口は災いの元
「リリス・エイシェン!
本日を以て俺はお前との婚約を破棄し、ここにいるアイリス・バイリオン男爵令嬢を婚約者とする!」
魔法学校の卒業パーティ。
その場で高らかに宣言した王太子イーデスに、正面に立っていた公爵令嬢リリスは半眼になった。
イーデスの傍らには、彼にべったりとへばりついて腰を抱かれているぶりっ子男爵令嬢の姿がある。
卒業パーティの参加者である魔法学校の卒業生たちは、「ほら見たことか」という呆れ顔や頭を抱えている者、あからさまにリリスに同情を見せている者、アイリスに侮蔑のまなざしを向けている者と様々だった。
逆に、イーデスの行動を称賛している者は皆無である。
「よくもまああんなこれ見よがしの嘘に引っかかったなこの王太子」と言わんばかりの目線が注がれている。
「お前がアイリスに働いた数々の狼藉、許しがたいものである!
したがってお前を辺境に追放する!
これは次期国王命令である!」
「そんな、殿下。それはあまりにも可哀想です。
リリス様も、少し嫉妬してしまっただけできっと悪気は……」
「お前は優しいな。アイリス」
瞳を潤ませ、イーデスを見上げるアイリスにイーデスは麗しい笑みを向けた。
周囲の卒業生たちは、もう目も当てられない、という反応だ。
「全く、リリス様がお可哀想だわ。
あんな嘘八百に騙されて悪女のような女を婚約者に、なんて」
頭痛がする、とこめかみに手を当てたのはリリスの親友の伯爵令嬢だ。
彼女はアイリスが編入してきた時のことを思い返した。
アイリスは幼い頃身体が弱く、入学式に間に合わなかったそうだ。
実際は、当主の浮気相手の娘だったためバイリオン男爵家の娘として認められたのがつい最近だった、というだけの話だと、伯爵令嬢は知っている。
アイリスが編入してきた時には誰も寄りつく隙のない、完璧な次期国王カップルだったイーデスとリリス。
そこにアイリスはどうにか入り込もうとしたが、アイリスのこれ見よがしの誘惑はまるでイーデスには通用しなかった。
勉強を教えて欲しい。クッキーを焼いて来ました。噴水に落ちてしまいました。
それらの誘惑に、イーデスは一切隙のない笑顔でこう答えた。
君とは頭脳レベルが合わないから無理だね。毒味係がいないから。火魔法で乾かせばいい。
まさにけんもほろろ。最後の水で透けた下着を見ても「またつまらぬものを見てしまった」と言わんばかりの食傷顔にはほかの生徒たちが「殿下、お労しい…!」と同情したくらいだった。
誘惑に動じなかった王太子に、アイリスは手段を変えた。
「リリス様に突き飛ばされたんです」
そう、リリスがやってもいない悪行を吹聴し、自分を被害者に見せようとしたのだ。
こんなわかりやすい嘘に騙される人間がいるのか、と周囲が呆れる中、王太子は、
「それは本当か……?」
初めて、アイリスの言葉を信じたように身を乗り出したのだ。
まさか嘘だろう!?と周囲が思う中、これに気を良くしたアイリスは、
「リリス様に水をかけられました」
「リリス様に階段から突き落とされました」
「リリス様に髪を燃やされました」
「リリス様に顔をぶたれました」
「リリス様が暴漢を雇ってわたしを穢そうとしました」
嘘のオンパレードだ。
だがこれを全て、イーデスは親身になって聞いた。
極めつけに、
「リリス様がわたしに毒を盛って殺そうと……!」
その嘘がトドメとなり、リリスは今、こうして婚約破棄を告げられている。
「嘘つき」
「そんな、嘘だなんて……!」
リリスがぽつりと口にした言葉は、どこか哀しみに満ちていた。
アイリスはあざとい演技で涙を浮かべてみせる。
「どうか、ご自分の罪を認めてください!
もう悪でいるのはやめて…!」
「やっていないことを認めるのは無理だわ」
「リリス様…!」
アイリスはきっぱり言い切ったリリスに、涙を浮かべてイーデスの胸に抱きつく。
その肩を抱き寄せて、イーデスは整った顔をリリスに向ける。
「リリス」
「嘘つき。……あんなに、君しかいないと言ったのに」
「すまない。今のおれには、彼女しかいないんだ」
「これから手を取り合って、幸せになろうと誓ったのに」
「ああ。だが、俺は新しい幸福を見つけてしまった」
「立派な王太子として生きると誓ったのに」
「これが、おれの生き方なんだ」
「……馬鹿なひと」
最後にリリスは一筋涙を零す。
それを見たアイリスはイーデスに見られないように勝ち誇った笑みを浮かべ、周囲の生徒たちはそれを侮蔑のこもった表情で見据えていた。
卒業パーティを終えたアイリスは、イーデスに連れられ、王宮に来ていた。
今日からここで自分は暮らすのだ。将来の王妃として。
そう期待に胸を膨らませていたアイリスの部屋を訪れたイーデスは、とても麗しい笑顔で、
「なにを言ってるんだい?
君はおれの愛妾となるんだよ」
と告げた。
「……え」
「その顔はなにかな。まさか男爵令嬢が本気で王太子妃になれると思った?
そんなわけないだろう?
愛妾として迎えるのだって父上に猛反対されたくらいだよ」
小馬鹿にしたような顔で言われて、アイリスは思考が停止した。
「で、でも、じゃあ、どうして、リリス様を婚約破棄なんて」
そうだ。自分を王妃にするために、リリスが邪魔だったから婚約破棄をしたんじゃないのか。
そう擦れた声で問うたアイリスに、イーデスは笑う。
「違うよ。リリスを王妃に迎えられなかったのは悪かったと思っているし、残念だと思っているよ。あれほど王妃に相応しい女性もいなかったのに」
「そ、そんな、だってリリス様は散々わたしをいたぶって!」
「ああ、だってそれ、君の嘘だろう?」
「は」
嘲るような笑みで言われて、アイリスは今度こそ本気で目の前の王太子の言うことを理解出来なくなった。
「なにその反応。
まさか、あんなわかりやすい嘘におれが騙されたとでも?
リリスがそんなことするはずがないだろう?
長く婚約者としてそばにいたリリスより、ぽっと出の君を信じたとでも?
まさか、あり得ない」
「じゃ、じゃあ、どうして」
声が震える。部屋の中央に置かれた大きな寝台の縁に腰掛けたまま、アイリスは目の前の王太子を信じられない目で見上げた。
「君、転生者だろう?
前に言っていたじゃないか」
『リリス様ってまるで悪役令嬢みたい』
「そう、ほかの生徒にリリスの悪評を吹き込もうとしていたみたいだけどさ、『悪役令嬢』なんて言葉はこの世界にないし、あるとしたら日本の漫画の中だよね。
だから、君も日本人だってわかった」
「あ、イーデス、様も……?」
「そうだよ」
微笑んで頷いたイーデスに、アイリスはぎゅっと抱きつく。
「そ、そうならそうと仰ってください!
もう、同じ日本人だからって悪役令嬢っぽい嘘を吐かれたんですか?
意地悪なんですから」
「君に言ったことに、嘘はないけどね」
「え……」
アイリスは同じ日本人だと知って、イーデスの言葉を自分を脅かそうとした嘘だと思おうとしたが、イーデスはぞっとするような冷たい声で否定した。
「前世のおれの死因ってなんだったと思う?
自殺だよ。自殺。
いじめが原因のね」
言葉と裏腹の嬉しそうな笑顔で、イーデスは続ける。
「いじめの主犯格が、君みたいな嘘を吐いてね、みんな馬鹿だったからそれを信じておれは孤立して、苛められるようになったんだ。
悲しかったな。苦しかったな。誰もおれを信じてくれなかった」
「……イーデス、さま?」
「君は、同じことをリリスにやったね」
殊更優しい声でイーデスが囁く。
「大丈夫。おれは嬉しかったんだよ?
だって君があのいじめの主犯格と同じ人間なら、君に復讐出来る」
くすくす、くすくす、と楽しそうにイーデスは笑う。アイリスを人間ではなく物として見る瞳で。
「なんだっけ。
ぶたれて、階段から突き落とされて、髪を燃やされて、暴漢に襲われて、毒を盛られるんだったね。
大丈夫。全部、本当のことにしてあげる!」
イーデスがアイリスに向かって手を伸ばす。
アイリスは「ひっ」と悲鳴を上げて身を引いた。
「そ、そんなことしたら、父が黙って…!」
「男爵ごとき、うるさく騒いだところで簡単に黙らせられるよ。
家を潰しちゃえばいい。王家にとったら、男爵家の一つや二つ、潰すのなんか訳ない」
「……あ、愛妾をいたぶったって知れたら、王太子の立場が」
「それこそ簡単にうやむやに出来るよ。
だって、たかが男爵令嬢ごときを好きに嬲ったところで、誰も気にしないもの」
「…………………」
アイリスは完全に恐怖に凍り付いた顔でイーデスを見上げている。
イーデスは「よかったよ。君の家の家格が男爵で。もっと家格が上になると、もみ消せなくなるからね」などと笑っている。
「言っておくけど、この状況を招いたのは君自身だからね?
リリスがいれば復讐しようとするおれを止めたし、君が嘘を吐かなければおれは復讐なんて考えなかった」
イーデスはふと、なにか思いついたように口元に手をやる。
「こういうのなんて言うんだっけ。
ああ、そうだ」
イーデスはぽん、と手を打って笑う。
「口は災いの元」
「馬鹿なひと」
「なにか仰いましたか? お嬢様」
公爵邸の一室で、メイドが淹れた紅茶を飲んでいたリリスは小さく呟く。
すぐメイドが尋ねてきた。
「なんでもないわ」
そう答えて、また紅茶を一口飲む。
婚約破棄されたと伝えれば、父も母もメイドたちも皆、勝手な王太子と嘘を吐いたアイリスを罵倒した。
だけど、リリスはイーデスに同情している。
リリスとイーデスは、同じ転生者仲間だった。
幼い頃に婚約者となった二人は、あるときお互いが同じ日本から転生してきた人間だと気づいた。
そして、同じようにいじめを苦に自殺した人間だと言うことも知った。
お互いの過去の苦しみを、哀しみを抱きしめ合って、これからは前を向いて生きていこう。過去を忘れて今度こそ二人で幸せになろうと誓い合った。
なのに、あの馬鹿な男爵令嬢が現れた。
最初こそ意に介していなかったイーデスだが、慣れた様子でリリスを貶める嘘を吐くようになったアイリスに、目の色を変えた。
「聞いたかい。リリス。あの子、昔おれを苛めた主犯格と同じ人間だよ」
そう喜色のにじんだ声で言ってきたイーデスの、歪んだ表情を思い出せる。
嬉しくて堪らないというような、苦しくて堪らないというような、そんな二つの対極な感情に心が歪んでいく悲鳴を映したかのような顔だった。
何度も諫めた。もう過去なんて忘れて幸せになると誓ったじゃない。昔のことは忘れると言ったじゃない。そう何度も。
だが、いじめを苦に自殺した無念は、リリスよりイーデスのほうが重かったのだろう。
ついには自分を死に追いやった相手に復讐出来る、という甘露に負け、イーデスはリリスを突き放した。
せめて、リリスにはそんな醜い己の姿を見せずに済むように。
辺境への追放という罰すらリリスのため。リリスが辺境伯に恋をしていたことを知っていたから、実際には追放ではなく、辺境伯との縁組みだ。
『やっと、わたしたち幸せになれるのよ』
そう喜び合った日を昨日のことのように思い出せる。
「本当に、馬鹿なひと」
もう一度口にした紅茶は、なぜか少しだけ渋かった。




