26限目 もう、殺し……殺せません
前回のあらすじ:逃げて。翔太くん早く逃げて。
バーチャル乙女ゲーの世界に降り立ったヒナ。
ジャージに着替えて、ゴムひもで髪を後ろにくくる。
捻転の技の衝撃で、もしかしたら制服が破れてしまうかもしれないからだ。
軽く柔軟体操をした後、弟が部屋にやってくる前に自室を出た。
決めるなら出会い頭だ。
標的がこちらの意図に気づいていないその瞬間がチャンスだ。
ヒナは深呼吸して、翔太の部屋の前にやってきた。
もう覚悟を決めるしかない。
可愛くてかっこいい弟をぶちのめすのは気が引けるけれど。
これもすべてはシュルツのためだ。
恋愛とはビーチフラッグス(ビッチではない)。
限られた勝者のみが、好きな人と結ばれるのだ。
ヒナは別に相手に彼氏がいようがなんだろうが気にしないけれど。
でもどちらかを殺さなければならない状況に陥ったなら、きっと選ぶのだと思う。
仕方のないことだから。
そして、もうひとつ大事なことがある。
ヒナは無機物に恋をしない。
相手の精神性こそが、ヒナにとってもっとも大切なことだからだ。
このゲームに登場するキャラクターは、一見、精神が宿っているように見える。
だが、それはただの非常に巧妙なだけのプログラムだ。
そこに魂は宿っていない。
ただの障害だ。ただのスライムなのだ。
だから倒して進むのは、悪いことではないのだ。
……と自分に、言い聞かせる。
そうでもしないと、つらたんだ。
そろそろ、挑もう。
殺意を悟られないように声をかける。
「しょーちゃーんー、こーろーすー」
ノックする。するとドアはすぐに開いた。
面倒そうに弟が顔を出した。
「あーん?」
ヒナは扉の陰に潜んでいる。
チャンスは一瞬。
一撃で決める――。
なにも知らない弟はヒナを探して左右を見回す。
その場にしゃがみ込んでいたヒナは、伸び上がりながら両腕を伸ばす。
人は誰もが体の中に龍を持つ。
血管のように体内を巡るその経路、『龍脈』と呼ぶ。
ヒナは己の体内に存在している“氣”の流れを循環させ、手のひらに集め、龍穴を化す。
ひとりの人間では決して到達しえない極地の氣術。肉体の枠に留まらない宇宙の氣を集めて放つ秘儀。
すなわち――発勁である。
伸筋、張力、そして踏み込みによる体重移動の乗ったヒナの掌底は、見事に翔太の顎を捉えた――かに見えたが。
その瞬間、ヒナは見えない壁に阻まれた。
目の前で電光が瞬く。
「あいたっ」
強く手のひらを打って目を開くと。
――バーチャル世界が、赤灯に照らされたかのように、真っ赤に染まっていた。
「え、なんですかこれ」
警報が鳴り響いている。
パトカーのサイレンのようだ。耳が痛い。
その世界で翔太は――停止していた。
すると、ウィンドウがポップする。
1ペナルティ。
そう書いてある下に、説明文があった。
「え?」
読み上げる。
『このゲームはR15指定です。
ゲーム内の暴力行為、あるいは犯罪行為はプログラムによって禁止されています。ご注意ください。
それでは強制的にスタート画面に戻ります』
「ええっ」
そうか。シュルツの言ってたのはこれか。
殴ったり蹴ったり殺そうと掌底を放つのは、だめなんだ。
乙女ゲーだから。
システムによって禁止されているのだ。
「そっか、そうなんだ」
プッ、と接続が途切れて。
ヒナは再び真っ白な空間に戻ってきた。
シュルツはあくびを噛み殺していた。
「まあそういうわけなんだ。
世の中には、乙女ゲーを戦争ゲームかなにかと勘違いしている人もいるらしくてね。
ゲームだからなにをしてもいいだろう、って、過激な楽しみ方をする頭のおかしな子とかもね。
イケメンを傷めつけて畏敬の数値をあげて楽しんだり……」
「そんな人もいるんですね、変わった方ですね」
ヒナが素直な感想を述べると、シュルツは眉をひそめる。
「うんまあ……キミがそう言うのは釈然としないけれど……」
なにやらヒナの言葉を飲み込むのに、ひどく苦労しているようだ。
それはそうと、話を繋ぐシュルツ。
「ほら、乙女ゲーだと相手が男の子だから、力ではあっちが上でしょ?
だから普通はそこまで問題視はされていないんだけど。
でも美少女ゲームなんて、登場キャラクターはいかにもか弱い子たちだからね。
未成年が遊んで、力任せに暴行しようとしたら問題でしょ。
だから厳重にプロテクトをかけることを、法律で義務付けられているんだ」
「なるほど。依存を防ぐプロテクトと、同じようなものですね」
「そうそう。だからイベント外での、
特に理由のない暴力がNPCを襲う!のは禁止されているんだ」
「そっかぁ……」
ヒナはなにかを確かめるように手首を回す。
それから提案した。
「あの、もう一回だけチャレンジしてもいいですか」
「え?」
「いけるかどうか、だけ」
「え? なにが?」
「できそうな気がするんですよね」
「い、いやだから、な、なにが?」
「別に、アレを破壊してしまっても構わないのでしょう?」
「いやいやいやいや構うよ、全力で構うよ。変な男気全開やめなよ」
「わたし女性ですけれど」
「完全に2000%ケンカの王子さまだよ」
「よくわかりませんけど……」
ヒナは少しの間首をひねっていたけれど。
拝むように片手を額に当てて、シュルツに頼み込む。
「お願いします、一回だけ」
「いや、電子プログラムを内部から破壊できるわけがないわけで……
もしそんなことができても、変にこの世界が壊れたら、
ボクたち一生ここに閉じ込められるかもしれないんだからね……」
「そっかぁ……」
シュルツの言葉にヒナは納得した。
単純に破壊することならできるかもしれないが、それがどんな影響を与えるかはわからない。
先ほど放ったのは所詮、対人用の暗殺剄だ。
今度はそれよりも大掛かりな――龍殺しの技を数瞬のうちに連続で繰り出せばあるいは……と思ったのだが。
シュルツが嫌ならばやらないようにしよう。
なぜか戦々恐々としているシュルツが、つぶやく。
「ま、まあ、だからもっと違うやり方を考えないとね……」
「違う、やり方……」
「殺して解して並べて揃えて晒したりするのはダメ、ゼッタイ。
とりあえず、物理的な手段はやめておこうよ、ね。
身内に殺人者が出たら乙女ゲーがどうこうっていうか、
多分村八分にされちゃうよ。お父さんもお母さんも辛いよきっと。
やめようよ。その心に一滴でも良識と善意が残っているなら思いとどまりなよ」
「そう、ですね」
どうしてシュルツの言い草が、銀行に閉じこもった犯人に、
遠くから拡声器で諭す警察官みたいになっているんだろう……、と思いつつも。
ヒナはうなずく。
「わかりました」
なるほど。
肉体を傷つけることはできないようだ。
だが、それがどうしただろう。
だって、ただ殴れないだけでしょう。
やると決めたヒナの前に、そんなものは障害のうちに入らない。
基本的にヒナは平和主義者だ。
争い事は好まないし、人の陰口を言うことだってない。
もし誰かとケンカをしたら自分から頭を下げる。気まずい空気も好きではない。
意見のすれ違いがあれば、必ず話し合いで解決する。
他人を力で屈服させるなんて、絶対に願い下げだ。
ヒナは河川敷に生えたタンポポのように、目立たないけれど穏やかな恋がしたいのだ。
それこそが本当に幸せなことだと気づいたから。
他の人を理不尽に脅迫したり、そんなことをするのはもう止めたのだ。
いつか誰かと結婚することになっても、しあわせで、
収入が安定していて、マジメで、少し不真面目で、欲深くなくて、すこぶる健康な人。
そんな人と一緒に、植物のように平穏に暮らしていければ、それでいいのだ。
だが。
今だけは別だ。
ヒナの精神テンションは今、小学生時代にもどっている。
冷酷、残忍。そのヒナが翔太をたおすのだ。
ヒナの全神経は今、研ぎすまされている。
ハダで微妙な空気の動きまでもわかるほどに。
この後の勝利を確信し、ヒナは微笑む。
その顔を見たシュルツが凍りついたように見えたが、ヒナは構わず告げる。
「わかりました。そういうことなら。
次のわたしはもっとうまくやります」
「こわい」
シュルツより一言:ヒナさんこわい。
※この物語のジャンルは“恋愛”です。
乙女ゲー世界を舞台にひとりの可憐な女の子が、
イケメン揃いの攻略対象キャラに、告白されることを目的とした恋物語☆です。
次回、ついに弟くんを陥落させちゃいます♡




