第一章 鯨の歌
『洞窟の子守歌』の続編、『放浪人の行進曲』を連載します。
本作は「トリトニアの伝説」の第二部にあたります。
前作では、漁村に生まれた主人公の一平少年が人魚のパールと出会い、自分と同族と認識して保護し、人間たちの目から匿う姿を描きました。
以下、『洞窟の子守歌」のあらすじです。詳しくは本編をお読み下さい。
十三歳になったばかりの一平は漂流者の父の海人の血をひいており、水の中で息ができ、傑出した泳力があります。
記憶を失っていた父は死の間際に自分と故郷の名を思い出し、おまえもいつか辿り着けと言い残しました。
迷子になって一平の前に現れたパールという名の人魚はまだ幼く、自分の状況を把握していませんが、一平はパールを自分の同族だと認識しました。
一平は、パールが人間に見つからないようにと、自分だけが利用できる崖下の洞窟で彼女を匿います。
双子の従兄弟という協力者を得て、危険からパールを守るべく奔走する一平ですが、ほどもなくパールの身に危険が迫ります。
あまつさえ、パールを守るために、心臓の持病がある従兄弟の翼は無理をして帰らぬ人となります。
これ以上家族の元にはいられないと悟った一平はパールを連れ、身一つで海へと旅立ちました。
目が覚めたら腕が痺れていた。
動かそうと思ってもいうことをきかない。
それもそのはずだった。一平の左腕にはパールの頭が乗っていたのだから。
少女は身を柔らかく湾曲させて横たわっていた。一平のすぐ目の前にすやすやと眠るあどけない顔がある。
(どうしようか?)
一平はしばらくそのままの姿勢で考えた。
こうしてパールの寝顔を眺めているのもいいが、腕の方はそろそろ限界のようだった。辺りはもう仄明るくなっている。
村を出て一日目はとにかく沖へと向かった。隠れ家を出てきたからには少しでも早く人間の目の届かない所まで行く必要があった。一平はパールを連れてぐんぐんと泳いだ。
休憩したのはもう犬首岬が岬とわからぬくらい陸から離れた辺りだ。それまでは一度も振り返らなかった。固い決意の下出てきたものの、振り返れば里心がつく。決心の鈍るのを恐れ、一平はなるべくそんな気が起こらぬほど遠くまで来てから立ち止まったのだ。
できれば水平線の彼方に見えなくなってほしかったが、一平は一人ではない。パールの体力にも不安なものがあったので限度があった。
小さくなった島影を見れば幾許かは郷愁の念が浮かびくる。そんな一平の心を慮ったのか、疲れただけなのか、休憩中もパールは何も言わなかった。一平の背中に張り付いて心臓の音に耳を澄ませていた。
陽が沈む前に腹拵えをして一夜の宿を定めた。パールのためになるべく危険が少ないと思われる場所を選び、身を寄せ合った。眠っている間に何があっても対処できるように、右の手は短剣を掴み、左の腕をパールの枕にして抱えるようにした。ここにおいでと呼ぶと、パールは手放しの笑顔で微笑んで一平の元に潜り込んできた。
そうしていると一平の方も安心できた。この重みを感じているうちはパールは自分のそばにいるという証拠だ。パールがそう望むのなら、毎日こうしていてやろうと思いながら、いつしか一平も眠りについていた。
そして夜は明けた。
一平は起きることにした。そっと左の腕を抜く。
パールは目覚めない。
マントを掛け直してやって、一平は魚を獲った。ワカメも群生していたので採取した。ワカメを好むアワビも見つけた。父の形見の短剣は諸刃の剣であり、刺すにも切るにも都合が良かった。獲物を串刺しにして戻った時もパールはまだ夢の中だった。
一働きしたので腹も減った。育ち盛りで食欲旺盛な少年には食べ物のおあずけは拷問だった。先にぱくつくことにして食事にありついていると、突然パールが目を覚ました。
目を擦って視界がはっきりするとパールは言った。
「パールも食べる!」
言うなり、一平の元へ飛びついてくる。
一平は呆気にとられたが、面を引き締めて言った。
「こら。お行儀悪いぞ。朝起きたらまずおはようだろう?」
開口一番叱られてパールはしゅんとなる。
「…ゴメンナサイ…」
ぺこりと頭を下げて畏まった。
「オハヨウゴザイマス…」
胡座をかいていた膝に両手を置いて威厳を保っていた一平は急に破顔した。
「おはよう」
本当は吹き出したいのを堪えている。無邪気で子どもらしくて可愛いが、最低限の躾と節度は必要なことと考えていた。叱ってもいつまでも尾を引かないこの楽天的なところがいつも新鮮で面白く、かつ羨ましいと思う。
一平に手玉に取られていることなど何一つ気づかずに、パールは素直に一平に従う。今パールが頼れるのは一平ただひとり。パールの世界の全てが一平の一挙一動で運行されていた。一平が笑顔で接してくれることがパールの喜びだった。一平の言う通りにしていれば、彼は笑いかけてくれる。優しくしてくれる。だから何でも言う通りにしよう。パールは何の疑問もなくそう思っていた。
叱られても、一平が自分のためによかれと思ってしてくれているのだと享受できた。無視されるより遥かにましだ。それに一平はパールに対して大声で怒鳴りつけたり癇癪を起こしたりしたことはただの一度もない。叱られはしても怒られることはないのだった。
パールは思ったことをすぐ口にする。
「一平ちゃん…ママみたい…」
(ナニ?)
「ママも、パールにそうじゃないって言うの。パールすぐ悪いこと、しちゃうから」
ママみたいだと言われて一平は複雑な気持ちになる。子どもだとはいえ一平は男だ。女であるママよ のようだと評されては単純には喜べない。
「この間はパパと同じだって言ったじゃないか」
初めてパールに会った時、パールは一平のことを『パパと同じ匂いがする』と言ったのだ。
「うん。でもパパはあんまりパールのこと叱らないの。おつとめが忙しいから」
なんだ、トリトニアでも日本と同じなんだな、と一平は共感した。どこでも父親は仕事にかまけていて子どもの教育は母親任せであるようだ。
「パール、どうしてすぐだめなことしちゃうのかなあ。いい子になりたいのに…」
何かを思い出したのか、ちょっぴりしょげてパールは呟いた。
「パールはいい子だと思うぞ」
一平は言ってやる。
「ホント?」
意外だったのか、パールはそれを聞いてパッと顔を輝かせた。
「ああ。悪い子っていうのは言っても聞かないやつ、悪いとわかってて何度も繰り返すやつのことを言うのさ。パールはそうじゃない。すぐに直してちゃんと気をつける」
「パールしないよ。一平ちゃんがしちゃダメって言うなら絶対しない。一平ちゃんが教えてくれたこと絶対忘れない。何でも一平ちゃんの言うこときく」
「何でも言うこと聞くなんて軽々しく言っちゃだめだ」
「かる…?」
難しい言葉があったらしい。一平は説明する。
「かるがるしく。よく考えないで簡単に言うんじゃないってことだ」
「……」
「ボクだって、間違うことだってあるんだから。パールに悪いこと教えてしまうかもしれないよ」
パールにはわからない。一平に限ってそんなことはあるはずないと思っている。
そんなパールの考えもその表情から読み取れる。
一平は言った。
「ボクが間違っていると思ったら、パールもそう言っておくれ。言いたいことは我慢しないでなんでも話そう。これからは二人だけなんだから」
そう。彼らは二人だけだった。
昨日までは仲間がいた。家族がいた。味方となってくれる頼もしい人々がいた。が、今はもういない。少なくとも一平の近くにはいない。困った時に手を貸してくれる者も足りないところを補ってくれる者も、泣きたい時に胸を貸してくれる者も…。
今日からは全部一人で乗り切らなければならない。パールのために。自分自身のために。
一平は頼りにされる側の立場にいた。今までより尚一層気をしっかり保たねばならない。
「食べてもいい?」
我慢しきれなくなったのか、パールが訊いた。
無邪気な声音に心が和んだ。
パールはどうやって日本まで来たのだろう?
勿論泳いでだろうが、一体どっちの方角からやってきたのか?
はじめのうちは会話もままならなかったため、浮かんだ疑問を解消するのは難しかった。そのうち諦めた。というか、他のことに気が行って忘れてしまった。洞窟での生活を維持するのにそのことはあまり重要ではなかったのだ。
村を出てから一平は考えた。
取り敢えずはまず岸から離れることを優先しながら、頭の中では今まで勉強して来た知識を総動員していた。
日本近海の海流の流れや世界のあちこちの地図だ。
気候などはまだこれから学校で勉強すべきものだったので、詳しくは知らない。
本好きの翼の影響で読んだ物語やドキュメンタリー番組などの中から、参考になりそうなことを思い出す。自分の生態が不思議なせいもあって、海の生き物や環境に関する書物には関心があった。そのため、同年代の他の子どもよりはその方面の知識には長けていただろう。
だからと言って、それらがすぐ実践に役立つかといえばそうではない。机上の紙の上での距離は一センチでも、実際には視界に収めることができないほど遠く離れているのだ。
一番役に立ったのは星座の読み方だった。昼間は太陽の位置で方角がわかるが夜はわからない。季節によっても星の見える位置は変わってくる。長年の勘と繰り返しがものをいう。
取り敢えずは海流に逆らって進もう。どうやって来たにしろ、黒潮に乗ってきたことにはほぼ間違いないからだ。ただ、そうなるとどうしても進む速度は遅くなるし、それだけ体力も消耗する。
急ぐ旅ではない。一平はのんびりと旅程を進めることに肚を決めていた。
南紀にある一平の村から三十キロほどの沖合で、二人は二日目の夜を過ごしていた。腹拵えをして早々に横になる。
と、パールがむくっと起き上がった。
「どうした?」
一平が尋ねる。
「なんか聞こえる」
「うん⁉︎」
「お歌だよ。ほら…」
言われて耳を澄ますと、確かに歌のようなものが波に乗って流れてくるようだ。
一平には聞き覚えがあった。父の漁について行った時に耳にしたことがある。
「ああ、あれは…」一平は懐かしそうに目を細めた。「…鯨だよ。鯨の歌声だ」
「クジラ?」
「うん、そう。知ってるだろ?すごくでかい哺乳類で、頭から潮を吹くやつさ。イルカのでっかいのってとこかな」
「イルカ?」
パールはまた尋ねた。
そうだ、と一平は思い出した。
「ほら、洞窟で読んでやった絵本に出て来ただろ。鯨が浜に打ち上げられて死んじゃう話さ」
「ああ、あれかあ…」
絵本でしかパールは鯨を見たことがない。トリトニアでも話に聞くに留まっていた。
「クジラさんは見たことないの。あんまり深い所には来ないんだよね」
脳油器官という調節機能を頭部に持っているマッコウクジラを除けば、クジラは主に海上付近で生活する。海上で呼吸をし、肺に溜めて潜る哺乳類ならそうかもしれないと、一平は思う。
「この辺は昔から鯨が獲れたらしいよ。陸には鯨の博物館もある。ホエールウォッチングをしにくる観光客もいるくらいだから」
「一平ちゃんは見たことあるの?」
「いや、間近に本物を見たことはないな。水族館にいる小さい種類ならあるけど」
「大きいんだよね⁉︎」
「ああ。サメなんかよりずっとね」
世界最大の動物と言われるシロナガスクジラは体長三十メートル。ヒゲクジラの仲間でも、小さいミンククジラでさえ九メートルはあるという。体重に至ってはシロナガスは百七十トンだ。
「見つかったら食べられちゃう?」
心配そうにパールは訊いた。
「いや、それは大丈夫だろう。世界で一番でかいシロナガスクジラだって、食べるのは貝よりちっちゃいアミやプランクトンなんだから。食べるとしたって、せいぜいイカやタコ止まりなんじゃないかな⁉︎」
ザトウクジラはオキアミなどの他、スケトウダラやニシンを食べることもある。歯クジラの仲間であるマッコウの好物はイカだ。断言はできないが、人喰い鯨というのは聞いたことがないし、と一平は思う。パールはほっとしたようにため息をついている。
「…きれいな歌だねえ…」
うっとりと耳を傾けた。
パールは歌が好きだ。洞窟でもしょっちゅう歌っていた。これが幼い見かけに似合わずなかなか上手い。声質は幼いが光るような艶がある。音程も正しいし、素直でのびやかな心がそのまま歌に表れている。
やがて、パールは鯨の歌を伴奏にして歌い始めた。
初めて聞く声のはずなのに、それに合わせて自分で曲を作っている。
それは即ち一平にとっても初めて聞く曲のはずだ。 にもかかわらず、とても懐かしい気持ちになった。
パールの歌を聴いていると無条件に身体がリラックスし、心地よい眠りに誘われるようだ。
気持ちよくなって横になり、目を閉じると頭が揺れた。
パールが一平の頭を持ち上げて膝に乗せている。
いや、人魚に膝はない。正確には尾鰭の上だ。人間で言ったら太腿辺り、『膝の上』と呼ぶところだ。
目を丸くする一平にパールは説明した。
「昨日、パールが一平ちゃん枕にしちゃったでしょ。だから今日はパールが一平ちゃんの枕になってあげる」
有難い申し出だが何だか照れ臭かった。まるで小さい子が母親に甘えているようじゃないか?
一平は慌てて起きあがろうとした。
が、パールに押さえ込まれた。
「だめっ‼︎」
「…パール…」
「パールが枕になるの!」
「……」
言い出したら聞かないのはわかっていた。
一平は諦めて目を瞑る。
「わかったよ…」
決して嫌なわけではないのだ。むしろパールの気持ちが嬉しい。それに、どうせこの体勢が長いこと保つわけがない。
おとなしく膝の上に収まった一平を見て、パールはニコニコと笑う。目を瞑っていても想像がつく。
一平は言った。
「…もう一回、歌ってくれないか?」
「え?」
「さっきの歌だよ。なんだか、懐しい…」
「うん!」
パールは一平のリクエストに眠くなるまで応え続けた。
目を開けると目の前にパールの顔があった。
結局、眠ってしまったらしい。座った時の姿勢のまま倒れ込んだのがわかる。ついでに一平の頭も膝から転げ落ちたのだ、きっと。そのショックで目が覚めたのだろう。
一平はそのまま見上げるような形でパールの寝顔を眺めていた。
剥き出しのおでこがあどけなくてかわいい。
彼は亀のように首を伸ばした。そうするだけで唇が触れるところにパールの額がある。
触れてしまってから驚いた。もう一度触れてみたいと思っていることに気がついて動けなくなってしまった。
―ボクは…―
(誰か助けてくれ!ボクは一体どうしちゃったんだ⁈)
「う…ん…」
パールが小さく呻く。
(起きるな!パール!…目を開けないでくれ…)
一平はなぜだかそう念じていた。
ぴくりとも動けない。
が、その緊張は破られた。
一平たちの上の方を何やら大きなものが横切ろうとしている。
一平は思わず飛び起きた。
パールも目を擦って起きる。
「なあに?」
「鯨だ…」
夜目にもはっきりとわかった。潜水艦のように大きい、と一平は思った。
「クジラさん…」
―これが、鯨というものか。想像していたよりずっと大きい―
そう思っているのがはっきりと読み取れるような口調だ。
鯨は二人の遥か上方を悠々と通り過ぎてゆく。大きな尾羽がゆっくりと揺れる。
パールが泳ぎ出した。
「パール!」
一平も慌てて追い掛ける。
食われる心配がないとはいえ、あの巨体だ。十五メートルは悠にある。尾羽の一撃を食らっただけで気を失ってしまう可能性は大きい。鯨同士の戦いでは主に尾羽を使うと聞いている。
一平の動きの方が敏捷だった。パールの尻尾の括れを掴んで捕まえると自分の方へ引っ張って抱き寄せた。そのすぐ上を鯨の尾羽が掠めてゆく。海水と共に髪も身体も揺らいだ。
「こら!そんなフラフラ出て行くやつがあるか!危ないじゃないか!」
思わず怒鳴っていた。
「クジラさん…危ないの?食べられないって言ったよ⁉︎」
「食べられなくたって危ないことはあるんだ。あんなに大きい図体で、ボクらみたいな小さいのに注意を払っていられるか?ぶつかっただけで病院行きだ」
「ビョウイン?」
海の中には病院なんてないんだっけ、と思い出して一平は言葉に詰まった。
「とにかく…勝手にフラフラしないこと。特に夜は…うわっ!」
一平は大声をあげた。行ってしまったと思っていた鯨が反転して引き返して来たからだ。二人に狙いをつけているように真っ直ぐこちらへくる。
「逃げろ!」
ぱっとパールの手を掴んで身を翻した。
鯨のために通路を空けるだけでも一苦労だ。もたもたしてたら撥ねられてしまう。海の中でも交通事故は多そうだ、と場違いなことを考えた。
避けたところを真っ直ぐ通り過ぎてくれればよいものの、鯨は進む方向を変えた。一平たちが逃げた斜め上方に向かってくる。
「げっ⁉︎」
鯨は人を食べないなんて思い込みだったか?
鯨は明らかに二人を追いかけている。
進む速さは鯨の方が勝っている。勢い、二人の脇をすり抜けて、鯨は海上に体を回転させ、背中から落ちて海面を割った。大きな波飛沫が上がり、水音が夜の静けさの中で谺する。
鯨のジャンプでできた海流に二人は飲み込まれた。
ぐるぐると回され、引っ張られるうちに体が離れる。
「パール…」
「一平ちゃん‼︎」
わかってはいるが手が届かない。発生したたくさんの気泡が視界を妨げる。
なんとか体勢を立て直した時にはパールの姿はどこにも見えなかった。
鯨の白い腹が一平を嘲笑うように見下ろしている。
(どこだ?パール?どこへ行った?)
一平は焦った。
(まさか…)
あらぬ想像が胸を襲う。心臓が早く脈打ち、冷や汗が流れる。
一平はキッと鯨の腹を睨みつけた。
(アノヤロウ‼︎…)
唇を噛み締め、海上へ向かう。鯨の鼻先へ躍り出る。
「パールをどうした⁉︎」
鯨に向かって怒鳴りつけた。怒りで我を忘れている。ついさっきパールに言い聞かせていたことを自覚しているとはとても思えない行動だ。
鯨が頭を擡げる。体の側面に目があるので鼻先にあるものを見ることができないのだ。大きなものならばともかく、一平は鯨の体長の十分の一しかない。
大皿のように大きな目玉がギョロリと動いた。一平の姿を確認した証拠に目の色が変わる。
「答えろ!パールをどこへやった?」
鯨は黙っている。
一平は失念していた。普通の日本語で喋って鯨に意味が通じるはずがないのだ。答えないのは当たり前だった。
ではどうしたらいい?
トリトニアの言葉で言ってみるかと考える。
もう一度同じことを海人の言葉で発した
応えがあった。
低いのか高いのかわからないような声だった。だが確かにそれは一平の目の前の鯨の体から発されている。先ほど聞こえて来た歌声と共通する部分がある。
「パールとは何か?」
鯨はそう言っていた。
「おまえが今蹴散らした人魚だ!ボクのパールだ‼︎」
一平は怒鳴るのをやめない。
「蹴散らしてはいない。おまえたちにとって乱暴だったのなら謝ろう」
「そんなことはどうでもいい!パールはどこだ!ボクのパールは…」
「人魚ならここにいる」
ここにいると言われても一平には見えない。
「だからどこだ⁉︎」
一平は泣きそうだった。こんなことでパールを死なせてしまうんなら、まだ、海底の溝に匿っていた方がよかった。パールの無事な姿が見えないのが恐ろしくてやりきれない。イライラする。
「一平ちゃん…」
パールの声がした。
「パール?」
「一平ちゃん、パール、ここ…」
声のした方を探す。必要以上に突き出した鯨の頭部に顔がある。口があるのでそれとわかる。
(口⁉︎)
鯨が口を開けた。石のように並んだ歯の奥から、パールが飛び出してきた。
「パール‼︎」
一平は思わず泳ぎ寄り、パールを抱き締めた。
「パール…パール、パール…パール…」
「…苦しいよ、一平ちゃん…」
パールがそう言って音を上げるまで、一平はパールを自分の胸に押し付けていることに気が付かなかった。