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La Luna Balanza - 月秤と10万トンの銀 -  作者: 園山 ルベン


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3/3

月光

 そして、約束の日。東の空に、丸い月が登る。

 宵の空を貫くように佇む月秤は、月の光を受けて、白く、冷たく輝いた。


 秤皿に載せられる銀は、もうなかった。

 ついに動かなかった月秤を、バルタサルが泣きそうな顔で見つめる。


「お父様……」


 アルヘンタが、おずおずと銀のブレスレットを差し出す。

 バルタサルは自らの力不足で、娘の大切なものを奪ってしまうのかと、思わず目を濡らした。

 そして、「すまない」と娘を抱きしめた。


 バルタサルは西側の秤皿に続く足場を登り、最後の銀――妻が娘に遺したブレスレットを、静かに月秤に載せた。


 月秤の天秤棒が、わずかに揺れた。巨大な天秤が、城門の蝶番が軋むような音を立て、揺れた。ブレスレットが乗った振動で、西側の秤皿が確かに沈んだ。

 近くで見守っていた従者たちも、銀のブレスレット一つで天秤が動くとは思わず、どよめいた。


 だが、それだけだった。天秤棒がわずかに動いただけで、釣り合うことはなかった。


「あと少しだった……。あと少しで――!!」


 悔しさのあまり、バルタサルは足元からくずおれ、足場の板を拳で叩きつけた。


 天秤はこれ以上動かない。つまり、罪は贖えなかった。

 共に銀を集めてきた従者たちも、これまでの働きが無駄になったと悟った。地面に座り込む者、思わず涙するもの、呆然と佇む者。バルタサルに見切りを付け、その場から離れる者もいた。


 家令が、バルタサルの肩に手を置く。


「もう、銀はありません。遠方から銀が届くのも、明日の予定です。……残念です」


 残酷だが、受け入れるしかない事実に、バルタサルは頷くことしかできなかった。

 そして、自分が集めた銀の小山を見て言った。


「お前に配分は任せる。皆のもとに、銀を返そう。迷惑をかけた人たち、世話になった人たちもいる。お前たちもよくやった。銀をすべて運び出して、皆に分配しろ」



 やがて、バルタサルの家令たちは銀を市場へ戻しはじめ、波打っていた相場は潮のように静まりはじめた。長年仕えた者たちは、受け取った銀を手に去っていった。


 家令たちが月光のもと銀を積み降ろし、礼拝堂跡に銀の山が積み上げられる。商会の経営に携わってきた者たちが、膨大なリストを抱えながら、誰にどう分配するかを確認する。



 この1か月働き詰めだったバルタサルは、今は娘と静かに月夜の下で過ごすことにした。

 巨大な月秤の台座に腰かけた二人は、穏やかに話し合った。

 取り戻したブレスレットをアルヘンタの手首にはめ、バルタサルが虚しく微笑む。


「お前のことをしっかり育てると、お母さんに約束したんだがな。せめて、お前がどんな結婚相手を迎えるのか、見たかったな」


 無理をして笑う彼の声は、どこか悲しげだった。


「わたしはこれからどうなるの?」

「本当はさっきから、そのことばかり考えているよ。信頼できる誰かにお前を任せることになるのだが、本当は誰にも渡したくない。わたしに残された、最後の財産だからな」


 不思議そうな顔をして、アルヘンタはバルタサルの言葉を反復した。


「『最後の財産』……。わたしは、『宝物』ということ?」

「ああそうだ。父さんの、何よりも大切な宝物だ」


 バルタサルが誇らしげに笑った。屈託なく笑うその顔は、無理をして作った笑顔ではない。

 だが対照的に、アルヘンタは真剣な顔をして父親の顔を見つめた。


 そして突然、アルヘンタが走り出す。

 彼女は父親の制止も振り切り、西側の天秤に続く足場を登っていく。疲れ切ったバルタサルに追い付けはしない。


 そして、少女は月秤の秤皿に乗った。



 低く鈍い金属音が、月夜に響く。星を目盛に、天秤棒が動き出す。先ほどのブレスレットのときとは明らかに違う。

 天秤棒が水平に近づいていくにつれ、ただ事ではないと、その場にいた皆が悟る。



 一人の少女と、城よりも大きな銀の塊が、釣り合った。



 「そうか」とバルタサルが呟いた。あの女神は、銀の山と「同じほど価値がある物」も条件に含めた。

 バルタサルにとって、アルヘンタは10万トンの銀と同じほど、いやそれ以上に――。


 バルタサルは顔を青ざめさせた。贖いということは、秤皿に乗っている者は女神に捧げられる。


 彼は急いで足場を登り、娘を呼び戻す。秤皿に乗った娘を、夢中で抱き上げた。

 少女の命の重みがなくなった天秤は、勢いよく左側に傾いた。銀の山が勢い良く沈み、地響きが起きる。


「お父様、どうして――」

「アルヘンタ。天秤にかけられるのは、お前じゃない……」


 父親を助けたくて、健気に訴えるアルヘンタに、バルタサルが真剣なまなざしで諭す。


「お前を失えば、わたしは生きられん。お前にはまだ未来がある! すべてを失ったわたしを、支えてきてくれた。お前は強い子だ。わたしがいなくても、やっていける」


 バルタサルはもう一度月秤を見つめる。また空に持ち上げられた秤皿に乗るために、足場をまた登る。

 秤皿の前に立つと、彼は大きく息を吸った。


「お父様……」


 娘の呼びかけに、バルタサルは振り向き、笑いかける。


 そして、足を一歩踏み出した。


 また、天秤棒が動いた。銀が奏でる低い金属音と共に、月秤は均衡を取る。

 繊細な彫刻が施された天秤棒が月明りに煌めく。


 ついに天秤棒は水平に釣り合った。


 一方の秤皿には当代随一の大富豪、バルタサル。もう一方の秤皿には、月光に照らされた、白い髪の女神が立っていた。

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