33限目 友達がいないと死んでしまいます
前回のあらすじ:握手。
さて。
授業が終わり、ヒナはにっこりと微笑む。
「三時間目もリンコとともに行動したので、無事に過ごせましたね」
彼女の前の席でひたすら黒猫のぬいぐるみに話しかけるヒナ。
その様子に怯えながらノートを一心不乱に読み続けるのが凛子。
「へー、この時代では、
ムリヤリ拘束することを『ともに行動する』って言うんだ?」
と、シュルツ。
そんな皮肉はまあ、この際置いといて。
「さ、お昼休みです。昨日と同じように過ごしますからね。
ねえねえ、リンコー」
ヒナには心強い味方がいるのだ。
彼女のそばにいれば、決して死ぬことなどない。
シュルツは自分と凛子の固い絆を侮っている。
まだ会って一日だけれど、乙女ゲーのヒロインと親友キャラには、決して壊れない友情があるのだ。
確かに彼女は名刺を読み終えるまで、自分とはまだ友達ではない“という建前”だが。
ヒナの中には、もうとても固い絆が結ばれているのだから。
と、振り向けば。
――いない。
「リンコどこ!?」
驚愕し、机に手をつきながら立ち上がるヒナ。
彼女の机の上には、手渡したノートがそのままに残っていた。
まさか、そんな。
信じていたのに、うそでしょう。
……逃げられた?
「なんて、こと……
リンコ、わたしを裏切るの、リンコ……ッ!?」
小さな拳を握り、机を叩く。
ショックだった。こんなに大好きなのに。
シュルツが「そら逃げるわ」とかなんとか言っていたが。
ヒナは胸を抑えながら、うめく。
「……そんな、だめだよ、このままじゃ……!
こんなんじゃ、わたし、わたし……!」
そう、顔をあげたヒナの前、
こちらに笑顔で手を振る優斗の姿が、スローモーションで映る。
あまりの集中状態によって、辺りの時間が遅れて流れて見えているのだ。
ヒナの危機感が頂点に達したときにのみ発動する能力だ。
やはり。
このままでは。
――優斗に、お昼に、誘われてしまう!
それはすなわち、彼に殺されるということだ。
ふたりきりで間が持つわけがない。
間に椋がいたって、きっと同じことだ。
お昼ごはんの代わりに、ぺろりといただかれてしまう。
桃色の妄想の挟まる余地もない。
だってそうしたら、シュルツとの勝負に負けてしまうんだから!
「ふぁぁ……これは、勝負あったかな、って――」
ヒナは身を翻し、シュルツ人形の頭を掴んで廊下に出る。
ずざざっと上履きで滑り込むように人の中に紛れて。
「リンコ! 逃さないからね!」
自分への、ご褒美のために!
ナデナデの、その先に――向かうのだ。
シュルツから、シュルツから……
あんなことや、こんなことを……
「うぇっへっへ……」
思わず笑みを漏らしてしまって。
なにやら胸の中でシュルツがニヤリと笑ったような気がして、ヒナはハッと気づく。
ブレスレットを見やる。
この数字が100万になれば死んでしまういつものアレだ。
数値は83万。やばい。
ちょっと妄想しただけでドキドキが止まらなかった。
ゲーム中でどんなにシュルツのことを想っても平気だけど、
その結果自分がドキドキしてしまっては意味がない。死んでしまう。
「……最後まで捨てません。
あきらめたら、そこで試合終了です!」
瞳に炎を燃やし、凛子を探しに向かうのだ。
ヒナの安住の地は――そこにしかないのだから!
そのためにも、まずは凛子の行方を探らなければならない。
ヒナは軽く屈んで、目を細めた。
凛子の身長、体重は目測で把握している。
彼女の体重移動の様子も、何度か見た。
リノリウムの上の、
目に見えないほどに細かな足跡を判別するのは難しくはない。
問題はそこからだ。
何千何万という同じ上履きが乱れる中、ただひとつ、きょうの凛子の足跡だけを見つけ出さなければならない。
追跡術は目で覚えるものではない。
知識、観察力、洞察力、五感をフルに活用する技だ。
凛子の内面と同調することにより、その足跡を浮かび上がらせるのだ。
しばらく――といっても数秒程度だが――感覚を研ぎ澄ますことにより、見えてきた。
人の波が途切れることなく続く廊下に、光の道が。
「……見つけました、凛子ちゃん……
今、会いに行きます」
「キミ、三ツ星ハンターかなにか?」
シュルツのつぶやきは、
ヒナの堂々たる歩きぶりにかき消されるようにして、風に散ってゆくのだった。
というわけで、凛子がいたのは校舎裏であった。
彼女はひとりでお弁当箱を抱えて、ため息を付いている。
どうしてこんなところに。
ひとりでとっても寂しそうだ。
なんだか胸が締めつけられるような思いがした。
なにか悩んでいることがあるのなら、話してくれればいいのに。
そんな凛子の弱った姿を遠くで見守って。
ヒナは努めて明るく声をかけることにした。
「リーンコ」
「え゛っ」
なにやらものすごい驚いたような顔でこちらを見やる凛子。
心なしか、嬉しそうにしていないような気がする。
「どーしたの? こーんなところで」
「え、いや、これはその」
「えへへ、一緒に食べようよ、お昼」
「あ、はい……そうですね……」
微笑みながら、ヒナは彼女の隣にゆく。
良かった、これでなんとかお昼休みを越えられる……
凛子もほら、笑みっぽいものを浮かべてくれているし。
やはり持つべきものは友達だ。
しかし、どうして校舎裏なのだろう……と思い。
すると、奥まった場所から男の人がふたりやってきた。
制服を着崩した、ちょっとヤンチャそうな大人びた人たちだけれど、
なにやらあちこちに怪我をしているようだ。
肩を押さえながら、校舎の方に歩いてゆく。
どうしよう、手当をしてあげたほうがいいかな、とかなんとか思いつつ。
すると凛子が眉をひそめた。
「……まさか、あいつ」
「あいつ?」
「あ、いや、えっと……」
口ごもる凛子。
その後ろからゆっくりと姿を現したのは……
「あン? なんだてめーら」
一ツ橋樹の弟、不良キャラの虎次郎であった。
彼を見るや否や、凛子が立ち上がった。
「ちょっと虎、またケンカ?」
「あいつらが突っかかってくンだよ。
マジでうぜーよな」
「あんたが相手するからでしょうが」
あ、これイベントだ、と気づくヒナ。
そうか、昼休みに校舎裏に凛子と行くことによって、虎次郎イベントが進むんだ。
まだ虎次郎と凛子は、ふたりで言い争いをしている。
というよりも凛子が一方的に虎次郎を叱っているようだ。
だが、虎次郎のイライラがどんどんと溜まってゆくのが見える。
このままじゃ爆発しちゃうんじゃないかな、とか思いつつ。
しかし、虎次郎と凛子、お似合いではあるのだけど、
口うるさい姉と聞き分けのない弟のようだ。
虎次郎ルートを攻略するためには、きっと凛子の協力が必要なんだろうな、とかなんとか。
ヒナは完全に見物客のつもりでいた。
その瞬間までは、だ。
「あっ、ちょっとあんた怪我しているじゃない!」
「お、おいっ」
凛子が虎次郎の頬に手を伸ばす。
彼はそれを振り払っただけ、なのだが……
「きゃっ」
勢い余って、凛子を突き飛ばしてしまった。
ヒナが「あっ」と思うと同時、虎次郎もハッとしていた。
校舎の壁に後頭部をぶつけた凛子は、
しばらく「つぅぅ……」と悶えている。
見たところ、傷にはなっていないようだけれど。
涙目で虎次郎を睨む凛子。
「あ、あんたね~~~……!」
「……」
虎次郎はなんだか傷ついたような顔をして、
後悔するように、自らの手を見下ろしていたのだが。
まるで振り切るように、怒鳴る。
子供のようだ。
「う、うっぜーんだよ!
てめーも、アニキもだ!
いちいちオレに絡んでくんじゃねーよ!
このブスが! もう二度とオレに近づくな!」
「――っ」
凛子の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
怒りか恥辱か、かーっと。
「あ、あんた……」
「……チッ!」
盛大に舌打ちし、虎次郎は歩いてゆこうとする。
ヒナは「うーん」とうなった。
凛子に。
自分の友人に。
なんて口を。
そりゃあ虎次郎も、ツンツンしてて可愛いけれど。
でも、凛子が悲しそうだから。
大切な大切な、自分の友達が悲しんでいるから。
それなのに、謝りもしないだなんて。
この子、ちょっと見過ごせないな、なんて。
そう思ったヒナは、
彼の行く手を阻むように立ち上がった。
「……あんだよ、てめーは」
顔を歪めてこちらを睨んでくる虎次郎に。
ヒナは困ったように眉を寄せて。
しかし苦笑いをしながら、
軽く拳を握って、告げる。
「――ちょっと、頭、冷やしましょうか?」
シュルツより一言:初のヒナさん以外の、死者が出るかもしれない……。




