19限目 死にません死にましし死ににににません
今回のあらすじ:ヒナ生きろ。
美術の授業は、やはりあっという間に終わった。
というわけで、念願の(禁断の)昼休みの始まりである。
「ふぅ……」
徐々にヒナの体にも、緊張感が高まってきた。
なんといっても午前中が終わったのだ。
あとは午後の授業を二時間行なってきょうはおしまい。
帰りにもなんらかのイベントはあるかもしれないが。
というか、確実にあるのだろうが。
それでも半分以上が過ぎたことになる。
快挙だ。
喝采されるべき快挙だ。
つまり残り――半分以下なのだ。
もしかしたらきょう一日、生存できるかもしれない。
しかも今は、凛子が計り知れないほどに弱体しているボーナスタイム。
この機会を逃すと、次にこの時間帯まで来るのは何週間後になるかわからない。
「シュルツさん、わたし、生きたいです……」
「う、うん……そうだね……」
「命ってこんなに大切なものだったんですね」
「そういうゲームじゃなかったはずなんだけどな……」
と、お昼休みになった瞬間、ウィンドウがポップした。
『お昼休みには自由行動をすることができます。
キャラクターとの仲を育みましょう』
そういえばまだ初日だった。
チュートリアルすら終わっていないようだ。
「自由行動って……」
いくらなんでも自ら死地に飛び込むような真似をするわけがない。
と、教室を見やる。
なんということだ、優斗も椋もいない。
自分から近づかなければ、お昼休みは干渉されないのではないだろうか。
「チャ~ンス……?」
凜子の姿を探す。
子リスのようにおとなしくなった彼女と一緒にいれば、お昼休みも無難にしのげると思ったのだが。
そのリンコリスも見当たらない。
「……どこにいったか、わからない……」
探しに行くのはあまりにも危険だ。
わかっている。
この学園には優斗と椋、樹という三人の殺人鬼が潜んでいる。
ばったりと出くわしたが最後、ヒナの命は野花のように手折られる。
なんてこわい学園だ。どう考えてもホラーだ。
だが、ここで待っていても状況がよくなるとは考えにくい。
優斗や椋はトイレに行っただけかもしれない。
彼らはヒナを殺すために、牙を研ぐように髪型をキメているのかもしれないからだ。
ヒナはクラスメイトの間をかいくぐり、教室のドアに背をぴたりとつけた。
鞄を抱え、遮蔽物に身を隠したまま、廊下を覗く。
今のところは、優斗も椋も凛子もいない……
何事もなくこの教室を脱出できるかと思った。
――が、向こうから教師・一ツ橋樹が近づいてきている!
まずい。
ヒナに用があるのかはわからない。
けれど、見つかったら声をかけられるかもしれない。
イベントが始まってしまうかもしれない。
やり過ごそう。でもどうやって。
駆け抜けようか。
でもそんなことをしたら、教師に呼び止められるかもしれない。
慌てて鞄をまさぐるが、だめだ。
着火剤とマグネシウムの粉を混ぜて作った簡易スタングレネードは、ここにはない。
悩める時間はそう多くない。
決断せねばならない。
ヒナは勇気を振り絞って、飛び出した。
鞄で顔を隠しながら、だ。
どうか気づかれませんように。
祈りながら足を進める。
恐怖で心臓が痛い。
吊り橋効果も相まって、誰かに声をかけられたら即死に違いない。
ここまで来たんだ、死にたくない。
生きたい。生きていたい。
お願いします。お願いします神様。
もう新婚夫婦の仲を引き裂いたりしませんから。
あの頃の自分は法律も知らないような子供だったんです。本当です。
祈りながら、歩く。
一歩一歩が震えるように重い。
この廊下はこんなにも長かっただろうか。
踊り場までたどり着ける気がしない。
後ろから声はかからない。
手が置かれることもない。
日の光照る廊下をさらに歩く。
生徒たちの喧噪は明るく、にぎやかである。
……脱したか?
危機を脱したのか?
しかし振り返ることはできなかった。
首を回せば、そこに目を光らせた樹が立っているような気がしてしまって。
やあ、と声をかけられて。
そしてその恐ろしい顔を見た自分は死んでしまうのだ。
可能な限り目立たないよう、早足で急ぐ。
通りすがってゆく生徒たちは皆、優斗か椋に見えてしまう。
そこに彼らが紛れ込んでいたら、おしまいだ。
一刺しで心臓を貫かれ、ヒナは一撃で殺される。
緊張で目がかすむ。
あとは祈るしかない。
どうやってこの昼休みを無事に過ごすか。
行く先は決めていた。
美術室へと向かう途中に、見つけておいたのだ。
そう、人気の少ないところ。
――二階特別教室エリアの女子トイレだ。
奇跡的に誰にも出会うことなく、
ヒナはそこまで到達することができた。
女子トイレの一番奥の個室に飛び込んだ瞬間、
そのまま背中を扉につけたまま、崩れ落ちてしまいそうになる。
肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息をつく。
額の汗をハンカチで拭いながら、
ポケットに突っ込んでいたシュルツを取り出して、手のひらの上に乗せる。
「やった……来れた……
逃げ込めましたよ、シュルツさん……」
「よくやった……」
黒猫のぬいぐるみもぐったりとしていた。
どちらも精神の消耗がひどい。
「ここで、お昼休みが終わるまで、
身を潜めていようと思うんです……」
「ボクも賛成だ。外を出歩くのは危険すぎる。
この扉の外は殺意をみなぎらせた魔物がばっこする魔界だ。
生身ではとてもではないけれど、三分も持たないだろう」
「あれ今、外から女の子の悲鳴が聞こえてきたような……」
「きっと風の音と聞き違えたんだよ」
「ちょっとわたし見てきますね。
大丈夫です、すぐに戻ります」
「露骨な死亡フラグを立てるのはやめろぉ!」
叫ぶシュルツ。
その決死の声で、ヒナは思いとどまった。
「……わかりました。このままお昼が終わるまで、閉じこもっています」
「それがいい。そうしよう。それ以外ありえない」
「わたし、初日が終わってセーブしたら、
一度思いっきり優斗くんと樹先生に甘えるんだ……」
「しゃらーっぷ!」
ぴしゃりと怒鳴りつけるシュルツ。
もう気が気ではないようだ。
しかしそれはヒナも同様だ。
動揺しているからこそ、そんなことを口走ってしまうのだ。
ヒナはケータイを開いて時間を確かめる。
お昼休みはあと28分も残っている。
どうしてこんなときだけスキップできないのか。
今は生き延びることが先決なのに。
春の陽気に汗がにじむ。
ヒナもシュルツも、徐々に口数が減ってゆく。
一秒一秒を数えながら、待つ。
息苦しくて、深い海の底にいるようだ。
あとたった1680秒だ。
すぐじゃないか……
と、その時。
まさに死を告げるように。
サイレンが響く。
ぴんぽんぱんぽーん、と。
ヒナの覚悟をあざ笑うような素っ頓狂な音色で。
『二年B組、藤井さん。藤井ヒナさん。
一ツ橋樹先生がお呼びです。職員室へお越しください』
血の気が引いた。
一ツ橋樹。
最後の最後まで、ヒナを逃がさないつもりだ。
なんという執念。
これが攻略対象キャラの底力か……
顔をあげたヒナは、シュルツを見つめる。
そこには涙すらも浮かんでいた。
「シュルツさぁん……」
「……これこそが、絶対的絶望……」
女子トイレの中、二頭の子羊は、
運命に翻弄され続けるその身を呪うのだった。
シュルツより一文。
『恋は炎であると同時に、光でなければならない。』
アメリカの思想家、ヘンリー・デイヴィッド・ソローはかく語る。
藤井ヒナの恋は燃え、彼女の道に真の光をもたらすのか。
あるいはそれは浄火となり、色欲の罪背負う少女の身を焼き滅ぼすのか。
なぜ人は恋をするのか。
本能と生殖機能を越えた先に、答えはあるのか。
森羅万象生きとし生けるものに告ぐ。
至愛の時は来た。
次回、『乙女ゲーなのに恋したら死ぬとか、つらたんです』第二章end。
無限目「一億と二千年後も愛してる」
※話数、タイトル、内容は一部変更される可能性があります。
※この物語はフィクションです。




