54限目 生きてオシャレの華を咲かせました
店内の服飾品は色違いも含めれば、500点近くに及ぶ。
その中から全身をコーディネートしなければならないのだが……。
ブルーメは思う。
まあ、合格点は与えられないだろう、と。
あんな、たかだか10数年しか生きていないコムスメのやることなど。
ブルーメは冷めた目で店内を物色するヒナを眺めていた。
口元に手を当ててウロウロするヒナは、まるで探偵のような緊迫感をみなぎらせているけれど。
その態度だけはいっちょまえだ。
――乳臭いガキは、なんでも大人のマネをするのだから。
白猫ブルーメはもっとも人生を謳歌し、仕事に恋にプライベートにと忙しい日々を送るお年頃だ。
それだけに彼女は自分の能力にとてつもない自信を抱いている。
というかまあ、そういう風に『設定』されたAIなのだが。
男たちの群れの中、その存在感を示し続けてきたのだという自負がブルーメにはある。
一切の妥協はなく、自分磨きのために研究と投資を惜しまずやってきた。
……しつこいようだが、そういう『設定』である。
日々はナビゲーターという仕事に勤しみ、休みの日はエステや習い事、旅行やショッピング、食べ歩きなどで『女子力』を身につけてきた。
今はまだ独り身だが、それもすべてはこんな自分に見合うための結婚相手をゲットするためのものだ。
といってもこのご時世だ。
ブルーメは相手にそう多くを望まない。
年収一千万は最低ライン。背が高く、イケメンで、学歴が良い。そんなものは当然だ。
ウワキなどもっての外、自分だけを愛し、自分のためだけに尽くし、休みの日は料理などもしてくれて、自分が仕事をすることにも理解があり、性格は極めて温厚、レディファーストをわきまえており、記念日を大切に思いサプライズなどを行なう実行力もあり、価値観が合っていて、スポーツ万能、友達は非常に多くモテモテで、けれどいつも自分のことだけを最優先に考えてくれて、しょっちゅうマッサージをしてくれるような男性。
――その辺りまでが譲れない線だろう。
細かい条件を加えれば100個以上に及ぶが、つまりはそんな相手をゲットするのがブルーメの戦いだ。
そこに一切の妥協はない。
そんな彼女の目から見れば、
幼なじみにデートに誘われただけで狼狽するヒナは本当に、呆れてしまうほどにヘタレな存在だ。
「ま、いいですけれどね、楽しそうで?」
口元に手を当てて、失笑を隠しながらつぶやく白猫のぬいぐるみ。
男子争奪戦争を重ねてきたその目は鋭い。
「若いからって理由だけでちやほやされやがりまして、そんなのが今だけとも知らず、幸せなことなのです。
しかし、それもゲームの中の出来事なのですから、落涙を禁じえませんのです。
現実世界では誰にも相手にしてもらえない寂しさを、こんなところで発散していやがるんですもの。
ワタシの導きがなければ、お洋服も買えないようなコなのです。
せいぜい、優しく優しく、してやがるのですよ」
ぷぷぷ、とこぼれる笑い声。
ヒナはあれから15分以上、まるで迷子のように店内をうろついている。
どんなに頑張ったところで、ブルーメの審美眼にかなうようなコーディネートを選ぶことはできないだろう。
いっそもう、無難に制服でデートとかすればいいのに、と冗談交じりに思う。
それかジャージか? あれなら最低レベルは保証されるだろう。
どうせなにを着たところで、こんな野山で蝉を捕まえているようなド田舎丸出しのコムスメは、最低レベルから動かないのだから。
「せいぜい、ワタシに爆笑されない程度の組み合わせにしやがるのですよ」
真っ白な猫は、店内のド真ん中に立って冷笑をする。
――開発者が一体なにを考えて『ブルーメ』などというAIを作ろうと思ったのか、
それは『乙女は辛いデス』の七不思議のひとつに数えられそうなほどに、謎であった。
「で、どんな感じなのデスー?」
「決まらないんです」
眉を寄せるヒナ。
ま、でしょうね、とブルーメは嘲笑う。
思いっきり顔にも態度にも出ていたりする。
仕方ない。自分から手を差し伸べてやろう。
こんなどこにでもいる量産型コムスメは、周囲からの助け舟がなければなにもできないのだから。
「今ならご主人サマにアドバイスとかしてあげやがりますよ?
トクベツにトクベツを重ねた上の、トクベツなのですけどね?
ビジネスなら、ワタシはとってもお優しいナビゲーターですから」
「……うーん」
ほほほ、と口元に手を当てて笑うブルーメ。
しかし、悩んでいる最中のヒナは、その言葉を流しやがった。
おやおや、と心の中に浮かんだわずかな悪感情。
だがこの年頃の愚かなコムスメは、こういうものだ。年長者からのアドバイスを素直に受け入れられないのだ。
低能なプライドを捨てきれず、そうして失敗を繰り返して若さをムダにするのだ。
決して自分の経験則ではない。一般例だ。
ま、自分がもし選ぶとしたら、というのはもう決まっている。
ヒナのパーソナルカラーやスタイル、靴を考慮しても、一万円以内での選択肢はそう多くはないのだ。
ベーシックカラーはアップルグリーンか、ライラックで明るめに。
ヒナの黒髪は長くてよく梳かれている――まあそれなりには認めてやっても良いレベルだ――けれど、重たいイメージを与えてしまうだろう。
だから、春めいた服ならば、もう少し彩りを取り入れたいところ。
「というわけで、アレとアレの組み合わせがベストと思うのですけどねぇ」
チラリと見やるのは、春色のフェミニンなシャツとローライズパンツ。
あるいはボトムズをスカートに変えるのもいい。多少ガーリッシュなほうがヒナには似合うだろう。
「ええ、それはわかっているんですけど……」
ぽつりとヒナが漏らした言葉。
うん? とブルーメはわずかに聞きとがめた。
彼女は今一体なにを言った?
もしかして自分の声が漏れていたのだろうか。
だとしたら、ブルーメはわずかに不快そうに眉をひそめた。
言葉に棘を潜ませるブルーメ。
「わかっているのなら、こんなお買い物、10秒で決められやがるのですよ。
なにをグズグズとしてやがるんです」
「……」
ヒナはまだ黙り込んでいる。
ブルーメは、自分の言葉を受けて「そう、そうなんだよね~~~!」とか「わかってるね~~~!」などと同調してくる女が嫌いだ。
自分の頭では物事をなにひとつ考えられない空っぽなくせに、
さも『その程度のことは前からわかっていましたよ?』という態度で、かぶせてくるからだ。
そんなさもしい根性の女どもと付き合うと、自分の品位までが貶められているような感覚を味わわされてしまう。
ヒナもその一種か、と思ったその矢先だ。
「……ただ、わたしはアレとアレがいいと思ってまして」
「……」
その言葉にブルーメは、ただ冷ややかな目。
まるで見当違いのコーディネートを彼女が言い出したからだ。
苦し紛れにしても苦しすぎる。
呼吸困難になりそうだ。ちゃんちゃらおかしくて。
テストならば0点をつけるのもおこがましい。
マイナス120点である。
常人なら考えつかないような組み合わせ。
それは手に取った服を適当に選んだとしか思えないような。
シャツとスカートを着ればいいのだろう、と頑なに思い込んだ原始人の発想。
まるで上質な料理にハチミツをぶちまけるがごとき。
そうか、ヒナ。
その程度の女であったか。
まるで意思を持たぬ奴隷だ。
おしゃれ界のヒエラルキーにおける最低位、おしゃれ奴隷だ。
この世を司るおしゃれ王やおしゃれ女帝、おしゃれ番長が地面に撒く餌を、ただついばむだけのカラスである。
ヒナは搾取される側なのだ。
生涯に渡り「ダサい」と笑われ続け、日陰を歩く宿命を背負った女――。
が――。
「足りないんです……」
「……なにがなのです?」
「この組み合わせだとお金が足りないんです」
「?」
ブルーメはわけがわからず、違和感を表に出す。
シャツとインナー、スカートを合わせたところで9000円程度だろう。予算の一万円に十分収まっている。
一体この女はなにを言っているのか。
あまりにおしゃれ界――グルメ界のようなものだ、たぶん――に長く留まりすぎて、思考能力を失ってしまったのだろうか。
だが、違う。
違ったのだ。
次にヒナが告げるその言葉に、
ブルーメは稲妻に打たれることになる――。
「レギンス代が……」
「――――」
ブルーメは目を見開いた。
それはまるで、天啓のようだった。
「――――」
口がわななく。手が震える。世界から音が消えてゆく。
壮大な物語の伏線が、一本の線となり、この世を貫く。
『――レギンス』
ボトムスの下に履く、インナーの一種である。
それを加えた瞬間、ヒナが選んだ服がまるでパズルのピースのようにはまってゆく。
意味があったのだ。あらゆることには意味が。
まさか。
そんな。
このファッションにレギンスを組み合わせるなど。
ブルーメの発想力ではそんなものは浮かばなかった。
きらめくパーツが光のアートのように空に浮かぶ。
これはまるでファッションのアートアクアリウムだ。
長い黒髪。エナメルの靴。ヒナの身長。スタイル。控えめな化粧。首元から漂う石鹸の香り。わずかなフリル。襟元のワンポイント。フレアスカート。幼馴染と初めてのデート。ゴールデンウィーク。少しだけ大人びた自分を演出。モテカワ指数急上昇。
ヒナの全身が輝くように光を放つのが、ブルーメの脳裏に浮かび上がる。
美しさは女性の「武器」であり、装いは「知恵」であり、謙虚さは「エレガント」である。
ココ・シャネルの名言が、ブルーメの頭を鈍器でぶっ叩いたような衝撃をもたらす。
『かけがえのない人間になりたいのなら、人と同じことをしてちゃだめよ。』と彼女は言った。
まさしく――。
それがこんな場末のスーパーの一角で見られるだなんて。
ああ、と気づけばブルーメは声を漏らしていた。
「どうしても、この組み合わせがいいんですよね……でも、お金が……」
「……」
ただ一点の、オートクチュールのように。
もはやそれ以外のファッションがヒナに似合うとは思えなかった。
あえての薄化粧。あえての黒髪。あえての――。
間違っていた。彼女は『おしゃれ奴隷』などではない。
この世界のすべてを手のひらの上で転がす『おしゃれ女帝』。
いや、その程度の言葉では足りない。まだ足りない。
ヒナは神だ。『おしゃれ女神』だ。
あの組み合わせにレギンスを合わせて調和させるなど、神でなければ思いつかない。
その瞬間、ブルーメはヒナのファッションセンスにひれ伏す。
だから、ブルーメは――。
「わ、わかりやがりますぅ~~~! ワタシもそれが良いって思ってやがったのですよね~~~!
ご主人サマ、まあまあそれなりにセンスありやがりますね~~~!
うーん、なるほどー! なるほどなるほどー、なるほどー!
ま、まあ認めてやらないでもないのです~~~!
ホントは、ご主人サマに100点をつけてもいいのですけど、
あえて92点つけてしまいやがるのです。
ええ、これからの発展(8点)を祈ってますから~~~!」
全力でヒナに乗っかった。
……己のプライドを守るために、そうするしかなかったのだ。
藤井ヒナ。
──ただものではないかもしれぬ。
シュルツより一言:もっと普通に服買えよ。




