新星爆発
〝「アウェイカー」とは、宇宙に起源を持つ未知のエネルギーを、体内に継承した特異な存在の名称である。その身体能力は通常の人間が到達し得る水準を遥かに凌駕しており、生物学的・物理的な観点においても明らかな差異が認められる。また、死亡時には星屑状の微粒子へと変容し拡散されることが確認されており——〟
「……ふふ、何度読んでも冷徹な文章だな。泣いてしまうぞ」
タブレットに表示された文書に記されたものを目で追いながら、カップに注がれた珈琲を啜る。鼻先から忍び込む苦い香りと舌に広がっていく熱をころころと回して、男は微笑んだ。指先が踊るように跳ねて表示されるものが変わっていく。研究所の監視カメラ映像のところで、指の動きは止まった。ある実験室の隅に蹲る人間。こちらに背を向けたまま、揺り籠のように揺れているその姿をなぞって、男はカップをテーブルの上に置いた。
椅子に掛けていた白衣を羽織り、タブレットを持ったまま壁についているボタンを押す。空気が抜けるような音ともにドアが横に開き、まだ薄暗い廊下に出た。窓から見えるのは、美しい街並みだ。均一に整えられ、いるべき人間として認められた者だけが住む街。その奥に広がる黒い影に向かって口角を上げると、窓に映る自分もにこりと笑った。
「そういえば、来週の議題は人間の定義だったか。父さんも意地が悪い」
コツン、コツンと音が響く無機質な廊下を、朝日が照らし始める。夜明けの訪れだ。
「私も人間ではないとしたら……何が人間になるのだろう。何が人間を人間たらしめる?」
エレベーターの前で、自分の手のひらを画面に押し付けた。自分の指紋と体温によって機能するのだから、これは男が人間であることを証明するものなのかもしれない。ドアが開き、乗り込んで地下三階のボタンを押す。ドアが閉まってゆっくりと降下していく中で、再びタブレットを見た。まだ実験室の映像が表示されたままだ。蹲る人間は、床に頭を擦りつけていた。その姿は何かに祈っているようにも、懺悔しているようにも見える。心の底から、哀れに思えた。
「……かわいそうに。神などいない世界で、何に祈っているんだろう」
チーン。エレベーターが到着したことを知らせる音に顔を上げて、足を踏み出す。
真っ白な空間。白い照明に照らされ、ガラス張りの実験室が左右に並ぶそこで、書類が積み上げられた机の上にタブレットを置く。白衣の袖を捲りながら向かった実験室にいるのは、映像と変わらぬ姿で何かを祈る哀れな男だ。黒い髪はぼさぼさで、洗っていないせいか脂ぎっているのが気味悪い。黒人形が見たら卒倒するだろう。あの女は美しいものが好きだ。美しくないものは何であれ——例え人間だとしても——すぐに捨てるのだから面白い。
「彼女の中には人間であることの基準なんてないのかもな。それも分かりやすくていい」
そうひとりごちて、コンコンとガラスをノックした。蹲っていた人間——男が顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔、こけた頬、乾燥してびろびろに皮がめくれた唇。
単刀直入に言おう、これは汚い。見るに堪えない。
ドアが開く。男は何も言わず、こちらを見るだけだ。
その男に近づいて、そっと笑いかけた。鼻が曲がるような異臭に顔を顰めながら。
「やあ、こんにちは……いや、おはよう」
びく、と震える肩。ぼろぼろの服。次からは洗浄させよう。
「少し聞きたいのだけど、君、何を祈っていたんだ」
男の目が見開く。痩せ細った腕がこちらへ伸びる。まるで、救世主でも見えたかのように。白衣の裾を掴んで、不格好に震えながら見上げる男に肩を竦めた。あとで洗った方がいいだろうな。
「ほら、神にもいろいろ種類があっただろう。百九十年前までは、いろいろな神がいたそうじゃないか。それぞれがその信念に従った結果、地球はここまで壊れたわけだけどね」
男は答えない。答えるための口はある。言葉も知っているはず。だのに、男は薄汚い手で白衣を掴んだまま、ぶるぶると震えながら見上げてくるだけだ。その姿が何かに似ていて——そう、灰殉士が好きなラットだ。ぷるぷるとつぶらな瞳でこちらを見上げるラットにどこか似ている。
「これじゃあペットじゃないか。かわいそうに」
人間の形をしたペットだ。こういう場合は人間と呼べるのだろうか。
腰を屈めてしゃがみ込み、男の腕を掴んだ。その手にゆっくりと力を込めると、男は痛みに呻いた。白衣の裾から手を離した男のぼんやりとした黒い目。そこに映る自分の瞳に、星が弾ける。熱が放たれ、自分の手のひらの下で男の皮膚が溶けていく。
じゅうじゅう、しゅうしゅう。
「あああッ、熱い! あつい!」
「なんだ、話せるじゃないか。心配して損した」
「あああああッ、なにか、なにかがッ、からだに!」
「……ふふ、大丈夫。今から君は新しく生まれ変わるだけだ」
「ひぃッ、あ、がッ、ああ」
「新星爆発って、知っているかい?」
暴れる男の腕に、力を流し込む。この瞬間は好きだ。自分の手のひらさえ熱せられるが、それがまるで己を人間だと証明しているかのようで気持ちいい。
流し込んだマグマのように熱い力が、急激に男の身体を蝕んでいく。薄汚い皮膚の下を熱が駆けて、血管を、内臓を焼き尽くしていく。想像を絶するほどの痛みと熱さに、のたうち回る身体に蹴られようと殴られようと、この快感さえあれば痛くも痒くもない。むしろかわいい刺激だ。
「超新星爆発は星が吹き飛んで破壊されるが……これは違う」
男の見開かれた目から赤い涙が零れ落ちる。鼻から溢れ出す赤い水。暴れていた身体はやがて痙攣するだけになり、いびきのような呼吸の音が聞こえ始める。
眩く輝く実験室で、薄く笑みを浮かべた。
「人間の内側を溶かし尽くして残る残骸は、人間なのかな」
星が、爆発した。




