アドレス
できない
自分から彼女にメールや電話をするなんて、絶対にできない。
時計の針は12時15分を指していた。
店を出た僕は、吸い寄せられるように近くのバーに入った。
「いらっしゃいませ」
「すみません、ここ何時までやってますか?」
「うち、朝の5時までやってますよ」
「そうですか、分かりました。」
髭面でいかにも荒らそうな60代くらいのマスターは、見かけによらず物腰が柔らかく、丁寧な態度と言葉遣いでもてなしてくれた。
カウンターしかない狭い店内だったが、客は僕しかおらず、静まりかえっていた。
僕はカウンターの一番奥に腰掛け、メニュー表を手に取った。
「すみません、マッカラン、ダブルで。」
「かしこまりました。」
僕はグラスのウイスキーを一気に飲み干し、おかわりを頼んだ。
次のグラスも一気に飲み干し、また次の酒を頼んだ。
先程彼女からもらった名刺を財布から取り出し、眺めていると、信じられないことに気付いた。
それは、彼女のメールアドレスだった。
sakura-s0507i-love-kei@docomo.ne.jp
サクラ―S 0507 I love kei
なんだ!! これは
サクラというのは、彼女の本名か!?
0507は誕生日だ。
I love kei
ケイというのは誰だ!?
彼氏だろうか! 好きなタレント? ペット?
いずれにしても僕と同じ名前だ。
偶然過ぎる。
彼女は・・サキさんは一体何者なんだ!?
僕はグラスの酒を飲み干し、携帯を取り出した。
そして、彼女の電話番号をゆっくりとダイヤルした。
不思議だった。一人でバーに入ったことなど、今まで一度もなかった。
それに、酒があまり強くない僕はウイスキーなど絶対飲まない。
バーの不思議な雰囲気とマスターの人柄、ウイスキーのアルコール。それらが絶対に普段の僕ではできない、女性に電話をかけるという行為を可能にしてしまったのだろうか。
桜が天国で操っているのではないかと思ってしまうほど、自分のやっている行為が信じられなかった。
プルルルルルル プルルルルル
「はい。」
電話の向こうから聞こえてきた声は、サキさんに間違いなかった。
優しさと力強さを混ぜ合わせたような、なんとなく懐かしい声。
ええっ!!
何をしてるんだ、僕は。
電話をかけてる。
こんな遅い時間に、相手のことも考えず、電話なんてしてしまった。
何を話せばいいんだ。
「もしもし・・ もしもし・・」
まずい。何か話さなければ。