
「ハハハハハ! まったく、馬鹿なことを言うやつらだ!
僕が、僕が殺しただと!? なにを言う!
どこにそんな証拠があるのだ! フハハハハハハ!」
完全に悪役の笑い方だし、口の端からは泡を吹いている。
割れた眼鏡をつけ、襟元を正しながらも彼は尊大に告げる。
「貧乏人どもめ! どうせ僕の家の金が目的なんだろう!
いいだろう、僕が会社を継いだ後に支払ってやるよ!
示談だ! 示談にしろ!」
ああ、とシュルツは顔を抑えた。
椋さんがこんなことを言うなんて……
よっぽど追いつめられて、精神的にも壊れてしまったのだろう。
この乙女ゲーのライターを担当している子は、シュルツの同期だ。
彼女は特に椋がお気に入りで、その設定をシュルツにも嬉しそうに語ってくれた。
『椋さんはね、本当は心が弱くて、さみしがり屋なんだ。
だから、追いつめられると、自分の心を守るために、
少しだけひどいことを言うときもあるんだけど……
でも、本当は優しくていい人なんだよ。
たぶん、人気出ると思うな。ちょっと自信あるんだ。へへへ』
シュルツはあまりゲーム内容に関わっていないから、
「そうなんだ」とそっけない相槌を打ってしまったのだ。
それが今では、どうだ。
椋さんの心は壊れてしまった。
「2160万もあれば十分だろう!?
それともなんだ、もっと望むのか!?
一億か? 一億ほしいのか!?」
絶対に同期のあの子には聞かせられない言葉を叫んでいる……
シュルツですら胸が痛い……
のに。
のに、だ。
「つまり、走っていたら確実に呼び止められちゃうんですねえ」
ヒナはノートを広げて寝っ転がりながら、
我関せずとばかりに、計画を練っている。
ヒナのいる場所の上を、酒瓶や罵声が飛び交っているのに、だ。
まったく眼中にないようだ。
なんだこの娘は……
シュルツは信じられない。
いやまあ確かにゲームといえばゲームなんだけど。
でも目の前で繰り広げられている光景は、リアルそのもので。
これが人生経験か。
修羅場慣れってやつか。
伊達に地獄は見ていない。
シュルツはヒナを拝むように頭を下げた。
「ヒナさん、すごい、です」
「え、なんで急に敬語なんですか」
「なんでもありません」
地蔵のような顔で、シュルツは首を振っていた。
さあ時を戻そう。
椋さんを悪夢から覚ましてあげないと……
◆◆
校門前。
「なかなか校舎に入れない……」
ヒナの四度目となる挑戦である。
ゲーム内では、まだ20クリックも進めていない気がする。
この際、椋はあまり問題ではない。
彼は自分の顔を知らないのだ。
目立った行動をしなければ、呼び止められることもないだろう。
やはり警戒すべきは、三島優斗だ。
あの犬系幼なじみには、すでに面が割れている。
彼は自分を視界に捉え次第、どこまでも追いかけて、
確実に自分の息の根を止めるだろう。
追尾弾のようなものだ。
よし、と小さく気合いを入れる。
なるべく慌てず、しかし急いで。
ヒナは白鳥のように両足を動かす。
どこからどう見ても病弱には見えないが、この際仕方ない。
設定を遵守していては、げた箱にすらたどり着けないのだ。
背後に死神の気配はない。
これならいける。
「よし、あともうちょっと……」
もう少しだ。
もう少しで、ゲタ箱に……!
「おい、そこのお前!」
「あああもうなんで……」
呼び止められた。相手は椋だ。
一瞬、このまま走って逃げ出そうかと思うけれど。
だめだ、たぶんどこまでも追いつめられて、確実に殺される。
椋は逃げた相手をそのまま放置するような性格には見えない。
振り切ろうにも、ヒナは元々足が速いほうではない。
諦めて、振り返る。
「はぁい……」
椋はツカツカとこちらに向かってきた。
また襟元を捕まれたらどうしよう。
すると彼は、涼しげな眼差しでこちらを見下ろしてくる。
「……見ない顔だな。転校生か?」
まるで全校生徒を把握しているような口振りだ。
いや、たぶんそうなのだろう。
ヒナは小さくうなずく。
「はい」
あまり余計なことは言わない方がいい。
対三島優斗戦で学んだのだ。
ヒナは学んで育つ娘なのだ。
「ふむ……そうか。
何組だ?」
「え?」
ちょっぴりドキッとした。
そういえばわからない。自分は何組なんだろう。
シュルツを見下ろす。彼も首を振った。
「システムはともかく、
ボクはゲーム内容に関しては、ほとんど知らないから……」
「えっ、そうなんだ」
「なにをぶつぶつ言っているんだ」
椋は目を細めた。
どうやらシュルツの声は彼には聞こえないようだ。
お約束である。
「えーと……」
ヒナが困っていると、そこに。
彼がやってきた。
「おいおい椋ちゃん、また女子生徒いじめているのかー?」
赤髪の悪魔だ。にっこりと微笑んでいる。
「……優斗か。別にいじめているわけではない。
僕は風紀委員として、自らの役割を全うしているだけだ」
「まったくもう、椋ちゃんは堅いんだからさ。
そいつは俺の幼なじみだよ。なあ、ヒナー?」
そうか、とヒナは思う。
このふたりは仲良しで、だからどっちみち、
優斗に先に会うか、椋に先に会うか、の違いでしかないのだ。
このふたりの掛け合いを見るのは、導入の必須イベントだったのだ。
「ったく、ひとりで勝手に行くから、こんな冷血漢に引っかかるんだぜー」
「人聞きの悪い言い方はやめろ、優斗」
「あははは」
優斗は笑う。朗らかな笑みだ。
憮然としている椋も、先ほどよりもずっとリラックスしているように見えた。
親友同士なのかもしれない。
おそらくファンによるカップリングを意識された組み合わせなのだろう。
需要はある。間違いない。
その対象にヒナは入っていなかったが。
もしかしたら意外に思われるかもしれないけれど。
ヒナはBLが好きというわけではない。
嫌いでもない。
それ以前の問題だった。
ヒナは男同士が恋愛をすることを一切特別視できないのだ。
だからそのふたりを見て悶えるということはない。
「ああいいなあ」とは思う。
けれどそれは恋人同士の睦言が羨ましいだけであって。
好き同士なら付き合えばいいし、えっちなことだってすればいい。
ただそれだけのことだ。
だからヒナは近親相姦もペドもBLも百合も、等しく差別しない。
法律は法律で決まっているから、それはなるべく遵守したいとは思っているけれど。
だが、本当のところは差別どころか、区別すらもできないのだ。
なにがいいか悪いかなんて、自分が勝手に決められるようなことではないと考えている。
まさしく恋愛力53万を体現している少女である。
それはともかくとして。
優斗はこちらを見ながら椋に笑いかけている。
白い歯が目にまぶしい。
そのふたりの間に挟まれながら、ああ、とヒナは思う。
彼が自分のことをとても大切に思ってくれているのが伝わる、優しい笑顔だった。
もうダメだ。
優斗くんかっこいいし。
ゴールしちゃおう。
どさっ、とその場にヒナは倒れた。
先ほどまで笑い合っていた男たちが凍りつく。
「……え?」
「ヒナ……?」
校舎前の惨劇は止まらない。
まるでこの学園は呪われているかのようだった……。
四度目。
死因:ダブルイケメン、魅惑の競演。
シュルツの一言:つらい。