27限目 あれあれ、いいんですか? 死にますよ?
果たして、一体なにが不幸の始まりだったのか。
ヒナを抜擢した上層部か。
あるいはモニターに参加してしまったヒナか。
彼女を誘ったシュルツか。
あるいは姉の頭を執拗に撫でようとした翔太か。
今から始まるのは、惨劇である。
決して心を持たないはずのコンピュータが、
ヒナの前、無惨に敗北を喫する……そんな物語である。
◆◆
こんこん、と。
ドアをノックされて、ベッドに寝そべってサッカー雑誌を眺めていた翔太は起き上がる。
「あーん?」
そういえば先ほど姉が帰ってきていた。
ならば彼女に違いない。
しかし自分になんの用だろう。
立ち上がり、ドアを開く。
姉――藤井ヒナは、大学ノートと見慣れない猫のぬいぐるみを抱えている。
にこにこと、いつも通り間の抜けた、けれどもどこか心が暖かくなるようなそんな笑顔を浮かべていた。
「んだよ」
姉とふたりきりで会うのは、どれくらいぶりだろう。
彼女がこの家に引っ越してきて、初めてのことかもしれない。
緊張する。
それを気取られないように、翔太はわざとぶっきらぼうな声を出す。
ヒナは気を悪くしなかったようだ。
変わらず、微笑んでいる。
「あのね、しょーちゃんにお願いがあるの」
「ああ? めんどくせーことはイヤだぞ」
返しながらも、内心驚いていた。
姉は容易に人を頼ったりはできない性格だ。
頼まれることも断れない。
だからこそ、無茶をしでかす。
そばにいて見守ってやらないと、心配で危なっかしい姉だ。
そんな彼女が、わざわざ自分にお願い事など。
少しだけ鼓動が速まる。
「なんだよ、言ってみろ」
「うん、ありがとう。あのね」
ヒナは黒猫を抱きながら、告げてくる。
「これからこの家で一緒に生活するにあたってさ。
ルールを決めなきゃいけないと思うの」
「ふむ」
それはわかる。
高校一年生の男と、高校二年生の女が、同じ屋根の下で暮らすのだ。
血は繋がっているけれど、トイレや風呂場でどんなハプニングが起きるかわからない。
スゲー良くわかる。
「それでね、おねえちゃん考えてきたんだ。
聞いてくれる?」
「……いいよ、聞いてやるから。
めんどくさくねーことなら、な」
「ありがとう、しょーちゃん」
ヒナは目を細めて頬を緩めた。
この病弱な姉のためなら、たいていのことならしてやれる。
翔太はそう思っていた。
が。
「あのね、わたしとこれから一緒に住む間、
わたしの存在を完全に無視してほしいんだ。
ね、いいでしょう?
わたしもしょーちゃんのことをいないものだと考えるからね」
意味がわからず。
「……は?」
翔太は思わず聞き返す。
ヒナの笑顔は変わりない。
まるで仮面を付けているかのように。
淡々と、述べる。
「もちろん、学校でもふたりきりのときは話しかけたりしてきちゃだめね。
必要な連絡事項があるなら、メールでお願い。
ただし用件は題名になるべく簡潔に書いて。
あ、これ。メールのテンプレート作ってきたから。
他にも、もしもの場合に対するQ&Aは、だいたい全部載っていると思うから。
あとで全部読んでね」
と、差し出されたノートを。
翔太は彼女の手から、たたき落とした。
頭に血がのぼっていた。
翔太は、怒鳴る。
「なに言ってんだよおまえ!
わけわかんねーよ!」
「しょーちゃん……」
「おれのことがきらいになったんなら、はっきりそう言えよ!
こんな回りくどいやり方してんじゃねーよ!」
彼女の目を見ながらそう言うと。
ヒナは目を伏せた。
苦しそうに、必死になにかに耐えているように見える。
まさか。
翔太はハッとした。
姉は冗談でこんなことをするような人ではない。
きっとなにか、事情があるに違いない。
翔太は己の軽率な行動を呪う。
この清楚可憐で純粋無垢な姉を、怒鳴ってしまうだなんて。
「な、なあねーちゃん。
どうしたんだ? 具合でも、悪いのか?」
と、手を伸ばそうとすると。
今度ははっきりと強い口調で拒絶される。
「さわらないで」
「だ、だけどなあ」
食い下がる翔太を、まるで射抜くように見据えるヒナ。
まるで視線に圧力があるかのように、翔太の動きは止まる。
なぜか身動きが取れない。
その眼光に貫かれたまま。
――ヒナに告げられた。
「――いいの?
……おねーちゃん、しぬよ?」
ヒナの手の中で黒猫のぬいぐるみがぶるっと震えた。
そんな気がした。
「な、なにが死ぬだよ、バカバカしい!」
彼女の呪縛を振り払い、
翔太はヒナの肩を掴む。
「いいかよ、おまえは死なないんだよ!
わかったか!? この家で一緒に住むんだからな!
困っていることがあるなら相談しろ!
悩み事があるならなんでも話せよ!
そりゃ、優斗にーちゃんみたいには、うまくできねーかもしんねーけどな……
でも、おれだって、おれだってなあ……!」
と、気づく。
ヒナの体から力が抜けている。
彼女の体重が翔太にのしかかってきた。
やはり、体調が悪かったのか。
「お、おい、ヒナ! ヒナ!」
だが。
ヒナはこちらを見上げて。
……薄く、笑っていた。
「まず、いっかいめ」
その言葉の意味がわからない。
彼女の手の中から、黒猫のぬいぐるみがこぼれて床を転がって。
そして、すぐにわかるだろう。
翔太は彼女の言葉が、嘘ではなかったのだと……
◆◆
違和感に気づいて……翔太は起き上がる。
「……ん?」
なんだろう。
なにかが違う。
自室の中を眺める。
すると、わかった。
ドアに一本、目立たない傷が走っている。
一体いつの間にできたものだろう。
「……なんかで引っかいちまったか?」
首をひねっていると、ドアがノックされた。
姉だ。
「んだよ」
だるそうに立ち上がり、翔太はドアを開く。
すると大学ノートと黒猫のぬいぐるみを抱えた姉が立っていた。
小柄で、線の細い姉だ。
100メートル全力疾走したならば、50メートルあたりで力つきて、そのまま病院に運ばれてしまいそうな。
自分が、守るべき相手なのに。
「……というわけで、お願いね」
ヒナの口から告げられた言葉に、翔太は動揺を隠せない。
悲しみと怒りが同時に胸を襲う。
「なんだよそれ……」
声を荒げて、翔太はヒナの腕を思わず掴む。
まるで納得ができない。
こんなにバカにされるようないわれはない。
一方的すぎる。
「ふざけんなよな……おれが、どんな気持ちで、
おまえと一緒に暮らそうとしていたか……
人の気持ちもしらねーで……!」
だが……
姉は笑っている。
「……にかいめ、だね」
事切れる直前、彼女はこうつぶやいた。
その言葉の意味を、翔太はずっと知ることはないだろう。
◆◆
ハッ、とした。
ベッドの上で起き上がった翔太。
手の中の雑誌を畳み、部屋を見回す。
なにかがおかしい。
それはすぐに見つかった。
ドアに傷がついている。
横の線と、縦の線。Tの形に。
「……なんだこれ」
こんなもの、前からあっただろうか。
デジャヴを感じてしまう。
もうすぐ姉が自分を訪ねてくる。
そんな気がして。
……その予感は、当たった。
「しょーちゃん、あそぼー」
「ん……」
頭をかきながら、立ち上がる。
ヒナは大学ノートと黒猫のぬいぐるみを抱えていた。
よくよく見れば、その黒猫のぬいぐるみの爪の部分に、
木の削りあとがついている。
このぬいぐるみがやったのだろうか。
ぬいぐるみが? バカバカしい。
翔太は自らの考えを頭から追い出す。
「あのね、しょーちゃん。
お願いがあるんだけど……」
と、ヒナが語り始める。
翔太は黙って姉の言葉を聞いていた。
その無茶な提案は、とても受け入れられるようなものではなかった。
怒りと悲しみを抱きながら、しかし一抹の不安が浮かんだ。
それは、違和感だった。
なんだこれは。
姉の言うことに従わなければ、恐ろしいことが待っている気がする。
あのTの字の傷はなんだったんだ。
気にかかる。
ひどく、気にかかった。
すると、姉がとても小さくつぶやいた。
「……ちなみにこれ、さんかいめだから」
「え?」
「おねーちゃんもう、にかいしんでいるからね」
「な、なに言って……」
うつむいた彼女の髪の隙間から、その表情は伺えないけれど。
……口元だけは三日月型に微笑んでいる。
なんだこれは……
冷や汗が翔太の背中を伝い落ちる。
「そ、そんなのっ」
言葉がうまく出てこない。
けれど、けれど。
関係ない。
姉がなにを言おうと、その提案は受け入れられない。
だってヒナは病弱なのだ。
彼女を無視している間に、その体になにかが起きたらどうする。
もし隣の部屋で倒れていたら、翌朝まで誰も気づけないんだ。
それを助けられるのは、自分しかいないのだから。
「だめだ。ねーちゃんのことを、しんぱ……み、見張るのはおれの役だからな!
ったく、どこでぶっ倒れているかわかりゃしねーからな」
軽く笑い飛ばそうとしたけれど、ひきつった笑みしか出なかった。
ごまかすように、翔太はヒナの頭に手を当てる。
ヒナは……やはり、ほほえんでいた。
「……つぎのしょーちゃんは、ききわけがいいと、いいな」
「えっ……」
聞き返したときには、もう、遅い。
……遅かったのだ。
◆◆
翔太は雑誌を投げ捨てて。
起き上がった。
よくわからない衝動に突き動かされて。
ドアを見た。
『 正T 』
なんだこれ。
なんだこれ。
一体なにが起きている。
なにが7なんだ。
「なんだよ、これ……」
わからない。
自分はさっき帰ってきたばかりだ。
そうして制服から部屋着に着替えて、
その間に姉が家に帰ってきて。
それだけだ。
他にはなにもない。
なのにこの体を串刺しにするような恐怖はなんだ。
どうして尋常ではない量の汗をかいているんだ。
一体自分は なにに 怯えている んだ。
翔太は髪をめちゃめちゃにかきむしる。
机に手を突き、目を瞑った。
だが、これだけはわかる。
これからなにか、とてつもなく恐ろしいことが起きるのだ。
その予感は確信だった。
と、その瞬間――
こん、こん、とドアがノックされた。
「――!」
口から心臓が飛び出てしまいそうだった。
胸を押さえながら、振り返る。
あれは姉だ。
きっと、姉だ。
優しくて、綺麗で、病弱で儚い姉だ。
なのに、どうしてだろう。
あのドアを開いてはいけない。
開けばきっと、自分は恐ろしいものを見ることになる。
翔太が凍りついていると。
さらに、こん、こん、と。
「あ、ああ……」
開けられない。
だめだ、開けちゃいけない。
翔太は後ずさりをする。
その腰が学習机にぶつかって止まる。
そして……
徐々に ドアノブが 回ってゆく。
それはまるで誰もいない音楽室でひとりでに動くピアノのように。
「ひっ……」
泣き出したい叫び出したい。
どうして自分がこんな目に合うのか。
『正T』が 刻まれた ドアが、
ゆっくりと、開く……
最初に 少女の 手のひらが、
ドアの縁を 掴んだ。
それから、わずかに開いたドアの隙間から、目玉。
彼女の 爛々とした目玉が、こちらを 見つめている。
あれは姉だ。
ヒナのはずなのに。
けれど翔太は心臓を鷲掴みされているようだ。
一体なにものなんだあれは。
あんなのがヒナであるはずがない。
姉の形をしたモノは、にたり……と笑いながら。
唇を 蠢かす。
「 しょー ちゃん、あー そー ぼー 」
その夜、翔太は姉の申し出を全面的に受け入れた。
話し合いが終わった後の弟は、まるで抜け殻のように生気を失っていた。
藤井翔太:再起不能!
決着...(ドドドドド)
568回目。
569回目。
570回目。
571回目。
572回目。
573回目。
574回目。
死因:ヒナ式ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの演出。
ヒナより一言:しょーちゃんかわいい。
シュルツより一言:ホラーやで。




