1限目 乙女ゲー世界で死ぬとか意味わかりません
恋はつらたんだ。
つらたんは、「辛い」を柔らかく言い換えた、ネットスラングである。
辛い、なんて言うとちょっと重い。
なんとなく、大げさな気がしてしまう。
昔の人は恋を、
「夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の
知らえぬ恋は 苦しきものぞ」 なんて詠んだけれど。
たかが女子高生の自分にとっては、
今はまだ、辛いも和歌も早い。
ネットスラングの、
つらたん、で十分だと思う。
「ねー、ヒナちゃんー、
きょうあたし宿題やってくるの忘れちゃってさー」
「えー、またー?
もう、しょうがないなあ……」
藤井ヒナ。
ストレートパーマをかけた髪をまっすぐに下ろした、
一山いくらの外見をした大人しい娘だ。
たれ気味の目と困り眉が個性といえば個性だろうか。
どこにでもいる女子高生……とは多少言いがたい。
「わたしだって、あんまり自信あるわけじゃないんだからねー」
「わーい、やりぃー」
ヒナの特徴はその善性だ。
周りの人からは「単なる良い人」と見られている。
悪く言えば、掃除の類を押しつけられる「お人好し」だ。
あのコちょっと要領悪いのよね、ってやつだ。
だが、彼女の本性はもう一歩先にある。
普段は隠して、誰にも見せていない本性だ。
ヒナは人間が好きだった。
男女の区別なく、大好きだ。
必要とされるのが嬉しくて仕方ない。
誉められたらすぐに有頂天になってしまう。
つまり、ホレっぽいのだ。
「サーヤ、いつもいつもだよー?」
「へへへ、ヒナちゃん大好きー!」
などと友人が抱きついてくる。
調子の良いものだ。
「もー」と口では言いながら、ヒナは内心ドキドキだ。
大好きってなに、どういうこと、
それつまりそういうことなの?
オッケーなの? サインなの?
わたしたち女の子同士だよ、とフットーしそうな頭の中で叫ぶ。
もちろんそれが冗談であることはわかっている。
だが彼女にとって自分はそんな冗談を気軽に言い合えるような仲だと思われているのだ。やばい。
だが、これを表に出すことはできない。
そんなことをしてしまったら、友人関係なんて簡単に崩壊してしまう。
きっと気持ち悪がられるだろう。
好きなのに。好きだから、だ。
つらたんだ。
誰かを好きになれば、他の誰かを傷つけてしまう。
胸に秘めなくっちゃいけないから、恋はつらたんだ。
でもやばい。まだ抱きつかれちゃってる。
柔らかいし、いい匂いだし。
ああ、幸せすぎる。
気が遠くなりそうだ。ぴよぴよ。
と、思っているうちに、
ヒナは本当に意識を失ってしまっていた。
教室で気絶してしまうとは情けない。
みんなに心配されてしまう。つらたん、だ。
いや、でもどうだろう。
でも心配してもらったらまた嬉しくて、気絶しちゃうかも。
なんて思っていて。
「……って、あれ?」
気づく。
ここはどこだろう。保健室じゃなさそうだ。
ヒナはちょこんと座り、辺りを見回した。
コンビニぐらいの大きさの部屋だ。
真っ白な壁に覆われていて、モノがなにひとつない。
出口はおろか、窓ひとつない。
自分はここにどうやって入ったのだろう。
「あ、こういうの洋画で見たことある」
でもそれは、登場人物が次々と死んでゆくやつだ。
青くなる。
「え、ヤだなあ……
わたし、まだ17才なのに……
来週に、新作乙女ゲームも出るのに……」
これは夢だろうか。夢ならばいいのだが。
しかしそれなら、見るにしてももう少し良い夢を見たい。
だが。
「あ、おはようございます」
思わぬ近くから声がして、ヒナはびくっと震えた。
振り返る。
「だ、だれ……ってほんとにだれ!?」
その人影(?)は、青いフレームで覆われたシルエットだった。
どことなく棒人間のような印象を受ける。
「でもなんかミステリアスで良いかも」
「ええっ? そういうリアクションは初めてだなあ」
棒人間は、困ったようにつぶやく。
座ったヒナと目線が合うほどに小さい。
声は澄んでいて、中性的な印象を受けた。
男性とも女性ともつかない高い声だ。
「まあその、ちょっと説明させてもらってもいいでしょーか」
「あ、はい。どぞどぞ」
ヒナが促すと彼(彼女?)は戸惑う。
「ていうか、なんでそんなに落ち着いているの?」
「え、説明してくれるっていうから?」
「うーん。いや、まあ良いことなんだけどね。
すごく良いんだけどね。調子狂っちゃうなあ」
棒人間は頭をかくような動作をする。
ちょっとかわいい。
やばい、段々気になってきちゃった。
「まあその、これからキミにはあるミッションに挑んでもらうことになるんだ」
「わかりましたー」
「わかっちゃうんだ。いいんだ」
「え? まあ、棒人間さんの言うことですし」
「キミはボクのなにを知っているの?
ていうか棒人間なんて名前じゃないですし」
「なんて言うんですか?」
「……えーっと、まあいいか。
ボクはシュルツって言います」
「わ、かっこいいですね! 海外の方なんですか?
どうりで見たことない姿だと思いました」
「キミ、もしかして結構アレな人なのかな。
おかしいな、知能も学力も申し分なかったはずなんだけど」
彼はなにやら納得がいかないようだ。
ヒナは首を傾げた。そんなことを言われても。
「いえ、でも実際そういう姿をしていますし。
そこを否定してもどうにもならないと思いますし」
「まあそうなんだけど」
「シュルツさん、その、結構かっこいいですし……」
「棒人間ってさっき言ったのに!」
「あ、ご趣味はなんですか?
よろしければお友達からどうですか?」
「キミ、コミュ力すごいね! ボクびっくりだよ!」
だめだ。話が進まない。
シュルツは咳払いし、無理矢理会話をねじ曲げる。
「今からキミには『乙女ゲー』の世界に行ってもらいます」
「え? そうなんですか?」
「う、うん。そうなんです」
「はい、わかりました」
「わかられちゃった」
もういい。シュルツは諦めた。別にわかり合う必要はないし。
細かいことは言わないことにしよう。これは仕事なんだから。
そうだ、ヒナはミッションに非常に協力的なのだ。
良いことだ。とても良いことじゃないか。
気持ちを持ち直し(?)、話を続ける。
「知っている? 乙女ゲーって」
「うん、大好き」
「そっかそっか、良かった良かった」
「わたし、結構ホレっぽいんです」
「キミたちのいた時代においても、恋愛力がずば抜けてたからね。
だから被験者に選ばれたわけだけど」
ヒナの恋愛力は53万だった。
一般的な女子高生は、大体3~20ぐらいだ。
最初は数値の故障かと思ったが、どうやらそうではないようだ。
だから上層部が彼女に大きな興味を持ったのだ。
わざわざ時空を越えて、こんなところまで送り込まれた内情だ。
案の定、どこかちょっとヘンではあるけれど。
それもたぶん、常識の範囲内だ。
急に暴れ出したり、変な言語をわめき散らしたりしないし。
万倍以上の差を叩き出すほどに変わった子には見えないけど、とシュルツは思う。
そんなシュルツにヒナは、自分がいかにホレっぽいかを語る。
「たとえば、男の子を好きになって、付き合うとするじゃないですか」
「うん」
「でも即日には、違う人のことも好きになっているんです。同じぐらい」
「う、うん」
確かにホレっぽい。
ていうかひどいビッチだ。
見た目は清楚なのに。
ヒナは声のトーンを落とす。
「さらに、男の子に紹介された妹さんのことも好きになっちゃうんです……」
「うん……」
男女どちらもOKか。
ヘンな子だ。
「お父さんやお母さんのことも、あの人を産んで育ててくれたんだから、
とってもすごく良い人なんだろうなって、仲良くなりたくなって……」
「……」
相手の両親までもか。
おかしい(確信)。
「昔、付き合った男の子の家庭を崩壊させかけたことがあって……」
「……」
「それ以来わたし、恋愛はゲームの中だけでって決めたんです……」
「……」
悲しい。
「誰にも話したことはなかったんですけど……
ついつい、喋っちゃいました。ごめんなさい」
「いや、いいよ。
キミの恋愛力のルーツを知ることができて、参考になった」
と、慰めるものの。
「ちなみに、小学二年生のことです」
「マジで」
「相手のお父さんとふたりで遊びに行って、
ほっぺにちゅーしていたところを、相手のお母さんに見られちゃって」
「そら家庭も崩壊するわ」
シュルツの口調も崩壊気味だった。