サクラの木靴
「お母ちゃん綿あめ買って」
「お金がもうないから我慢して」
「欲しいよ~」
3歳くらいの女の子とその母親は20代に見えた。
強い風で散って来たさくらの花びらがその泣いている少女の頬に張りついた。
ぼくは親子が可哀そうに思えていた。なぜならその親はぼくと同じ年くらいだったからかもしれない。ぼくは綿あめを買い、その親子の後を追った。
まだ少女は泣いていた。
花見客でにぎわう公園での事である。母親は泣きやまそうと必死であった。
「ごめんね。今度来た時には買ってあげるから、泣きやんで」
「今がいい」
「良かったらどうぞ」
「知らない方から頂けません」
「この子のために買って来たのですから、どうぞ」
ぼくは少女に綿あめを手渡した。
母親は断りはしたが、その断り方は嬉しそうな顔に見えた。
少女は泣きやみ、漫画の絵が書かれた袋を破いた。顔じゅうに綿あめを付けて食べていた。
ぼくからすれば綿あめの代金は微々たる金額であった。
この少女の嬉しそうな顔や母親の何度となく言ったお礼の言葉が、ぼくには久しぶりに感じた感動であった。
多分今までの自分であれば他人事として見過ごしてしまったであろう。
絆・・その言葉からかもしれない。
「パパいないからお金無いの」
「何言ってるの」
母親は少女の口を押さえながら
「ごめんなさい。失礼します」
といい立ち去ろうとした。
母親の靴も少女の靴も擦り切れていた。
ぼくはどこに行くにもこの親子は歩いて行くのだろうと察した。
親切ついでに靴を買ってあげようと思った。
ぼくはまた親子の後を追った。
「宜しければ一緒に花見していただけますか。今日は1人で来たものですから」
「人に見られたら困りますから」
「おじちゃん今度は何買ってくれるの」
「少し離れて歩きますよ」
母親は黙って頷いた。
「どんな靴が欲しいかな。靴を買ってあげるよ」
「さくらの靴がいいよ」
「さくらのお花の描いてある靴だね」
「違うよ。桜の木の靴だよ」
「それは困ったな。靴屋さんにないね」
「気にしないで下さい」
母親が言った。
「どうしてさくらの木の靴が欲しいのかな」
「保育園で舞子は汚いって言われた」
「悪い子だね」
「さくらの靴履けば桜のお花のように綺麗になれるよね」
「そうか、そうだね。解ったよ」
「お母さん家まで送らせて下さい。桜の木の靴あとでお届けしたいですから」
「子供の言ってること本気にしないで下さい」
「夢をかなえてあげようと思うのです」
アパートまでの距離、少女は楽しそうに外の景色を見ていた。
「車はいいね。足が痛くならないね」
少女は車から降りるときにそう言った。
「ここの3階の2号室です。牧村です」
「ぼくは上野です」
銀行の名刺を渡した。
信用してもらうためでもあった。
ぼくはさくらの古木を買い、少女と同じサイズの靴を買った。
文献で中国の木靴を調べた。
どうにか出来上がったのは1カ月後であった。
ぼくは母親に電話をした。その日に、少女のアパートに行った。
母親にも靴を買った。
チャイムを鳴らすと、チェーンを外す音が聞こえた。
「この間はありがとう」
「はい。約束の靴」
少女は玄関の廊下に腰をおろして足を出した。
「足に合うといいな」
ぼくは少女の足に木靴を履かせた。
「ぴったりだね」
「舞子はシンデレラみたいだね」
母親の嬉しそうな顔は少し化粧をしていた。だから、とても美しくぼくには見えてしまった。
ぼくは母親にハイヒールの靴を手渡す時に手が触れたように感じた。サクラの花びらのように感じたのは、自分でもなぜなのか解らなかった。彼女の頬も幾分その時に紅がさしたように感じたからかもしれない。
「ではこれで」
「御茶でも・・・いかがですか。何もお礼が出来ませんから」
ぼくは鉄の重いドアノブに手をかけていた。
3階から碧い空が見えた。ゆっくりとドアが閉まった。
ぼくは階段を下り始めた。後からぼくの後から、階段を降りる足音が聞こえた。その音は木靴のようにもハイヒールの音にも聞こえた。桜の花が舞い降りてくるような思いであった。